第2話 ~おかしな景色と地下道の話~

「かコよヶ駅前地下道」1/2

 悪い冗談だ――。

 目の前の時刻表を見つめて、友也は立ち尽くす。


 帰りの電車が来るのが、一年後?

 時刻じゃなく、電車の来る日付が書いてある時刻表なんて、そんなのありか。いや、時刻が書いてないなら、この駅に貼ってあるこれは、もはや時刻表じゃない。なんて呼べばいいのだろう。日付表? 月日表? どっちもあまりしっくりこない。年単位で電車を待たされるなら、ここはいっそのこと「年月表」とでも呼びたいところだ。


 ――そんなことはどうでもいい。


 友也は我に返って、とにかく今、自分がやるべきことを考えた。

 時刻表から目を離し。直立不動でうつむいて。

 そうして、やがて導き出された結論を、

「……電車がないなら、バスを使えばいいじゃない……」

 友也は思わず、某フランス王妃の台詞を一部拝借して、呟いた。


 顔を上げた友也は、駅舎の出口に向かって歩き出した。

 プラットホームに背を向けて、駅の外への出口へ。

 完全に無賃乗車になってしまうが、今はそんなことを気にかけている余裕はなかった。これであとから捕まっても、ちゃんと事情を説明すれば、きっとわかってもらえる……はずだと、思いたい。


 友也は早足で出口へと向かう。

 電車に乗っていたとき窓から見た、この辺りの景色は、民家の一つもなく、気味が悪いほどに殺風景な荒れ地だった。けれど、さすがに駅前だ。外に何もない、なんてことはない。駅舎の出口から見える、四角く切り取られた外の景色の真ん中には、どうやら地下へ続く階段らしきものが――。


 外に、出た。


 その瞬間、友也の靴は、カラカラに乾いた土を踏んだ。

 駅の前の地面は、アスファルトでもタイルでもない、剥き出しの土だった。

 友也は立ち止まり、ゆっくりと周りを見渡した。


 見渡す限り、荒れ果てた景色の中に、舗装された道はどこにもなかった。いや。道自体が、見当たらなかった。どんなに細い道さえも、この駅にはどこからも続いておらず、この駅からどこへも続いてはいなかった。


 ただ一つ。駅の正面で、ぽっかりと薄暗い口を開けている、地下への階段を除いては。


 どくん、どくん、と動悸が大きくなるのを感じた。

 ふらつく足取りで、友也は再び足を踏み出した。


 駅舎の周りを調べてみる。まず左に行って……なんにもない。戻ってきて、今度は右を……こっちにも、なんにもない。また戻ってきて、それから一応、地下道の入口の裏に回ってみて……わかってはいたが、せいぜい腰までの高さしかない壁の裏になんて、もちろん何が隠れてあるわけでもなかった。


 これで、確かめてしまった。

 この駅のそばには、なんにもないということを。道も、建物も、バス停も、公衆電話の一つさえも、存在しないということを。


 友也は、地下道の入口の周りをぐるりと一周して、また駅舎の前に戻ってきた。

 そのとき、出入口の上にある『かコよヶ駅』と書かれた看板が、目に留まった。

 ああ、やっぱり、ここは『かコよヶ駅』なんだ。

 ぼんやりとそう思いながら、友也は駅舎を眺めた。


 かコよヶ駅の駅舎は、木造で、茶色っぽいすすけた色をした瓦屋根の、あまり大きくもない建物だった。

 自分がいつも使う駅は、もっとよく目立つ、大きな建物だけど。こんな小さな駅が街の中にあったら、駅だと気づかず通り過ぎてしまいそうだ。でも、田舎のほうなら、こんな駅はめずらしくもなさそうである。田園風景の中にこの建物があったなら、それは、さぞかしのどかな景色だったことだろう。


 友也は、あらためて辺りの景色を見回した。

 そうすると、心臓の鼓動に押し出されるようにして、肺の中の息が漏れた。

 この、景色。

 見ていると、どうしてこんなにも、不安になるんだろうか。

 友也はずっと考えていたが、今、そのわけが、わかった気がした。


 人の気配がまったくない荒れ野。

 乾いた土と、草と、わずかばかりの木と、遠くに見える山。

 そんな場所に一人取り残されたら、誰でも心細くなるのは当たり前だ。だけど、それだけならきっと、ここまで不安な気持ちになったりはしない。


 ここらの土地は、まったく人の手が加えられていないのか。あるいは、何十年、何百年もの間、ずっと放っておかれた土地なのか。そのくらい人間の痕跡が感じられなくて、荒れ果てているのに。その景色の中に、なぜか駅舎と、地下道と、線路と、線路沿いに並べられたフェンスだけがある。


 そうだ、そこなのだ。この景色を異様なものにしているのは。

 人間の営みとすっかり切り離された土地。そうとしか見えない景色の中に、ありふれた街並みの中にあるべき人工物モノが、紛れ込んでいる。まるで、街からそこだけ切り取ってきて、ここにぺたぺたと貼り付けたみたいに。

 その組み合わせが、違和感が、なんだか、妙に見ている者の現実感を失わせるのだ。この景色を見ていると、自分が現実の世界ではなく、夢の中にいるような気がしてくる。


 無性に、「日常」に触れたかった。

 友也は無意識に、鞄に入れていた携帯電話を取り出していた。


 アドレス帳の画面を開く。

 そこに並んだ名前を見つめながら、友也は、ひとりうなずいた。

 電車もない。バスもない。となれば――。


 最後の手段だ。ここはもう、家族に車で迎えに来てもらうしかない。この歳にもなって、ちょっと、いやかなり情けないけど。でも、こんな状況に置かれてしまったんだから仕方ない。いつか自分にも子どもができたとき、その子が電車を乗り間違えて、次の電車が来るまで一年間待たなきゃならない駅に取り残されたら、そのときは、絶対こころよく迎えに行ってあげよう。だからお父さん、今ここにいる自分のこともどうか迎えに来てくださいよろしくお願いします。


 そんなことを思いつつ、友也は携帯電話を耳に寄せた。


 呼び出し音が鳴る……。

 呼び出し音が鳴る……。

 呼び出し音が鳴る……。


 呼び出し音が、プツリと鳴り止んだ。どうやら向こうに繋がったようだ。

 友也はホッと息を漏らした。よかった。なんとなく、電話は通じないんじゃないかという気がしていたのだが、さすがに取り越し苦労だったか。


「父さん……?」

 友也は電話の向こうに呼び掛けた。

『…………』

 電話の向こうからは、沈黙が返ってきた。

「父さん? あの、友也だけど」

『…………』

 電話の向こうの相手は、何も言わない。

 友也は眉をひそめた。

 携帯電話を、いったん耳から話して、その画面を確認する。

 電話は、確かに通話中の表示になっていた。繋がらなかったわけでも、途中で切れたわけでもない。


 でも。なら、どうして。

 電話の向こうの相手は、ずっと黙ったままなのだろう。


 電話の向こうの……相手は……。


「……父さん……なの?」

『…………』


 プチ。

 思わず、友也は、自分から通話を切った。

 それからしばらくの間、友也は、手の中の携帯電話に目を落していた。

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