第一章 第2話

 圧巻であった。

 生まれてこの方、育ってきた山村から一歩も外に出たことのないリンは、今この瞬間、目に入ってくる情報の多さに飲み込まれていた。

 人、人、人。そこら辺を見渡すかぎり、これまで見たこともないほどの数の人間で溢れかえっていたのだ。色とりどりの衣装を着てめかし込むご婦人に、たくさんの髭を蓄え、これでもかと言わんばかりの金刺繍を施した衣服を身にまとった紳士、さらには自分よりも小さな子が、おしゃれをしているのである。

 よく聞けば、聴き馴染んだ言葉以外にも、様々な方言と取れるようなものまでが飛び交っている。はっきりと意味の分かる言葉から、少し荒くれているような言葉まで、全ての会話のやり取りが新鮮だった。

 さらに彼女が驚いたのは、見える範囲にある建物全てが堅牢な石造りの建造物だったことだ。大通りに面した建物は、背の高い3階建てで統一され、一見すれば冷たい雰囲気も感じられるが、街路にまで溢れでた露天の数々や、そこら中を彩る様々な色の花、そして大通りのはるか先まで続く街路樹の並木が、総合的な華やかさを演出しているかのようだった。

 そして、大通りは先に行くに連れ緩やかな坂になっており、その先には連峰の一つの谷を背に、高くそびえ立つ王城が誇らしげに鎮座していた。総石造りの城壁は、来るものを威圧するような重厚さを感じさせ、それはリンに少なからず威圧感を与えていた。しかし、あたりの人々は穏やかに生活を送っているような雰囲気を感じる。おそらく、高くそびえる城から常に目が行き届いていることによって、安心した市民生活を送れるようになっているのだろうと彼女は推察した。

「すごいだろう?王国が誇るこの大都市の人口は、外壁の内側だけでもゆうに100万を超えているんだ」

 その数字を聞いて、リンは全く想像が出来ないでいた。100人いたかどうかの村人の感覚では、とても自分の脳内では抱えきれないほどの人数だった。

 ただただ言葉にならない。彼女は口を半開きにしたままで、ぼうっと前の方を見ていた。

 と、先程から視線を感じるのに気が付いた。なにやら鋭い感じではなく、生暖かいような複数の視線を身に浴びているようだった。辺りを見渡す。すると少し遠巻きに、着飾ったご婦人や立派な髭の紳士などが、優しげな笑顔で微笑みながらこちらを見ていたのだ。

「先生、あの人たち……」

 分からないことはクルトに尋ねる。それがこの旅で習慣になったことだった。まだまだ知識の乏しいことを実感したリンは、一刻も早く様々なことを吸収しようと貪欲になっているのである。

 彼女の指差した方を見たクルトは、なんとも言えない感じに苦笑いをする。

「……ああ、あれは別に他意があって見ているわけじゃないよ」

「じゃあ、どうして?」

「そうだね、しいて言えば、お上りさんと見られる女の子が、街の大きさに圧倒されてポカーンとしてるのが可愛らしくて見てたとかね」

「ふーん……」

「恥ずかしく、ないんだ?」

 別に、他人にどう思われても気にするリンではなかった。でも、少し恥ずかしがったほうが可愛げがあっただろうかと、ちらりとクルトの方を見上げる。

「あんな失礼な人たち、私が叩きのめして差し上げます!」

「だめ」

 人目につかないように、リンのポシェットの中に隠れていたルミナは、とっさに外に飛び出そうとした。しかし、彼女の行為は、リンがスッとポシェットの口を抑えたことによって、未遂に終わってしまった。

「どうしてですか!?私のこのリンを守りたいという純粋な気持ちが、あなたに届くことはないのですか!?」

「ルミナが出てったら、捕まえられてどうなるかわからないから」

「私の素早さを持ってすれば、見世物小屋送りになんかなりません」

 ふんっと、胸を張るような鼻息が聞こえてきた。

「見世物小屋って?」

 彼女はクルトに再び尋ねる。

「簡単に言うと、世の中の珍しい物を余興として公開している施設だよ。……ただ、あんまり趣味のいいものじゃないから、独りでも見に行かないことをお勧めするよ」

「分かった、行かない」

 素直に返事をするリン。

「じゃあ、そろそろ行くとしますか。これから向かう魔術院は、この一般住居区を抜けて貴族住居区の外縁にあるんだ」


 賑やかな街中を抜け、街に入る時と同じような検問を通り、一番奥にある長く幅の広い階段を登る。再びの高い壁を越えると、そこには大きな家々が軒を連ねていた。先程の一般住居区の建物と比べると、数倍はあろうかという大きな建物、そしてそれぞれの家の前に広がる庭園。とてもきらびやかな感じがする街並みだった。ここが貴族住居区なのだろうか。

 幾つかの家の前を通り過ぎ、大きな十字路を右へと曲がる。再びの長い街路、その先に、お城とは少し雰囲気の違う、それぞれ石造りの建造物が2つあった。

 クルト曰く、右手の一般住居区側の建物が大聖堂、そして左手のお城側にある建物が目指していた王立魔術院なのだという。

 魔術院の門をくぐり、建物の内部へと案内される。事前に研究施設だと聞いていたので、もっと陰気臭いものを想像していたリンだったが、意外と清潔感があり、隅々の掃除も行き届いているいい雰囲気の施設だった。

 しかし、それもとある部屋へと通されるまでだった。

「ここが僕の研究室だ。遠慮せずに入ってよ」

 遠慮せず、とは言われたが、部屋の内部がこれでは、遠慮云々以前の問題ではなかろうか。そうリンは思った。

 クルトが入口の扉を開けた瞬間、ドサドサっと音を立てて何かが崩れる音がした。しかし、何がどう崩れたのか、部屋の様子を見る限りでは分かりかねる。なにせ、部屋の中のものの殆どが雪崩をうって入り組んでいるのだ。おかげで家具らしきものがようやく頭を覗かせているくらいしか、部屋の間取りを把握できるものがない。

「いやぁ、久々に帰ってきたらまたすごいことになってるなぁ。ちょっと待っててくれないかな、いま道を作るから」

 土木工事か何かだろうか。

 この旅の間、リンの中での彼の株は上昇し続けていたのだが、ここに来て少し下方修正せざるをえないような気がしてならなかった。

「先生、掃除します」

「え?」

「掃除するからちょっとどいて」


 陽が傾きだし、部屋の中を淡い橙に染め出し始めた頃、ようやく部屋の中に広い空間を作り出すことに成功した。

「な、なんとか、終わった……」

「……満足した」

「な、なんで私まで駆り出されて……」

 崩れた本の山の中から引っ張り出してきた椅子に座って、リン、クルト、ルミナはぐったりとしていた。

 始める以前は窓すら確認できなかった程だったが、今は開放しきったところから順に心地よい風が流れ込んでくる。埃が積もっていて呼吸すら苦しかったが、今は床のものすら綺麗に拭きとって、本来あった板張りの床や絨毯が顔を覗かせていた。入り組んでいてどれがどの本か分からなくなっていたが、とりあえずは見出しを同じ方向に揃え、後で資料室に戻す必要のあるものを抽出出来るようにして、部屋の隅っこに積み重ねておいた。当然、その作業を行えるのはクルトだけだが。

 物心ついてからずっと人の家を掃除し続けていたリンだったが、ようやく自分の能力が生かされた気分がして、清々しい気持ちだった。

「いや、本当に助かったよ。あのままじゃ、部屋に長居してると命すら奪われかねない状況だったからね、ははは……」

「何がははは、ですか……。こんな小さな身体の私にまで手伝わせたツケは大きいですよ……」

 さっきまで窓際で干していたクッションに埋もれて、ルミナは恨み節を呟く。

 しかし、彼女は作業して汗を流すリンを見て、自発的に参加してきたということを、二人は知っている。なんだかんだ世話焼きな性格なのだ。


 しばらくまったりとしていたかったのだが、扉の向こうがやけに騒がしくなってきた。石畳の廊下にも係わらず、ドタドタと駆けて来る大きな足音がしてきたのだ。

 やがてその足音は扉の前で止まり、バァン!と激しい音を立ててこの部屋の扉を強引に開いた。

「やっほー!クルト先輩帰ってるー?」

 唖然とするリンと、慌てて物陰に隠れるルミナ、何食わぬ顔で平然としているクルト。それぞれの反応は三者三様だった。

 部屋の片隅に積み上げた本は振動でグラグラと揺れ、いつ倒れるかというところだったが、この部屋の中に今それを心配するものはいなかった。

 しかし、突然部屋に押し入ってきたその女性は、キョロキョロと部屋の様子を見回した。

「あ、あれ?……部屋間違えたかな。失礼しましたー」

 そっと扉を閉じ、退出していく。

 数瞬後、再びバァン!と扉が開かれた。

「やっぱ間違ってないじゃん!何この部屋!?あたし異次元にでも迷い込んだの!?」

 何かクルトに対して失礼なことを言っている気がしたが、先ほどの部屋の様子がアレなので、概ね同意せざるを得ないリンだった。

「先輩、とうとうおかしくなったんですか!いくら本の虫だったからって、あんなにあった本まで食べちゃうなんて!あぁ~、先輩が人間やめちゃったら、あたしどうやってお嫁さんになればいいのぉ~!?」

 けたたましいその女性は、膝を付き頭を抱えてしまう。めまぐるしく行動を起こすその様子に、リンは流石に困惑を隠せなかった。

「エレナ、とりあえず落ち着いて欲しいかな。僕は虫になんてなっちゃいないし、本は整理しただけだから」

「あ、そうなの?てっきりあたしは、本を食い荒らす虫に図書館の司書さんが怒り狂って、全館の燻蒸を始めるところまで想像したのに。手間なんだよ?燻蒸始めると、みんな仕事の手を止めなきゃいけないし。なにより薬品を外に運び出すのが面倒なんだよねぇ~」

 やれやれといった感じで、エレナと呼ばれた女性は両手を挙げた。

「話が逸れてるよ……。それで、僕に何の用だい?」

「そうだったそうだった。いや、院長がね?昼前にクルトが小さな女の子を連れて戻って来たって言うから、いつ報告に来るのかなって待ってたんだってさ。そしたらなかなか来ないから、もしかしてあいつ、少女相手にあーんなことやこーんなことやってんじゃねーのかって話になって、不貞の始末をつけるのは女房のお前だー!って言われて、それで様子を見に来たってわけ」

 一気にまくし立てるエレナだが、彼女の言には色々と不正確で危険な情報が含まれていたように思えた。

「ちょ、ちょっと待って。……ええと、その話、どこまでが院長の見解なんだい?」

「ん?あたしはただ様子見てこいって言われただけだよ?」

 再びソファーに深く腰を沈めるクルト。難しいことはよく分からないが、リンにも彼女がまともじゃないことくらいは分かってきた。

「で!で!その子誰なの!?先輩の隠し子!?妻というものが、ありながらもうこんなに大きな子がいたんて!よよよ……」

 ずずいっとリンの方へと顔を寄せてくるエレナ。かと思うと、何故か再度崩れ落ちて泣き真似を始めてしまった。

「誰が妻だい、誰が。……その子は魔術学園への入学希望者だよ。リンって言うんだ。リン、その『破天荒』な女性はエレナ、魔術院の研究者で、たまに僕の助手もしてくれてる」

「はーい!あたしがエルフいちの才女こと、エレナちゃんでーす!つれないクルト先輩に猛アタックを繰り返すこと3千と832回、未だにいいお返事もらったことがありませーん!」

 ビシっと片手を挙げて元気よく挨拶をする彼女。

「あれ?この子あんまり喋んないのかな?ねーお話ししようよー」

 馴れ馴れしくリンの手を握ってきて上下にブンブンと揺すった。正直とても振り払いたかったのだが、思いの外強い力で握り込まれていて、払うに払えなかった。

 と、リンの座っているソファーの後方から、なにやらただならぬ殺気のようなものを感じた。きっとルミナが憤慨なり嫉妬しているのかなと、リンはなにやら達観した様子で物事を考えだした。

「ん?なんかめっちゃ濃い光属性の魔力を感じる……。せんぱーい、精霊でも飼いだしたの?」

 めちゃくちゃ感のいいエルフだった。

「……そんな冗談は放っといて。リン、彼女は僕の魔術学園時代からの先輩後輩でね、これでも1歳違いなんだけど」

 妙に老成した雰囲気をたまに感じるクルトだが、少し前に21歳だと聞いた。とすると、このはしゃぎまくっている少女のような女性は、年に似合わずこんなことをやっているのかと、呆れてしまう。それでも、大人びて見えるはずの金の髪は肩口で切りそろえられており、見た目や背の丈も、成人したての15,6歳ほどにしか見えないのは何かの詐欺なのだろうか。

「ぴっちぴちのハタチですよ!なにか学園のことで聞きたいこととか困ったことがあったら、このお姉さんにどしどし聞いちゃって!」

「まあ、そういうことだよ。それで、エレナの用事はそれだけかい?」

 ようやく開放されるかも、リンはようやく安心してため息をついた。

 が、怒涛の攻撃はまだ止むことはなかった。

「あ、そだ。応接室に学園長来てるよ?」

「なっ……!なんでそれを先に言わないんだよ!さっきまでの問答は!?」

「だってぇ~、久しぶりに先輩とお喋りできる機会なんだし、あんなジジイの事なんていいじゃん、放っとこうよ」

「そういうわけには行かないじゃないか!そ、そもそも、こっちから出向こうかと思ってたのに、どうして来てるんだい?」

「だって先輩、貴族住居区に入るときに守衛さんにリンちゃんの事、学園の入学希望者ですって言って通してもらったんでしょ?話がすぐに学園長に伝わったんじゃない?先輩の選んでくる子なんだから、そりゃあのオジジも気になるってもんでしょ」

 目上の者に遠慮のないエレナである。よくこれで組織から弾かれないものだなと、リンは少し感心してしまった。

「じゃ、伝えることは伝えたし、あたしもそろそろ寝直そうおかな~」

「……また寝てたのかい」

 呆れるクルトに、あくびで返答する彼女。あれだけ激しく問答していたのに、まさか寝起きだったのだろうか。

「次は0時頃に起きるから、先輩起こしに来てね~」

 言うやいなや、彼女はさっさと部屋から出て行ってしまった。興味のあることとないことのさが顕著なんだろうか。

「何なんですかあの女は!」

 バッとソファーの物陰から飛び出してくる小さな影。ルミナはリンの足の上に乗っかると、憤った様子を見せた。

「あそこまで言葉が通じそうにない人は、見たことがありません!しかも……しかも!あんなにリンの手を握って、ベタベタベタベタと……!キィーッ!」

 ごろごろと太ももの上を転がり回るあられもない姿を曝す精霊。よく見ると、怒っているというより、リンの太ももの感触を満喫しているようだった。

「……色んな人が、いるんだなって」

 若干遠い目で、リンは一連の出来事の感想を集約させて語った。

「ま、まあ誰に対してもああな訳じゃないから、大目に見てあげて欲しいな……」

 申し訳無さそうにクルトは目を伏せる。

 さて、と彼はソファーの肘掛けを軽く叩いて立ち上がる。

「とにかく学園長に会いに行こうか、これから君がお世話になる魔術学園の一番偉い人だ。普段会うこともなかなか叶わない人だし、リンが顔を合わせておくのも悪いことじゃないんじゃないかな」

 先程までの焦りが嘘かのように、冷静に振る舞うクルト。

「ただ、ルミナはここで待っていて欲しいんだ。もしかしたら学園長のあの人のことだ。君の存在に感づくかもしれない。入学前から精霊持ちの生徒がいるってなれば、あまり良い印象は持たれないかもしれないからね」

「だって。待ってて」

 彼の言葉にすぐさま反論しようとしたルミナだが、リンの容赦無い指示にシュンとなってしまった。

「……ええ、分かりました。ならば、リンが戻ってくるまでの間、このソファーをずっと温めておきますから!」

「あったかいの、好き」

 リンは精霊の頭を優しく撫で、移動するクルトについていくように彼の研究室を後にした。



 応接室の扉をノックする。

「どうぞ、入りなさい」

「失礼します」

 扉を開け、クルトとリンは入室する。応接室の中は、研究施設とはいえ比較的豪華な作りになっており、刺繍の入ったカーテンや金細工の装飾を施されたソファーにテーブル、よく分からない模様を織り込んだ絨毯が敷かれているなど、貴族を招いても恥ずかしくないような仕様になっていた。

 上座のソファーを見やると、そこには紳士服をまとった初老の男性がいた。顎髭を立派に伸ばし、落ち着いた様子でお茶を飲んでいる。ソファーの手すりには真っ黒なローブが掛けられており、装いと相まって少し地味な感じが見受けられる。

「やあ、久し振りだなクルト君。元気にしてたかい?」

「学園長、お久し振りです。ええ、こちらはどうにか息災で。去年の研究発表会以来ですから、半年振りでしょうか」

「おお、あれからもうそんなに経つのか。歳を取ると時間が早くてかなわんな」

「何をおっしゃいますか。研究者として第一線でご活躍されているあなたが、一番お元気ではないですか」

 他愛無い会話を続ける二人だったが、クルトの横で少し退屈そうにしているリンがいることに気づいた老紳士は、ふと声をかけた。

「ところで、そちらのお嬢さんは紹介してもらえんのかな?」

「ああっ、すっかり失念していました!彼女がリン・セシル、魔術学園の1年生へと編入希望です」

「ほう、君が……」

 老紳士は、立派な顎髭に手をやり、まじまじとリンの全身を上から下へと眺めていく。

 やけに長く感じられるその威圧感すら感じられる観察に、リンはスッとクルトの影に隠れてしまった。

「いや、失敬失敬!怖がらせてしまったかね。最近どうも目が悪くてね、ついついきつい目になっていたようだ。許してくれ、お嬢さん」

 皺のありつつも、幾分か張り艶のある頬をにっこりと歪ませながら、

「私はヴァルデマール・フォン・デューラー、魔術学園の学園長を任されている。これからよろしく頼む」

すっと手を差し出してきた。

 その皮が厚くなって皺の多い手を、リンは恐る恐る見ていたが、意を決したようにクルトの影から前に出て来て、そっと握手を交わした。

「うむ、これから期待しているぞ」

 クルトとリンもソファーに着席した。流石はゲスト用の椅子である。沈み込み具合が他のものとは大違いだ。

「さて、それでは私から魔術学園について色々と説明をした方がいいのかね?」

 デューラー卿は、ちらりとクルトの方を伺う。

「すみません、お願いします」

「承知した。まずは、魔術学園の役割について話そうか」

 リンは、真面目な話だと感じたのか、すくっと背筋を正した。

 その様子が微笑ましかったのか、卿はクスリと微笑んだ。

「私が責任者を務める魔術学園は、我が王国のみならず、世界中の国々の発展に貢献する人材を育成するために、国家間を超えて設立された経緯がある。とは言っても、その運営の殆どを我が王国が担っているがね」

 そのことが気にかかるのか、彼は少々不満気に言ってみせた。

「貢献とは言っても、では具体的に市民生活や国家運営における魔術師の役割とは何なのか、まだ君には分からないだろうと思う。主立ったものを説明するなら、国の式典や儀式の際の呪いを行ったり、各地にある神殿の運営・管理、それに伴う様々な儀式などなど……。一般市民に馴染みがあるのは、薬の開発であったりその薬草の育成、もしくは町医者として活躍する者もいる。多岐に渡る仕事を任されることの多い魔術師は、常に人材不足の状況だ。そのために、優れて知識を養った魔術師を排出することを目的に、我らが魔術学園は存在するのだ。

 学園の生徒の多くは女子で構成されていてね、君も馴染みやすいんじゃないかと考えている」

「……どうして?」

 ん?と眉を上げる学園長。

「どうして、とは、女子が多い理由についてかね?」

 コクリと頷くリン。

「それには世の中における魔術の考え方が大きな理由、となるのかもしれないな。魔術は絶大な力を持ち、もし争いごとに使用したとなると、剣を持った相手100人に対して、魔術師1人でも力が強すぎるほどに危険なものなのだよ。しかし、世の中の武装した人間の多くを占める騎士たちは、そんな魔術を卑怯なものだと考える節があり、また市民たちも、憧れの目は整然と居並ぶ騎士たちへと向けられているのだ。

 となると、男子の多くは騎士になろうとするものが多い。しかし、騎士団は女性に対しては門戸を開いてはいない。そうなると、自ずと道は絞られてくる。多くのことを学べ、しかも出世すれば、貴族や王族に対しても一定の発言力を得られるようになる。活躍の場を選ぶのなら、魔術師は女性にとって最も近道となるのだ」

 この世の中は、女性に対して決して風当たりがいいわけではない。多くの女子たちと肩を並べて勉学に勤しんだクルトも、常々そのことは疑問に感じていたのだが、女性問題に直面している現場の当事者である学園長は、いろいろと思うところがあるようだった。

「発言力の強みを意識してか、貴族の子女が多く入学してくるのだがね、もちろん一般市民の子も多く在籍しているよ。まずはその地位の隔たりを意識している壁を無くし、勉学にのみ集中してもらいたい。

 そのために、全ての生徒には寮に入ってもらっているのだ」

「……あ」

 ふと、隣に座る少女から、空気のような呟きが漏れた。

「リン、どうしたんだい?」

 何か気に掛かることがあったのだろうか。クルトはリンの様子をうかがう。

 彼女の様子は、少し顔が青ざめていて、膝の上に置いた手が、ギュッと握りこまれていた。

 やがて、恐る恐るといった風に、口を開いた。

「……その、寮は、絶対に入らないと、いけないの?」

 クルトはハッとなった。そうか、彼女にはまだ早かったのかもしれない、と。

「貴族、一般市民、別け隔てなく全員が入寮するようになっているが、何か?」

 事情を知らないデューラー卿は、何気ないような口調でそう語る。

 すると、彼女の顔はサッと俯いてしまった。

「……大丈夫かい?」

 心配して声をかけるが、ぐずっと鼻をすする音が聞こえた。

「……やだ」

 ついにリンから本音が漏れてしまう。

「……やだよぉ、ひとり、やだよぉ」

 わあっと泣き出してしまった。クルトが背中をさすっても全く落ち着くことはなく、しまいには彼の胸に顔を埋めてしまった。

「……私には、何が何やらさっぱりなのだが、説明してもらえるのかな」

 困惑しきったデューラー卿は、どう応対していいか分からず、クルトの方を見た。

「すみません。この子、最近目の前で母を火事で亡くしまして。ここに来るまでの間、精神的に不安定だったんですが、ここ数日は落ち着いていたんです。……少し焦ってしまったのかもしれません」

 かいつまんで事情を話す。

「そうか、つらい思いをしたんだな。……私はまた明日出直そう。その子を落ち着かせてやってくれたまえ」

 よっこらせと、膝を叩いて立ち上がる老紳士。意外と上背は高く、とても歳を取っているようには見えなかった。

「そんな!本来はこちらからお伺いしようと思っていたんですから……」

「構わんよ。君の連れてきた子だ、きっと素晴らしい逸材になるだろう。私が足を運ぶだけの価値があるというものだ。君はまず、その子に心の整理をつけさせることが優先事項じゃないのか?」

 鋭いところを指摘され、クルトは項垂れてしまう。

「そう……ですね。申し訳ありません」

「自分で分かっているならいいんだ。君もまだ若いのだから、無理はするなよ」

 ポンッと肩を叩いて、大柄な老人は部屋を退出していった。

「若い、か。……幼いの間違いじゃないのかな」

 胸に重みと暖かさと、ほんの僅かな冷たさを感じながら、青年は独り呟いた。


 結局、彼女が眠りにつくまでに話すことは叶わず、リンを来客用の寝室に預けて寝かしつけ、クルトは途方に暮れた。



 リンが目を覚ましたのは、辺りが完全に静まった頃だった。物音ひとつ聞こえず、少し不気味な感じがするほどだった。

 しかし、窓からは月明かりが煌々と注ぎ込まれており、暗さを感じることはなかった。

 周りを見渡す。

「……ルミナ、いるの?」

 恐る恐る、声をかけてみる。もしいなかったら……。

「ここにいますよ」

 ベッド脇のサイドテーブルに腰掛け、ほのかな光を放つ精霊は微笑んでいた。

「リンがなかなか目を覚まさないものだから、少し退屈してたところです」

「今、何時くらい?」

「0時を少し回ったところですね」

 まだまだ深夜になったばかりである。しかし、リンは目が冴えてしまって眠れないような気がした。

「眠れないなら、少し、お話しますか?」

 ルミナは、優しい笑顔でそう言った。

「……私は、リンが生まれた時からずっとそばにいました。片時も離れることもなく、リンが様々な体験をしている間、全てを見ていました。……でも、何もすることが出来なかった。あなたがどんなに辛い思いをしても、どれだけあの村の住人から虐められても、私は見ていることしか出来なかった」

 見ているこっちが悲しくなるようなくらい、辛そうに話すルミナ。

「でも、あなたは私に、自由に動ける身体をくれた。はっきりと見れる目をくれた。色んな事を喋られる口をくれた。……本当に感謝しているんです。感謝しているからこそ、ようやく言えることがあるんです」

 暖かい光を発する精霊は、しっかりとリンの方を見据えて言った。

「逃げたっていいんです。辛いと思ったら、そこから走って逃げたっていいんです。今のあなたは自由なんです。だから、物事を選ぶ権利はあなたにある。あなたがようやく興味の向いた、魔術の勉強を無理にしなくたっていいし、何をしたっていいんです。あれだけ辛い思いをしてきたリンが、これ以上辛い顔をしているのを、私は見たくないんです……」

 ようやく言えたと、彼女は胸をなでおろしたような様子だった。

「……決して、努力から逃げろ、と言ってるわけではないんです。でも、惨めな思いをしてまで、それが成すことなのかどうかは、よく考えてください」

「……ありがとう」

「いえ、お礼を言われるようなことでは……」

「でも、ありがとう」

 リンは、心優しい精霊の頭を撫でようと手を伸ばした。

 しかし、その行為は扉の前からする物音で遮られてしまった。

 ごそごそ、としばらく扉の向こう側から音がしていたが、やがてその音の主は扉をノックしたのだ。

「……起きてるー?……起きてないよね、夜中だし。はぁ……」

 小さな音量で呼びかけるその声は聞き覚えがあった。

 ベッドをそっと抜けだしたリンは、扉の前まで歩いて行き、ゆっくりと閂を外し、隙間を開けた。

「……エレナ?」

「あ、起きてた。なーんだ、そうなら早く……」

「何の、用?」

 リンは、訝しげに尋ねる。なにせ夕方のあれがあれだったために、彼女に対して良いイメージはあまり持っていないのである。

「いやー、さっき起きたんだけど寝足りなくてね、でもなんかちょうどいい大きさの抱きまくらがほしいな~と思ってたのよ。そしたらリンちゃんがいるじゃない!と思って……」

 バタン。

「ちょ!?ちょっと待って!?薄情すぎない!?この仕事に疲れてやつれてるお姉さんをもうちょーっと労ろうとか。ねぇ!」

「……」

「ねぇー開けてよぉー。開けないと、ここで泣いちゃうぞー。見回りの人がここに来るまで、リンちゃんの名前呼びながらずーっと泣いちゃうぞー!」

「……」

 ふうっと溜息をつき、リンはそっと扉を開けた。

「やたっ!へへーリンちゃんだー、あったかーい」

 姿が見えた途端、ギュッと抱きしめられる。少し息が苦しい。彼女の顔の位置に胸がちょうど来ていたのだが、正直言ってそれほど柔らかくはなかった。

「……本当は、何の用?」

 まっすぐと彼女の目を見やる。すると、ギクッとしたようになって僅かに目をそらした。

「え、えーと、ははは。……ごめんっ!リンちゃんの事情、さっき先輩から全部聞いちゃった!」

 距離を取り、ガバッと頭を下げる小柄なエルフ。勢い良く頭を振ったため、金色の髪が前へと大きく乱れた。

 突然の事に面食らってしまうリン。別に、隠すようなことでもないし、謝られるようなことでもなかったから、その分そんな勢いで謝られると、戸惑ってしまうのだ。

「リンちゃんが泣いちゃったって話聞いて、カッとなって根掘り葉掘り聞いちゃったんだ。ごめんね、先輩のことも怒らないであげて」

「別に、怒ってない」

「よかったー。……それでね、ちょっと色々とお話したいなーって思って。どう……かな?」

 そう問いかける彼女は、ふざけた様子もなく、軽く微笑んでいた。

「……いい、けど」

「ありがと。じゃあさ、ベッドの中でお話しない?」

「……なんで?」

「女子会だよ~。女子会といえばベッドの中で恋バナ、みたいな!……いや、恋バナしに来たんじゃないんだけどね」

 いちいち話に冗談を織り交ぜてくるのが気になったが、彼女なりに気を使ってくれているのかもしれない。

 ベッドの前まで行くと、ルミナは姿を消していた。どこかに隠れたのかもと考える。

「ほらほら、早く入って」

 既に布団の中に潜り込んでいたエレナは、リンを促した。

 しょうがなく彼女の隣に入り込む。

「うーん、ちっちゃい子はやっぱ体温高めなのかなー。まだ夜は冷える季節だから、一家に一台リンちゃんだよー」

「……私、家具じゃない」

 わざわざ突っ込みを入れる必要はないのだろうが、何故かそうしないと煩くなるような気がしていた。

 少し会話に間が空いてしまう。リンは、まさか彼女が寝たのかと思って僅かに傍らを見やる。しかし、エレナは上を向いたまま目を開けていた。

「……あたしもね」

 彼女はポツポツと語りだした。

「あたしもさ、両親がいないんだ。……リンちゃんはお母さんがエルフだって聞いたから知ってるかな、『エルフの黄昏』って事件」

「……知らない」

「そっか。……簡単に言うとね、前にエルフの国があったんだけど、それが10何年か前に突然なくなっちゃったの」

「……なくなったって?」

「言葉通り、影も形もなく、物理的に国土ごと無くなっちゃった」

 そんなことがあるのだろうか。しかし、彼女の語るその顔は真剣味を帯びていて、冗談で言っているふうではなかった。

「でね、あたしは当時、まだ学園に通える歳じゃなかったんだけど、将来入学が決まってたから、事前にこの王都にある一般教養を学べる予備学校に入ってたんだ。エルフの国は遠くてね、両親は仕事があるからそのまま地元に残ったの。そしたらその事件が起きて。

 流石に当時のあたしには衝撃が大きかったのかな。塞ぎこんじゃって、なんにも考えられないまま、学園の入学を迎えたんだ」

 リンは、幼いころの彼女と今の自分を重ねていた。泣き腫らし、どうにも出来ない感情をぶつける場所もない。それでも時間が過ぎていく。焦りと不安から、跳ね返るように甘えてみたりもした。それでも忘れられない。大事な人を失った悲しみは消えることはなかった。

「入学式があったんだけどね、サボって中庭でブラブラしてたんだ。そしたらそこに一人の上級生がいてね、やばっ怒られる!って思って咄嗟に蹴りを入れたんだ」

「……なんで、蹴ったの?」

「いや、転ばせて頭打っちゃえば、記憶でも無くさないかなーって思って。ほら、子供の考えることだから、ね?」

 今の彼女でも十分にしかねないような気がした。

「けどさ、その上級生はもろに攻撃食らっちゃって、派手にぶっ倒れて、流石に心配になって駆け寄ったんだけどね。そしたらその人、ニコニコと笑ってたんだよ」

 大の字に倒れ伏して、笑っている図を想像する。あまり気味のいいものではなかった。

「あなたどうして笑ってるの?って聞いてみたら、その人こう言ったんだ。『何かに当たりたがってたように見えたから』って。おかしいよね、じゃあなんで自分を犠牲にするのって思っちゃった。……けどさ、その時はなんかそれがありがたかったというか、その人に恩を感じちゃってね」

「……それで、今もつきまとってるの?」

「つきまとってるって聞こえが悪いなぁ。そう、お察しの通り、それがクルト先輩だったんだ。……後から聞いたんだけど、先輩もご両親を亡くされてたみたいで、それであたしの気持ちを汲みとってくれたのかもって、思うんだ。だから、せめて人前では笑っていようて思ったんだ。そうしてから、苦しくても辛くても、なにくそって思いながら笑ってたら、意外とどうにかなってたんだ。」

「どうして、笑うのを選んだの?」

「どうしてかな。多分、その時は体を張ってくれた先輩の行為を無駄にしたくないってのがきっかけだったのかも。もう今は笑ってるのが地になってるけどね」

 たはは、と彼女は笑う。それは、少し寂しそうでもあった。

「でね、そんな先輩を心から支えたいって思うようになったんだ。有り体に言うと、惚れたってことだよね。たとえこっちを向いてくれなくても、あたしが笑ってたら、先輩も喜んでくれるって信じてるから」

 そして、エレナはリンの方に顔を向けた。

「だから、さ。リンちゃんも笑うといいよ。あなたは表情が固くて難しいかもしれないけど、でももし笑ってると、周りの人も一緒に笑ってくれるかもしれないし、ひょっとすると助けてくれるかもしれない。笑顔でいることに悪いことなんてないんだよ」

 笑顔で、と言われても今の心境ではそれも難しいかもしれない。

「……エレナは、今は辛くないの?」

 ふと、気になることを聞いてみた。

「辛い、か。辛くないかと言われたら、そんなことはないよ。たまにね、夢に見て泣いちゃうこともあるから。だってまだ11年しか経ってないし、そう簡単に整理できるものでもないよ。悲しみはずっと引きずっていくものだって思う。だけどね、なんとか折り合いは付けなくちゃいけなんだよ。やりたいことだって、やらなくちゃいけないことだってたくさんある。それをこなしていったら、泣いてる暇なんてなくなるし、他に大事な人だって出来るかもしれないし、ね」

 彼女は布団から手を出し、リンの頭を撫でてくる。

「リンちゃんにはまだ早いかもしれないね。でもね、自分の心が、いつか自分を許してくれるって思える日が来るかもしれないから、あたしもそれを信じて待ってる。だから、それまで一緒に頑張ろ?」

 ね?と彼女は再び微笑む。その笑顔は、長年掛けて張り付いた仮面のようでもあったし、心から笑っているようにも見えた。

 こくり、とリンは頷く。

 よかった、そう言ってエレナはリンを布団の中で抱きしめる。この抱擁は先程の冗談のようなものではなく、本当に心から抱きしめたいと思ってやっていることが分かった。

「あったかい……」

 リンは安心して眠りにつく。

 これは傷の舐め合いかもしれない。だけど今はそれも悪くない。

 そう思えるような暖かさだった。

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