第6話 ~3番目に出会った住民は、黒づくめのおまわりさんだった。~

「トガカリさん」1/2

 机の上に積み重ねた缶詰を前にして、友也はうーむと唸った。

 これだけたくさんある缶詰が、どれ一つとして食べられないなんて。全部、缶切りがないと開けられないタイプの缶だなんて。……ひどい生殺しだ。


 さいわい、影中さんからもらったお米を鍋で煮て食べたので、とりあえずおなかは満たされたが。でも、やっぱりおかずも欲しい。ああ。缶切りさえあれば、ここにあるサバの味噌煮も、豚肉の生姜焼きも、ランチョンミートも、好きなだけ食べられるのに……。


(影中さんなら……缶切りのある場所とか、知ってるかな)

 友也は、カーテンを開けた窓から外の景色を覗いた。

 空は、晴れている。今なら、影がある。

 あの人が、またあそこにいるかどうかは、わからないけれど――。


 友也は立ち上がり、走り出した。

 給湯室を出て、細い廊下を抜けて、町役場の外へと、急ぐ。

 日が陰らないうちに、行かなくては。影中さんに会いに行くときには、それが何より重要だ。


          +


「あ、よかった。影中さん、またいてくれた!」

「どうも、友屋さん……。お食事は、もう、済まされたんですか?」

「ええおかげさまで。でもあの、缶切りがですね」

 影中さんは、相変わらず、動作も口調もゆったりしているので、そのぶんこっちが焦って、ついつい早口になってしまう。聞きたいことを聞けないうちに、また消えられたらかなわない。


「影中さん、缶切りのある場所って知りませんか?」

「ああ、やっぱりそのことですか。そうですねえ……。町役場には置いていなかったと思いますし。生憎、私も缶切りは持っていなくて」

「ええ~。それじゃあ、あの缶詰、食べられないんですか?」

 友也は、思いっきりがっかりした声を出して、これ見よがしに肩を落とした。


 別に影中さんが悪いわけじゃないのに、目の前でこんな態度取るのは、ちょっと感じ悪いよな、と思いつつ。それでも、この失望を露わにせずにはいられなかった。

 缶切りに関して有力な情報がないなら、しかたない。うん。それじゃあ、白米だけ食べておかずにありつけない自分のことを、せめて慰めてくれないかな。


 そんな気持ちで、影中さんの顔を見たところ。

 影中さんは、意外なことを言った。


「友屋さん。缶切りがなくても、ああいった缶詰を開ける方法はありますよ」

「えっ……?」

 友也の目は、驚きに見開かれ、その瞳は期待に輝く。

 影中さんは、にこりと微笑んで続けた。


「給湯室に、スプーンはありましたよね。普通の、金属のスプーンです」

「ええ……ありましたけど。スプーンが、缶切りの代わりになるんですか?」

「はい。缶詰を裏返して、スプーンの先で、缶の底の縁をゴシゴシこすると、それで切り込みが入りますから。そうしたら、あとは、その切り込みをぐいぐい広げていくだけです」

「えー。そんなんで、ほんとに開けられるんですか?」

「それなりに力のいる作業らしいので、誰にでもできるという保証はありませんが……。切り込みが入ったら、一気に開けてしまうのがコツらしいですよ。もしそれで無理なようでしたら、釘でも使って、無理やり缶のフタを破れば大丈夫です。町役場の、一階の用具室の壁に、釘と金槌の入った釘袋が掛けてありますから。用具室の場所は、給湯室の近くです」


 ――と。影中さんは、マイペースな口調で、そこまで喋った。喋りきった。

 影中さんが、話の途中で、いつまた目の前からスウっと消えてしまいはしないかと、ドキドキしながら聞いていた友也は、ホッと胸を撫で下ろした。


「ありがとうございました、影中さん。助かりました!」

「いえいえ。お役に立てたのなら、幸いです」

「……」

「……」

「…………」

「…………」


 ……消えねえなあ。

 と、影中さんと笑みを交わしつつ、友也は心の中で困惑する。

 たぶん、影中さん自身も今、同じこと思ってんじゃないだろうか。

 今まで、この人と会話するときはいつも、話の途中で消えられてばっかりだったから。それはそれで困っていたのだけど。会話が一区切りついたらついたで、なんだか、今までの癖で、今度は話を切り上げるタイミングがわからないという事態。


 無言で微笑み合いながら、友也は「もういいから早く消えてくんねーかなこの人」などと、影中さんに対してすごく失礼なことを考えていた。


 無意味な沈黙が、刻一刻と、別れづらい空気を積み重ねていく。

 それでも、こんなときに限って、空はまだ曇らない。

 どうにもこうにも、間が持たなくて。

 このまま黙っていることに耐えかねて、友也は、再び口を開いた。


「あ、あのっ……。影中さんは、雛形さんていう人、知ってますか?」

「えっ? ええ、はい」

 うなずいて、影中さんは、にこりと笑った。

「もちろん、知っていますよ。同じ、この町の住民ですからね。……彼が、どうかしましたか?」

「う――」

 うん。どうかしてました。

 とか、思わず答えそうになって、友也は慌てて笑ってごまかす。


「いやあ、えっと……。ほら、あの人、道端で……はりつけになってるじゃないですか」

「ええ、そうですね」

「…………。で、えっと。あの人、ああやって磔なのに、ズボンのポケットに、財布入れっぱなしだったのが、ちょっと、気になって」

 両手両足をガッチリ拘束されて、ズボンの後ろポケットから財布を覗かせていた、雛形さん。

 昨日会ったときも、その姿を前にして、気がかりに思ったものだが。

「……あんな無防備な状態で、あの人、強盗とかに遭わないのかなって、心配で……」

 友也がそう言うと、影中さんは、あはは、と穏やかな声で笑った。


「お優しいんですね、友屋さんは。……大丈夫ですよ。この町で、刑を受けている雛形さんの財布を強盗する者なんて、いるはずありません。何せ、この町には、怖ーいおまわりさんがいますから」

 だから、心配いりませんよ。と、影中さんは微笑んだ。


(へえー。こんな町にも、おまわりさんなんて、ちゃんといるんだ)

 それを知って、友也は一瞬、安心しかけたが。

(って、待てよ……? もしかして、雛形さんを、あんなふうに「磔の刑」に処した張本人が、その「怖ーいおまわりさん」なんじゃ……?)

 その可能性に、はたと気がつく。


 普通、そんなのおまわりさんの仕事ではない、はずだけれど。

 でも、この町のことだから、どうだかわからない。

 この町の「おまわりさん」というのが、そういうものだからこそ、影中さんは「怖ーいおまわりさん」と言ってるんじゃないだろうか。直感的に、友也はそう思った。

 もし、本当にそうだとしたら。果たして、安心してていいのだろうかこれ。


「あ、あの、影中さん。そのおまわりさんって――」

 詳しいことを、友也が尋ねようとした、ちょうどそのとき。

 空が曇って。町の景色から、影が消えて。

 影の中にいた、影中さんの体も、消えてしまった。


          +


 町役場の給湯室に戻ってきた友也は、影中さんの助言どおりにして、なんとか缶詰を開けることができた。サバ缶、うまい。うますぎる。昨日からロクなもの食べていなくて、舌が味に敏感になってるせいではあるんだろうけど。味覚細胞の本気、凄すぎないか。もう、これ以降の人生で、サバ缶がいちばんの好物になりそうな勢いでうまい。

 そんな感想を、胸の中で燃えたぎらせつつ、友也は汁まで全部すすってサバ缶をたいらげた。


 もっと食べたいけど、食料は大事だ。ここにある缶詰がなくなったら、そのあと、新たな食べ物が手に入るかどうかはわからない。……なんで、こんなサバイバルな状況なんだろう。町の中だというのに。


 ともあれ、胃袋的にも味覚的にも、とりあえず満たされたて。

 友也は、ふうと息をつき、給湯室の畳の床に寝転んだ。

(ああー、しばらくこのまま動きたくない……とはいっても)


 食料の問題が、さしあたって解決されたとなると。

 次に頭に浮かぶのは、これからどうやって家に帰ろうか、ということだった。


(雛形さんは、切符を買わないと帰れない、って言ってたけど……。あの人が、嘘をついてるとも思わないけど……。でも、あの言葉が本当だって証拠も、ないもんなあ)


 切符なしで帰れるか、帰れないか。

 それは、自分で試して、確かめてみないことには、わからない。


(体力回復したら……明るいうちに、一回、駅前まで戻って……線路沿いに、しばらく歩いてみよう……と……思って、た…………け……ど……)

 ああ、もう、動きたくない。食べてすぐ横になるって、ほんと、気持ちよすぎる。

(だ……だめだ……。ここで眠ったら、明るいうちに、駅前まで戻れなくなる……)

 友也は、くっと歯を食いしばって、眠気に耐えようとする。しかし、眠る気満々のこの体勢を解除しない限り、そんなのはまったくの無駄というものだった。

(三十分……三十分くらいだったら、まあ……)

 朦朧とする意識の中でそう思い、友也は、食いしばった歯をほどいて、目を閉じた。


 これは間違いなく寝過ごすパターン。

 そう警告する理性も、一秒後には、きれいに溶けてなくなっていた。


          +


 そして、目覚めてみると、夜である。

 とっぷり暗闇に呑まれた窓の外の景色を、友也は切なげな眼差しで見つめた。

「ま……しょーがねーか」

 友也は溜め息を吐き出した。

「今日のとこはあきらめて、またあし……」

 ――と。窓ガラスを見ながら、あくび混じりに呟いて。

 ギクリ、と、友也は固まった。


 暗い窓ガラスに映り込んだ、給湯室の室内。

 その中に、自分ではない、誰かの姿がある。

 その人影は、自分のすぐ背後に、立っている。


「……っ!」

 友也は、思わず跳ねるように立ち上がって、うしろを振り返った。


 目線の高さにあったのは、真っ黒な服、だった。

 そこから、友也は、ゆっくりと視線を上に上げていく。

 めいっぱい首を反らしたところで、友也の視線の先は、ようやくその人物の首から上にたどり着いた。けれど、そうやって見上げてもなお、友也は、その人と目を合わすことができなかった。その人の目は、顔の上半分を覆う前髪に隠れていて、見えなかったのだ。


 その人は、口元に薄っすらと笑みを浮かべ、友也を見下ろす。

 それが、はたして友好的な笑顔なのかどうかは、目元の表情がわからないせいか、なんとも判断がつかない。


 友也が見つめていると、その人は、おもむろに唇を開いた。

 そして、抑揚に乏しい低い声で、こう言った。


「トガカリさんは、町の規則を破る者を許さない」

「……へ?」


 いきなり、何を言ってるんだ、この人は。っていうか、トガカリさんて誰だ。

 そう思ったあと、友也はハッとして、ポケットの中に入れていた住民名簿を取り出した。

 名簿を開いて見てみると、今まで空欄だったはずの3の番号の横に、新たに「トガカリさん」という名前が記載されている。

 友也は、名簿から顔を上げて、再び目の前に立つその人を見上げた。


「えっと……。あなたは、トガカリさん、ですか?」

「そう」


 うなずくことさえせず、その人は、簡潔にそれだけを答えた。

 そうか。トガカリさんか。町の人なのか。

 じゃあとりあえず、挨拶だ。と、友也は軽く頭を下げる。


「あの、どうも、はじめまして。俺は……」

「トガカリさんは、規則を破った友屋さんを、これから逮捕し、刑に処します」

「……は?」


 え。ちょ、何、今の。

 聞き間違い? 一瞬、思わずそんな疑問が浮かんだ。


 しかし、一瞬後には、それが聞き間違いではないと、いやでも理解することになる。

 トガカリさんが、黒い服の袖口から、がちゃり、と鉄の手錠を取り出したからだ。


「逮捕」


 低い呟きと共に、トガカリさんは、友也の手に手錠を掛けようとした。

 当然、友也は身を引いてよける。なんとか、よけられた。


「……」

「……あ、あの……」


 声を震わせながら、友也は窓辺へと後ずさる。

 トガカリさんは、友也と見つめ合いながら。――トガカリさんの目は前髪に隠れていて見えないけれど、たぶん、見つめ合いながら。黒い鉄の手錠を、元通り、袖口の中にしまい込んだ。


 後ずさったことで、トガカリさんとの間に、いくらかの距離ができていた。それによって、長身のトガカリさんの全体像が、どうにか友也の視界に収まる。

 トガカリさんの着ている真っ黒な服は、今の季節にはちょっと厚手に思える、ロングコートだった。しかも、裾が足首まであるような超ロングコート。そんなのを、これだけ背の高い人が着ているわけだから、それはもう、見たこともないようなサイズの服になっている。なんという圧倒的着丈。


 そのロングコートの、右ポケットの中に。

 トガカリさんは、自分の右手の中指を一本、差し込んだ。

 しかし、そのあとポケットから引き抜かれたのは、指ではなかった。ポケットから出したとき、トガカリさんの中指は、消えてなくなっていた。その代わり、トガカリさんの手の、人差し指と薬指の間からは、一本の黒い鎖が生えていたのである。

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