第8話 白虎の誇り

(一)

 「来っぞ。射かた用意!」

 赤星統家が叫ぶ。

 沖田畷の戦いは、正面隆信本隊の攻撃で始まった。


 先鋒安富勢五百が、森中の街道を、柵に向けて十人ずつ列をなして、槍を構え、物凄い勢いで突撃してくる。

 島津先鋒である赤星勢五十は、柵に沿って十人ずつ列をなし、弓を番えて並んでいる。


 「放て!」

 正確に放たれた矢は、先頭の安富兵をバタバタ倒していく。

 敵はそれでも、死体を乗り越え、ひるまず突撃してくる。

 すぐに赤星勢後列が、前に出て矢を放つ。

 また、ばたばたと倒れる安富の槍兵たち。

 前へ前へ、

 強引なようだが、ここの地形では、弓も騎馬も使えず、正面の攻め手はこれしかない。

 安富勢は、敵の弓兵の入れ替わる隙をついて、倒れる味方に構わず、なりふり構わず、とにかく前進し柵を目指す。そのうち少数の赤星勢は疲れて、弓の精度も、兵の交代速度も落ちるはずだ。


 安富勢の思惑は外れた。

 弓を射続ける赤星勢の攻勢は、半刻攻め続けても、全く衰える気配が無い。

 安富勢は既に百名近い犠牲を出しており、森の街道には、怪我人や死体が折り重なっている。

 おかしいと思った安富勢の攻勢の方が鈍り、矢の雨に押し返されていく。


 統家はじめ、赤星勢の目は皆血走っている。

皆、額の鉢金に”讐”の文字を彫り込み、幽鬼のような面持ちで、矢を射続けている。


 我が命に代えても、龍造寺を滅ぼさん。


 これは主君である統家だけの決意ではない。

 若君と幼い姫が無残に殺されたとき、

 家中皆血涙を流し、密かに龍造寺への復讐を誓った。

 待ち続けたその機会がやっと来たのだ。

 皆、疲れを感じる暇を惜しんで、矢を放ち続けている。


 思い知れ!思い知れ!

 理不尽に命を絶たれた若君の思い

 幼くして命を散らした姫の思い


 気迫に押され、安富勢はじりじり後退していく。

それを真ん中から押し分けるようにして、新手の諫早勢千が突撃してきた。

 安富勢と同じように、槍兵を十人ずつ並べて、死体や怪我人を踏みつけ乍ら、赤星守る一の柵へ向かって突撃する。


「構え!………放て!」

 統家は声をからして叫び続ける。

 矢の雨に、諫早勢もバタバタ倒れていった。


(二)

 浜手を進む後藤家信、江上種家率いる二万の軍は、思わぬ事態に難渋していた。砂浜いっぱいに人、牛、豚、鶏の糞尿がうず高く積み上げられ、近づいた者が咳き込む位の異臭を放っていた。軍馬ですら嫌がって前に進まない。


 そればかりか、糞尿の中には、古びてさび付いた鎌や鍬などの農具が、砕いた状態で散りばめられ、上を通る兵馬の足を傷つけた。


 高い段差があり、海側も進めない。

 仕方なく足軽どもに手作業で、糞尿と農具片を片付けさすことにしたが、進軍に著しい遅れが出るのは明らかだった。


 山手を進む政家、直茂の一万の軍は、手を変え品を変え、間断なく行われる猿渡勢の奇襲攻撃に、一旦引き返し、下山せざるを得なくされていた。


 丸山の山道は思った以上に細く、兵一人がやっと通れる幅だった。

 その行く手を、切り倒された大木や落とし穴などの罠が待ち受ける。多い兵数が災いして、森林や崖上から、突然抜刀して切り込んでくる奇襲に、うまく対応できない。しかも、切り込んでくる川上忠兄と猿渡の兵は、素早く強い。突然現れ、瞬間的に何名かを切り倒すと、猿のように森の中へ消えてゆく。その襲撃は思いがけない犠牲を出した。直茂の二人の優秀な弟、龍造寺の名乗りを許された康房と、小河信俊が討ち取られたのだ。


 将二人と言う無視できぬほどの犠牲を出し、政家と直茂は協議のうえ、一旦下山することにしたのだ。

 

 正面、浜手、山手の全てで、隆信と昌直が練り上げた精緻な戦術に、じりじりと綻びが生じつつあった。


(三)

 安富、諫早、納富、石井ら先方衆凡そ七千名が代わる代わる一刻以上攻撃しても、赤星勢は崩れる気配を見せなかった。

 間断なく放たれる矢の前に、柵の前にすら辿り着けない。

 赤星勢は皆、肩で息をしながらも、お互い気合を入れあいながら、裂帛の気合と共に矢を放ち続ける。森の中の街道は、龍造寺方の血で赤く染まった。


 隆信は陣幕の中で、珍しく俯いて親指の爪を噛みながら落ち着かぬ様子だったが、顔を上げると小姓に

「堅兼を呼べ。」と命じた。


  百武堅兼は、主君の前に緊張した面持ちで現れた。戦況が思うように動いていないのは、本陣にいても窺い知れる。引き上げてくる安富勢などの顔を見れば明らかだからだ。


 陣幕内の隆信は、大分いらついている風であった。こういう時、木下昌直がいれば、立て続けに有効な対策を示して隆信を落ち着かせるのだが、非才の我が身が、もどかしかった。


「おお、堅兼か。」隆信が顔を上げて言う。

堅兼は、隆信の前に片膝をついて一礼した。

隆信が忙しげに言う。

「森を抜けて、赤星勢の背後に出れるか。」

ははと頷いた。主君の命である以上、何としてもやり遂げねばならない。


 木々がひしめき合い、動きの取り辛い森であるのは外からも分かった。

堅兼は隊を二つに分け、三百を向かって右の森に送り、自らは二百を率いて左の森を進んだ。

 枝ばかりではない。足元も節くれだった根っこが、我が物顔ではびこり、兵の行く手を阻んだ。胴丸を着けただけの白虎抜刀隊でなければ、進むだけでも苦労するだろう。森の中は日の光も通さぬ暗さ、ここが神域として恐れられるのも、分かるような気がした。


 森は意外に深く広い。すぐ近くの筈なのに、街道の剣戟の音がずいぶん遠く感じられる。こちらで良いのか不安になりながら、堅兼は勘に頼って進んだ。

 虫や蛇の類も何度か見かけた。人が全く入らなかった場所だ。駆除されないので、猛毒の蝮の類も蔓延っているだろう。部下に注意を促しながら、木々を掻き分け慎重に進む。


 どのくらい時がたったろう。仄暗いこの森は、時間の感覚も失わせるように思えた。実際は四半刻も経っていなかったろう。

 突然、剣戟の音が近づいてきた。出口が近い。木々の間から明かりがさすようになり、永遠に続くように思えた森の終わりが見えた。

 堅兼は腰を落とし、木々に隠れ乍ら森の出口に向かった。

 広大な沼地が見え、いくつかの部隊が見える。目的地に着いたようだ。

 右を進んだ三百は、もう出口まで着いたろうか。

 仮に着いていても、自分が何らかの合図を出さねば動けないだろう。

 柵の内側には三千の敵がいる。

 右を進んだ三百を加えても、我らの数は敵の六分の一だ。

 一の柵を除かねば、皆刀一本胴丸一つの軽装で、多勢の敵に向かわねばならぬ。

 堅兼は、白い軍装の愛妻が繕った後を愛おしそうに撫でた。

 いつも突撃前にするまじないだ。

 南無八幡、守らせたまえ。


 二百の部下たちを振り返る。皆緊張で引き締まった良い顔をしている。

 堅兼は、緊張をほぐすようにニコリと笑った。

「我ら白虎抜刀隊は、これより赤星勢目がけて突撃する。敵は三千、我らの六倍じゃ。胴丸ひとつに、一振りの刀だけが頼りじゃ。しかし、戦を勝たしめるのは、兵の数ではない。武器や甲冑の良し悪しでもない。」

兵は皆、頷きながら堅兼の周囲に集まってきた。


 堅兼は続ける。

「主のため、命を張って、ひとえに勝ちを求める。この気力こそが勝ちを与えるのじゃ。赤星を見よ、わずか五十で七千の味方を斥けているのは、我らを倒すの一心で戦っておるからじゃ。」

 頷きながら、じっと見つめる兵たちの顔を見回しながら、堅兼は言った。

「我らは勝つ、主隆信様の御為、島津を滅ぼす。

 何者も恐れるな、我らは虎ぞ。ただ目の前の敵を討て。

 胴丸一つ刀一本で、命を懸けて敵に向かうは、

 我ら白虎隊の心意気、肥前の武士の魂ぞ。」

 みな、おおと立ち上がる。


堅兼はしゃっと刀を抜き放ち、静かに言った。

「武士道とは、

 死ぬことと見つけたり。………白虎抜刀隊、突撃じゃ。」


(四)

 旋風のように、突然森から現れた白一色の軍勢が、

 真横から赤星勢に襲い掛かった。


 不意を突かれた赤星勢は、一瞬混乱したが、

 相手が四天王の軍と知って、気持ちを燃え立たせて掛かっていく。

しかし、彼我の優劣は明らかで、白が赤を駆逐するのに時間はかからなかった。

 その間に、石井党ら龍造寺軍先方衆が、一の柵に取り付き破壊した。


 「赤星勢が危のうごわす。弓で援護を。」

 家臣月野平左衛門の進言に、伊集院忠棟は首を振った。

 「こげん乱戦では味方に当たる。龍造寺が来っぞ。畷いっぱいに盾を巡らせよ。

  弓はしばし待て。」

 

 赤星統家は負傷し、ぎりぎり歯噛みしながら家臣に支えられつつ後退した。


 堅兼は右側の森を見た。おかしい、残りの白虎抜刀隊三百がまだ出てこない。

 もしや、森の中で迷ったのか。


 しかし待つわけにはいかない。戦には潮目がある。

 味方が押している今は攻め時だ。


 次なる敵五百は、畷の上、十間ほどの距離にいる。

 確か、伊集院忠棟、島津古参の家臣ということくらいしか分からぬ。

 柵は無い。盾を巡らし、それに隠れるようにして陣を張っている。

 その守りようは、堅兼の美学に反した。


 「ものども、敵は亀のように首を竦めて縮こもっておる。盾を蹴散らかし、

  意気地なき敵に、白虎の戦を見せてやれ。」

 二百の抜刀隊はおおと叫んで、堅兼を先頭に、畷上の伊集院勢目がけて殺到した。

 そのとき、突然盾の隙間から無数の矢が低く発射され、

 盾を巡らしている以上、飛び道具の攻撃は無いと考えていた堅兼と白虎抜刀隊は、不意を突かれた形になった。

 飛びすざり、ごろごろと転がって沼地に伏せる。激痛に顔を歪める。足を射抜かれたようだ。何だ何が起きた。

 畷上には白虎抜刀隊の兵たちが見えた。

 ある者は絶命し、ある者は傷ついて倒れている。

 かっと体が熱くなる。次の矢が襲い来て、堅兼は慌てて泥に潜った。


 日置流腰矢


 島津家に古くから伝わる戦法を、伊集院勢は得意としていた。

 片膝をついて、盾などに隠れ乍ら、長弓を用いて低く矢を放つ。

 立って射るよりも距離は落ちるが、立って使う場合は敬遠される至近距離の敵にも使え、低く飛ぶ矢は意外性もあって殺傷力、命中率ともに高い。


(五)

 相変わらず、傷ついた味方へ、盾からの射撃を繰り返す敵を見るうち、堅兼は自分が押さえられなくなっていた。


 卑怯じゃ。戦にも作法というものがあろう。


猛然と立ち上がり、痛む足を引きづって伊集院の陣へ向かう。

飛来する矢を斬り飛ばしながら、気迫を込めて歩き続ける。

 小鶴と息子達の顔が浮かぶ。

 許せ、

 儂はこのような生き方しかできぬようじゃ。


「射て!射て!陣に近づけるな。」

伊集院忠棟は必死に叫ぶが、堅兼は止まらない。

ついに盾の前まで来た。刀で盾を斬り飛ばす。すると、


盾の向こうでは、無数の弓が堅兼に狙いを定めていた。

堅兼はうぉーと虎のように咆哮し、刀を振りかぶる。

忠棟の合図で、一斉に矢が放たれた。

何十本もの矢が、堅兼の身体を貫く。

その血で、白い着物が赤く染まった。

それでも、堅兼は刀を振りかぶったまま、歩みを止めない。

恐ろしいものを見ているように、伊集院勢がじりじりと引く。

忠棟の前に来ると、堅兼は立ち止まった。


伊集院家中一、二を争う剛の者、長迫蔵人が立ち塞がり、堅兼に槍を向けた。

そのとき、忠棟が「よせ。」と静かに言った。

「その者、もはや事切れておる。」


伝令が走った。

「百武堅兼さま、お討ち死に!」


隆信は、ぎぎぎと爪を噛んだ。

信胤と信常は、畷に向かいながら顔色を曇らせた。


騎馬で畷に向かい疾走していた信勝は、表情ひとつ変えなかった。

しかし、手綱を握る手は、不自然なほどに握りしめられていた。




 






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