第11話 大戦車隊
(一)
畷を巡る戦線は膠着していた。
玄武長槍隊と先方衆千は伊集院勢を突破できず。それが蓋となって、残りの先方衆五千は畷入口で停滞した。やむを得ず、左右の沼中の敵への突撃を敢行したが、泥に足を取られたところを弓の斉射を受け多くの犠牲を出した。先方衆に出来る戦法は、今や畷入口から、届かぬと知りつつ、左右の中の島へ矢を放ち続けることのみだった。
閑話休題
武将の愚劣さを示すエピソードとして、馬に乗れないといったものがある。騎乗が武士の嗜み、基本中の基本であるところから来たのだろう。
例えば、今川義元は肥満短足のため、龍造寺隆信は肥満のため馬に乗れなかったと言われ、桶狭間しかり、沖田畷しかり、必ず大軍で小勢に敗れた話とセットで語られる。しかし、馬に乗れないイコール愚将という方程式は短絡的だろう。それなら、立花道雪や大谷刑部はどうなるのだ。不摂生のためと言うなら、少しは理解できるが。
私には馬の話が、中国史の暴君が、最後は皆全く同じ人間のように表現されるのと同種の、稚拙なロジックに思えるのだ。董卓も、曹操も、紂王も、始皇帝も、全く異なる業績とアイデンティティを持っているのに。
次に桶狭間や沖田畷のように、我が国の戦いでは、まるで大軍を擁した側が能無しのように語られることが多いように思う。大軍が故に増長し、油断したというのは、分かりやすい理由だが、それが真の勝因の分析を妨げているように思う。
そもそも、大軍を集められるというのは、それだけで大した能力だ。特に龍造寺隆信は、苦労して戦を積み上げ、やっと大軍を率いることが出来るようになった人物だ。性格の用心深さもあり、大軍であることのみに油断したは考えられない。
ただ、これだけは確かだが、彼がこれほどの大軍を一度に動かすのは、この沖田畷が最初である。その点で失敗があったというなら、まだ納得出来る気がする。
戦線の膠着は隆信をイラつかせた。膠着と言っても、畷上の玄武長槍隊と安富、諫早勢は伊集院勢の日置流腰矢の前に前進できず、そこを左右からの矢に狙われて、徐々に数を減らしつつあった。その後列の五千の味方は、有効な援護が出来ず、無駄な射撃を繰り返しているのみだ。
勿論、ただ今、敗北の二文字は隆信の脳裏にわずかにも存在しない。目前の敵は三千に過ぎず、二部隊が壊滅したとはいえ、龍造寺中央軍は未だ七千以上、即ち敵の倍以上いる。迂回した山手と浜手の軍併せて三万も、そろそろ敵の背後に回り込むはず。そうすると、中央前線の膠着は一挙に解消し、島津軍を数で圧倒、挟み撃ちにできる。
また、じきに水軍も参戦する。兵力差は圧倒的、万全の備えだ。
未だ参陣しない有馬晴信軍五千の動向は気になるものの、これだけの兵力差があるのに、あの計算高い男が再び裏切ることは考えにくい。仮に裏切っても、再び返り討ちにするだけだ。
このとき、龍造寺軍の相互連絡体制は全く機能していない。もともと、戦国期の伝令は随時連絡であり、定時に分隊の戦況を確認する習慣が無い。であればこそ、随時連絡の重要性が増すのだが、山手軍も浜手軍も、その失敗を隆信に理不尽に責められるのを恐れ、自分たちで埋め合わせしてから報告しようとして、撤退という重要事項を知らせていない。山手軍も浜手軍も、仮にお互いの撤退を知っていたら対応が違ったかもしれないが、冷酷非情な独裁体制の、最大の欠点がこの大事な場面で出てしまった。
むろん、隆信から連絡することは可能だったろう。しかし、やや子供っぽい政治的判断がそれを妨げた。戦線の膠着は、しばしば将の戦術的無能さを表す。息子たちや、あの甥に舐められたくない。
子供っぽいは、現代的視点から見た言い過ぎかもしれない。
舐められれば、実質的当主の座から追われるのが戦国時代というものだからだ。
隆信は戦線の膠着を打開すべく、石井党を畷入り口に残して、一旦中央軍全軍の引き上げを指示した。勿論、軍議など行う気はない。
隆信の頭の中には、この膠着を打開する策があった。
(二)
森の街道の入り口まで引き返した信常は、兜を脱ぎ捨て一息ついた。キョロキョロと辺りを見回す。
玄武長槍隊は三百ほどに減ってしまった。
しかし信常には、もっと気になることがあった。
朱雀長弓隊の姿がどこにもない。
少なくとも二百は森に逃げ込んだのを確認したが、まだ迷っているのか。
まさか森に島津の伏兵でもいたのか。
不安が襲ってきたが、敵勢を見渡したところ、総数から勘定して、仮に伏兵がいても数十といったところ、弓が無くとも精兵の朱雀隊が負けるはずが無いと自らに言い聞かせた。
森の中では、東の街道を目指して必死に走る信胤と、数十に減った朱雀隊の生き残りがいる。
枝に妨げられ、根に足を取られながらも皆必死で走る。ただ森上空の脅威から、逃げるために。
その脅威は、獲物を弄ぶ蛇のように、上方の木々の間をするすると移動しながら朱雀隊の後を追っている。
時折、背中に括り付けた袋から鉄菱を数十個取り出し、汚い長褌にくるくると包むと、そのまま下にぶんと振るった。
鉄菱は物凄い勢いで飛び、鉄の兜を破壊して後頭蓋に食い込み、一人ずつ正確に朱雀隊の兵を仕留めていく。
少し冷静になった朱雀隊は皆、こんな武器を妖は使わぬと感じた。
相手は紛れもなく人間だ。しかし、たった一人で一軍を全滅さすとは、島津には化け物じみた手練れがいるのか。
せめて弓さえ使えれば、なす術もなく逃げるだけという不名誉は避けられるのだが。この森の中ではそれも叶わなかった。
「ぎやっ。」「うぉっ。」
背中で悲鳴が響くたび、櫛の歯が抜けるように兵が減っていく。それでも朱雀隊の兵は、小柄な信胤を包み込むように庇い乍ら森を進んでいく。
前へ前へ、何とか森さえ抜ければ。
信胤は後ろから聞こえる悲鳴に耳を覆いたくなりながら、
知らず知らずのうちに、助けを求めていた。
それは、あの父ではない。
いつも人知れず守ってくれた、もっと大きな背中に。
(三)
「いいでっか、くれぐれも。」
出陣前、隆信と離れ、鍋島陣へと向かう昌直が念を押した。
「たとえどんな戦況になっても、金熊大戦車隊を、単独で
動かすことはやめておくんなはれ。
あれは四天王隊と併せ、本隊五番目の刃として動いてこそ
その力を発揮するものだす。弓や騎馬の援護なしに、戦車
単独で戦うよう作られてはおらんのだす。」
昌直の言いようは、十分理解できたが、この戦況を打開するためには
金熊大戦車隊の力こそ必要だった。
単独で動かねば良いのだろう。隆信は単純にそう思った。
隆信の策も単純なものだ。策は単純が良い。複雑すぎると兵が策に振り回され、十分な働きができなくなる。隆信の考えは戦略でも内治でも一貫している。
今回の策は、金熊戦車隊の突喚攻撃を使った畷中央突破である。
金熊戦車隊五十輌が畷を五列縦隊で進む。大陸の鎖帷子を着た軍馬の突進で、まず第二陣伊集院勢の腰矢攻撃を撃滅する。次に第三陣の柵を破壊し、敵の大将家久守る第四陣に突入する。
その後を先方衆六千余りが進む。狙いは第四陣、敵本陣のみである。泥沼の数百の敵なぞ、放って置けばよい。
戦車には、親衛隊二百のほか、玄武長槍隊の重装兵三百が盾を持って乗り込む。側面からの弓攻撃を防ぐためだ。
隆信の構想では、戦車上からの射撃を増やすため、朱雀長弓隊も合流させる予定だったが、朱雀隊は森で迷ったのか未だ到着しない。このまま待っていては、山手と浜手の別動隊が敵本陣に攻めかかり、隆信は手を拱いた無能の将とされかねない。何としても、決着は中央本軍がつけねばならない。朱雀長弓隊合流は諦めざるを得なかった。
敵の礫攻撃で馬がひるむのを防ぐため、馬に目隠しを施した。畷は直線で、御者が真っすぐに制御できさえすれば、馬の目が見えずとも問題なかった。
信常は隆信の戦車に乗り込んだ。未だ姿を現さない朱雀長弓隊のことが気になっていたが、勝負を決める突撃に集中せねばならない。
五列縦隊に軍列を整えた金熊大戦車隊の中央で隆信は叫んだ。
「これより、我ら大戦車隊は、敵陣を突破して敵本陣を目指す。
狙うは敵大将島津家久の首一つ。龍造寺の熊たちよ、よそ見すな。
真っ直ぐに本陣めざし、敵を食らい尽くせ。」
おおと叫んで、金熊大戦車隊五十輌は次々に発進した。
辺りに、どどどという馬蹄の響きと、ごごごという車輪の轟音が響き渡った。
(四)
辺りが明るくなってきた気がする。もう少し、もう少しで出口だ。先頭を行く足につい力がこもり、信胤は根に足を取られてよろけてしまった。
しまった。
後ろ向きに尻餅をついた信胤の目に、樹上で布を一閃させる敵の姿が映った。
無数の鉄菱が、こちらへ飛んでくるのが見えた。
不思議と、時が止まったかのようにゆっくり。
とんと体が押され転がった。
何が起こったかわからぬまま、硬い地面から体を起こす。
そこには、鉄菱を全身に浴びた岡本善右衛門が転がっていた。
後ろを振り返らなかったので分からなかったが、もう供は、善右衛門だけのようだ。思わず駆け寄った。
「じい!」
信胤の呼びかけに、善右衛門は力を振り絞って眼を開いた。
「お逃げ下され、姫。」
一言だけ言うと、再び善右衛門は力なく目を閉じた。
怒りと悔しさで血が沸騰しそうだった。円城寺家に入ってから、日となり陰となって支え続けてくれた爺、ここまでついてきてくれた家来たち、そんな者たちを後ろに、私は逃げることしかできなかった。
面頬の中で涙があふれる。
爺、見ていておくれ。私はもう逃げない。
私は、私は、私は…………肥前の熊の娘だ!
樹上の敵をキッと睨み付けた。声の限りに叫ぶ。
「降りてこい!卑怯者!
龍造寺隆信が一子、四天王円城寺信胤自ら相手してくれる。」
敵は少し意外そうだったが、ニヤニヤしながら降りてきた。
「こいは変わった獲物じゃ。おい(俺)に挑んでくっとは。」
裸に長褌一丁、泥に汚れて臭いもすごい。野生の獣そのものだ。
信胤は長刀を抜き放った。
相手は、ゆったりと苦無を構えた。舐めているのか?
「名乗れ!わしは名乗った。武士の礼じゃ。」信胤が叫んだ。
敵は、面倒くさそうにふけだらけの長髪をぼりぼり掻いて、ぼそっと言った。
「島津家臣、押川強兵衛じゃ。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます