「かコよヶ駅」2/2

 友也はホッとして、ぷしゅー、と音を立ててドアが開くやいなや、電車から飛び出した。


 プラットホームに降りて、一息つき。

 さて、と、駅舎に向かって歩き出す。


 その途中に、駅名標が立っていたので、そういえばここはどこの駅なのだろうと、友也はそこに書かれている駅の名前を確認した。

 白く塗られた鉄板製の駅名標は、田舎のほうの駅にはありがちかもだが、ずいぶんと古いものなのだろう。表面に、雨水が流れたあとのような、幾筋もの錆が浮いていた。駅名標を嵌め込む枠も、鉄板と同じように、もともとは白く塗られていたようだったが、もう塗料のほとんどがはがれ落ちていて、むき出しになった鉄の肌がすっかり錆ついて、赤茶色の枠にしか見えない。


 色褪せた標識の真ん中には、


 【かコよヶ】


 と、この駅の名前らしき、大きな四文字が書かれている。

 その下に振ってある読み仮名を見ながら、友也は呟く。


「かこよがえき……?」


 なんだか変わった駅名だ。もちろん、聞いたこともない駅だった。

 それにしても……。

 駅名標を見つめて、友也は首をかしげた。


 変だ、この駅名標。

 前の駅と、次の駅の、駅名。それがどこにも書かれていない。

 こんな駅名標ってあるのだろうか。というか、これは本当に駅名標なのだろうか。でも、プラットホームには、他に標識らしきものも見当たらない。


 この駅は「かコよヶ駅」なのか?

 その駅名を、友也は、自分で口に出してみるまで、一度もこの耳で聞いたことがなかった。それは、電車がこの駅に停まる前も、停まるときも、車内になんのアナウンスも流れなかったからだ。普通ならば、「次は~」と駅名を呼んでくれるものだけれど、それがなかった。こんな、周りに何もない、すごく田舎の駅に停まるときは、そういうこともあるのかな、と思ったりもしていたが、今考えるとやっぱりおかしい。


 どうも。なんだか。

 慌てて降りてしまったけど、本当によかったんだろうか。この駅で降りてしまっても。

 友也がそう不安に思ったとき。


 ぷしゅー。


 と、音がして、背後で電車のドアが閉まった。

 友也はハッとして振り向いた。

 走り出す電車。徐々に速度を上げて、駅を出ていく。もう止まってはくれない。もう、乗り直すことはできない。


 遠ざかっていく電車を、友也はしばらくの間、ホームに棒立ちになって眺めていた。

 電車は、すぐに小さな点となって、見えなくなった。

 それから、友也はあらためて駅舎に向かった。


 駅舎の中には誰もいなかった。電車を待つ人もいなければ、駅員の姿もない。無人駅のようだった。

 改札には扉が付いておらず、切符や定期を入れなくても、自由に通り抜けられるようになっている。


 友也は、迷いながらも、とりあえず改札を抜けて駅舎の中に入った。

 次の電車に乗って折り返すつもりだから、それまで駅で待っているだけなら、料金は別にいいのだろうか。以前、電車の中で眠りこけて、目的の駅を乗り過ごし、終点まで行ってしまったとき。あのときは、終点の駅で駅員さんに起こされて、事情を説明したら、その駅までの運賃を払えとは言われなかった。


 駅員さんがいれば、その辺のことも尋ねることができるのだけど。

 それにしても、どうして、自動改札でもない駅が無人駅なのだ。電車の降り口で切符を拝見、ってわけでもなかったのに。


 首をひねりながら、友也は、駅舎の中を見回して、この駅の時刻表を探す。

 改札のすぐそばの壁に、それらしきものがあった。

 しかし、一目それを見た瞬間に、いやな予感が走った。

 白い。なんて白い時刻表だ。一時間に一本の電車――なんてもんじゃない。


 左端に1から12まで並ぶ、縦一列の数字。その中の「10」の数字の横にだけ、「8」という数字があった。


 その時刻表に書かれている電車の発車時刻は、それ一つきりだった。

 それ以外の欄は、全部空白だった。


「うっそだろ……」

 友也は、思わず顔がひきつって、かえって微妙な笑顔みたいになるくらい、呆然とした。

 しかも、さらによく見たところ、その時刻表のいちばん上には、マジックペンで、


 【上り・下り兼用時刻表】


 と、整った手書きの文字が、書かれていた。

 上り・下り兼用時刻表……。こんな断り書きは、いよいよ見たことも聞いたこともない。広い世の中には、こういうのもあるのだろうか。いや、でも、「兼用」って、いったいどういうことなんだ?


 友也はちょっと考えてみた。兼用、というからには、上りの時刻表も下りの時刻表も、これ一つ見ればいいということなのだろう。となると、この駅には、上りの電車も下りの電車も、一日一回、十時八分に同時にやってくるのか。


 いや、待て。自分が乗ってきた電車がこの駅に停まったとき、行き違いの電車なんてなかったはずだ。そもそも、と、友也は駅舎から線路を覗いて確かめる。やっぱり。駅の前に、走っている線路は、一本だけだった。これでは、この駅に、上りと下りの電車は同時に停まりようがない。


 だとすれば、考えられるのは……。


 今日、上りの電車が駅に停まったら、明日の同じ時間に、今度は下りの電車がこの駅にやってくる、ということだろうか。そして、明後日にはまた上りの電車がやってくる、と。

 自分が乗ってきた電車が上りか下りかはよくわからないし、この考えが当たっているのかも自信はないが、とにかくどっちにしろ、帰りの電車は明日にならなければ来そうにない。


 明日の十時八分――。


「……ん?」

 友也は、そこでふと気づいて、腕時計を見た。

 案の定、十時八分なんて、もうずいぶん前に過ぎている。さっきの電車がこの駅に停まったのは、決してそんな時間ではない。


 友也は、もう一度、時刻表に目をやった。

 そして、自分の大きな勘違いを知った。


 左端に1から12まで並ぶ、縦一列の数字。

 その上に、さっきは見落としていた、小さな「月」の文字があった。


 この駅にあの電車が停まったのは。

 この駅に次の電車がやってくるのは。

 この時刻表の数字が表しているのは。


 それは、十時八分ではない。


 十月八日。

 今日、この日の日付だった。

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