第5話 ~2番目に出会った住民は、困った「体質」の持ち主だった。~
「影中さん」1/2
この「かコよヶ駅前町」にやってきて二日目の、朝。
昨日町に着いたときには、昼をとうに過ぎていたから、この町に来てから初めて迎える朝、とも言える。
すがすがしい朝の空気。天気は今のところ、気持ちのよい秋晴れだ。ただ、空にはちょっと雲が多くて、ともすれば日が陰りそうではあるけれど。
でも、今の友也に、秋の空を見上げる余裕など、ありはしなかった。
友也は、背中を丸め、鞄を持っていないほうの手で腹を押さえて、よろよろと歩いていた。そのさまはまるで、敵兵に襲われ、腹を撃たれて戦場をさまよう兵士か何かのようである。
さいわい、友也は兵士ではないし、ここに敵兵とかはいないが。
(……おなかが減って、死にそうだ……)
今現在、友也を襲っているのは、猛烈な空腹だった。本当に、こんなにもおなかがすいたことって、人生初の体験かもしれない、というほどの。
無理もなかった。昨日から、友也が口にしたものといえば、家を出る前に食べた朝ごはんと、あと、町役場の自販機で買った缶コーヒーだけなのだから。昨日の昼ごはんも、夕ごはんも、食べていないのだ。
というわけで、友也は今、朝ごはんを探して町を歩いているところだった。
なのだけれど。
見つからない。昨日もそうだったが、やっぱり、この辺り、民家以外の建物がぜんぜん見当たらない。コンビニも、スーパーも、飲食店も、屋台も、何もない。たまに、道端にジュースの自販機があるくらいだ。
店自体は、きっとどこかにあるはずなんだが。
昨日、町役場で見た求人チラシの一つに、「店長さんのアルバイト」を募集してるものがあったから。なんの店の店長さんかという肝心な点は不明だが、とにかく、店はあるはず。
それに、そこと同じ店かどうかはわからないが、雛形さんは、お店でジュースを万引きして刑に処されたそうであるし。
昨日知り合った、雛形さん。
今の時点では、この町で唯一の知り合いだ。
磔になってはいるものの、気さくで話しやすい人だった。万引きしたっていうその店がどこにあるのか、あの人に聞けば、きっと教えてくれるだろう。というか、それなら昨日の時点で聞いておけばよかったのだけど。ほかに聞くことがあったからすっかり忘れていた。今になってとっても悔やまれる。
それで、友也はとりあえず、雛形さんのところへ行ってみようと思ったのである。
でも、雛形さんが今日磔になっている場所は、どうやらけっこう遠いみたいで。
はなからあきらめるような距離ではない。けど、むしろこれだけ距離があるなら、雛形さんのところへ行くまでの道に、何かないか、何か。コンビニ、スーパー、ファミレス、喫茶店、ラーメン屋、牛丼屋、屋台……なんでもいいから!
そんな切羽詰まった気持ちで、歩きながら探しているのだが、一向に何も見つからず、友也はもう泣きそうだった。
ぐーぐー腹を鳴らしながら、涙目で、道の脇に目をやって。
そこで友也は、ハッとして立ち止まった。
道端に生えている大きな木の下に、人が立っていた。
木陰に入って本を読んでいる、若い男の人だ。
友也がその人を見つめていると、その人も友也に気づき、顔を上げた。
その人は、ゆうるりと落ち着いた動作で、読んでいた本に栞紐を挟み、そっと本を閉じてから、穏やかに微笑んだ。
「友屋さん、ですね。はじめまして」
「あ……ども」
友也はぺこりと頭を下げた。
こんなところに町の人が。いや、ここは住宅街なのだから、人がいるのが当たり前なのだけれど。歩き始めてから今まで、誰にも出会わなかったことのほうが、おかしいのだけれど。
とにかく、友也はホッとした。
目の前にいる男の人は、優しそうだし、まともそうだ。磔にもなってない。
食べ物を売ってる店のことは、この人に聞こうかな。
そう思っている友也に向かって、男の人は言った。
「友屋さんも、日陰に来て、少し休まれたらどうです? 秋とはいえ、まだ陽射しが強いですから」
「あ、はい。そうですね」
友也はうなずいて、促されるまま、自分もその人のいる木陰に入った。
木陰は涼しくて、風に吹かれて揺れる葉擦れの音が、さわさわと心地よい。
ほうっと息をつく友也に、男の人は、優しげな声で話しかける。
「友屋さんは、まだこの町にいらっしゃったばかりで、何かと不便なこともおありでしょう。わからないことがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
男の親切な言葉に、友也は胸を撫で下ろした。
「あの、じゃあ、さっそく……」
お言葉に甘えて。友也は、切り出した。
「この辺に、食べ物を売ってる店って、ありませんか?」
「食べ物、ですか。……そうですねえ。この辺りで食べ物が手に入るところ、というと……」
男の人は、言い詰まり、難しい顔をして考える。
その反応を見て、友也は不安になった。だめなのか。ないのか、お店。
でも。
「あのー。俺、この町に来てから、店らしきもの、一軒も見てないんですけど……。店自体は、この町のどこかに、あるんですよね?」
「え? ああ。店長さんのお店のことですね。よくご存じで」
友也がそれを知っていたことが意外な様子で、男はうなずいた。
そして、「あそこは、この町にある唯一のお店です」とも付け加えた。
やっぱり。店は、あるにはあるのだ。問題は、その店が。
「その店って、なんの店なんですか? ジュース売ってるんですよね? 食べ物は売ってないんですか? パンとか、カップラーメンとか!」
「あ……ええと」
必死に詰め寄る友也だが、男の反応はやはり芳しくない。
答えにくそうに目を伏せて、男が言うことには、
「店長さんのお店は、今は、飲食物は扱っていないんですよ……」
それを聞いて、友也はがっくりと肩を落とした。
今は。ということは、以前はその店で食べ物を買うこともできたということか。そのままずっと売り続けてくれてればいいものを。なんで売らなくなったんだよチクショウ、と、友也はうつむき、悔しさを噛みしめる。
「あ、でも。その代わりと言ってはなんですが、食べ物が手に入る場所の心当たりなら、一応、いくつかありますよ」
「!」
友也はバッと勢いよく顔を上げた。
「どっ、どこですか、それ! ここから近いんですか? いくらで買えますか!?」
「ええと……そうですね。ここからいちばん近いところだと、歩いて五分ちょっと、くらいです。そこだと、値段は三百円ですね」
三百円。それは手頃だ。友也はよっしゃ! と拳を握った。
「それって、場所は、どこですか?」
「はい。この通りをまっすぐ行って、三番目の角を右に曲がって進み、その道の最初の角を左に曲がって進んで、それからその道の五番目の角を右に曲がって、その道をまっすぐ進むと、しばらくして左手に、人ひとりがやっと通れるほどの狭い道があるので、その道を奥へと進むと、右手にある家の庭の竹垣に穴が開いていると思うので、そこから庭に入って、庭の中を流れる小川の流れに沿っていくと、庭の端っこが坂になっていて、そこに狭い石の階段が……」
「ちょ、ちょっと待って!」
友也は、男に向けて、思わず手の平を突き出した。
これは、栄養の足りてない今の自分の脳みそでは、絶対覚えきれない。覚えきれないのはまずい。非常にまずい。土地勘のないこの町で、もし道を間違ったら、目的地にたどり着けないどころか、もう一度この辺りに戻ってくることさえできなくなるかもしれないのだ。そうなったら、この人に道を聞き直すことだってできやしない。
「あの……。すみませんけど、歩いて五分くらいのとこだったら、一緒に来て道案内して……もらえませんか?」
親切そうなこの人なら、と思い、友也はそう頼んでみた。
けれど、男は困ったように微笑んで、
「すみません」
と、小さな声で詫びを述べた。
う。ちょっとくらい付き合ってくれてもいいのに。こっちはけっこう深刻に困ってるのに。本を読んでるところを邪魔したかもしれないけど、あとで読めばいいじゃんか本くらい……と、友也は心の中で不平を漏らす。
でも、親切に道を教えてくれた相手にそんなこと言えない。
要は道を間違えなきゃいいだけだ。
友也は、持っていた鞄の中から、ルーズリーフと筆箱を取り出した。
「道順メモするんで、もう一回、さっきの道、教えてもらえますか?」
友也がそう頼むと、今度は、男も笑顔でうなずいた。
「はい、わかりました。よろしければ、私が書きますよ。向こうまでご一緒することができなくて、本当にごめんなさい」
その受け答えに、ああ、やっぱりこの人いい人だな、と友也は思う。
それと同時に、友也は、男の言葉が少し引っかかった。
この人、これからここで本を読みたいとか、このあと用事があるとか、そういうことではなくて、何か、目的地まで一緒に行けない理由でもあるのだろうか。なんとなく、そんな感じの物言いだ。
ともあれ、持っててよかった筆記具一式。大学用の鞄を持ってたことが、こんなところで役に立つとは。まあ、大学じゃなくてハイキングに行く途中とかだったら、もっと役に立つもの入ってたんだろうけど。弁当とか、お菓子とか。
友也がそんなことを考えている間に、男は、ルーズリーフに道順のメモを書き記してくれた。
「どうぞ、友屋さん」
「ありがとうございます!」
ルーズリーフを受け取って、友也は、メモに目を落としながら、男に尋ねる。
「それで、あの。この場所に行ったら、どんなものが売ってるんですか?」
「はい。そこで手に入るのは、魚――」
――と。
言いかけた、男の声が。
次の瞬間、ふつりと途切れた。
「……?」
友也は、メモから顔を上げた。
すると、今さっきまで目の前にいたはずの男の姿が、どこにもない。
「……え?」
友也は辺りを見回した。
いない。どこにもいない。
木の幹の後ろに回ってみた。
いない。やっぱりいない。
まさかと思って、頭上の木の枝を見上げてみるが、そんなところに、いるわけがなかった。
どうやら、さっきの男の人は、本当に消え失せてしまったらしい。
その声が途切れてから、友也が顔を上げるまでの、ほんの、一瞬の間に。
「――……」
友也はごくりと唾を飲んだ。
昨日、この町をさまよいながら、ここは違う意味での「ゴーストタウン」なんじゃないかと考えたことを、思い出した。
が、そのとき。
ぐうううう……
また、腹が鳴った。
さっきまでよりも、いっそう激しい腹の虫の音。
(……こうしちゃいられない)
そうだ。あの男の人が何であれ、今大事なのはとにかく、食べ物だ。
「魚――って言ってたな、あの人……」
教えてもらった場所には、魚屋さんか、魚料理の店があるのだろうか。
サバの味噌煮。ブリ大根。サワラの塩焼き。カツオのたたき……。
魚料理を思い連ねながら、友也は、メモに記された道をたどり始める。
いつの間にか、太陽は雲に隠れて、町の景色はいくらか鮮やかさを失っていた。
でも、今はこのほうが、メモを見るときまぶしくなくて、ちょうどよい具合だった。
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