第3話 ~おかしな町と住民名簿の話~

「かコよヶ駅前町」1/2

 わけが、わからない。


 地下道の入口がある駅前から、街なんて、どこにも見えなかったのだ。

 駅の周りは、見渡す限り、見晴らしのよすぎる荒れ野だったのだ。

 地下道の長さは、たぶん、五十メートルくらいのものだったのだ。


 それなのに、地下道を出たら、そこは街の中。

 たくさんの建物が並ぶこの場所が、こんなにも近くにあったのなら、駅前から見えないわけがない。ないのだけれど、自分は今、実際に、こうして街の景色の中に立っている。


 友也は、後ろを振り返った。今さっき通ってきた地下道の、その真上には、遠くまで途切れそうにない街並みが乗っかっていた。

 また、前を向く。そっちにも、やはり、どこまで続いているのかわからない街の景色。

 地下道に入るときには、あそこからこの街は見えなくて。地下道から出てきたら、ここからあの荒れ野も駅も見えない。なんだかしらないけれど、そういうことらしい。


 頭がこんがらがる。なんでこんなことになるんだろう。こんなの、何かがおかしいのだ。何かって、なんだろう。地下道がおかしいのか。この街がおかしいのか。あの駅がおかしいのか。その全部なのか。というか、おかしいというなら、やっぱりそもそもあの電車が。いや、でも、それはそれとして、とにかく――。


「とにかく……街だ」

 友也は、眩しくなるくらいに目を見開いて、自分を取り囲む家々を、思いきり眺め回した。

 たくさんの民家が並ぶ街並み。民家は、この辺りにあるものは、どれもわりと新しい建物のようで、ほとんどが「日本では一般的に見かける洋風建築」といった趣である。画一的に統一されたデザインの家が並んでいる、というわけでもないが、かといって、奇抜な外観の家があるわけでもない。よくある、新興住宅地の街並みだ。


 これは、これでいい。うん。いわゆる、結果オーライというやつだ。何はともあれ、人の住んでいる場所に出ることができたのだから。

 住宅地がある以上、探せば、どこか近くに店もあるだろう。そこで、飲み物も、食べ物も買えるだろう。街の中にはバス停だってあるかもしれない。

 安堵で顔がとろけそうになりながら、友也は先ほどまでとはうって変わって、軽い足取りで、アスファルトの道路の上を歩き出した。




 二、三十分くらい、街の中を歩いただろうか。

 友也は、いまだに一軒の店も、一つのバス停も、見つけられないでいた。

 どこまで歩いても、地下道を出たところにあったのと同じ、新興住宅地のような特徴のない街並みが、延々と続くばかりである。


 ――と、いうか。

 店がないとか。バス停がないとか。それどころではなく。

 この街には、他の何を差し置いても、いちばんないはずのないものが、見当たらなかった。

 ここに来てから、これだけ長く歩き回っているというのに。

 友也は、一度たりとも見かけていなかった。


 この街の、住人の姿を。


(……どうなってんだよ)

 この街は、いわゆる、ゴーストタウンだとでもいうのだろうか。いや、でも、それにしては……。

 街にはひと気がないだけで、建物や道路の様子を見ても、朽ちているとか、荒れ果てているとか、そんな感じではない。


 それに――。


 人の姿は見えなくても、なんというか、気配はする。

 家の中に。曲がり角の向こうに。道端の木の陰に。ときおり、誰かがいるような気がしてならないときがある。けれど、そんなとき、いくら目を凝らしてみても、耳を澄ましてみても、そこには何も見えないし、何も聞こえてはこないのだ。


(もしかして……ここって、別の意味で「ゴーストタウン」なんじゃ、ないだろうな……)


 友也は、思わずぶるっと身震いした。

 それから、立ち止まって、一つ息をつく。


 どうしたものか。

 さっきの地下道へ引き返して、駅前に戻って、線路沿いに歩いて帰るべきか。それとも、もう少しこの街を探索するべきか。あまりぐずぐずしていると日が暮れてしまう。ただでさえ初めて歩く街なのに、暗くなったら、いよいよ道に迷いやすくなって、地下道の場所もわからなくなってしまうかもしれない。そうなったら、駅に戻ることもできず、この街で一晩過ごすことに……それを想像して、友也は顔をこわばらせた。


 日暮れまで、あとどのくらいあるだろう。

 友也は日の高さを確認しようと、空を見上げた。

 そのとき。

 視界の端っこに、人影が映り込んだ気がした。


 友也はハッとしてそっちを向く。

 二階の、窓。その奥に、確かに、人の形に見えるものがある。

窓ガラスに陽の光が反射して、ここからではよくわからないが、それは、窓のほうを向いてイスに座っている人の姿に見えた。


 その「人」がいる建物は、見たところ、どうやら民家ではなさそうだった。

 それは木造の建物で、周りにある家とは違い、それだけずいぶんと古いもののようである。昔からここにある建物なのかもしれない。

 そして、その建物には、一階にも二階にも、同じ格子付きの大きな窓が、等間隔にいくつも並んでいて。入口は、上半分にガラスが嵌め込まれた、両開きの扉で。建物の周りには、庭も塀も垣根もなくて。


 やけにのっぺりした簡素な外観と、簡単に中を覗ける造り。

 これはたぶん、個人の住宅ではなく、何か公共の建物とか、そういうものだ。

 友也はもう一度、建物の入口に目をやった。

 そこで初めて、入口の扉の横に、表札が掛かっているのに気がついた。

 柱に釘で打ち付けられた、木の表札。

 陽に焼け、白茶けたその板には、読みやすい筆書きの文字で『かコよヶ駅前町役場』と書かれていた。


「あ。町役場、か……」


 なるほど。確かに、田舎町とかにある古い役場の建物って、こんな感じかな、と思える。

 といっても、ここは田舎町という雰囲気ではないけれど。それでも、役場の建物は、新しそうな家ばかりずらりと建ち並ぶこの景色の中に、なぜだか妙に溶け込んでいた。


(役場って、つまり、役所と同じもの……だよな? 市役所とか、区役所とかと)


 友也は、自分が住んでいる地域の、市役所に行ったときのことを思い出した。あそこは職員だけでなく、用のある市民が勝手に出入りしていい場所だ。ということは、この町役場も、自由に建物の中に入ってもいいのだろうか。


 たぶん、大丈夫だろう。と、友也は役場の入口に歩み寄った。

 両開きの扉を、そっと押す。

 鍵は掛かっておらず、扉は少し軋みを鳴らして、簡単に開いた。

 友也は建物の中に入った。扉から手を離すと、それは開いたときと同じように、軋みながら、ゆっくりと元通り閉まった。




 館内は薄暗く、外と同じで、ひっそりと静まり返っていた。

 電気は点いていない。でも、玄関の扉にはガラスが嵌まっているから、そこから入ってくる外の光で、いくらか先を見通すことはできる。


 玄関から入ってすぐのところは、ロビーになっていた。

 いや、これは、ロビーと呼んでいいものか。一応、壁際にソファの長椅子が置いてあったり、そのそばにある小さなテーブルの上に、花瓶だか壺だかが飾ってあったりはしているけれど。はっきり言って、それらがなければただの通路だ。

 奥に伸びる狭いロビーは、右側が壁になっていて、そこにチラシがいっぱい貼られている。


 左側には、どうやら窓口があるようだったが、ガラス窓の向こうはすべてカーテンが閉め切られていて、中の部屋の様子はわからない。そういえば、外から見たときも、一階の窓は全部ブラインドが下ろされていた。あれは日除けのためかと思っていたが、部屋の中が無人のときに、ああやってブラインドを下ろしておく決まりなのかもしれない。

 そして、ロビーの奥のほうは、外からの光が届かず、真っ暗で何も見えなかった。


 ロビーの奥には、たぶん用はないだろう。

 探しにきたのは二階への階段だ。その階段は、入ってすぐの右手にあった。

 友也は、ところどころ軋む床板を踏んで、階段に近づく。

 階段の下のほうは薄暗かったが、見上げてみると、上のほうは案外明るい。電気の光ではないようなので、この上に窓があるのだろう。足元は充分見える明るさだ。


 友也は、すべすべとした木の手摺を掴んで、階段をのぼり始める。

 たん。とん。たん。とん。

 ゆっくりと、木の階段を、のぼっていく。

 階段は、踊り場を挟んで折れ曲がり、その先は、そのまま二階の廊下へと続いていた。


 友也は階段をのぼりきって、短い廊下を進んだ。

 そうして、二階の部屋の扉の前に、たどり着いた。

 その扉は、丸っこい真鍮のドアノブが付いた、片開きのものだった。ちょっとガタつくノブを回すと、それは、難なく開けることができた。


 扉を開けた途端、むわっと蒸し暑い空気がまとわりついた。

 いくつも並んだ大きな窓から、たくさんの陽射しが差し込む部屋。

 部屋の中には、書類の山や、印刷機や、文具の入った紙箱が、雑然と乗せられた長机。


 その長机の向こうに、窓のほうを向いて座っている、「人」がいた。

 やっぱり、外から見えたのは、見間違いではなかったのだ。


 ――だけど。


 その「人」の正体を目の当たりにして、友也は、言葉を失った。

 それは、木でできた看板、だった。


 木の板を、人の形に切り抜いて、ペンキで顔や服を描いたやつ。小学校の通学路にある横断歩道のそばとかで、「とびだし注意」なんかの文字と共に、ときどき立っているような。交通安全を呼びかける、あれは、人形看板、というのだろうか。

 この部屋でイスに座っている「それ」も、ちょうど、あれに似た感じのものだった。


 友也は、「それ」に近づいた。

 表。裏。あっちから、こっちから、じろじろ、眺め回す。

 看板だ。どれだけじっくり見ても、ただの看板だ。

 表側にだけ絵があって、裏側には何も描かれていない、薄っぺらい合板でできた、古びた人形看板。

 板に描かれた絵は、陽に焼けて、すっかり色褪せている。


 こうして近くで見ると、本物の人間とは似ても似つかない。なんで、これを本物の人間と見間違えたのだろう。外からだとよく見えなかったとはいえ。看板の大きさが、ちょうど人間と同じくらいだとはいえ。


 友也は、腰から上だけしかない、イスの上に立てられた看板を、恨みがましく睨みつけた。

 看板の顔は、これといった個性も特徴もなく、男とも女ともつかない、子供とも大人ともつかないものだった。


 友也はしばらくの間、未練がましく看板の前に突っ立っていた。

 しかし、陽の射さない一階と違って、やたらと日当たりのよいこの部屋の中は、長くいると蒸し上がりそうに暑い。ふと気がつくと、友也は全身汗だくになっていた。

 友也はたまらず部屋を飛び出し、頬に垂れ流れてくる汗をぬぐいながら、もう用のなくなった二階をあとにした。

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