第一章 希望はそこにある

第一章 第1話

 どこまでも続く遥かな平原と、まるで絵の具で塗り広げたかのように、一面に広がる青々とした草原。彼方には、龍の背のように険しく切り立った真っ白な山脈が横たわり、頭上には突き抜けるような青が広がっていた。

 ゴトゴトと音を立てて進む馬車は、身体を小刻みに揺らし、板張りの底板も相まってか、お世辞にもそれ程乗り心地がいいとは言えなかった。朝一番に出る荷馬車に乗せてもらったはいいが、幌もなく、荷物に埋もれるように乗り込まなければいけないのは少々きついものがあった。青年クルトは、揺さぶられて痛くなってきた尻をさすりながら、ボーッとそんな他愛無いことを考えていた。

 ふと、自分の傍らにいる少女を見やる。彼女は、これまたボーッと空を見上げ、何を考えているふうでもない様子だった。旅の道中で買い揃えたトランクケースの上に座り、自分の小物を入れているポシェットの角を、無意識に弄っている。

 まじまじと顔を眺めていたからか、その少女、リンは視線に気がついてこちらの様子をうかがった。

「……なに?」

「別に?ただ、暇そうにしてるなって」

「先生だって一緒。ずっと空見てた」

 リンは、いつしかクルトのことを『先生』と呼ぶようになっていた。それにはきちんとした訳がある。

「……まだ慣れないなぁ。自分は先生になったつもりはないんだけどな、はは」

「先生は先生。私に魔術を教えてくれるし」

 いたって当然のように淡々と話す彼女。

 彼はこの少女に自分の仕事の技術でもある魔術を教えているのだ。まだ基礎的なことばかりではあるが、知識の飲み込みが非常に早く、これからの成長を十分に予感させるような立派な『生徒』だった。

 当初は、少し間を開けてから魔術を教えようかと思っていたクルトだが、リン自身から教えを請われ、その熱意に負けて指導を始めたのが1ヶ月前。いくら優秀な彼女とはいえ、半年前に入学した同期になる予定の生徒たちから時間的に遅れているのでは、まだまだ素人同然であった。

「……もっと勉強したかった。もうすぐ着くの?」

「そうだね、日が傾く前には王都に辿り着くと思うよ」

 リンの住んでいた村から馬車を乗り継ぎ、各地の宿場町を経由すること1ヶ月、旅の終着点である王都を目前に控えるまでになっていた。

 1ヶ月前、リンの故郷で彼女は母親と死に別れ、十分な準備も覚悟もないままに村を飛び出すことになってしまった。クルトは、彼女が母を失った悲しみと、正体の分からない、もしかすると村人の中にいたかもしれない犯人を問い詰めることも出来なかったままの心境で、心ごと押しつぶされてしまうのではないかと危惧していたのだが……。

「~♪、~~♪」

 リンは、隣で鼻歌を口ずさみながら、肩をゆらゆらと揺らしている。

 ……この通り、傍目には何の心配もいらないかのように見える。彼女の性格上、はしゃいだり動きまわったりというような大げさな感情表現をすることはないのだが、精神は至って平常のように思える。

 しかし、彼は知っている。リンは決して平気なわけじゃないんだということを。

 旅が始まって間もない頃に寄った宿場町で、彼はリンを先に寝かしつけ、情報共有のために宿屋の共用スペースで他の旅人と話をしていた。情報も十分に集まったところで部屋に戻ろうとすると、自室の中から声が聞こえてきたのだ。何事かと思い慎重に入室すると、そこには寝ていたはずの彼女がベッドに腰掛けていて、しゃくりを上げながら泣いているのだった。クルトが理由を聞いても、首を振るばかりで答えてもらえず、結局落ち着くまで手を握ってやり、そのまま寝かしつけたのだった。

 次の日から、彼女は無性にくっついてきたり、どこに行くにしてもついてくるようになった。時には、はっきりと言葉にはしなくても手を握ってきたりすることもあった。

 女性とはいえ、自分とは一回り以上も年の離れている女の子相手に密着されても、ただ気恥ずかしいだけではあったが、それよりも彼女の精神状態が予想以上に衰弱しているのではないかと推測するようになった。彼女自身の心を安定させるために、無意識に距離を詰めているのだと考えている。

 魔術の指南を願い出るようになったのも、それから間もなくだった。

 しかしながら、こうして隣で親しげに、機嫌良さそうにくつろいでいる少女を見ると、久方ぶりに家族と触れ合うような、それでいて父性のようなものを感じずに入られなかった……。


「なに鼻の下を長くしているんですか、このスケベオヤジ」


 どこからともなく、口汚い罵り声が飛んできた。

 すると、リンが手元に置いていたポシェットがもぞもぞと動き出し、やがてその口を開けた。その瞬間、開いたポシェットから何かがピュッと飛び出してきて、それはぼんやりしていたクルトの眉間に見事命中した。

「づっ!~~!」

 当たった物の大きさと比べても予想以上に痛く、彼は膝を立てて額ごと抱え込んでしまった。

「そんな汚い視線で、可愛らしいリンを穢さないで頂けますか」

 その声の主は、クルトの顔の正面から少し離れた位置から聞こえてくる。痛みによる辛さを抑えて、どうにか目を開けその方を向くと、そこには全身真っ白な出で立ちの人形が浮かんでいた。

 これを人と仮定するなら、見た目は10歳前後の少女といったところか。しかし、胴から伸びるすらっとした手足や、透き通った目元や鼻筋はは作り物のようで、何より目を引くのはその銀色に輝く長い髪の毛である。キラキラと水面に映る朝日のような髪の毛をふさぁっと払った10メトロン(=約20cm)ほどの小さな人は、腰に手を当ててふんぞり返っていた。

「ダメ、先生にひどいことしないで」

 リンが銀髪の『小女』に注意をする。

「で、でもこの男、リンをいやらしい目で見ていたんですよ!どうせ『ふへへかわいいなぁぼくはきみのおとうさんだぁ』とかなんとか思ってたり……」

「ダメなものはダメ」

そう言って、リンは彼女を後ろから抱え込んだ。しかし、それは抱え込むというよりは文字通り包み込んでしまっているようだった。

「ああっ!リンに、リンの中に私がいるっ!」

 それは一体、悲痛な叫びなのか、はたまた歓喜の声なのか。ともかく、しばらくしてその小さな少女は大人しくなった。

「……あんまり他の人がいるところで出てくるのは感心しないな」

 クルトは額をさすりながら御者台の方をちらりと伺った。馬の手綱を握っているのは、随分と齢を重ねたであろう老人が、平坦な直線の道に気を抜いてかウトウトとしながら座っていた。

「あのような耄碌もうろくしたご老体が、この私に気付くはずないでしょう」

 リンに人差し指で頭を撫でられながら、にへら~っとしただらしない顔で受け答えしていた。

「先生、『もーろく』って?」

「僕から言えるのは、あんまり良くない言葉ってことだけ」

「……めっ」

「ああっ!ほっぺを、ほっぺをぐりぐりするのは!……あぁ~!」

 リンが小さい人の顔に人差し指を押し付けている。心なしか嬉しそうなのは気のせいだろうか?

「『ルミナ』はほんとにいけない子」

 そういいながらも、リンは微笑みながらその銀髪の精霊・ルミナと戯れていた。


 精霊ルミナとの『出会い』は約1ヶ月前まで遡る。


「魔術を教えるにあたって、リン、君だけに注意してもらいたいことがあるんだ」

 荷馬車で宿場町にたどり着いたのはまだ日が落ちる前、夕刻の頃だった。まだ少し明るいだろうと踏んだクルトは、町の外れにある人通りのない広場でリンと向かい合っていた。

「私、だけ?」

 彼女は首を傾げた。

「そう、君だけだ。言い難いことだけどはっきりと言わせてもらう。君は他の人とは少し、……いやかなり違った魔術適正を持っている」

 そう言いながら、手近にあった棒きれを持ち、地面に簡単な人の形と、その下に横線を描いていった。

「生きとし生けるもの、人や動物、魚や植物もだね。これらは全て、栄養以外にも生きるために必要としているものがある。それは、大地から供給されてくる魔力だ」

 絵の中の『地面』に、上方向の矢印を数本描き加える。

「まず吸収が早いのは植物だ。その葉や茎や果実に取り込んだ魔力は、動物に捕食されることによって、次はその動物の体内に蓄積されていく」

 『果実』を描き、それを次に描いた『動物』の口に向けて矢印を伸ばす。

「……猫はオレンジを食べるの?」

「……牛とリンゴのつもりだったんだけどなぁ」

 肩を落としたクルトは、めげずに先へと進める。次はから人へと線を伸ばした。

「人は果実や肉を食べて魔力を蓄積し、生命維持のためにそれを消費する。使用した魔力は霧散して再び大地へと還り、また昇ってくる。ここまで聞いて、これが何かと似ていると思わないかい?」

 当てられたリンは、すっと手を伸ばして応える。

「……なんか、食べ物の栄養の話と全く同じに聞こえる」

「そうだね。正直ここまでの魔力の特徴は、摂取による栄養補給と食物連鎖の流れそのものだ。だけど、魔力には栄養にはないある特徴があるんだ」

 人の絵の横に、何やら幾何学模様を書き込んでいく。

「この魔力とやらは、一定の動作を行うことで、なんと火や水、風を出すことが出来るんだ。この魔力を使ったこれら一連の行為を、僕らは『魔術』と呼ぶ。そしてそれを行使することを許可された人たちを『魔術師』と呼称しているね」

「魔術師……」

 感慨深げにリンは呟く。これから自分がなろうとしているものに対して、思い入れがあるのだろう。

「僕ら魔術師は、生きるために必要な僅かな魔力だけでは、魔術を行使できない。そのためか、生まれながらにしてある能力が備わっている。それは食物を介することなく、直接大地から魔力の供給を受けられること。供給を受けた魔力を使いうまく魔術をこなす。そのふたつの能力を総合して、『魔術適正』として捉えている」

 先ほど描いた人の隣に、お腹のぽっこりと出たふくよかな人の絵を描いていく。

「このお腹の出具合は、体内に取り込める魔力の量と考えて欲しい」

「魔術師の人は、みんな太ってるのかと思った……」

「……太れるものなら太りたいよ。僕なんて骨と皮だけみたいなものだし……。それはさておき」

 気を取り直して先へと進める。

「一般の人も、本当に極微量ながら、魔力を自力で取り込んではいるんだけど、魔術師には遠く及ばないし、貯められる量も生きるのに最低限料だけだ。魔術師は、貯蔵量に加えて、取り込む速度も一般の人より何倍も、何十倍も早いんだ。だから、人によっては矢継ぎ早に術を使える人もいる……らしい。らしいというのは僕もまだそういう人の術を見たことがないからで……」

 そして、腹の出た魔術師の隣に、なんとも腹の大きな、そもそも人の形なのかと疑うほどに腹を膨らませた人の絵を描いていった。

「これが君の場合だ」

「私、こんなに太ってない、失礼かも……」

 ちょっとすねた感じで頬をふくらませるリン。そっぽを向こうとしたようだが、講義の蔡中なのを思い出して渋々と向き直った。

「あくまでリンの魔術適性を端的に表した場合の表現だからね……?つまり、君の場合は人よりも多くの魔力を補給することが出来るんだ。それだけじゃない。補給する速度も人より何倍、もしかすると何十倍も早い可能性がある」

 それだけを聞くと、リンはなんだか褒められている気分になったようだった。しかし、話はそう甘いわけではない。

「さてここで問題だ。この絵に描いているリンに魔力を注ぎ続ける、つまりどんどんお腹を膨らませ続けていくと、このリンはどうなっちゃうかな?」

「え……?」

 まんざらでもなかった顔は、すぐさま気まずい表情に変わり、その答えを解いていいものか少し考えているようだった。やがて……。

「……破裂、しちゃうの?」

「そう、いずれは魔力を貯めこむのにも限界が来て、やがて自分自身が魔力の暴走源となる可能性があるんだ。……これだけはなんとしても避けなくちゃいけない」

 暴走、という言葉を聞いて、さぁっと顔が青ざめるリン。おそらく、火災に遭遇した時の会話を覚えていたのだろう。

 まだ彼女が母親を失ってから、数日しか経っていない。この告知が辛いものになっただろうことは、クルトにも十分に理解できた。

「大丈夫かい?」

「……平気」

 目を閉じて何度か呼吸を繰り返す。それだけで、心が幾分かは落ち着きを取り戻したようだった。

「続けて、いいよ」

「そう…かい、なら続けるよ」

 ここでやめても良かったのだが、元は魔術の指南を依頼したのはリンであり、今の決断を下したのも彼女である。意思を尊重すべきだとクルトは考える。

「……魔力が暴走を起こすのは、膨大な魔力を術に注ぎこむか、それとも術によって属性を与えられずに、指向性を持たないままの魔力が溢れた時なんだ。指向性の持たない魔力とは、術に使われる前の魔力、つまり体内にある状態の魔力だね。この体内にある魔力のことを『オド』と呼ぶんだ」

 人の絵のお腹の中に『オド』と書き込んでいく。

「対して、人や動植物に吸収される前の状態の魔力を『マナ』という。マナを取り込んでオドに変換し、指向性を持たせて消費し、霧散したオドは大地に還り、時間をかけてマナとして復活してくる。これが魔力のサイクルだ」

 人の形の絵に、突き出した手とそこから出る矢印を描き加える。

「暴走しないようにするのは、簡単な原理だ。要は、溜まっていくのと同等の量を消費し続ければいい」

「……けど、魔術師ってそんなにいつも魔術を使ってるの?」

「使わないね。よほど用がない限りは、研究職の魔術師以外はほぼ使わないと言ってもいいと思う」

 護身用に魔術を覚えることが多いのが今の潮流ではあるが、歴史を紐解いても、この世に戦乱が起こった事実など途絶えて久しい。野盗や野犬は出るが、ほとんどの人は街から出るような生活をしない上に、剣を持った用心棒を雇うことが多いために、こちらも魔術の出番はあまりないと言っていい。

「だけど、君には魔力を消費できるあてがあるはずなんだ」

 そうは言うが、リンには全く心あたりがないために困惑してしまう。

「ちょっと尋ねるけど、君のそばにはまだかい?」

「……、って?」

「ほら、あれだよ。僕が『精霊』と呼んでたあの」

 リンは不意に、自分の右肩の当たりを振り返る。

「そこにんだね?」

「……うん」

「それは君にはどのように見えているんだい?」

 そう問われ、しばらく考え込んでいた彼女だが、

「なんか、もやもやしたような、けどあったかいだけしか感じない時もある」

「つまりは、曖昧な感覚でしか判らないんだね?」

「そう…かも」

 自分でもよく分かっていない感じらしい。精霊とはいえ、非常に曖昧な存在なのかもしれない。

「なら、それをはっきりと見えるようにしてあげようか?」

「……見えるようになるの?」

「今の君の知識だけじゃかなり厳しいけど、僕の補助があればなんとかなるんじゃないかな」

 何でもない事のように話すクルト。しかし、実際はとんでもなく高度なことをやろうとしていることは、あえて伏せておいた。彼は見てみたいのである、魔術の申し子とも取れるほどの適性を有しているであろう彼女が、どれほどの力を持っているのかを。


 広場の中央に少しだけ移動する。夕日が大きく傾いた時間帯、この時間は皆夕食や家族の団らんを楽しんでいるのかあたりに人はおらず、もしもの時のリスクも限りなく低くなっている状況だ。

「今から魔力を放出するための動作を教えるけど、その前に指向性である属性を決めなきゃね。リン、その精霊はあえて言うなら『火、水、土、風、光、闇』の言葉のどのイメージに近いのかな?」

「ん……、あったかい、『火』?でもなんか白くてぼんやりしてる」

「なら『光』かな。火と光の属性は、近からず遠からずと言ったところだからね」

 腰に下げた巾着をまさぐる。その中から、キラキラと夕日に煌めく透明な宝石を取り出した。

「これは玻璃と言ってね、まあつまり水晶のことだね。決して珍しい物じゃないんだけど、ここまで透き通ったものは、本来そこそこいい値段で取引されているんだ」

 クルトは地面に布を敷き、その上に2メトロン(=4cm)ほどの大きさの水晶を置いた。オレンジの光を含んだその球体状の宝石は、まるでそれ自身が燃えているかのように揺らめいて見えた。

「精霊は、その存在の全てを魔力で構成しているんだ。その姿が魔力である以上は、本当なら肉眼でその姿を拝むことは出来ない。だから、今ここに用意した目に見える物質である宝石を核にして、精霊を具現化させられる……はずなんだ」

「はず……?」

 リンは少し不安な顔でクルトの顔を覗き込む。

「……いかんせん、精霊自体が非常に稀有な存在だからね、試したことのある人が非常に少ないんだ。……だ、大丈夫!前にそれ関係の本をたくさん読んだことがあるから!」

「……」

 態度には取らなかったが、彼女はおそらく大きなため息をつきたかったんだろうか。


 クルトに促され、宝石の前へと足を揃えて立つ。

「いいかい?魔術につまずく人はこの段階でなんだけど、必ず出来るってイメージを大切にするんだ。頭の中の想像力の強固さこそが魔術における全てと言ってもいい」

 全身に緊張が伝わる。リンは、これから自分が魔術師としての第一歩を歩むと思うと、不安がないといえば嘘になるが、それよりも期待のほうが大きく勝っていた。

「今回は初めてだから、マナをきっかけにして体内の魔力を消費していくよ。

 ……目を閉じて、集中しやすくするんだ。……そう、ゆっくりと深呼吸をして。全身に呼吸が巡る感覚で、一回……二回……三回……」

 大きく深く、かつゆっくりと息を吸い、そして吐く。春になったばかりの夕刻の空気は僅かに冷えており、昂ぶった全身を冷まして冷静にしてくれた。

「……次は、大地から魔力が昇ってくるのを想像するんだ。足から温かいものを吸い上げる感じで。……足の裏、……踝、……ふくらはぎ、……膝。どんどんと昇ってくる感じを意識していくんだ」

 じわりと、靴に収まった足の裏が熱を持っている感じがした。やがてそれは想像通りにゆっくりと足を昇っていき、時間をかけて臍まで到達した。

「どんどんとお腹を中心に熱くなっていく感覚を覚えておくんだ。ゆっくりと、臍に力を入れていく……。そう、集まっていく熱さを、次は『魔力』として意識をするんだ」

 今、自分の胴体には魔力が詰まっている。どんどんと凝縮していき、最初は靄がかっていたものは、次第に強固な金属の如く濃く堅いものに変わっていった。硬質なイメージとは裏腹に、ほっと安心できるような温かみがあり、異物感と取れるようなものはなかった。

「魔力がそれ以上濃縮しないようなら、次はゆっくりと両手を突き出して。そこに魔力を移動させるんだ。その時に、魔力の属性を意識すること。……真っ白で、眩い光が閉じた視界を埋め尽くしていくような感覚を得るんだ」

 閉じた視界は、暗闇と僅かな夕日の光を映している。その僅かな光は、目蓋を閉じているにも係わらず、徐々に大きくなっていき、やがて視界全てを純白に染めてしまった。

 ゆっくりと腕を上げていく。じんじんと鈍いしびれを持った身体のため、脱力しかけた腕を持ち上げるのにも精一杯だった。

「手のひらをまっすぐに向けて。何も考えなくていいから、ただそこから魔力をゆっくりと押し出すんだ。術式はこっちが補助するから、何も心配しなくていい。いいかい?少しずつだ」

 じわりじわりと、手の先から熱が漏れ出ていくような感覚。しかしそれは散漫になることはなく、とある一点を目指して進んでいるようだった。

「……ゆっくりと目を開けてごらん?けど、心は落ち着けたままで、集中を途切れさせないで」

 言われたままに、自然とまぶたを開く。周囲の鮮やかな夕景は変わらず、景色を橙色に染め上げている。しかし、ふと視線を下げたことで、その変化に気づいた。

 先程までオレンジ色に輝いていた水晶は、今や真っ白に輝いており、自ら光を発していたのだ。周囲に白い靄が漂っていて、まるで冬の早朝に掛かる雲海のようだった。自分が発していたはずの熱は、いつしか宝石のほうが熱くなっており、さらに温度を上げていた。

 その熱さがある地点まで高まったところで、さらに驚くことが起こったのである。なんと、その水晶は自力で浮き上がりだしたのだ。徐々にその高度を増していき、やがてリンが掲げている腕の高さと同じ位置にまで到達した。

 目に直接飛び込んでくるその光は力強くも、彼女を優しく包み込んでくれるかのようだった。その輝きはすこしずつ強弱をつけており、まるで鼓動を刻んでいるみたいで、

「生き……てる?」

 それは心の臓の如く規則正しかった。

 突然、輝きが強さを増した。突然のことに目蓋をギュッと閉じるが、それでもなお強くなる光に、閉じた先にある網膜が焼き切れるかと思うほどだった。流れる靄は突風に変わり、自身を後ろに吹き飛ばさんかの勢いで全身に圧力をかけていく。

 身体も神経もバラバラになってしまう!

 それでも光と風は勢いをはらんでいく。

 リンは、その吹き荒れる突風と閃光に身体を飲まれていき……。



「で、私を具現化するご助力をして頂いたクルトさんには感謝しているのですが」

 藪から棒に、ぶっきらぼうでなんとなくな感謝をされてしまった。

「どうして、私の身体の生成に水晶を用いられたのですか?」

「どうしてって……。質問の真意がよく分からないんだけど」

「で・す・か・らっ!どうして私には水晶程度のものしか使用されなかったのか、と聞いているんです!」

 クルトの目の前を浮遊する銀髪の小人・ルミナは、腰に手を当てながら憤慨していた。

「……どうして怒ってるの?」

「ああっ、リン!よく聞いてくれました!」

 コロッと表情を変え、すぐさま愛しい少女の元へ擦り寄るように飛んで行く。

「いいですか?魔術に用いられる宝石というのには、格があるのです。魔術は想像力によってその結果が左右されます。そして魔術師の用いる宝石は、人の思いが強くかかったもの、平たく言えば高価なものの方がより効能が高く出るのです。例えば精霊に用いると、術主から与えられた魔力を多く蓄えられる、などですね。

 私と同じ光属性の魔術に用いられる宝石はいくつかありますが、その中で最も効果を発するのが、金剛石です。……それを、この男はこともあろうにケチケチしてその金剛石を出し渋り、私をこんなちっぽけで貧弱な姿に変えてしまったのです!ああっリン、どうかその胸の中で哀れな私めを慰めてくださいぃ~」

 演技とも取れる、むしろそうとしか思えないような大げさな感情表現で涙を拭い、少女の懐へと飛び込んでいった。リンはその小さな頭を人差し指で撫でていた。

「そうなの?」

 一度言ったことは全て吸収するほどの彼女ではあるが、一応は『先生』であるこちらに質問を投げかけてくれるようだ。

「……ええと、たしかにルミナの言ったことは間違ってはいないんだけど……。ち、違うよ!?前半だけだからね!ただ……」

「ただ?」

「まさかこの旅の道中で必要になるとは思わなくて、自分の研究室に置いて来ちゃってて。それに、金剛石ともなると僕でも年に1個しか支給されない貴重品だからね、ここぞという場面で使おうとしてたから」

 言い訳がましかったが、正直に話したつもりではある。これで理解してもらえなければ、あとはただ平謝りするだけである。

「……うん、わかった。ルミナ、先生を許したげて」

「うっ……、で、でもまさかこんなちみっこい容姿で具現化するとは思わなくて……」

「小さいルミナも、私は好き」

「なら許しちゃいます~!ぜーんぜん、私は気にしていませんからー!もう、許されちゃってくださーい!」

 くるくるっと飛び上がり、気分が有頂天に差し掛かるルミナ。まるでダンスでも踊っているかのようだった。それにしてもこの機嫌の変わりよう、クルトはついていくのが大変だな、としみじみ思った。

「と、そんなことをしていると、もうそろそろ到着するみたいだよ」

 クルトの言葉に、じゃれている二人は馬車の正面方向を見た。

 先程まで遠かった山脈は近くなり、平野が全てだったような道程だったため、まるで世界の果てに来たかのようだった。周りの景色は丘陵と田園が広がる穀倉地帯に変わり、その田畑の中にはちらほらと農作業をする人影が見え隠れしていた。

 幾つかの丘陵を抜け、少し開けた場所に出てきた。するとその先には、リンが今まで見たこともないような、異様で巨大なものが横たわっていた。

 黒々とした背の高い石積みの城壁、それが左右に向かって遥か遠くまで伸びている。その城壁の上から見え隠れしているのがお城だろうか。比較対象がないため、その大きさを推し量ることが出来ない。

 あっけにとられたリンとルミナの隣で、クルトは自慢気に胸を張った。

「ようこそ、世界最大の都市、『王都ミットレーガルテン』へ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る