「影中さん」2/2
メモに従って、たどり着いたその場所は、河原だった。
人っ子ひとりいない。店なんて一軒もない。
その代わり、河原には自販機らしきものが一つ、ぽつんと置かれていた。
「あの人が言ってたのって、これのこと……かな?」
友也は、その自販機に歩み寄った。
全体が水色に塗られた自販機。その正面には、魚の絵と波模様が描かれている。絵は拙く、塗料の塗り方も、なんだかぼてっとしていて、あちこちムラだらけで、いかにも素人が塗り描きしたものっぽい。
それは別にいいのだが。
問題は。
この自販機、いくら見ても、何を売っているのかよくわからないのだ。
自販機には、商品サンプルを陳列して見せる窓もなければ、売ってる商品の写真が出ているわけでもない。硬貨投入口と商品取り出し口。いくつかのボタンと、その上に書いてある値段。それらがあるから、たぶん自販機なのだろうな、と見当はつくものの、遠くから見たらただの水色の箱にしか見えない。
これ、一体、なんの自販機なのだろう。
「ボタン押したら、魚が出てくるのかな……」
自販機には、一応、魚の絵が描いてあるし。あの男の人も、魚、と言ってたし。
でも、もしボタンを押して、取り出し口に生魚がビタンッ、と落ちてきたりしたら、それはかなりいやだ。
「魚なら、魚の缶詰とか、だよな。きっと……」
警戒しつつも、鳴り響く腹の虫に急かされて、友也は財布から小銭を取り出した。
商品のボタンは三つあり、ボタンの上には、百円、三百円、七百円と、それぞれの商品の値段が書かれている。
友也は少し考えて、小銭投入口に、百円玉を三枚入れた。
七百円は高い。この先いつ帰れるかわからないし、お金はなるべく節約しなければ。かといって、百円のやつだと、なんかロクでもないものが出てきそうで不安だ。だって、さっきの男の人は、ここで買えるものの値段を「三百円」と言っていたし。それは、七百円のやつを買う必要はないけれど、百円のやつはやめといたほうがいい、という意味じゃないだろうか。
チャリン。チャリン。チャリン。
お金が投入され、二つのボタンのランプが灯る。
友也は、三百円の商品のボタンを押した。
ボタンは、ずむりと静かに沈み込み、
カラン。
と、乾いた音を立てて、取り出し口に商品が落ちた。
「ん……?」
取り出し口を覗き込んで、友也は眉をひそめた。
出てきた商品が、なんだか、やけに細長い。
これは、どうも缶詰じゃないぞ。だからって生魚でもないようだけれど。
いぶかしみながら、友也は取り出し口を開けた。
中から取り出した、その商品は。
「釣り竿……だ……」
それも、昔話の絵本とかに出てきそうな、昔ながらの竹の釣り竿だ。竹を編んで作った
「そんな悠長な!」
渾身の叫びと共に、友也はバシーンと釣り竿を地面に叩きつけた。
友也は、さっきの男の人に出会った場所まで、もう一度戻ることにした。
引き返している間に、空には再び晴れ間が戻ってきた。秋とはいえまだ強い陽射しが、友也によけいな体力を消耗させる。つらい。
さっきの人は、またあの辺りにいてくれるだろうか。
(そういえば)
友也は、ふと、気になった。あの男の人の名前って、なんていうんだろう。
あの人がこの町の住民なら、もしかして、また、この住民名簿に。
そう思って名簿を開いてみると、案の定。名簿の2の番号の横に、新たに「影中さん」という名前が記載されていた。
友也がもとの場所に戻ってくると。
その「
「あ、友屋さん。戻ってきたんですね」
本から顔を上げ、影中さんは、すまなそうに笑みを浮かべた。
「さっきは失礼しました。お話の途中だったのに、いきなり消えてしまって。驚きましたか?」
「ええ、まあ……。比喩とか言い方とかじゃなくて、ほんとに言葉どおり、『いきなり消え』ましたからね……」
「すみません。私は、いつも影の中にいて、影の外に出たり、影がなくなると、体が消えてしまう体質なんです」
そんな体質があってたまるか。――と言いたいが、実際にこの目で見てしまったからには、信じるより仕方ない。
「それはそうと、河原にはたどり着けましたか? 友屋さん」
「ええ……一応。でも、あの、買えるのが釣り竿だけじゃ、ちょっと……」
「釣り竿では、いけませんでしたか」
影中さんは、落ち込んだ顔になって、うつむいた。
「無駄足を運ばせてしまったようで、すみませんでした……。あそこで買えるのが『魚を釣るための釣り竿』だということを、ちゃんとお伝えできればよかったんですが。ちょうどそれを言いかけたとき、日が陰って、影が消えてしまったもので……」
そんなふうに謝られても、なんと言葉を返せばいいのやら。「影が消えたんなら仕方ないですね」とでも言えばいいのだろうか。
「それはそれとして、友屋さん。ほかの自動販売機のところにも、行ってみますか?」
「え。ほかにも、何かあるんですか」
そういえば、影中さんは「いくつか心当たりがある」と言っていたっけ。
「ほかのやつも、ここから遠くないんですか?」
「そうですね。ここから二番目に近いところだと、歩いて七分くらいかかりますが……」
そのくらいの距離なら、どうってことない。食べ物を手に入れるためならば。
友也はメモとペンを取り出して、その二つ目の自販機の場所も教えてもらい、間違いのないよう、慎重に道順を書き記した。
「ちなみに、ここの自販機では、何が買えるんですか?」
「はい。そこで買えるのは、果物――」
――と、影中さんが言いかけた、そのとき。
またしても、雲が太陽を隠した。
日向と影の色が近づく。その二つは、たちまちのうちに境界を失って、一つの色になって、溶け合った。
それと同時に、影中さんの姿は、すうっと薄まり、消え失せた。
「あ……」
本当に、影といっしょに消えてしまった。
友也は木の下から出て、空を見上げた。太陽は今、完全に雲に隠れていて、しばらくは顔を出しそうにない。
まあ、いいか。消えたのが道を聞けたあとで、よかった。
そう思いながら、友也は、二つ目の自販機がある場所を目指して、また歩き出した。
+
歩いて七分行った先は、ちょっとした森になっていた。
そこの自販機は、緑色だった。自販機の正面には、いろいろな果物の絵が描かれている。絵のテイストは、さっきの釣り竿の自販機とよく似ていた。同じ人が描いたのかもしれない。
その自販機には、ボタンがたくさんあり、それぞれのボタンの下には、「りんご」「ぶどう」「なし」「みかん」「もも」「スイカ」「メロン」など、果物の名前が書かれている。釣り竿のやつと同じく、この自販機にも商品陳列窓はないのだが、商品名が書いてあるぶん、あっちよりはわかりやすい。
ただ。
よく見ると、その自販機の商品の値段は、一律百円、だった。
友也は不安を覚える。りんごとメロンが、同じ百円……?
「これ……ジュースの自販機じゃないだろうな」
缶ジュースだったらこの値段もあり得る。あるいは、果物丸ごと一個というわけじゃなく、やっぱり缶詰とか? 缶詰ならいいが、ジュースだったら腹持ちしない。それに、ジュースの自販機なら、町役場のロビーにもあったし。
まあ、とにかく買ってみるかと、友也は自販機に百円入れて、「りんご」のボタンを押す。
ドサッ。
と、音がして、取り出し口に落ちてきたものは。
『りんご』
と、書かれた札の付いた、木の苗だった。
麻布と荒縄で根元を巻かれた、まだ小さな、かわいらしいりんごの木。
なるほど。これを土に植えて、大きくなるまで大事に育て、実がなったら、それを収穫して食べればいいと――。
「だからそんな悠長な!」
魂の叫びと共に、友也は、りんごの苗をバシーンと地面に叩きつけ――る振りをしたあと、ぽすん、と静かに土の上に置いた。
どうしたもんか、これ。苗なんか、持っていってもしょうがない。
友也は困って、何か、穴の掘れそうな棒っ切れとかでもそのへんに落ちてないかと、辺りを見回した。すると、前にこの自販機を使った誰かが置いていったのか、森の中にスコップが一つ、落ちていた。
友也はそのスコップで森の中に穴を掘り、そこに苗を植えて、また影中さんのいたところへ引き返した(戻ってるうちにまた晴れた)。
+
「木の苗では、いけませんでしたか……」
「ええ、まあ……時間のあるときならともかく、今はちょっと。うかうかしてたら、むしろ俺が土に還って肥料になりそうな状況なんで……」
「すみません。あそこで買えるのが『果物の木の苗』だということを、ちゃんとお伝えできればよかったんですが。ちょうどそれを言いかけたとき――」
「いやあ、ハハハハハ。影が消えたんなら仕方ないですよね!」
影中さんも、わざとやってるわけじゃないんだろう、と信じたいが、正直いいかげんにしてほしい。そして、もし万一わざとやってるのだとしたら、りんごの代わりにこの人をバシーンと地面に叩きつけたい。
そんな思いを抱きつつ、引きつる口元を隠すようにうつむいて、友也は言った。
「あの、影中さん。提案なんですが……。まだほかに自販機があるんだったら、今度は、道順より何より先に、その自販機で何が買えるのか、まず教えてくれませんか?」
友也のその案に、影中さんも「ああ、そうですね、そうしましょう」とうなずいた。
「それでは、次は、三番目に近い自動販売機について……。まず、そこで買えるものは、鳥の卵――」
と、そこで、影中さんと友也は同時に空を見上げた。
大丈夫だ。まだ、太陽は隠れそうにない。もっとも、影の中にしかいられない影中さんは、空を見上げたからって、太陽の位置を確認することはできないだろうけど。
視線を下ろした二人は、お互い顔を見合わせる。
友也に目で促され、影中さんは、続きを口にした。
「――鳥の卵を産ませるための巣箱を、そこで買うことができます。その巣箱を置いておくと、必ず近いうちにつがいの鳥がやってきて、そこに巣を作るんです。巣箱の大きさはいろいろあって、大きな巣箱になるほど値段は高いですが、そのぶん、大きな卵を産む鳥がやってきますよ。……どうします? その自販機のところへ、行ってみますか?」
「いえ、けっこうです。先に聞いといて、ほんとよかった……」
なんかもう。この町の自販機って、そんなのばっかなのか。手軽さが売りのはずの自販機という存在が、人間に対してどれだけスローライフを強要するつもりなのか。
(ああ……おなかすきすぎて、目が回ってきた……)
このままでは、冗談抜きで、行き倒れになって飢え死にするかもしれない……。
そんな暗い未来の可能性に思いを馳せ、友也が溜め息と共に肩を落とした、そのとき。
「友屋さん。よろしければ、これを……」
そう言って、影中さんが差し出したのは、手の平に乗るくらいの大きさの、布の袋だった。
受け取ってみると、その袋は、ビーズの入ったぬいぐるみとか、お手玉とか、そんなものに似た手触りがした。
「これ、なんですか?」
「お米です。おかずはありませんが、せめてそれだけでも、召し上がってください」
「えっ……」
思いもよらなかったことに、友也は驚いて、影中さんの顔を見つめた。
「あ、あの、これって、お金は……」
「いえ、私は行商の者ではないので、お金はいただきませんよ」
「……っ。影中さん……!」
友也は、米の入った袋を両手で握り締め、思わず目を潤ませた。
さっき、りんごの代わりにあなたを地面に叩きつけたいとか思って、本当にごめんなさい。
「ありがとうございます、影中さん……! あっ。で、でも……」
深々と下げた頭を上げながら、友也は、顔を曇らせた。
「どうしました?」
「いや、えっと。生米もらっても、どこで炊けばいいかなあ、と……」
「ああ、なんだ。それでしたら……。友屋さん、住民名簿をお持ちだということは、町役場の場所は、ご存じなんですよね?」
友也がうなずくと、影中さんは、にこりと微笑んで言った。
「それなら、町役場の一階の奥にある、給湯室へ行ってごらんなさい。あそこなら、ガスも水道も使えるはずです。調味料も、基本的なものなら揃っていますよ。炊飯器はなかったと思いますが、片手鍋がありますので、それでその米を煮て食べれば……」
そこまで喋って、影中さんは、ハッとした顔になった。
「そうだ……! そういえば。今思い出しましたが、あそこの給湯室には、いくらかの缶詰が常備してあったはずです」
「缶詰!? ほ、本当ですか?」
「ええ。鯖の味噌煮とか、ランチョンミートとか、いろいろありましたよ。……ただ」
と、影中さんが、何か言いかけた、そのとき。
またしても日が陰って、影は消え、影中さんも消えてしまった。
「……タイミングの悪い人……」
親切で、いい人なんだけどな。
とにかく、影中さんのおかげで、今日はなんとかまともに食事ができそうだ。
友也は、米の袋をしっかりと握りしめ、町役場へと急いだ。
町役場の一階の給湯室は、すぐに見つかった。
戸棚の中に重ね置かれた、いろいろな缶詰を見つけるのも、難しくはなかった。
ただ、それらの缶詰は、友也にとってなじみのある缶詰とは、少し違っていた。
どう違っていたかというと、そのどれもが、言ってみれば「昔ながら」という形のものだったのだ。
それからしばらく給湯室の中を調べてみて、友也は、影中さんが、消える前に何を伝えようとしたのか、理解した。
影中さんは、きっとあのとき、こう言おうとしたのだろう。
『ただ、あそこの給湯室には、缶切りがないんですよ』
と。
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