第10話 神々の森

(一)

 正午近くになって、浜側の江上、後藤の隊は、積み上げられた糞尿と農具片をやっと片付け終わり、進軍を再開した。

 中央の戦況は伝わっていないが、もはや勝利してしまったかも知れない。彼我の戦力差からすると、その可能性は十分あった。

 激怒する父の顔を浮かべ、江上種家と後藤家信は軍を急がせた。

そのとき、左手海上に黒い影が見えた。


 「何じゃ。」

 行軍を止め物見を出すと、抱き杏葉の旗を掲げた船、1千隻ほどはいるという。

「聞いておる。龍造寺の水軍じゃ。やっと着いたか。」

 船影はどんどん大きくなった。兵の姿が見える。


「見知った将はおらぬようじゃの。面妖な。」

 種家がそう言った途端、ぐわぁんと近くで爆発が起きた。騎馬が弾け飛ぶ。

「何じゃ!」

「わかりません。」

今度は、ぐわぁん、ぐわぁんと連続で爆発が起きた。兵たちが弾け飛び、二万の軍は大混乱となった。


混乱の中、種家は思い出した。

大友が使っているのを見たことがある。国崩しとかいう南蛮渡来の新兵器だ。

味方、おそらく松浦あたりが裏切ったのか。

しかし、どこから撃ってくるのだ。方角は海からだ。しかし、あちらに島は無かったはずだが。


船が近づいた。甲板の上に種子島を構えた兵が並ぶ。

「ひけ!海から離れよ。」

種家の言葉が届いたかどうか


だだーん。


轟音と共に、四百丁の種子島が一斉に火を噴いた。

ばらばらと兵が倒れる。

混乱し、我先に浜から森の方へ逃げ散る江上と後藤の兵たち。

今や軍と言うより、ただの烏合の衆だった。

龍造寺の抱き杏葉の旗が一斉に捨てられ、

丸に十の字の島津の旗と、遠雁の梅北の旗が掲げられる。


島津か。

種家は青くなった。

内輪もめで消えた軍船が、何事もなかったように戻ったということは、

内輪もめ自体が敵の策であった可能性が高い。

そのような策をとるということは。


急に父が心配になった。

そもそも、我が龍造寺自慢の水軍はどこに行ったのだ。

考えを中断するかのように、森の中からときの声が上がった。

平田光宗率いる五十人による奇襲で、混乱していた二万の大軍はますます収拾不能になっていく。


(二)

 船上の国兼は、腫れの引かない顔で、横に控える二人の家臣に声をかけた。

「陸に打ち込むことも成功じゃな。」

頷いて、禿げ上がった小男が言う。

「家久様から命を受けたときは、そげな無茶なと思いましたどん。」


 島原への渡海直前、国兼の陣を突然訪ねた家久は、

いきなり、国崩しを船から撃てるようにしたいと言った。

歳久から聞いたのだろう。お主の家臣にできそうな者がおるそうじゃなと。

 梅北七人衆の一人、下田忠助は鍛冶の名人、鉄に関することなら、刀、鉄砲などなんでもござれ。

 もう一人、伊地知半左エ門は建築名人で、城や砦から船など絵図面から仕上げる。この二人をご指名で、船からの射撃を実現しようとの家久の目論見だった。

 二人は図面を作り、実験を繰り返し、わずか三日で、小舟を鎖で繋ぎ、木材を足して浮力を調整し、簡易な水上砲台を作り上げた。

 「おほん、おほん。」

 後ろでわざとらしい咳払いが聞こえた。

 「龍造寺水軍を撃退したのは、我が招霧の法の力もあったのをお忘れなく。」

国兼を苦笑させたのは、薬師で陰陽師の老臣、宮内次右衛門である。


「さぁ、追撃じゃ。有馬様も。」

 何と、国兼の横に裏切ったはずの有馬晴信が、浮かない顔で立っていた。


船から降りた梅北勢百と、有馬勢二千は平田勢五十と混乱する江上、後藤の両軍を挟み撃ちにした。

 江上、後藤両軍は大勢の犠牲を出しながら、浜手を退却した。恐慌に陥った兵には、島津軍がどこまでも追って来るように思え、気づけば、遠く十里ほども退却していた。


(三)

 二刻ほど前、大村純前や松浦党らからなる龍造寺水軍七千隻は、長崎から沖田畷へ向けて天草灘を航行していたが、突然の濃霧に包まれ、停止を余儀なくされた。


「おかしいの。昼前に霧とは。」

「海上でこんな濃い霧、会うたことがない。」


経験のある水夫たちだからこそ、一層この霧を不審に思い、中には船幽霊ではないかと言う者までいた。北方の壇ノ浦辺りでは、根強く平家の船幽霊の噂が残っていたからだ。


 突然、どどーんと音が響き、安宅船二艘を一瞬にして失ったときも、最初は海の化物の襲撃ではないかと真剣に話されたほどだ。皆、大砲の存在を噂にしていたが、見たことがある者は少なく、その少数ですら、近くに小島一つない場所で、砲撃されるとは思っておらず、未知の襲撃に船団は恐慌に陥った。

 そこに、国兼率いる千隻の早舟が襲来した。

 国兼の水軍には、大陸で倭寇と呼ばれ恐れられている海賊が多く参加している。 その上、ありえないところからの大砲による攻撃。

 しかも、七千と言う大軍は、混乱すればかえって弱点となる。

 さしもの松浦、大村など歴戦の水軍も、船団の半数近くを失い、這う這うの体で、自分の領国まで引き上げざるを得なかった。


(四)

 森に入った朱雀長弓隊の生き残り二百は、入り組んだ森から東の街道へ抜ける方法を探る途中、点々と続く血の跡を見つけた。


 畷に姿を見せなかった、白虎抜刀隊の誰かのものに違いない。怪我している友軍を、見捨てるわけにはいかない。手分けして捜索しつつ街道への道を探すことにした。

 信胤は、善右衛門ら五十人を率い絡まる枝や蔦を切り払いながら、昼なお暗き中を進んでいった。長弓は移動の妨げとなるので、置き捨てて進まざるを得なかった。

 血の跡が濃くなってきた。味方はまだ生きているのか、大分森の中に入りこんでしまったが。


うわっ!


 突然、先頭を進む武者が叫んだ。腰を抜かし、言葉無く震えた指で中空を指している。

 何があるというのだ。近寄った信胤は、悲鳴を上げそうになり、思わず口を押さえた。

 善右衛門が代わりに叫んだ。

「一体、何じゃこれは。」


 無数の兵達が、足を弦に縛られ、逆さまに木から吊り下げられている。その全員が、もはや生きていないことは見れば分かった。ある者は顔が柘榴のように潰れ、ある者は首が有り得ない方向に曲がり、ある者は、頭部と胴体が辛うじて首の皮一枚で繋がっていた。

 白虎抜刀隊の兵達だ。一体何が起こったのか。島津の伏兵が森に潜んでいたのか。人の仕業とすれば残忍すぎる。神域を守る魔物でも居るのではないか。皆、半ば真剣にそう思った。


ぎゃーっ。


 遠くで悲鳴が上がった。聞き覚えのある声、朱雀隊の味方だ。皆、声の方へ必死で走った。


 そこは血の海だった。

その中で、朱雀分隊五十人が溺れるように倒れている。全員事切れている。

 何者だ。五十人の味方は一瞬で殺られたとしか思えないが、多数の敵がいた痕跡は見当たらない。ゾッとした。まさか本当に魔物か何か居るのか?

 善右衛門が屍体を調べて気付いた。

 「これは、……鉄菱。」

細かい突起のある金属が、柘榴のようになった兵の顔に付着していた。このめり込み方からすると、本来まいて使うものを、物凄い力で投げつけられたに違いない。それも一度に数十個。何れにせよ、人間技ではない。


 また遠くで叫び声が上がった。皆、自然と走り出す。今度は地面がポッカリ割れ、隙間無く並べられた竹槍に身体を刺し貫かれ、やはり全員が一瞬で絶命していた。


 もう我々しかいない。恐怖が身体を支配した。

うわーっと叫んで、数人の兵が走り出す。

「行ってはならん。離れたら狙われる!」

善右衛門が叫ぶ。

 しゅるしゅる。

 逃げ出した兵達の首に、上から伸びた蔦が蛇のように巻き付く。

 兵達は苦悶の表情を浮かべ、立て続けに木の上に吊り上げられていく。


 「上じゃ!」

 木の幹に張り付くようにして、その生き物はいた。

 巨大な猿?

 全身泥まみれでボサボサの長髪、不自然な長い足で幹を挟みこみ、片手に数本づつ持った人間を吊るした蔦を、いとも簡単に引っ張っている。


 信胤は、その生物と確かに目があった。その目は、森の暗闇に紅い光を発していた。蛇に睨まれたように身体が動かない。私は、このまま殺されてしまうのか。頭が痺れたように、恐怖すら感じない。


 「おのれ化物!」

 善右衛門の言葉で、信胤はやっと正気に戻った。途端に恐怖という感情が蘇ってくる。

 木上の化物は、姿を隠すでもなく、蔦の感触で獲物の死亡を確かめると、蔦に絡まれた屍体を、どうと投げ出した。こちらを向いてニィと笑ったように見える。

 人でも化物でもどちらでも構わない。このまま対峙しても、とても太刀打ちできぬことは明らか。やはり、ここは人が入ってはならぬ場所だった。何とか逃げ出さねば。あの化物から。この神々の森から。

 

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