第4話 ~1番目に出会った住民は、自力でそこから動けなかった。~

「雛形さん」1/2

 印刷機が勝手に吐き出した、名前の欄がほとんど空白の「住民名簿」。

 それを持って、友也は町役場を出た。

 友也が、この町に来て一人目の「住民」に出会ったのは、それからすぐあとのことだった。


「ねえ。君、友屋ともやさんだよね? 今日、新しくこの町に入ってきた」


 曲がり角を曲がったところにいた、その人は、友也の顔を見るなりそう声を掛けてきた。


 友也は、その人を目の前にして、とっさに言葉が出なかった。

 それは、その人が友也のことを「友屋さん」と呼んだから――ではない。


 電信柱を背に、にこやかな笑顔を浮かべたその人は、友也と同い年くらいか、そうでなければ少し年上くらいに見える、男の人だった。

 その服装や、髪型や、顔かたちは、特に変わったところがあるわけでもなかった。話しかけてきた態度も、ごくごく普通の好青年といったところ。


 友也が通っている大学の学生とかでも、おかしくない。

 道で擦れ違っても、きっと気に留めることもない。

 そんな、どこにでもいそうな人物だった。


(――こんな道端に、はりつけにされてなけりゃあな!)


 声にならない台詞を、友也は心の中で叫んだ。


 その男は、電信柱に磔になっていた。

 両腕を真横に広げさせられて。両足は真下に伸ばされて。爪先が地面から二、三十センチ浮くくらいの高さに。身じろぎできない状態で、拘束されていたのである。


 男は、手枷と鎖と首輪によって、完全にその身の自由を奪われていた。

 手枷は、男の肩の後ろに渡された、細長い真っ黒な板に、大きなネジを使って取り付けられたものだった。そして、その枷付きの黒い板は、よく見れば、電信柱と一体化している。まるで、板を横から突き刺して、電信柱を貫いたみたいに。

 友也が知っている電信柱に、こんなパーツは付いていない。

 じゃあ何か。これはひょっとして、いっけん電信柱に見えて、実は磔台なのだろうか。それとも、電信柱と磔台の両方の機能を兼ね備えたものなのだろうか。そんなの兼ね備えなくてもいいと思う。


 それにしても、なんだって、この人は。

 こんなふうに、頑丈な手枷に囚われて。

 両足にぐるぐると鎖を巻かれて、胴体にもX字型に鎖を巻き付けられて。

 その上、鎖付きの真っ黒な首輪を嵌められて。

 道端の電信柱に、縛り付けられているのだろうか。


「ねえ、友屋さん」

 男を見つめたまま、どのくらいの間、その場に釘づけになっていたのか。

 再び男に呼びかけられて、友也はハッと我に返った。

「友屋さんてさ、友達を売ってるんだろう?」

「あ……うん。あの……」

 男の質問に、友也は、思わずそんな生返事をしてしまった。とにかく男の姿に気を取られて、男の言ってることが、とっさに頭に入ってこなかったのだ。


 返事を聞いた男は、うれしそうな顔で、友也のほうに身を乗り出そうとした。しかしもちろん、各拘束具がそれを許しはしない。男がわずかに動かせたのは、首から上だけ。電信柱に繋がれた首輪の鎖が、じゃらりと音を立て、びんと張る。それで首が絞まったらしく、男は少し咳き込んだ。

 コホ、コホ、と咳を払ったあと、男は、あらためて笑顔を浮かべた。


「すごいなあ。この町には、他にもいろんな行商さんがいるけど、友達を売り歩く行商さんなんて初めてだよ」

「……はあ」

「それじゃあさ。さっそくだけど、ぼくに友達を一つ、売ってもらえるかな?」

「……え?」

 その辺りで、友也はようやく会話の流れが呑み込めた。

「え? えっと、あの……。と、友達……を?」

「うん、一つ。いくらになるの?」

 当たり前のような顔で、男は尋ねてくる。


 いやいやいやいや。

 いくら、と聞かれても。

 一つ、と注文されても。

 そんなの。


(これって……やっぱり、住民登録用紙の、あの記入ミスのせいで……?)

 こんなことになる原因なんて、それしか思い当たらなかった。


 書き間違いを二重線で消して、その結果、フリガナの〈トモヤ〉の三文字だけが残った、あの記入ミスの用紙。落としてなくしたと思っていたけれど、あれって、あれで「提出」扱いになっちゃったのか。それでもって、フリガナの下の名前欄に何も書いていなかったから、勝手に漢字が当てられて、「トモヤ」が「友屋」になってしまったと。そういうことなのか。だから、住民名簿の名前欄にも「友屋さん」という名が記載されて。そのせいで、自分は今、この男の人に友達を一つ、注文されていると――。


 いやいやいやいや。

 おかしいだろ。いろいろとおかしい。

 ひとしきり考えた末に、友也の頭の中に残されたのは、「どうしてこうなった」の一言だった。


 友也が黙り込んで、しばらくしてから、磔男はまた口を開いた。

「あの……友屋さん? どうしたの? 『友達』の値段を聞きたいんだけど……」

 友也は返事をしなかった。というか、できなかった。値段言ったら売らなきゃいけないし。そんなの売れるわけないし。売る売らない以前に、今この場に持ってないし。あと、「どうしたの」は全面的にこっちの台詞だ。おまえが言うな。


 なんてことを思いつつも、友也は男と目を合わせないようにして、他にどうしようもなく、ただ沈黙を続ける。

 すると、男は、不安げな声になって言った。

「あ……。もしかして、『友達』って、すごく高価なものなのかな? 一万円以上とかだったら、ぼくにはちょっと買えないかも……。割引……とか、ないよねえ?」


 割引があるかどうかの前に、『友達』という商品があるかどうかを確認してほしいわけだが。

 で、もしそれが売ってたとしたら、たぶんそんなに安くはないと思う。

(あ、そうだ)

 友也はそこで思いついた。

 どうせ売ることのできない「友達」だ。このさい、この人が絶対に出せないような、バカ高い金額を吹っ掛けてしまえばいい。百万円くらい言っとけば、予算一万円以内らしいこの人には手が出ないだろう。それで値切られたりしたら、「友達はお金で買うものじゃないんだ!」とかなんとか真顔で叫んでお茶を濁そう、そうしよう。


 そんなことを考えていた友也の耳に、そのとき、磔男の深い溜め息が聞こえてきた。


 友也は思わず男のほうへ目をやった。

 友也と目が合うと、男は、ちょっと照れたような顔をして、力なく笑った。

 溜め息の湿気が染み込んだような口調で、男は言う。

「いやあ、ぼくさあ……。見ての通り、磔だろう? 日がな一日、やることなくて、退屈でしょうがないんだよねえ」


 友也は目を丸くした。

 日がな一日、って。え、それじゃあ。この人まさか、一時的にじゃなくて、ずっとここで磔にされてるのか? 一体いつから?


「だからさ……せめて、そばにいて、話し相手になってくれる『友達』がいればなあ……って、思ったんだけど」

 男は、とても残念そうな、しょんぼりした笑みを浮かべて、目を伏せた。


(う……。そんなふうに言われたら……)


 友也の心は揺れ動く。

 この人は、本当に、切実に、友達を欲しがっているのだ。事情が事情だから無理もない。その事情の詳しいところはさっぱりわからないけど、それはさておき。

 今、この人の頼み、というか注文を、断ってしまったら。

 なんだか、自分、すごく人でなしみたいじゃないか……?


(どーしよう……)


 友也は悩む。

 大学生という若い身空で、「友達」というものについて悩みを抱えている。そんなふうに言ったら、なんかとても青春っぽい感じがするのに。青春カケラも関係ないこの現状はどうだろう。

 まあ、青春はどうでもいいとして。

 友也はそこで、ハッと大事なことを思い出した。


(そういえば、俺、そもそも「町の人」を探してたんだっけ)

 ちらり、と、友也は磔男のほうを見る。

(この人は……この町の人、だよな?)

 さっきの口ぶりからすると、たぶん、そうなのだろう。

 だったら、この人に聞けば、この町にバスやタクシーが走っているかどうか、わかるかも。あ、でも、ずっとここで磔にされているなら、ここから見える場所以外のことはよく知らない可能性もあるけど。それでも、一応、聞くだけは聞いてみよう。


 と、なれば……。


 知りたいことを聞くだけ聞いて、じゃあさよなら、ってのは、さすがに申し訳ない。普通の通りすがりの人に尋ねるのならともかく、こういう状態の人相手では。

 だから。本当なら、なるべく早く帰りたいとこではあるけれど。


「あ……あの……」

 おずおずと、友也は口を開いた。

「あの……。えーと……。お、俺で……よかったら」

 少しくらいなら、話し相手になりますよ――と、いう意味で、友也は言ったつもりだった。

 が。

 磔男は、きょとんとして友也を見つめたあと、すぐに「ああ!」と合点のいった顔になって、


「そうかあ、なるほどなるほど。『友屋さん』っていうのは、『友達』をいくつも持ち歩いて、それを売り歩く行商さんだと思ってたけど、そうじゃないんだね。つい勘違いしちゃったよ。――まさか、友屋さん自身が友達になってくれる商売だったとは」

「……えっ」


 磔男の言葉に、友也は、再び二の句が継げず、固まった。

 磔男は、にこにこと笑いながら、友也に言う。

「そんなに自信なさそうにしなくたっていいのに。友屋さんが友達で、ぼくは全然かまわないよ。ぜひ、買わせてもらうからさ」


 そして男は、「一回、いくら?」と、また値段を尋ねた。

 友也は呆然としつつ、ふと頭に浮かんだ値段を、とっさに口にした。

「……120円」

 さっき町役場の自販機で買った、缶コーヒーの値段だった。

 それを聞いた男は、意外そうに聞き返す。

「へえ、えらく安いんだね。そんな値段でいいの?」

「……新装開店サービスです」

 もう、友也は自分でも何言ってるのか、よくわからなくなっていた。


「それじゃ、お金、払うね。……といっても、このとおり、手が使えないからさ。悪いけど、友屋さん。ぼくのズボンのポケットから、財布出して、120円取ってくれるかな」

 友也は、こくり、とうなずいて、ふらつく足取りで男に近づいた。

 男のズボンを見ると、後ろポケットから財布がはみ出していた。友也は言われたとおり、その財布を抜き取って、小銭入れになっている部分を開け、中から120円取りだした。


「小銭、ぴったりある?」

「……大丈夫です」

 友也は、手の平に乗せた120円を男に見せて、財布を閉じた。

 財布を男のポケットに戻しながら、友也はちょっと心配になる。

 こんな道端で、ポケットから財布を覗かせて磔になっているなんて、無防備どころの話じゃない。この人、この状態じゃ、何されてもいっさい抵抗できないだろうし。強盗にでも遭わなきゃいいけれど……。


「ねえねえ、友達の友屋さん」

 磔男は、弾んだ声で友也を呼んだ。

 友也が顔を上げると、そこには男の満面の笑み。友也は思わず、男が縛り付けられている電信柱から、一歩半くらい身を引いた。うん。よし、これで話をするには適度な距離だ。


 友也は、自分でも相当こわばっているだろうことがわかる笑顔を、男に向ける。

 男はそれに微笑み返して、

「友達なら、まず最初に、自己紹介しないとね」

「ああ……そうですね」

 これから自己紹介する間柄って、絶対友達って言えるほど親しくないだろ、と友也は思う。まあいいけど。さすがに、この人のことを「磔男」と呼ぶわけにもいかないし。名前くらいは聞いておこう。


「ぼくは、雛形っていうんだ」

「ひながたさん……ですか」

「うん。漢字はね、雛祭りのヒナに――……あ、その、手に持ってる紙って、住民名簿? それ見たら、ぼくの名前、載ってると思うけど」

「え。いや、この名簿……」

 俺の名前(の同音異義名)しか載ってないんですが――。

 と、言おうとして、紙を広げた友也は、目を疑った。


 最初見たとき、この名簿は、1から30までの番号の横が、確かにぜんぶ空欄だった。

 なのに。

 今は、1の番号の横に、「雛形さん」という名前が、くっきりと印刷されている。

 どういうことだ、これ。


 無言で名簿を見つめていると、磔男、いや、雛形さんが、友也の持つ名簿を上から覗き込んで言った。

「あ! 友屋さんて、ぼくが最初に会った住民なんだね。へえ、なんか、うれしいなあ」

 照れたように笑う雛形さん。

 その言葉を聞いて、友也は察する。

 おそらく、この住民名簿――持ち主である自分がこの町の住民に出会うと、その住民の名前が名簿に記載されていく、というものなのだろう。

 具体的にどういう仕組みでそうなるのかは、例によってさっぱりだが。もう、そういうのはあまり深く考えないことにした。

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