SKY WORLD
ヴィンセントは、リックに向かって手を振り続けるウーの手を掴み取ると引っ張って歩き出した。
突然の勢いにウーは前につんのめりそうになったが、ヴィンセントは気に掛ける様子はない。
早足で、彼はウーに背を向けたまま歩き続ける。
長身で歩幅の広い彼について行くのは、妊婦のウーにはきつい。
「キース、ちょっと待って」
必死に彼の速度に合わせながら、ウーは声をかけた。
下腹部が張り出してきたのを感じる。
「キース、おなかが張ってる。止まって」
下腹部に手をやり、ウーは告げた。
ようやく彼が歩みを止めた。
「どうした、いきなり」
「彼はゼルダ人だろう!」
振り返るなり、ヴィンセントが怒鳴った。
「彼とは二度と会わないでほしい」
強い語調に、ウーは今更ながら彼がなぜ怒っているのか知った。
自分を見下ろす彼の目が、いまだかつてないほど自分を責めているのにウーは息をのむ。
ウーの手首を強くつかんだまま、ヴィンセントが言った。
「リックと名付けたのは、彼の名前だからか」
激しい怒りを込めた声にウーはうつむいた。
「……お前がいないときに、リックのことが好きだったんだ」
自分の手首をつかむヴィンセントの手の上に、ウーは自分のもう片方の手を重ねる。
「一番好きなのはお前だ。……でも、お前の次に好きなのが、リックなんだ。……彼が死んだと聞いたとき、悲しくて泣いた。そのときにリックが大好きだったのに気付いた。悲しくて、くやしかった」
ヴィンセントの自分をつかむ手の力が緩んだのに、ウーは彼の手をとって包み込んだ。
そのまま彼の顔を見上げる。
「彼が死んだと思っていたんだ。まさか生きていたなんて……。うれしかった。だから、彼ともう一度会いたい。会って話したい。だめか」
「……嫌だと言っている」
むっつりとした表情のままで、静かにヴィンセントは答えた。
ふ、とウーは表情を緩めると微笑んだ。
「……わかった。……リックとはもう会わない」
微笑みながらウーはヴィンセントの頬に手をやった。
「嫌な思いをさせて、悪かった。……今まで我慢させてごめん。でも、この子で最後だから」
ヴィンセントの手を、ウーは自分の下腹部に当てさせた。
「この子で、最後。……リックもパウルも……この子も、お前の子だから」
ヴィンセントの首に片手を回してウーは引き寄せる。
彼の瞳を見つめてから、ウーは目を閉じて彼の額に額を押し当てた。
「お前が死ぬまでもう離れない。そばにいさせて。もうどこにもいかない。これからは、お前のそばにずっといる」
彼も目を閉じる気配がした。泣くのをこらえようとしているのだとすぐ分かった。
相変わらず泣き虫な男だ。
くすり、とウーは心の中で笑う。
こんなに泣く男は、今までの男たちと比べても彼しかいない。
最初に、彼の泣き顔を見たのはいつだったか。
そうだ。ゼルダに最初に着いた時。
自分の腹にすがりついて謝りながら泣く彼を見たとき、驚きと呆れを感じると共に、可愛いと思ってしまった。
同時に愛おしさもわいた。
一般的には、男が泣くなんてマイナスにしかならないとされているけど、実はすごい技なのではないかとウーは思う。
シアンも同じようなことをいつか言ってたっけ。
彼女が言うんだからやっぱりそうなんだろう。
……あの時から、目の前の彼が愛おしくてならないから。
ウーは、背伸びをして彼の瞼にそっと口づけた。
そのまま唇を彼の頬に滑らせる。
目を閉じたヴィンセントが言った。
「その子が産まれたら」
ヴィンセントはうっすらと目を開けた。
「……男だったら、キャンデロロと名付けたい」
「いいよ。お前が好きだった修道士の名前だろう」
微笑しながら答えるウーにヴィンセントは頷いた。
「……で、女ならシアン、てつけるんだろう?」
続けたウーの言葉にヴィンセントは目を見張った。
「分かる。お前の考えることは」
ウーは言って、さみしそうに笑った。
彼女シアンと彼キースの関係は特別だ。
彼女シアンだけには、自分ではたちうち出来ない。
複雑な表情で自分を見下ろすヴィンセントの胸を人差し指で押しやって、ウーはふふ、と見上げて笑った。
「……お互い様だ」
ヴィンセントがウーを抱き寄せた。
ウーは彼に身を任せ、頬を彼の肩にすりつけた。
「……俺と同じゼルダ人の彼に会うのは、我慢出来ない。分かってくれ」
「うん」
ウーはヴィンセントの言葉に頷いて、彼の背中にそっと手を回した。
「これからはお前のいうとおりにする。だから、安心して」
彼の腕の中にいるのが一番安心する。
今までのどの男よりも。
ここが自分の居場所だと思う。
「……できるだけ、お前をいろんなところに連れて行くようにするから」
ヴィンセントがウーの頭に顎をのせて言った。
その言葉を聞いてウーは笑った。
あたしが飽きると思って心配しているのか。
自分の居場所は彼がいるここで、だからあたしは何度も彼の元に帰ってきたのに。
「そうしてくれると嬉しいけど。お前がいてくれるなら、近場で十分だ」
ウーはヴィンセントの胸に強く顔を押し当てた。
「子供たちと一緒にまたあそこに行こう。月に一度は、連れて行ってくれると嬉しい」
「そんなにあそこが好きか」
ヴィンセントが軽く笑いながら言った。
「うん」
ウーは目を閉じて微笑む。
SKY WORLD。
稀に見る絶景の地でもあるけど。
彼が初めて自分を連れて行ってくれた場所でもあるし。
そして、彼が自分にプロポーズをした場所でもある。
……何故そのことに彼は気がつかないんだろう。
ウーは心の中で可笑しくて笑った。
プロポーズの返事はまだしていない。
結婚してしまってから不貞をはたらくのは、他の国でもそうだが、このキエスタの地では特に重罪とされているから。
だから今まで返事をしなかったのだ。
そのことに彼は気がついているのだろうか。もしかして、返事をもらうのはとうに諦めて、プロポーズしたことすら忘れているのかもしれない。
この子を産んで、SKY WORLDに行った時に、返事をしようと思う。
十年越しの答えだけど。
キースはどんな顔をするだろう。
泣くのは間違いないだろうけど。
想像してウーはふふ、と笑った。
どうした、と聞く彼に、ウーはなんでもない、とつぶやく。
「お前がたまらなく好きなだけ」
頭上の彼が押し黙った。
もしかして感動して涙ぐんだりしているのだろうか。
本当に可愛過ぎて笑ってしまう。
これからもこんな毎日が過ぎてゆくのかと思うと、嬉しくて幸せでたまらなくなる。
ウーは満足そうにヴィンセントの腕の中で微笑んだ。
女神ネーデは、いろんな男の子供を産んだけど、最後には男神ラミレスのもとに戻ってきた。
最初から、ネーデはラミレスだけを選んでいたのだ。
子供の父親として。
自分の選択も間違ってはいないとウーは思う。
だって、目の前のこの男のように、子供にとってこんな最高の父親は他にはいないから。
キースはラミレス以上だと思う。
そう、テス教のギールと一緒。
慈愛と奉仕の代名詞。すぐれた教育者であり、孤児を百人育て上げた使徒。
だから、リックを身ごもった時、レンではなく彼を選んだのはそれが決め手だったと知ったら、キースは怒るだろうか。
でも、子供の為にいい父親を選ぶのは母親の義務だろう?
ウーはヴィンセントに身をすり寄せた。
これだけは一生の秘密にしよう、とウーは心の中でつぶやいた。
それ以前にそれ以上に、キースを選んだのは、あたしがキースのそばにいたかったからにつきるけど。
バザールの雑踏の中、お互いのぬくもりを確かめ合うように二人は身を寄せ合って立ちつくしていた。――
SKY WORLD 青瓢箪 @aobyotan
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