「雛形さん」2/2

「ところでさ……雛形さん」

 電信柱の横の地面に座り込んで、友也は、雛形さんの顔を見上げた。

「ん? なあに? 友屋さん」

「え、えっと……。雛形さんて、その……。なんで、そんなふうに、磔になってるの?」


 ものすごく気になっていたそのことを、友也は、まず何よりも先に質問した。

 すると、雛形さんは、途端にバツの悪そうな顔になって、


「いやあ、これはねえ……やっちゃってさ」

 うん。まあ、何かを「やっちゃった」のであろうことは想像できる。それで。

「何を、やっちゃったんですか?」

「……万引き」

 消え入りそうな声で答えて、雛形さんは、大きく溜め息をつく。


「いや、そんなつもりはなかったんだよ、ほんと。閉店間際で、たまたま店の中に店長さんがいなくてさ、会計できなくて。それで、店長さん探して、つい商品持ったまま、店の外に出ちゃったんだ。そこを現行犯で捕らえられて、こんなことに……」

 そう言ったあと、雛形さんは、少し言葉を切ってから、遠い目で、


「……128円の梅黒酢ドリンクを万引きした罪で、『刑期128年の磔の刑』に……」

 と、「こんなこと」の詳細を付け加えた。


 もはや、雛形さんの顔に笑みはない。

 首輪を嵌められた首で、できる限り深くうつむき、震える涙声で、雛形さんは言った。

「だからっ、友屋さんも……ぼくみたいに、刑に処されないよう、気をつけるんだよ……っ!」


 はい。言われなくても、全力で気をつけることにします。

 というかもう、一刻も早くこの町を出たくなってしまったのだが。


「あの……。雛形さん。もひとつ、聞いてもいいですか」

「ん? なあに?」

 けろりと再び笑顔になって、雛形さんは友也を見た。


 いちばん気になることは、とりあえず聞けたから。

 今度は、いちばん重要な質問だ。


「この町に、バスとか、タクシーとかってあります? 俺、電車で来たんだけど。早く帰りたいんですけど、帰りの電車が、なんか、一年経たないと来ないみたいで……」

 こうして事情を説明してみると、なんというか、自分の言ってることも、さっきの雛形さんといい勝負な気がする。自分で言ってて「何言ってんだろう俺」と思う。でも、本当のことなんだから仕方ない。

 友也は、胸の中に期待と不安を入り混じらせて、雛形さんの答えを待つ。


 雛形さんは、少し考え込んで、それから、言いにくそうに口を開いた。

「電車で来たなら……それは、切符を買って帰るしかないなあ」

 その返答は、友也がいくつか想定していたどの答えとも、微妙に違ったものだった。

 それは、バスもタクシーも、この町にはないってことなのだろうか。なんだかはっきりしない物言いだ。友也は、多少いらつきながら、問い詰めるような目で雛形さんを見る。

 静かな声で、雛形さんが言うことには、


「友屋さんは、切符を買って、電車で来たんだろう? だったら、帰りの切符を買わないと、帰れないよ。電車で帰るにしても、歩いて帰るにしても。切符がないと、ここから帰れない」


「……え。どういうこと?」

 わけがわからず、友也は問い返す。

「歩いて帰るにしても……って? え、だって。電車に乗らずに、線路沿いに歩いて帰るなら、切符は関係ないだろ?」

「いや。切符を買って来た人は、また切符を買って帰らなきゃならない。ここでは、そういうものなんだ」

「――……」


 ここでは、とか。

 そういうもの、とか。

 本当にもう。


(ん……? 待てよ? そういえば、さっきから、雛形さん、切符切符って言ってるけど)

 友也は、そこでようやく気がついた。

 そうだ。そもそも自分は、電車に乗るために、切符なんて買っていないんだ。

「雛形さん。定期使った場合は、どうなるの? 往復定期だから、それであの駅まで来れたのなら、その定期を持ってれば、帰ることだって――」

「いや。電車でかコよヶ駅まで来るには、専用の切符が必要なはずなんだ。……友屋さん。ちょっと、定期券、調べてみなよ」

 そう促され、友也は、鞄の中から定期入れを取り出した。

 そして、定期入れから定期券を抜き取り、しげしげと眺めてみる。


「別に、おかしなところはないみたいだけど……。いつも使ってる、普通の定期券だよ」

「そう? 裏側は、どう?」

「裏……?」

 言われるままに、友也は定期券を裏返した。

 すると、そこには。


【片道乗車券  かコよヶ駅 行き】


 と書かれた切符が、貼り付いていた。

 いや。まるで貼り付けたように、切符の色形が、定期券本体の角度とは少しずれた向きで、しかし、はっきりとくっきりと、印刷されていたのだ。


「ああ、そう、それだよ。それが切符。裏に切符が印刷されてるの、友屋さん、今まで気づかなかったの?」

 のんきな調子で、雛形さんは笑った。


 ぜんぜん、気づかなかった。

 だって、定期なんて、大学入ってから、もう何回も買ってるし。だから、今さらその裏側なんて、わざわざ見ようと思わないし。

 しばらく唖然としたあと、友也は顔を引きつらせて、呟いた。


「な……なんで? 普通に定期買ったのに、なんで。なんでこんな……」

「かコよヶ駅の券売機が、しばらく前から、故障中だからねえ。こういうこともあるんだよ」


 あるんだよ、じゃないだろ。

 あの駅の券売機が壊れたからって、他の駅で買った定期券がこんなことになるとか、そんな故障の仕方があってたまるか。


「そ……それじゃ。俺が帰るためには、やっぱり、帰りの切符を買わないと……?」

「ああ、それなんだけどね。駅の券売機が使えないから、切符を買うには、今は、駅長さんから直接買うしかないんだよ」


 駅長さん、いたのか、あの駅に。

 じゃあ、その駅長さんは。

 友也が尋ねるよりも先に、雛形さんは言った。


「でも、駅長さんは、めったに人前に姿を現さない人でね。普段どこにいるのか、いつどこに現れるのか。それを知ってる人は、誰もいないんだ」


 そんな人に駅長やらせないでくれ、頼むから。

 というか、もう、泣いてもいいだろうか。


「あとは、行商さんに帰り道を売ってもらう、って手もあるけど。でも、あれは高いからなあ。百万はするって話だったなあ。友屋さん、行商の仕事がんばって、お金ためてみる?」


 とりあえず、それ聞いて、さっきあんたから一万円くらいふんだくっとけばよかったと、今ちょっと後悔している。


「まあ……帰りの電車が来る前に、駅長さんに出会えるといいね、友屋さん」

 雛形さんは、慰めるように、友也に向かって気遣わしげな笑みを浮かべた。


 それに笑い返す心のゆとりは、友也にはなかった。

 友也は膝を抱え、その膝に顔をうずめて、

「なんで……なんでこんなことにいいいいいい――!」

 と、耐えきれず、叫びを上げた。


 そのあとも、友也は、「俺が何したっていうんだ」とか、「おなかすいた」とか「もう歩きたくない」とか、「留年したら駅長さんのこと一生うらんでやる」とか、雛形さんの隣で延々と叫んだり愚痴ったりを続け、そのたびに、雛形さんに慰められたり励まされたりし――。


 そうしているうちに、疲れのせいもあってか、地べたに座り込んだまま、友也はいつしか眠ってしまった。


          +


 友也が目を覚ましたときには、もう朝日が昇っていた。

 うわ、と、友也は思わず飛び起きた。

 結局一晩、こんな道端で眠ってしまったとは。いや、それ以前に、こんな町で一晩過ごしてしまったとは。何やってんだろう、俺。ああもう、俺のバカやろう。

 そんなことを思いつつ、友也は、隣に立っている電信柱を振り向いた。


「……あれ?」

 そこに、雛形さんの姿はなかった。

 電信柱は、どこにでもあるただの電信柱だった。昨日見た、鎖とか手枷とか、そういった拘束具のパーツの痕跡は、どこを探しても、見当たらなかった。


 その代わり、電信柱には、一枚のメモが貼られていた。


『おはよう、友屋さん。

 ぐっすり眠っていたので、起こすのも悪いかと思って、声はかけずに行きました。

 今日はこの辺り↓で磔になってるので、何かあれば探しに来てください。』


 矢印が指す先には、簡単な地図と、道筋の説明が、書き添えられていた。


「…………」


 どうやら、あの雛形さんという人は、あちこちいろんな場所に、日替わりで磔になっているらしい。

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