第12話 肥前の熊

(一)

 がらがらと遠くから轟音が聞こえてくる。

それが森の入り口に現れるまで、忠棟はその正体を掴みかねた。

それを目にした時も、初めて見るそれが兵器なのか判別できなかったほどだ。

古今に通じる伊集院家のかっての麒麟児は自らの記憶を探った。

大陸に戦車と言う兵器があるそうじゃった。おそらくは、それか。

六韜だったかで、確か戦い方が書いてあったな。しばらく考えて、配下に命じた。

「盾を急いで並べよ。四分の一ほど穴を掘って地面に突き刺せ。急げ!」


 兵たちは自らの盾を急いで地面に埋めた。応急の柵が出来上がった。

「よし、全員畷の端の沼に、槍を持って潜め。」

兵たちはざぶざぶと沼に伏せた。忠棟も沼に浸かりながら命を下す。

「よいか、盾で戦車の速度が鈍ったら、車輪目がけて思いっきり槍を放れ。」

車輪に挟まった異物は戦車を止めるはずだ。そうなると戦車はただの箱になる。


隆信は畷上の盾と、沼地に潜む兵に気づいたが

「しゃらくさい。」と一言放っただけで、隊を止めはしなかった。

戦車は轟轟と進み、盾を巡らした伊集院の陣に突っ込んだ。

あっさり割れてはね散らかされる盾たち。

戦車の速度は落ちるどころか、ますます加速していく。

「放て!放て!」

忠棟が慌てて叫ぶ。車輪に向かって無数の槍が投げられた。

 しかし、車輪外向きに取付けられた四本の刃が、車輪と共に回転しながら、飛んできた槍を弾いた。もし昌直がここにいたら、いつの時代の戦車の弱点だ、とうに対策済みやでと嘲笑ったろう。

 戦車上から、隆信の若き親衛隊が流鏑馬よろしく短弓で伊集院勢に矢を放つ。

今度は泥沼で動きが鈍くなった島津勢が、弓の餌食になる番だった。忠棟自身も肩に矢を受け負傷する有様だった。

 一方、中の島からの島津勢の矢は戦車の速度に追い付かず、追いついても玄武重装盾兵によって阻まれた。

 伊集院勢の屍の山を置き捨てて、大戦車隊は三の陣へと突進した。


(二)

 しゅっ。

 

 信胤が裂帛の気合を込めた突きを放つ。

 強兵衛はニヤニヤしながら、わざとギリギリで交わす。


「なかなかの突きじゃあ。しかし、おい(俺)を殺すにはまだまだ。」

「黙れ!」信胤は言いながら、再び刀を顔の高さに構え突きを狙う。

「もうその突きは見切った。他の技はないのかの。」

 強兵衛がうんざりしたように言う。

信胤は答えず、今度は踏み込みを一層速くして、強兵衛を突いた。

あっさり躱されたが、くるりと向き直り、すぐ突きを放つ。


信胤は師の教えを思い出していた。

 肥後の丸目長恵、円城寺家の養子となった仙は、九州で流行りの新陰流から派生したタイ捨流を学ぶため、女の姿のまま、人吉近くの丸目の里に半年滞在した。

 将は、本陣に斬り込んだ敵を、迎え撃たねばならないときがあり、必要最低限の剣術を身に着けねばならない。円城寺当主信胤となる仙も、例外ではなかった。

 タイ捨流は、新陰流の派生とは言え独特の剣法だ。

タイとは、体・待・対・太を指し、己を捨て、対する敵をも忘れ、戦闘でただ一心に刀を振ることを理想とする剣法である。

その特徴は「右半開に始まり、左半開に終わり、全ては袈裟切りに終始する。」で表され、足さばきを中心に、必要とあらば跳躍や、目つぶしなどの体術も使う実践剣法である。


 丸目は仙に剣の天分を見出し熱心に指導し、仙は短期間でめきめき成長した。

肥前に帰る前の日、丸目は極意を授けるとして仙を呼び出した。

「お主は女子じゃ。力ではどうしても男に叶わぬ。打ち合ってはならぬ。」

仙は頷いた。

「教えた袈裟切りも戦場で使うてはならぬ。頑強な相手から、切りつけた刀が抜けぬと、かえって命とりじゃ。」

「それでは、どのように戦えば?」

丸目は、利発な弟子に目を細めながら言った。

「突きじゃ。お主の機敏な踏み込みを有効に使い、女子の非力さを補うには、これしかない。」


「まだ、突いてくるか。」

強兵衛は溜息をついた。

答えず信胤は、一層強く踏み込んで突きを放つ。


その剣は、またぎりぎりで躱そうとした強兵衛の頬を切り裂いた。


信胤は強い敵との戦いの中で急速に成長していた。

強兵衛は、頬から流れる血を、ぺろりと蛇のように長い舌で舐める。

「遊びは終わりじゃ。」

ごっと暴風にあおられた気がした。一瞬で接近した強兵衛の、胴への回し蹴りで、信胤は二間ほど吹き飛ばされていった。


(三)

 島津軍の二の備えを突破した金熊大戦車隊は、轟音と共に川田勢、上原勢からなる三の備えに向けて突撃した。

 三の構えから新納勢に倣って投石が降り注ぐが、目隠しした戦車の勢いは止まらない。

「踏ん張れ。しっかり押さえよ。戦車を止めてしまえ!」

 次に川田勢、上原勢五百は、柵を後ろから押さえて、戦車の突撃を止めようとした。

 鎖帷子を着込んだ大陸産の軍馬は、目隠しの影響もあり、柵を気にすることなく激突した。全く勢いは止まらず、戦車は三の構えの島津軍を跳ね飛ばし、踏みつぶしながら進んでいく。戦車の上の親衛隊も勢いづいて矢を放ち、三の構えは瞬く間に潰走した。

 この様を見て、龍造寺隆信は部隊中央の一際大きい戦車の上で哄笑した。

見よ、これが龍造寺、肥前の熊の本領じゃ。熊どもよ、逃げ惑う野狐たちを食らい尽くせ。


「やりたい放題しおって。」

 浅い泥沼に陣取った川上勢の中で、忠智が歯噛みする。川上勢も、山田勢、新納勢同様、金熊大戦車隊に向かい間断なく矢を射かけるが、玄武重装盾兵によって完璧に防がれている。


「熊め、見ておれ。」

 弓の名手、三男の久智が、自慢の十人張りの強弓を引き絞り、隆信の戦車目がけ放った。矢はぶんぶん唸りをあげて、隆信目がけて正確に飛んでいく。戦車上の隆信は、いつものように兜もつけず、禿げ頭を紅潮させて、無感情な目で矢の飛来を眺めていた。兜なき頭部に矢が届こうとしたとき、横から伸びた手が、むんずと無造作に矢を掴んだ。太い矢をしげしげと眺めると、槍のように振りかぶって、川上勢に向かって投擲する。

 巨人江里口信常が投げつけた矢は、久智の前にいた兵二人の胸を貫き、地面に縫いとめてやっと止まった。

「化け物か。」

 歯を食いしばりながら、久智は呟いた。


 新納陣で三の備えの崩壊を、じりじりする思いで見ていた忠賢は、ついに我慢がならなくなった。槍を背中にかつぐと、泥沼を畷に向かって一目散に走りだす。

 「おい、軍規違反じゃ。」「死罪じゃぞ。」

 新納軍から叫びが上がるが、忠賢は止まらない。


息子の様子に気が付いた忠智は頭を抱えた。

家臣が「忠賢様が。」と知らせに来る。

わかっちょる。みなまで言うな。

「放っておけ。馬鹿は死ななきゃ、わからんわい。」


忠賢は畷に飛び乗ると、足を止めず金熊大戦車隊の後ろを追った。

「待っちょれ龍造寺隆信!今、こん川上忠賢が、引導を渡してくれる。」


(四)

 三の備えを突破した金熊大戦車隊は、轟音をあげ乍ら、家久ら島津一族からなる最終四の備えへと迫る。

 軍監鎌田政近が、家久本陣に伝令を立てた。

どう迎え撃つか。

早急に決断が必要だった。


敵の勢いは凄い。

前面に配置した柵では、戦車の突撃を止められないことは、先程明らかとなった。

戦車とはいえ、先行する敵の数は五百ほどだ。

つまり四の備えの三分の一程度に過ぎない。

 後ろに六千からの敵がいるが、戦車の余りの勢いに遅れ、未だ畷の入り口に留まり、しかも山田勢、新納勢、生き残りの伊集院勢の矢の前に再び停滞している。

 敵を分断し包囲殲滅、しかも孤立する龍造寺隆信を討ち取る絶好の機会だった。


問題は荒れ狂う戦車をどう止めるかだ。

 畷を出してしまえば広い平地、大戦車隊は好き勝手に暴れまわり、島津軍は包囲殲滅どころか、逆に大将家久を討ち取られかねない。

 畷に敵がいるうちに、何とか戦車の足を止め、包囲戦術を有効化すべきなのは、歴戦の将誰もが思うところだった。

 柵は単独では戦車隊に有効ではないが、例えば柵を寝かして障害物にするなり、何等か戦車を止める手立てに使える筈だ。


諸将、みなそう思う中

下された家久の命は、耳を疑うものだった。

「柵をすべて外し、畷の出口に槍隊を配置せぃ。」


「父上!」

真面目にやってくださいと、思わず豊久が非難の叫びをあげる。

 兵が生身で向かっても、弾き飛ばされ、踏みつぶされるだけなのは、上原勢、川田勢の有様を今見たろうに。

この大将、何を考えているのか。


 島津勢が柵を外し、槍隊を並べるのを見て、思わず隆信は戦車の上で叫んだ。

「信常見い。敵はとうとう狂いおったぞ。」

 信常は、敵の異常な行動を、兵に死を覚悟させ最後の決戦に臨む窮余の一策と捉えた。

「敵は死兵でござる。ご油断なきよう。」

 隆信はその言葉を聞いてか聞かずか、吹き出すと弾けるように笑い出した。

沖田畷の戦場に、再び龍造寺隆信の哄笑が響き渡った。


(五)

 「この辺りでようござるか。」

 兵の問いかけに、梅北七人衆のひとり、鉄砲隊を率いる鉄砲三郎(かなまりさぶろう)は、四方を見渡し、指をかざしたりして、ひとしきりぶつぶつ独り言をつぶやいていたが、

 短く 「いいじゃろう。」と言った。

浜に据え付けられた三門の国崩しは畷側の森を向いている。

 「あとは合図を待つばかりじゃな。」

いつの間にか、三郎の横に立って国兼が言う。

その後ろには、宮内次衛門、川畑喜内、伊地知半左衛門、下田忠助と言った七人衆の面々が、控えるでもなくつっ立っていた。


 離れたところで見ていた有馬晴信は、昼間のむしむしする中、背中にぐっしょりと冷や汗を流している。


 島津義久殿は、何と恐ろしい男を家臣に持っているのだ。


 話は宴の夜に遡る。

島津諸将が引き揚げた後、飲みすぎたのか、尿意を覚えた晴信は厠へ向かった。ほっとして厠を出、手水で手を洗っていると、目の前をひらひらと揚羽が舞っている。


 夜の蝶か。殺伐とした戦場に風流なことじゃ。


 揚羽はひらひらと篝火のほうに向かう。

飛んで火にいる何とやらと言うが、危ないぞ

と柄にもなく心配して、火の周囲を舞う蝶を見ているうち、次第に眠くなった。


 目を覚ましたのは海の上、安宅船の甲板の上だ。

聡い晴信は、にんまり微笑む腫れあがった国兼の顔を見て、全てを悟った。

「どこまで知っておるのだ。」

率直に聞く晴信に、国兼は笑顔を絶やさず言った。

「全てじゃ。」

ぞっとした。

いつから?少なくとも、八代で会った島津歳久は気づいていなかった。

大将家久も、知らなかったように思う。

一体いつから、騙したつもりが騙されていたのじゃ。


 梅北国兼に拉致された有馬晴信は、その後の龍造寺水軍と島津水軍の尋常ならざる戦いを見せられ、すっかり毒気を抜かれて、これ以上、島津に逆らう気がしなくなっていた。

 島津は狐を守り本尊としているというが、島津自身、化け狐ではないのか。

熱心な耶蘇教徒である晴信が、半ば本気でそう疑った。


 残された森岳城の有馬軍は、主人行方不明の中、動くに動けないでいた。

龍造寺軍から出兵の矢の催促があったが、のらりくらりと言い訳して、時間稼ぎのみ行った。


(六)

 島津の四の備えは、柵を外した畷の出口に、槍兵を前にして勢ぞろいしていた。

中央に家久、豊久親子、そのすぐ右に鎌田政近、さらに右に島津彰久、左備えは島津忠長、総勢千四百五十である。


 金熊大戦車隊は轟音を響かせながら、もうじき二十間ほどに迫る。

家久が初陣の息子に言った。

「豊久、槍隊を率い、先陣を務めよ。」

あまりに苛酷な、初陣の我が子に。

軍監鎌田政近が何か言おうとするのを留めるように、豊久は勇ましく前に進んだ。


父上が死んで来いと言われるなら、そうするまでよ。


さすがに、家久の子に生まれ、義弘の薫陶を受けた豊久の肝は据わっている。

「槍隊、構え!」

戦車隊は、敵の顔が見えるくらいに接近してきた。覚悟を決める時だ。

「死ねや、者ども。ちぇすとー。」

十四歳の豊久の叫びに、兵たちが呼応する。

沖田畷に、戦車隊の轟音に負けぬくらいの時の声が木魂した。

豊久が、敵の戦車隊に向かい、槍隊に乾坤一擲の突撃の命を下そうとしたとき、

家久が軍配を振った。


ひゅるると陣幕の後ろから狼煙が上がる。


「合図じゃ。」

国兼が頷く。

三郎は手下に命じた。

「あの二つの高い松の間を狙って撃て。」


(七)

 隆信はじめ、戦車に乗る龍造寺の将兵も、前から突撃しようとした豊久も、後ろから疾走してきた忠賢も、一瞬何が起こったか分からなかったに違いない。


 どぅおーん。どぅおーん。どうぉーん。


轟音と共に土埃が舞う。

最前列を走っていた戦車隊は砲弾の直撃を受け横転し、親衛隊長山本重信は戦車の下敷きになって死亡した。

二列目三列目は止まれずに、横転した味方戦車に乗り上げひっくり返った。

四列目以降はかろうじて停止し、五列目の隆信の乗る戦車ともども、前に展開する惨状を呆然と見守るしかなかった。

 そこにまた第二波の砲弾が降り注ぎ、四列目の戦車に直撃した。どこからともなく飛来する砲弾の雨に、金熊大戦車隊は、人も馬も恐慌に陥った。

 さすがに隆信は、いち早く冷静さを取り戻した。

「信常、後列の戦車から反転させ畷入り口まで引き返す。先方衆と合流じゃ。命を伝えよ。」

 伝令が近くにいなかったため、信常は混乱する味方の中、自ら命を伝えるために後列へ走った。

 隆信はその後姿を見送っていたが、じりじりしたのか、すくっと立ち上がった。

「御館様、いずこへ。」

 親衛隊士が問うのに、いらいらして答える。

「後列の戦車に乗り換える。ついて参れ。」

 その時、第三波の砲弾が襲来し、五列目と六列目の戦車間に落ち、付近を走っていた信常は吹き飛ばされた。さらに隆信の乗る戦車を、爆風でひっくり返った。


(八)

 「家久様の命は三発、撃ち終ったぞ。」

国兼が言った。声が届いたのか、平田勢が浜手と沼地を結ぶ森へと駆け出していく。

 「我らは?」次衛門の問いに、国兼は顎で海の方をしゃくった。

 「あとは船上で、家久様のお手並み拝見じゃ。」


 「どうした、豊久。」

 後ろから父の声が聞こえる。目前の惨状を呆気に取られて見ていた豊久は我に返った。

 「槍隊、龍造寺戦車隊へ突撃!」

 一声叫ぶと、真っ先に槍を片手に突っ込んでいく。槍隊二百が後に続く。

 「我らもいくぞ。」

 勝機だ。忠長、彰久隊併せて八百も動き、家久本隊と鎌田隊を残し、千の軍勢が畷の龍造寺軍五百へ突っ込んでいく。


 「よし、場定めが切れたな。おいどん(俺たち)もいっど(行くぞ。)」

 本隊の動きを見て、忠智が川上隊に命を下した。久智以下百の川上勢は泥沼に足を取られながら、畷上の戦車隊へ向かう。

 生き残りの川田勢、上原勢二百ほども勢いを取り戻し、戦車隊の背後から突っ込んでいき、川上隊の背後の森からは平田勢百が飛び出してきた。

 さながら、砂糖に群がる蟻の如く、切り離された龍造寺の戦車隊へ、島津軍の包囲戦術が効果を発揮しようとしていた。

 家久構想による、変型の釣り野伏りの最終形態である。


 玄武長槍隊はもちろん、親衛隊も龍造寺軍一の精強さを誇るが、戦の潮目は完全に島津側にあった。しかも、隊長山本重信は既に戦死し、指揮を執るべき隆信も信常も砲撃により行方不明である。個々の武によって懸命に戦うが、島津軍の包囲攻撃の下、次々に討ち取られていった。


 隆信は、隆信は


 乱戦の中、忠賢は必死に龍造寺隆信のみを求めていた。


(九)

 どぅおーん。

 砲撃は止んだ筈なのに、横転していた戦車の一つが跳ね飛んだ。飛来する戦車に押しつぶされ、島津の兵数人が犠牲になる。

 そこには、名状しがたい空気を纏い、上半身裸の、力士のような体躯の巨人が立っていた。禿げ上がった頭に熊髭を蓄えた赤ら顔。憤怒の表情で周囲を圧している。周囲を見回し、戦車の車軸とおぼしき長大な金棒を掴むと叫んだ、いや獣のように吠えた。


 おるるるるるるーーーーーーん。


 金棒をブンと振る。周囲の兵が弾き飛ばされた。

 錯乱しているのか。もはや、敵も味方も関係ないらしい。

 金棒を振るたびに死体の山を築いていく。


 理性が吹き飛んだ隆信の心を支配しているのは、曽祖父に聞かされ、子供のころから抱きつづけた強い思いであった。


誰にも負けたくない。

死にたくない。

人間を超える。

熊になれ。


 隆信は群がる島津兵を吹き飛ばしながら、ずんずんと家久本陣へと向かっていく。何と肥前の熊とは、本当に熊のような強さを持った男なのか。勇猛な島津兵が怖気をふるうほどの凄まじさだった。


 「放せ、父上が危ないのじゃ。」

 配下の腕の中で豊久がもがく。しかし敵は尋常な存在ではない。異常極まりない強さに、初陣の若者を、みすみす死にに行かすわけには行かなかった。


 家久は床几に腰かけたまま、頬杖をつき、つまらなそうな顔をして、何の指示もせず接近する隆信を、ただ見ている。

このままでは、獰猛な熊と化した隆信の爪に、あっさり引き裂かれてしまう。

見かねて軍監鎌田政近が、配下五十名に「槍衾をつくれ。」と命令した。


 そのとき、ざっざっと浜手から行軍してきた有馬軍三百が、横列になって隆信の前に立ちふさがった。


 「乱心めされたか、お可哀想に。」

 晴信は胸の十字架を握りしめ、何事か祈りを短くささげて命を下した。

 「鉄砲隊、構え!」

 三百の銃口が隆信へ向く。

 そのとき、走りこんできた影が有馬軍と隆信の間に割り込んだ。


 「龍造寺隆信を討ち取っとは、おい(俺)じゃ。」

 晴信が呆気にとられる中、忠賢は槍一本を持って、熊と化した隆信に突撃していった。


(十)

 ごう

凄まじい勢いで振り回される金棒を辛うじて躱す。

 何とか自分の槍の間合いにもって行こうと踏み込むが、再び金棒の横撃が返ってくる。それを屈んでやり過ごし、そのまま勢いをつけて低く飛び掛かる。それを待っていたように蹴撃が来る。槍ごと蹴り飛ばされ、必死の思いで立ち上がる。

 口から流れる血を手で拭いながら、忠賢は、感じたことのない高揚に満たされていた。強敵との戦いは何と楽しいのだ。そこにあるのは、相手への憎悪、嫌悪でもなく、畏怖、恐怖でもない。相手への尊重と尊敬、そして理解、友誼にも似た思いが沸き上がってくる。


 おい(俺)には、おはん(お前様)のことが全部わかる。 

そうか、大名として生きるのは、こんなに孤独で辛いことなのか。

 ようやった、あんな厳しい中、ようここまでになった。


 技を尽くし、気持ちをも戦わせながら、忠賢は自分が隆信の一番の理解者のように感じていた。戦う前の敵討ちや功名心のようなものは、かけらも残っていない。そして思った。


 辛かったろう。怖かったろう。苦しかったろう。

 おい(俺)が、みんな終わらしてやっぞ。


さしもの隆信も疲れたのか、振るう金棒の勢いで一瞬よろけた。

その隙を逃さず、忠賢の槍が隆信の裸の喉笛に伸びていく。


 隆信は我に返ったように、忠賢を見た。おお、儂はこやつを知っておる。

そして微笑むと、宿敵に最後の言葉を放った。


「ようした。島津の若武者よ。」


言い終わると、その巨体がどうと倒れた。


倒れた隆信を見つめ、放心したような顔で忠賢がぽつりと言った。

「覚えて逝け、おいは川上忠賢じゃ。」










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