第一章 第3話

 明けて翌日、クルトとリンは再び応接室にいた。

 上座に座しているのは昨日と同じくデューラー卿。腕を組んで目を閉じ、沈黙している。

 クルトはゴクリと生唾を飲み込んだ。と、それを合図かのように、老紳士は目を開いて二人に目を配らせた。

「……して、答えは出たのかね?」

 ……正直に言って、クルトは何の準備も出来てはいなかった。昨夜は彼女と何も話が出来ず、挙句の果てに深夜に起きてきたエレナに問い詰められ、事情を渋々話すと、罵倒されまくったのだ。

 リンの気持ちを汲み取ることが出来なかった。それは彼にとって大きな後悔であり、ここに来て取り戻せるものではないと予感していた。

 早過ぎたのだ。彼女の心は何ら癒やされることはなく、それを勝手に平常になったかと勘違いした。もっともっと時間を掛け、ゆっくりと癒やしてあげる必要があったのかもしれない。

 彼は、この場で学園への編入を先延ばしにさせてもらい、個人的にリンを指導しようと考えている。学園で教えることの速度に追いつこうとする為には、仕事の分量が犠牲となるが、自ら蒔いた種だと思い、なんとか両立させようと考えていた。

「学園長、実は……」

 葛藤だらけの心のまま、発言しようとしたクルトだったが、不意に傍らへ僅かに引っ張られる感じがして、そちらの方を見た。

 リンが服の裾を引っ張っている。ここに来て何か思うところがあるのだろうか?

「……私が、喋る」

 クルトは、その言葉に耳を疑った。これだけ場の空気が緊張しているのにもかかわらず、彼女は積極的に発言しようとしているのだ。本来あまり会話が得意ではないはずの少女の行為に、彼は大きな勇気を感じた。

 しかし、本当に驚いたのはここからだった。

 リンは膝の上に置いた手をぎゅっと握り込み、一度深呼吸して口を開いた。

「……私、学園に入る」

 僅かに静寂が訪れる。クルトも、おそらくデューラー卿もその回答に疑問を持っただろう。

「ふむ、昨日とは随分意見が変わったようだが、その心を聞かせてもらえるかね?」

 この場を仕切っている学園長がその真意を聞いてくれた。

 すると、リンはたどたどしくも、はっきりとした言葉で語ってくれた。

「……お母さんがいなくなって、すごく悲しかった。悲しいって気持ち、ちゃんと言葉に出来ないで、ずっともやもやしてた。けど多分、ほんとは生き残った自分が許せなかった、と思う。……自分を許さないなら、じゃあいつまで続くんだろって、考えて。きっと死ぬまで続くんだろうなって思って。それでまた苦しくなった。

 ……けど私は生きたい。生きて自分のしたいことをしたい。お母さんが言ったように、自分の正しいと思ったことをしたい。じゃあ、前に進まなきゃ、って思うようになって。……だから、これが私の一歩目」

 リンは一度立ち上がり、その場で一度足踏みをした。

 そこに足跡は残らなかったが、きっと彼女にとっては、永遠に記憶の中に残り続ける一歩なのだろう。

「……あいわかった」

 彼女の目を見据え、じっとその独白を聞いていた老紳士は、パシッと音を立てて膝頭を叩いた。

「君の勇気、しかと見させてもらったよ。よもや一晩でここまで思考を整理することが出来るとは、いやはやたまげたものだ。なあ、そうだろうクルト君よ」

「え、ええ……」

 急に話を振られて、戸惑うばかりだった。だって、自分は何も助言をしていないし、なにかきっかけのようなものがあったとは……。

 ちらりと、昨晩に激昂していたおてんば娘の事が頭をよぎる。まさかな、とクルトはすぐに考えを打ち消す。

 デューラー卿はソファーから淀みなく立ち上がった。

「なら、我々もその勇気に答えようではないか。君の捧げる6年間を素晴らしい物に出来るよう、教員一同、全身全霊を持ってそれに答えよう。よろしく頼むぞ、リン・セシル君」

 彼は手を差し伸べる。ゴツゴツとして節くれだった手だが、とても温かみのあるような優しげな印象も感じられた。

 リンも手を差し出し、大きな手と握手を交わす。ギュッと握りこまれたその小さな手は、きっとその老人には熱く感じられたのだろう。少しばかり穏やかな顔になった。

「……魔術が、君にとっての希望になることを願っているよ」



 それからの1週間は、実に慌ただしいものだった。

 クルトは、長期間部屋を空けていた間に溜まった仕事をこなしつつ、かつリンに対して魔術の指導を行っていた。編入の手続きと学園内の準備を行っている間、学園での教育内容と進捗度が送られてきたことによって、彼はリンに、具体的な魔術の指導を行うことが出来た。

 そしてリンも、教わったことを全て吸収しようとより貪欲になり、寝る間も惜しんで勉学と実習に励むようになった。勿論、他生徒との半年の差を残り1週間で埋められるはずもなかったが、それでも彼女なりに努力はしたつもりなのだろう。授業後の彼女の顔はいつも自身に満ち溢れていた。

 わずか1週間の濃密で短い時間。その僅かな時の経過は、いつしか窓の外から温かいそよ風を運んでくるようになっていた。



 窓を開け放った、暖かな空気の流れる廊下を歩いていた。

 リンは、なんでもないような顔を装っていたが、その心臓はバクバクと音を立てて激しく動悸しており、その音が周囲に漏れていないか少し気になっていた。

 コツコツと音を立てる足音は、自分の他にもう一人分存在していた。

「どう?少し緊張してきたかしら?」

 穏やかに尋ねかけてくるその女性は、黒いローブを羽織っている。手には何かの本を数冊と紙を持っており、すこしばかり重そうであった。

「……全然」

「……話には聞いてたけど、確かにあんまり喋らない子なのね。クラスメイトはたくさんいるのだから、今からそんなのだと、質問攻めに会うと辛いわよ?」

「……」

「……はぁ」

 隣から大きなため息が漏れてきた。彼女のかけている眼鏡が僅かにずり落ちかけたようだ。

 リンは、この傍らを歩いている人物、ベル先生に案内され、学園の廊下を歩いていた。

 ベル先生は先程魔術院まで迎えに来てくれ、勉強のためと緊張のあまり寝不足のままのリンをここまで連れ出してくれたのだった。

 いかにも知性の感じられる丸眼鏡と、長く伸ばした黒のストレートが、彼女のきっちりとした性格を表しているのだろう。さっきから鐘の鳴った時間と歩く速度をずっと気にしているようだった。

「ほら、もうちょっと急いで、朝礼に間に合わなくなってしまうわ」

「……うん」

 リンは、早く魔術を学びたい気持ちと、初対面の顔ばかりの教室に行くのを躊躇う気持ちの板挟みになり、ずっと胃がムカムカしていた。朝食はきちんと頂いたのだが、そのままトイレに駆け込みたい気分だった。魔術院で着せてもらったばかりの黒のローブの裾をギュッと握りこむ。

 しかし、目指すべき場所はもうすぐそこまで来ていたのだった。

「あの教室よ。ほら、『1-1』って書いてあるでしょう?」

 確かに、これでもかと言わんばかりに扉に直接文字が刻み込まれていた。

 扉の前に立ったリンは、心臓が暴れだして口から飛び出しそうになる感覚を抑えるのに必死だった。そのため、「呼んだら入ってきてね」と断りを入れて先に中にはいってしまったベル先生の言葉を、完全に聞き逃してしまっていた。

 中から声が聞こえる。

「前もって連絡していましたが、今日から、このクラスに新しい子が編入してきます。それじゃあ、入ってきてちょうだい」

 えっ、と戸惑ってしまった。不意を疲れたような状態だった。リンにとっては、何の打ち合わせもなしに、突然呼び込まれたように感じたからだ。

 身体が硬直してしまう。どうしていいか分からない。

 少し間が空いて、先ほどの扉が内側から開いた。

「何してるの、ほら、入ってちょうだい」

「え、あ……」

 自分を連れてきた女教師に背中を押され、やむなく部屋の中へと入っていった。

 部屋の中は思ったよりもずっと広く、数十の机と、数十の人間がその部屋の中に同席していた。

 リンと同い年くらいに見える少年少女たちが、じっとこちらを見ている。何かを話しているでもなく、じいっとこちらの出方を伺っているようだった。

 背中を押されたまま、教壇の脇まで連れて行かれる。

「ほら、自分で自己紹介して」

 急かされてしまった。

 どう行動していいかすらわからないのに、喋る内容まで考えているはずもない。

 とりあえず、名乗ることにした。

「……リン、です」

「フルネームよ」

「……。リン・セシルです」

 喉がカラカラに乾いている。唾液が出尽くしてしまったようだ。

「何か、得意なこととか、自己アピールとか、なんでもいいから」

 そんなもの、急に出てくるはずもない。とにかく何か喋らなければと思い、口を開いた。

「……掃除とか、得意です。……よろしく」

 傍目から見れば、ほとんど喋りもせず、伏し目がちに立ち尽くしている無表情な少女は、このクラスにとっては異常な存在として映ったのかもしれない。しかし、彼女の処遇を決めかねている雰囲気のある少年少女たちは、なんの反応をも示せずにいた。

 しかし、教室の中ほどの辺りから、がたんと物音がした。どうやら椅子を引いた音のようだった。

 静まり返った空間に生まれた新たな刺激に、クラス中の視線が集まる。勿論、リンも弾かれたようにそちらを見た。

 その視線の先には、金色に光る存在がいた。眩いばかりの少しウェーブがかった長い金の髪を軽くなびかせ、青い瞳の鋭い視線はそのままリンを貫いた。

「気に入りませんわね」

 唐突に、否定的な言葉が降りかかった。

「優れた素質を持った生徒の集まるこの1組のクラスに、入学から半年経ったこの時期に編入してくるから、どんなに素晴らしい方がいらっしゃるのかと思って期待してみれば……。なんですの、この無愛想な人は」

「シャルロッテさん、あまりそういうことは……」

「先生、今わたくしは、この教室が抱えるかもしれない大きな問題を未然に防ぐために、啓発をしている最中なのです。お控えくださいな」

 シャルロッテと呼ばれた少女のその一言で、ベル先生は黙りこくってしまった。

「……聞くところによると、あなたはどうやらあの王立魔術院の主席研究員であるクルト・ヴェヒター様のご推薦で編入なさったそうですね。そのお方がどのような見込み違いをされたのか存じ上げませんが、このようなどこの出とも知れない田舎娘を、さらにこの敷地を跨ぐことを許したことを、静観できるはずもありませんわ」

 リンは、鋭い言葉で語るその少女を見つめるうちに、その心の内が徐々に冷静になる自分がいるのを感じた。

「栄誉ある魔術学園の名に傷がついてしまいますわ。今からでも遅くはありません、……お引き取りくださいな」

 リンは、何かの結び目がはらりとほどけていくような感覚を思った。開放されたような、我慢しなくていいと感じたのか。

「……私も、気に入らない」

「ちょ、ちょっとあなた……」

 教師が静止するのも構わず、リンは口火を切った。

「あなたは、私のことを何も知らない。無愛想だからって、それだけで魔術を学ぶ資格がないとか、勝手に決めつけないで」

 高みから見下ろしていたはずのシャルロッテは、急に足蹴りを食らったような気分でぽかんとしていた。先程まで全く喋る気配のなかったリンが、突然挑発するような文句を言ってきたのだ。人が入れ替わったのかと、多くの人が感じていた。

「へ、へえ、言いますわね。そんなに仰るなら、余程魔術の腕に自信があるとお見受けいたしました。……いいでしょう、決闘ですわ!」

 ビシっとリンの顔めがけて指を差される。おおっとクラス中からどよめきが上がった。

 挑戦を挑まれた側の少女はどう応えるのか、その返答に注目が集まった。

「……分かった。受ける」

 さらに大きな声が上がった。クラス中が沸き立つ中、挑んだ側の少女に駆け寄る一人の女の子がいた。

「ね、ねえやめようよ。せっかく新しく入ってきてくれた子に、こんなことするのはかわいそうだよ……」

「あら、わたくしに意見しようと仰るのかしら、フィーネ?」

 威圧的な態度を取り、静止を振り切るシャルロッテ。

「ご、ごめんなさい、シャルロッテ様……」

 たったの一言で、すぐに小さくなってしまったフィーネと呼ばれる少女。しかし、リンはそのことよりも、彼女が呼んだ『敬称』に疑問を感じた。

「場所を移しましょう。演習場で決闘を行いますわ」

 すぐさま教室から歩み去っていくシャルロッテ。その後に付き従うように、フィーネが付いて行った。

 リンは、教室に漂う盛り上がった異様な空気と、僅かな黒い淀みを感じていた。


 1時間後、演習場には大勢の野次馬が集まっていた。リンが先程いたクラスの生徒だけではなく、リンたちと同じ黒いローブを羽織った、年齢の違う生徒と思われる姿も大勢駆けつけていた。

 演習場は、正門から向かって校舎の裏側にある中庭に位置し、外周を色とりどりの花で飾られた花壇で彩られている。また、校舎の上階の廊下からも中庭を見通せるようになっており、廊下の柵越しに大勢の人だかりができていた。

 リンは、何故1対1の決闘がここまで人を集めるのか、まだ理解できていなかった。しかし、その声援の多くは自分と相対している金髪の少女に向けられている、そう感じていた。

「ベル先生、あなたが審判をお願いできるかしら?あとあそこの田舎娘にルールの説明を」

「……ええ、分かったわ」

 不承不承といった感じで、担任の教師はリンの下へ歩み寄ってきた。

「ごめんなさい、まさかこんなことになるとは思わなかったの。でも、あなたも決闘を受けたのだから、覚悟してね」

「……分かってる」

 申し訳無さそうに話すベル先生。

「勝負は、お互いの魔術を出す速度を競うことで勝敗を決めます。使用する魔術の属性は『火』、使用する魔石はランク1のルビー、つまり最も下のランクの魔石です。お互いに向かい合い、魔石に内包される最低限の魔力を使用して火球を放ってください。5度の勝負の後、先に到達した回数の多かったほうが勝利となります」

 事務的に概要を述べていく教師。しかし、リンには疑問が残った。

「……向い合って火を放つって、危なくないの?」

「そうね、本来は絶対にやっちゃいけないことだけど、それはこの演習場の仕組を用いて防ぐの」

 そう言って、彼女はリンの足元を指差した。

「ここに白線が描かれているでしょう?この下には障壁の術式を施した魔石を仕込んであって、飛んできた火球を直前で防いでくれるの。ただし、防ぐ方向は外側からのみ。自分の側から放った火球は貫通するわ。あと、演習場の外周にも常に障壁が張られているから、万が一あらぬ方向に魔術を放っても一応は安心よ」

「こんなことするために、作ってるの?」

「そんなはずないでしょう。この装置の本来の目的は、飛んでくる魔術や投擲武器に対しての恐怖心を抑えるために、自分で障壁を張り損ねた時のために置いてあるの。……本来なら決闘なんて野蛮なこと、誰が許すもんですか」

 最後にボソリと漏らすベル先生。彼女もこの事が本意ではないと、そのことから読み取れた。

 説明を終えたと判断したのか、その場を離れ、リンとシャルロッテの中間地点から軸を外れた位置に立つ。

 リンと金髪少女の距離はおおよそ3キリメトロン(=約30m)。走っても数秒ほど掛かる距離である。

 シャルロッテは、腰に両手を当てて、どっしりと構えている。

「いいですこと?この勝負に敗北するということは、すなわちあなたには魔術を学ぶ資格が無いということ。その時は、大人しくこの学園から去りなさい。それだけではありません、目障りですからこの街からもいなくなってくださいな。もしわたくしがあなたを目にするようなことがあれば、腹の虫が収まらなくなりそうですから」

 随分と言いたい放題の様子である。勿論、そのような事になればリンは行き場所を無くしてしまう。それだけは絶対に避けなければいけない。

「ではいいですか、私が旗を振り下ろしたタイミングで火球を放ってください」

 中央に立つベル先生の手には、白い旗がはためいている。

「それでは始めます。用意してください」

 先程から周りで大きく歓声が上がっていたが、それもピタリと収まり、辺りはしんと静まり返った。

 リンはギュッと魔石を握りこむ。ほのかに熱いその赤い宝石は、リンの鼓動に応じて輝きに脈をつけていた。

 相対する少女を見る。彼女は余裕を持った立ち姿で、悠々と構えていた。絶対に負けられない……。

 バサッ!

 旗が翻った。リンはクルトに教わったとおりに、魔石から魔力を吸い上げようと集中をする。火球を放つのに必要な魔力を吸い上げつつオドに変換していく。それを半ばまで終えた瞬間、目の前が真っ赤になった。

 ブワッと風が辺りに巻き起こる。リンは、何が起こったのか理解できなかった。理解する前に、事態は進行し、終わりを迎えていた。

「……え?」

 辺りは大歓声に包まれる。その歓声の中からは、「シャルロッテ様」と呼ぶ声が多く聞かれた。それも様々な性別、年齢の声である。

 負けた……?リンはそう判断した。

「あら、なにをぼうっと立ち尽くしていたんですの?本当に決闘する気がおありなのかしら?」

 演習場の向かい側から、嘲笑う声が聞こえてきた。シャルロッテである。彼女は相変わらず余裕の雰囲気でこちらを見据えている。

 と、審判をしていたはずのベル先生がこちらに詰め寄ってきた。そして、リンの前まで顔を寄せ、潜めた声で話す。

「あなた、クルト先輩から魔術の放ち方は習わなかったんですか!?」

「……習った。だから、それをやってる最中だった」

「なら、高速化の方法は?」

「間に合わなかったって、言ってた」

 はぁ、と大きなため息をつき、頭に手をやる女教師。

「……先輩から、きちんと進捗度の確認を受けるべきでした。……いいですか、あなたは飲み込みが恐ろしく早いと聞きましたから、それに賭けます」

 キッと真顔になり、リンの両肩に手を置く。

「高速化と言っても、予め自身の中に火属性のオドを僅かでも用意しておくの。それだけで、魔石から火属性のマナを吸い上げた時に、吸い上げる速度とオドに変換する速度は倍に早まる。いわゆる呼び水になるのよ。魔術はその場その場の思考じゃなく、事前の準備が全てになるの」

「……あらかじめ、用意する……」

 リンは、堅いものを噛み砕いていくように一人でこくこくと頷いていた。やがて、消化し終えたように教師の顔を見据えた。

「分かった。大丈夫」

 その時、ベル先生の後方遠くから呼びかける声がした。

「何を吹き込んでいるんですの、ベル先生?今更魔術の放ち方について講釈しても、きっと間に合いませんわよ。優秀なわたくしですら、この速度に至るまでに半年を要したのですから、彼女がわたくしの速度に追いつく日なんて、永遠に来ませんことよ」

 厳しい視線でこちらを見据えるシャルロッテ。相変わらず余裕の発言だが、その口調は厳しいものがあった。

 リンは、その場を離れていくベル先生を尻目に、少女に問いかけた。

「あなたは、この学園では偉いの?」

 すると、シャルロッテはなんとも不思議そうな顔をした。

「何をおっしゃっているのです?わたくしが偉いかどうかは関係ないことでしょう。仮にわたくしが偉かったとして、あなたをここから追放する権利は、決して権力からくるものではありませんことよ。あくまで学生代表として、この場に相応しくない環境を正すために、わたくしは動いています」

「……そっか」

「そっか、とは何様ですのあなた!?」

 リンは、この事態を大体読み込めた気がした。

 この周りの環境から察するに、彼女は相当に大きな権力を持っている。それも、上級生はおろか教師ですら刃向かえないほどに。しかし、彼女は権力を振るっていないと発言している。ならば、この異様な状況は僅か9歳または10歳の少女の『学生代表』とやらの言い分が通って行われているのか。リンは、それもありえないと考えた。

 恐らく、シャルロッテは分かっていないのだ、彼女の語る言葉一つ一つの重みを。彼女が権力を持つがゆえにその一挙手一投足が注目されている。それを理解しているのならば、もっと慎重な発言を心掛けるだろう。しかし、あの少女は正義感だけが暴走してしまっている。……今の彼女は『暴君』だ。絶対的な人気と、絶対的な権力をこの僅か半年で形成してしまったのだから、恐ろしい。

 リンは、自分のこの場でするべきことが見えた気がした。

「……私が、一方的に条件を与えられるのは不公平。あなたもなにか背負うべき」

「あら、今更そんなことを仰るんですの?……まあいいでしょう。万に一つ、あなたが勝つ見込みはありはしませんが、それでもいいのであれば、どうぞいくらでも考えておいでくださいな。わたくしが負けるようなことがあれば、全て飲みますわよ」

「……本当にいくらでも?」

「くどいですわ。わたくしは一度言ったことは曲げませんのよ」

 リンは、思いつく限りの条件を頭のなかで挙げていき、整理していった。

「今考えなくてもいいですわ、終わった後で、ゆっくりと聞きましょう。……先生、そろそろ続きを」

「え、ええ。分かりました」

 ベル先生は、リンの突然の強気な発言に、かなり戸惑っているようだった。

 そして、旗を振り下ろす前の体勢に入る。

 リンは、頭の中でさっき言われたことを何度も反芻していた。

 火のオドを用意、早く吸い上げ、前に放つ。用意、吸い上げ、放つ。用意、吸い上げ、放つ……。

 僅かな静寂が訪れる。

 先ほどの取り組みより、少し緩い空気が流れているのは、この場にいる大勢が、リンと相対する金髪の絶対的な暴君が勝つことを確信しているからだろう。


 だから、リンはその流れを変える。

 この手の一振りが、皆の目を覚ますことを願って。


 旗が振り下ろされる。リンは予め組んでいたオドを元に、魔石から必要な分だけ魔力を吸い上げる。さっきよりもずっと早い。ずっと効率が良い。体内に溜まった火のマナは、あっという間に自分の物へと変わり、手の先へと集まっていく。

「……ハッ!」

 短く声を発し、手を振り払う。まっすぐに伸びた火球は、向こう側から発せられた赤いゆらめきと中間ほどで交差し、すれ違った。

 すぐさま障壁に赤い衝撃が来る。ごうっと音を立て、火の手は目に見えない壁の表面を撫で、すぐに消え去っていった。

 数瞬の時が流れる。両者ともに火球を放った。そしてどちらも互いの地点に到達していた。周りから見て曖昧な判定だったのだろうか、まだ静まり返っている。

 その場にいる全員が審判たる教師を凝視する。すると、彼女は戸惑うように判決を下した側の手をゆっくりと挙げた。

 その手の側にいたのは、リンである。

 どよめきが起こった。まさかさっきまで火球も放つことの出来なかった少女が、半年の修練を経た生徒に迫る速度で魔術を行使したのだ。多くの者がその目を疑っていた。

 次第にざわつきが大きくなる。何か細工を行ったのではないか。そういう声が上がりそうな雰囲気だった。

「鎮まりなさいな!」

 その大きな声に、辺りはピタッと会話をやめた。

「……なにか、変わったことでもなさったのかしら?」

 彼女は、眉間を引くつかせながら、リンと審判を交互に見やる。

「別に、何もしてない」

 リンは、さも当たり前かのように言い放つ。

「ええ、彼女は何も不正はしていない。……手順通りに、行ったはずよ」

「……わ、分かりましたわ、今のはまぐれだったと受け取っておきましょう。次はないと思いなさいな」

再び構え直したシャルロッテの顔は、悔しさがにじみ出ているような表情をしていた。一度でも遅れを取ったことが歯痒くてたまらないのだろう。

 しかし……。

「……うん、分かってきた」

 リンは独り、自分にしか聞こえないようなつぶやきで何かを確かめた。

 再びの静寂。

 数瞬の後、旗が翻るがその瞬間、シャルロッテの側の障壁を熱い衝撃が襲った。

「……え」

 今度は彼女が驚く番だった。

 何が起きたのか分からず、周りの野次馬たちも戸惑うばかりだった。

 審判役のベル先生が挙げている手はリンの側。つまり、初心者であったはずの彼女が大きく先制して火球を放ったのだ。それも、1秒と立たず。

「そん、な……そんな、ありえませんわ!そんな速度、最上級生ですらごく一部の方しか実現できないようなものじゃありませんの!まさかそんな……こんな田舎娘が!?」

 シャルロッテに対峙するリンは、何食わぬ顔でその戸惑った声を聞いていた。

「……次、いい?」

「何を余裕ぶっていますの!?今にその鼻、へし折ってやりますわ!」

 だが、4度目も彼女が火球を放つことはなかった。出来なかった。

 来るかもしれないという心がどこかにあったからかもしれない。その為、シャルロッテを含めた多くの人がその所作を見ていた。旗が振り下ろされた瞬間、手元の魔石は反応して赤く輝き、もうその時には火の玉を放つ動作を行っていた。しかも、放たれた火は目を疑うような速度で飛翔していき、ほんの一瞬で対岸の障壁まで到達していたのだった。

 魔石に含まれたマナを吸い上げる反応に、変換したオドを放つ動作。どこにも不正を行っている節が見当たらない。しかも立て続けにだ。とすれば、彼女の実現した速度は本物である、という認識が広まっていった。

 複数のざわめきが広がっていく。その多くは戸惑いなどではなく、新たな実力者を認めた時の驚きに近かった。

「し、鎮まりなさい!静かになさいな!」

 暴君と呼ばれた彼女は必死に静寂を呼びかけるが、一向に収まる気配を見せない。

「……続けるから。ベル先生、進めて」

「え、ええ」

 審判役は互いに構えるよう促す。

 しかし、シャルロッテの戦意は驚くほど減衰してしまっていた。もう、敵わないと悟ったのか。

 旗が振り下ろされた直後、彼女の障壁を再び火の手が襲った。もう、何の動作も行う隙をもらえなかった。

 その場に崩れ落ちる高飛車な少女。その瞳はどこを見ているのか、焦点が定まっておらず、ただ呆然としていた。

 歓声が巻き起こることはなかった。新顔であるリンが圧倒的な勝利を収めたにもかかわらず、そのやり込めた相手が相手であるといった感じで、とても気まずい雰囲気が辺りに漂っていた。

 少し発破をかければ、なんということをしてくれたんだと言わんばかりの雰囲気の中、リンはゆっくりと敗者に歩み寄っていった。

 シャルロッテの傍には、もう既に先客がいた。先程リンたちの仲裁に入ろうとしてくれたフィーネという名の少女だった。

「……大丈夫ですか?しっかりしてください……」

「……構わないで頂戴。あなたなんかの施しなんて……」

 ぼそぼそと呟くように話すシャルロッテの前に、リンは座り込んだ。

「……敗者なんて見下せばいいものを、何故あなたが地べたに座り込むんですの?」

 やけっぱちになったように、彼女は話す。先程の勢いはどこへやら、完全に闘志の炎は消え去っているようだった。

「約束、聞いてもらう」

「そんな!急すぎるよ……!シャルロッテ様こんなに傷ついてるのに……」

「およしなさい、フィーネ。わたくしが負けたのです。約束通り、いくらでも受け付けましょう。ただし……」

 次の句を告げる前に、彼女はキッとこちらを睨んできた。消えていたはずの闘志は、なにか別のものへと変わっていた。リンはそれを、最後に残った誇りだと思った。

「意趣返しのように、この街を去れ、なんてのは御免ですわよ。わたくしにも立場というものがあります。ここで街を追い出されたら、それこそ面子が立ちませんわ」

「……大丈夫、そんなひどいことするつもり、ないから」

 彼女は、もうそれが意趣返しじゃありませんの、と呟いた。

「全部で3つある。まず一つ目、その子、フィーネって言ったっけ。そのフィーネにあなたを自由に呼ばせて、好きなように話しかけさせること」

「よ、呼び方なんてそんなに重要な事ですの?それに、わたくしは別にこの子にこれまでみたいな呼び方を強制した覚えは……」

「約束は、絶対」

 リンは、座ったまま上半身をシャルロッテにぐいっと寄せた。

「わ、分かりましたわ……。フィーネ、あなたは別にわたくしに対して敬称を付ける必要はないし、丁寧な言葉づかいを心がけなくても構いません!これでよろしいかしら!?」

 半ばやけくそに、彼女はまくし立てた。

「うん、それで良い。フィーネ、あなたはシャルロッテを、どう呼びたいの?」

 突然問いかけられたフィーネは、びくっとなって慌てふためいていた。

「えっ、そ、そんな!自由になんて、恐れ多いよ……」

「彼女は気にしないでいいって言った。好きな様に呼んでいい」

「じゃ、じゃあ……、シャルちゃん、なんてダメ、かな?」

 ちらりとシャルロッテの方を気にする気弱な少女。

「ちゃ、ちゃん付け……。い、いいでしょう、構いませんわ。これからはタメ口でお話しなさいな」

「う、うん、ありが、とう?」

 なんとも言えないやり取りをするふたり。すると、リンはフィーネの服の裾を引っ張った。

「フィーネは、私の事なんて呼んでくれる?」

「え、えっ?」

 唐突な問に、再び彼女は慌ててしまう。

「……さっきの流れだと、リンちゃん、でいいのかな?」

 リンはコクリと頷く。リンの中では、その呼ばれ方が腑に落ちたようだった。

 じれったい問答に、シャルロッテは少々苛つき始めていた。

「それで、残りのふたつの要求はなんですの?早くお言いなさいな」

 リンは、おおそうだったと言わんばかりに詰め寄った彼女を振り返った。

「じゃあ二つ目、教室で私とフィーネの席を、あなたの両隣にすること」

 僅かに戸惑ったような反応を見せるシャルロッテとフィーネ。

「……それに、どのような意味がおありですの?」

「約束……」

「あーもう!分かりましたわ!ベル先生、今の要求、わたくしとしても申請願いますがいかがでしょうか?」

 3人の近くで様子を見ていた担任に、彼女は言葉を投げかけた。

「え、ええ。そんなことでいいなら、どうぞご自由に」

 あっさりと許しが出たことで、またしてもリンの要求は通ってしまった。

「最後の三つ目。寮室は4人部屋が基本だって聞いたけど、あなたの部屋はどうなってる?」

「どうも何も、わたくしの知らぬ間に一人部屋と化していましたわ。わたくしはそのようなこと、願い出たこともありませんが、他人がいないことでのびのびと毎日を送れておりますわ」

 ……どうせ、他人が煩わしいだの何だの愚痴ったところを聞かれ、気を回されて一人部屋になったのだろう。リンはそう思わざるを得なかった。

「ならちょうどいい。私とフィーネをあなたの部屋に在籍させて」

 一瞬の静寂。

「は……。はあああぁぁぁ!?」

 ひどい言葉を吐きながらも礼儀を弁えていたはずのシャルロッテから、とうとう荒っぽい言葉が飛び出してしまった。

「な、何を仰っているのか、あなた分かっていて!?」

「分かってるつもり」

「いいえ、分かっていませんとも!いいですか、今あなたとわたくしは、決闘いたしましたのよ?そして私が負けたばかり!そんな状態では、わだかまりを抱えたままでしょうに、そのまま同室なんてことになったら、何をしでかすか分かったものじゃありませんのよ!?」

 一気にまくし立てる金髪少女。しかし、リンはきょとんとしてしまう。

「私、別にわだかまりなんて」

「わたくしの方があるのです!今も悔しくて悔しくて仕方ありませんのよ!?」

「でも、約束……」

 じっと、我を張っている少女の瞳だけを見つめるリン。

 彼女も負けじと睨み返していたが、徐々に表情に焦りが出てきた。

「う、うぅ……、なんで、なんでわたくしがこんな目に……」

 やがて、シャルロッテはその視線に屈し、項垂れてしまった。

「……どうなっても、知りませんわよ」

 その言葉を皮切りに、外周に群れていた野次馬は、徐々にその数を減らしていく。

 ようやく事の成り行きに頭の追いついたベル先生に促され教室へ戻る頃には、あれだけ大勢いた人だかりは姿形すら消え去っていた。

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星の神子~Saga of Terra~ のし @noshi

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