第9話 青龍は舞う
(一)
一の柵の崩壊を受けて、龍造寺本隊は畷の中へ進入した。
無傷の先方衆は六千あまりいるが、安富、諫早ら畷に先に入った千と、江里口信常率いる玄武長槍隊五百は畷中央を進み、伊集院隊五百と交戦している。
成松信勝率いる青龍騎馬隊五百は、左を進んで新納勢百へ向かい、円城寺信胤率いる朱雀長弓隊五百は、右の山田勢百を狙う。
残りの四天王は皆、百武堅兼の死で奮り立っていた。
動きにくい沼地での頼りは、敵将家久の手による布陣図の朱書である。
朱書によると、右側山田勢の前方六間ほど離れた辺りには、五百名の兵を余裕で展開できる地点があり、左側新納勢へ向かう、直線の道のような場所があるはずだった。
信勝も信胤も頭脳明晰である。いちいち布陣図を見なくとも、敵との位置関係で、その場所を一瞬で探り当て、部隊を先導する。
おお確かに、地面が固くなっていて自由に動ける。
馬も走れるぞ。
成松信勝は疾走する馬の背で、何かしら納得できないものを感じていた。
これではまるで、敵が書いた朱に踊らされているようではないか。
(二)
朱雀長弓隊は、山田勢に向けて矢を引き絞るべく、手前の沼の中で五列縦隊になった。相手の弓の間合いでもあるが、数はこちらが多い。腕も我が隊が遥か上のはず。圧倒してやる。
足を踏ん張り、矢を番えようとしたその瞬間、兵の足が、ずぶずぶと沼に沈みだす。
「どういうことだ。」
信胤は慌てて布陣図を取り出す。場所を間違えたはずは無かった。
間違いなくここのはずだ。
朱雀長弓隊の兵たちは、沼地に足を取られて矢を番えられない。
そこに、中の島から山田勢が放った矢が降り注ぐ。
山田有信と有栄親子は、それぞれ五十の兵を指揮し、交互に間断なく矢を放つ。
朱雀長弓隊の兵たちは、避けようにも、沼地に重い鎧の足が沈み、思うようにいかない。
そこに、島津屈指の熟練の知将の指揮による、まさに間断ない矢の雨が降り注ぐ。
弓兵にとって、矢で倒されるほど屈辱的なことは無い。
無念の声を上げ乍ら、兵たちは矢に貫かれ倒れていき、赤一色の朱雀隊の甲冑は、兵の血で更に赤く染まった。
面頬の中で涙が溢れる。口惜しい。敵が憎い。こんな思いは初めてだった。
手が強く引かれる。「信胤さま。ひとまず、あの森へ。」
岡本善右衛門だった。
信胤が円城寺家の養子となってから、ずっと見守ってくれた老臣だ。
「じい!」
「体勢を立て直すのです。早く兵に指示を。」
冷静さを取り戻した信胤は頷き、兵たちに指示を下す。
「隊伍を整えなおす。朱雀長弓隊、後ろの森へはいれ。」
矢の雨を避け、長弓隊の半数ほどが慌てて背後の森へ逃げ込んだ。
そうやって生き残った兵も、無傷な者は少なかった。
しかし、安全なはずの森へ入った信胤と朱雀長弓隊二百あまりは、信じられぬ光景を目にする。
善右衛門が呟いた。
「何じゃ、これは。」
(三)
戦いの最中だが、後ろが気になっていた信常は、
信胤が森へ後退したのを確認してホッとした。
敵は少数だが、かってない厳しい戦いだ。
伊集院勢と交戦中の、信常率いる玄武長槍隊は、先方衆と共に三分の一の敵に苦戦していた。
そもそも、槍兵は弓に弱い上に、各隊が連携してこそ真の力を発揮できるよう構成された四天王各隊の力は、そのひとつ白虎抜刀隊の消滅で、半分以下になったと言っても過言ではない。
しかも、朱雀長弓隊が引いたことで、玄武長槍隊は右側の山田勢からも弓攻撃を受けることになった。
正面から低く発射される威力満点の矢と、横上方から降り注ぐ矢の雨、数で勝る龍造寺軍は畷の上に盾を並べ動くことができない。
鎖で繋いだ重装槍隊の圧力前進という玄武隊を象徴する戦法は、島津軍の矢の前に無力化されていった。
まだだ、まだ手詰まりではない。信常は盾の後で考えた。
弓の天敵は騎馬隊の突撃である。
左中の島に突撃した青龍騎馬隊五百が、守備する新納隊を殲滅し、横から伊集院勢を突くはずだ。
必ずやる。あの信勝なら。わしが生涯唯一勝てぬと思った漢。
あの紛れもなく九州最強の、立花道雪も参陣していた十倍の大友軍を、
単騎で駆け抜け、敵大将大友親貞の首を挙げた男。
龍造寺軍の武の結晶である蒼き龍。
頼むぞ。
生まれて初めて、戦場で祈るような気持になった。
(四)
平五郎は何でも上手なのね。
なぜ、今あの人のことを思い出すのだろう。
幼いころから、あの人に認められたくて、ひたすら頑張ってきた気がする。
刀も槍も弓も騎馬も、戦術や築城までも
誰よりも上手くなったのは、
あの人の、この言葉が聞きたかっただけなのかも知れない。
男勝りのあの人こそ、舞いも薙刀も家中一だった。
年頃になり美しく成長したあの人は、家中の男どもを夢中にさせたが
なぜか、不器用で真っ正直な我が真友を夫とした。
戦場でこんなことを考えるとは、わしも年取ったか。
騎馬隊の先頭を疾走しながら、成松信勝はひとり自嘲した。
どどどど、沼に乗り入れた騎馬は、泥に沈むことなく、
まるで平地を行くごとく疾走する。
成程、敵の策は読めてきた。
この朱は我らをはめる敵の手だ。見事にひっかかってしまったが
我らをなめてもらっては困る。
そもそも。青龍騎馬隊の馬は、大陸の悪路を疾走してきた血筋。
しかも、わしが調練し、我が騎馬隊は川の中ですら流されず走ることができる。
このような沼ごときで、我ら騎馬の脚を止められると思うのが浅薄よ。
敵陣は目の前に迫った。
中の島の上、柵も盾もなく、弓と槍を構えて待ち受けている。
敵は新納忠元率いる百。島津家中屈指の猛将と聞く。深江で殺した将の父だそうな。
良き敵じゃ。面白い。
しかし、そんなもので、我ら騎馬隊が止められると思ってか。
新納の兵全て、踏み殺してくれる。
友の死のためか。
平素冷静な信勝が、珍しく激高していた。
(五)
「来たどー。成松率いる騎馬隊じゃ!」
青龍騎馬隊が迫ってくる。
騎馬に通常有効な槍襖では、とても相手にならないことを、
かって見た忠堅は知っていた。
新納軍にも見た兵はいるはず、忠元殿はどうするのか。
戦慣れした新納軍は、嫡子の仇の接近にも、微動だにせず静かに闘志を燃やし、忠元の命を待っている。
騎馬隊が六十間(102m)ほどの距離に迫ったとき、一人の男が集団から進み出た。どちらかというと、小男の部類だが、甲冑の上からも筋骨隆々としているのが分かる。大刀はささず、変わった形の脇差二本を、腰の左右にさしている。
思い出した、同じく与力として参陣している男だ。
どこの家中かまでわからないが、名は確か、鶴田甚兵衛。
甚兵衛は忠元に一礼した。忠元が頷くと、兵二十名ほどが前に出た。
甚兵衛は残りの新納勢に呼びかけた。
「音に聞こえた青龍騎馬隊の突撃、
今からおい(俺)たちが、止めてみせまっしょ。
皆様、今からおいたちのやることをご覧くださり、
続けて真似してくぃやんせ(くださいませ)。」
そう言うと、前に積まれた拳大の石を手に取る。二十名の男たちも続き、中の島の前方に騎馬隊に立ち塞がるように並ぶ。
残りは三十間、あっという間に二十間、十間
「今だ!」
甚兵衛は言うと、手にした石を騎馬隊目がけて思いっきり投げつけた。男たちも続いて放る。
甚兵衛の石は、ぶんとうなりを上げて飛び、先頭を行く信勝騎乗の馬の鼻面をしたたかに打った。顔面から血がしぶく、馬が驚いて棹立ち、続いて疾走してきた馬が、後ろから激突する。勢いで馬が横倒しになり、信勝は馬から放り出された。
馬上槍を片手に、空中でとんぼを切って沼の上に着地する。
石が当たったのは、成松の馬の他数頭にすぎないが、前方の馬が急に止まったため、後方の方が馬同士の激突などの大混乱となった。そこに新納軍全員での石つぶての攻撃が降り注ぐ。
完全に脚が止まった馬たちは、ずぶずぶと沼にはまり動けなくなっていった。
この石つぶて攻撃で、青龍騎馬隊は、騎馬隊として無力化された。
石つぶては、射程距離は短く、殺傷能力は矢と比較にならぬものの、牽制としては、矢のそれを大きく上回る。矢や槍を恐れぬ馬も、不思議と飛んでくる石を嫌がるのは、我が国も大陸も同じであるようだ。
騎馬戦術を得意とする武田信玄が、一方で騎馬に有効なこの戦術を、敵の騎馬隊に多用したことは有名である。
この戦術を見て、忠堅は思い出した。島津で石つぶてを使う軍はひとつしかない。
あの老人の顔が浮かぶ。
先程からの長弓隊といい、敵は手もなく沼にはまり、島津の攻撃を一方的に受けているように見える。
四天王の実力を知る者として、この事態は非常に違和感があった。
毎晩、家久の陣屋に呼び出され、深江の戦いのことを根掘り葉掘り、細かいところまで執拗に聞かれて、辟易したのを思い出した。
もしや、ただの変わり者にしか見えないあの大将は、見えないところで、とんでもない謀略を敵に仕掛けてきたのではないか。
日野江での酒宴での一幕も、敵をだます大芝居ではなかったか。
背筋に冷たいものが流れた。
(六)
激高は去った。
騎馬隊の惨状を見て、かえって敵を賛美する気持ちすら浮かんだ。
良き敵じゃ、戦はこうでなくては。
敵は投石を止め、様子をうかがっているようだ。
もはや騎馬隊ではない青龍隊を集合させる。百ほどは駄目だったか。
大丈夫だ。馬は無くとも、我らにはまだ武の一振りがある。
「続け!」
先頭を切って、沼の中、馬上槍を手に走り出す。四百の青龍隊も続く。
老練の新納勢は、これを矢の斉射で出迎えた。次子新納忠増の合図で、次々に矢を射る。
しかし、まるで騎馬のように、倒れる味方をものともせず、青龍隊の足は止まらない。
ざっと沼から飛び出した信勝は、瞬く間に神速の槍で、数名の新納兵を刺し貫いた。やはり、恐るべき手練れ。次々に中の島に上陸した青龍隊も、信勝に続き新納勢と槍を交わした。
よし、押している。
このまま敵を押し込んで、一気に島津家久の本陣を目指す。
騎馬を失った我らには、その戦い方しかない。
「成松信勝!」忠堅が槍を手に前に立つ。
「見た顔だな。」信勝が槍を向けた。
「兄さの仇、とらせてもらう。」
そのとき、後ろから肩を掴まれた。新納忠増だ。
「そいは、弟である拙者ん役目ごわす。」
忠増の槍は父忠元に鍛えこまれたものだが、残念ながら信勝の敵ではない。
それはすぐ明らかになった。
実力が違いすぎる。忠増は何とか踏ん張っているが、信勝の槍が胸を貫くのは、時間の問題のように思えた。数度の打ち合いでも、忠増は肩で息をしている。
一方の信勝は、軽い運動をしているように涼しい顔をしていた。
忠増が勢い余って転んだ。
そろそろ片を付けようとする信勝に、皺枯れ声がかかる。
「もうよかろう。次はわしが相手をしよう。」
小柄な老人が槍を手に現れた。
新納忠元と成松信勝の戦いは、共に槍の名手であることもあって、熾烈を極めた。
馬上槍は普通の槍の半分の長さしかない。
戦いは、お互いに違う間合いの取り合いであった。
信勝が踏み込んで突けば、忠元は飛びのいて躱し、逆に自分の間合いから裂帛の突きで返す。
それを信勝は踏み込みながらぎりぎりで躱し、三段突きで忠元を追い込む。
忠元はずいずいと、素早く下がりながら、踏み込んでくる信勝に槍を突き出す。
勝負がつかないまま、永劫の時が過ぎるようにも思えた。
時として、神は悪戯を仕掛けるのかもしれない。
この戦いに決着をつけたのは、運命の悪戯としか言えないものだった。
流石に、老齢の忠元が肩で息をしだし、足を取られて尻餅をついた。
「ここまでじゃ。」
信勝は、その忠元に無慈悲な槍を繰り出した。
忠元が座ったまま必死に槍を伸ばす。
そのとき、倒れていた兵士の刀が、昼近く真上にある太陽を反射した。
その光が信勝の目を刺す。
一瞬、ほんの一瞬思わず目をそらした。
勝敗はそれで決した。
信勝は胸から生えた槍を見た。
自らの槍は、忠元の頬をかすめ地面に突き刺さっている。
平五郎は何でも上手なのね。
なぜ、こんなときに思い出すのだろう。
縁側で縫物をしている姿が目に浮かんだ。
「成松信勝さま、お討ち死に!」
伝令に地面が揺れたような気がして、思わず隆信は座り込んだ。
一体、何が起きているのだ。
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