第5話 虚々実々

(一)

 八代の島津陣中は、島原へ渡海する陣割を受けて、渡る諸将が密かに準備を続けていた。

 陣容は大将島津家久と、これが初陣となる十四歳の嫡子豊久が率いる六百、一門衆忠長の四百、彰久四百、伊集院忠棟の五百、新納忠元と忠尭の弟忠増の率いる百、山田有信、有栄親子の百、軍監鎌田政近の五十、赤星統家率いる五十、比志島一族の川田義朗三百、上原尚近二百、猿渡信光百、平田光宗百に川上忠智親子の百、これに加えて水軍奉行梅北国兼百、合わせて三千百である。

 赤星勢が少ないのは、所領が龍造寺軍の進路にあたるため、万が一裏切りが知れた場合を考えると、大動員ができなかったためである。

 有馬晴信は、島津軍を迎える準備を行うため、一足先に島原へ戻っていた。


 渡海は隆信が筑後に入ってからである。龍造寺軍に張り付いている山蜘蛛から、鷹通信を使って知らせが入る手筈となっていた。


 一方で、策に気づかれぬよう、麦島攻めも、歳久指揮の下継続して行われていた。熟練した漁師の操船の下、武者五名づつが乗った百艘の小舟が押し寄せては、竜船が出動したとたんに引く。

 どうせまた引くにせよ、捨て置けない兵五百人規模の、一日何回も繰り返される攻撃に、鹿江ら麦島砦の守将たちは疲労していった。


「これでは疲労で兵が参ってしまう。御屋形様に早く来ていただきたいものじゃ。」珍しく老将が愚痴をこぼした。

 長信は島津の作戦は、兵を疲労させ尽くし、どこかで大規模な夜襲をしかけるものと見た。そこで、定期的に麦島駐留の兵員を交代させることにした。

 「とにかく、あと八日もすれば兄上がお出でになる。それまで忍ぶことじゃ。」


(二)

 渡海準備に忙しい中、忠智達親子四名は大将家久の陣屋に呼び出された。

陣幕の中に入っていくと、家久は地図を前に頭をひねっては、真っ黒になるほど筆で何事か書き込んでいた。他に見覚えのある三人の武将がいる。


 一人は家久嫡男豊久、元服したばかりだが既に身長は忠堅と変わらず、引き締まった体躯からは勇将の風格が漂う。


 ずんぐりむっくりした、むすっとした顔の四角い男は、猿渡信光である。島津家古参の将で、猿渡勢は特に山岳森林での奇襲戦を得意とする。


 最後の一人は、穏やかな微笑みを浮かべた小柄な老人だが、座っているだけでビンと迫力が伝わってくる。忠堅はあっと思わず声を上げた。未だに、この老人に会うとばつの悪い思いが蘇る。鬼武蔵、親指武蔵とも呼ばれる、深江で死んだ忠尭の父である新納武蔵守忠元である。


 家久が顔を上げ、川上親子を確認してにこりとした。

「おお、来たか。忠智、忠堅、忠兄、久智。」一人一人確認するように言う。

「今日来てもらったのは他でもなか。お主らの陣替えのお願いじゃ。」


 いぶかしげな顔で忠智が尋ねる。

「陣替え、出陣前に。はて面妖じゃ。公子様には失礼ながら、どげなことでごわんそ。」


 「うん。」家久は悪戯をしかけた子供の様に、にこにこしている。

 「息子のうち、忠堅と忠兄の二人を、ここな猿渡と新納の軍に、与力としてくれんか。」

 「何ですと!」思わず忠智は大声を上げる。命のやり取りをする戦で、いくら同じ島津軍とはいえ、息子の命を他人の手に委ねるのはしのびない。しかも、この息子二人は、川上勢にとって重要な戦力である。戦国武将にとって、戦は一族を繁栄さすための仕事でもある。大事な戦力を二人も削られては、手柄を立てる機会が減ってしまう。

 「公子様のお言葉ごわんどん、お断り申す。」


 「そこを、曲げてお願いしたいのじゃ。」家久はきっぱりと言った。

 「そこまで言われるとは、理由をお聞かせくだされ。」

 忠智は、しつこい家久の言葉に困り果てていった。


 「秘ちゅうの秘ゆえ、詳しくは言えぬ。策において必要なのじゃ。」


 そんなことで大事な息子を出せるかと頭に血が上った。

 「そいなら、お断りするしかごわはん。」


 新納忠元が割って入った。

 「忠智よ、まぁ待て。」

 同じ島津家臣というだけでなく、忠元は長年苦楽を共にした旧知の仲である。深江城で愚息が嫡男を死なしめたという負い目もあった。仕方ないと言った顔で、忠智は忠元に何じゃと言った。


「家久様は御大将じゃぞ。しかもただの大将ではなか。今回の戦は、島津家の浮沈がかかった大事なもの。しかも、その成否は我ら”伏兵”軍にかかっておる。大殿義久様から、その軍配を預けられた以上、我らは家久様に従わねばならん。」

 少数なれども、この”伏兵”軍がいかに大切かは、その軍容からも計り知れる。後に島津三名臣として知られる新納忠元、山田有信、鎌田政近が全員参加している戦は、今までもこれからも、総力戦以外に無いからである。


 とにかく、新納忠元にここまで言わせた以上、忠智は首を縦に振るしかなかった。家久は、欲しいおもちゃを与えられた子供の様に喜んだ。忠堅は新納軍の与力、忠兄は猿渡軍の与力が決まった。忠堅は、気が重い反面、兄さの分も働いて少しは罪滅ぼしができるかもしれんと思った。


 陣替えが決まった途端、家久は忠智らはおろか、忠元にさえ興味を失ったようで、また一心に地図に向かいだした。忠智、忠元らが一礼して陣幕を出たとき、代わりにあの老人が、忠元らに会釈もせずに陣幕に入っていった。


「おお、国兼来たか。待っておった。折り入ってそちに願い事がある。」

陣幕からの甲高い家久の声に、皆やれやれと首をすくめた。軍事の天才と呼び声高い島津四兄弟の末子は、相当の変わり者であるようだった。


 翌日昼頃、隆信が筑後大川に入ったと報告が入った。

”伏兵”部隊は、敵に気取られぬよう、一隊ずつ時間を分けて佐敷に向かった。夕刻、佐敷港から、目立たぬよう平装となり、集団とならずばらばらに、島原に向かった。天草沖では龍造寺親族の大村水軍の動向に気を配ったが、偶々海が時化たため気づかれずに済んだ。翌朝、何とか全部隊無事に島原に着き、取りあえず皆、安堵の顔を見比べていた。


(三)

 水之江を出て二日後、龍造寺軍は鍋島隊を先頭に柳川城に入った。ここまでは、順調な行軍であった。しかし、ここで龍造寺軍の動きは、ぱたりと停まる。

 

「なぜ動かんのじゃ。」

 歳久は細作を放って調べさせた。理由はあきれはてるものだった。

 柳川城に入った隆信は、柳川河畔の散り際の桜を愛でると称して、連日舟遊びに興じているらしい。近隣から遊女を集め、酒を浴びるほど鯨飲しているらしい。

 酒色に溺れる主人を、命がけで諫めようとする家臣も出たが、隆信はふざけて取り合わず、周囲を呆れさせているという。九州の覇権をかける大事な一戦の前に、驕慢、油断としかとれない態度だった。


 八代の島津本軍においては、「何じゃ肥前の熊というが、とんだ色ボケ酔っ払い熊じゃの。」と隆信、ひいては龍造寺軍を嘲る風潮が生まれつつあった。まるで、平家の驕慢に勝ちを確信した源氏の武者輩のように。

 その中で、歳久はひとり焦っていた。今までの経緯からすれば、隆信の行動は字句通り解釈できない。ましてや、昔の隆信ならいざ知らず、今や相手には、孫呉六韜三略に通じた軍師木下昌直がいる。

 「一体、何が狙いだ。……まさか。」

 こちらの策が漏れているはずは無かった。無い筈だった。


 「一体、殿はどうされてしまったのじゃ!」

柳川城下の陣中で酒を酌み交わしながら、百武堅兼は成松信勝に吠えた。

 今日で三日、進軍は停まったまま、隆信は連日柳川に二十艘あまりの小舟を浮かべ、遊女数十人を侍らせて花見酒に酔いしれている。息子たちも、直茂もこういう時の隆信を諫めたらどういうことになるか十分知り抜いているので何も言わない。重臣たちもみな、亀のように首をすくめ、甲羅に閉じこもって、押し黙ってしまっている。隆信に意見できる唯一の存在である軍師木下昌直は、最近とんと姿を見かけなくなった。隆信に呆れ逐電したとか、意見して粛清されたとか、まことしやかな噂もあるほどだ。


 本日、堅兼は死を覚悟して、隆信を諫めようと、強引に船に乗り込んだ。

「お話があり申す。」と必死の血相で言う堅兼の顔を見て、隆信は吹き出し、酔って呂律が回らぬ口で、

「頭を冷やしてやれ。」と遊女たちに命じた。

 純情な堅兼は、妻以外の女を知らない。だけでなく、生来女という生き物を苦手としてきた。

遊女たちの柔らかな手で、水の中に突き落とされ笑いものにされ、真剣に諫言しようとしたことが馬鹿馬鹿しくなった。

 仔細を聞いて、この古き友は腹を抱えて笑った。「お主らしいの。」

「笑い事ではないわ。」堅兼は単純に怒った。

「すまぬ。すまぬ。しかし、お主は本当に御屋形様が酒色に溺れていると思っているのか。」

「家中、そう申しておるではないか。」信勝の言いように、何をいまさらと思った。

「わしは、そうは思わぬ。これには何か大きな謀があるような気がするのじゃ。」

「どんな謀じゃ。」適当に言うなと、堅兼の怒りはとけない。

「わからぬ。わからぬが長らく龍造寺家に仕えてきた勘かの。」

「勘じゃと。けっ!」

 続けかけて堅兼も少し冷静になった。

 隆信が酒色に耽る傾向は確かにあったが、北九州をほぼ確実に手にした現在、それは治まっていたはずだ。

 なぜ突然、思い出したように復活したのか。軍師殿が姿を消していることも含め、解せぬことが多すぎるように感じられた。


 同じころ、円城寺陣中では老臣の岡本善右衛門が、必死になって信胤を探していた。信胤が陣中を勝手に抜け出すのは、今に始まったことではない。月に一度か二度必ずあった。いつも数刻して、何食わぬ顔で戻っているのだが、今は停止しているとはいえ行軍の陣中である。他の隊の目もあり、将が勝手に陣を抜け出していることを知られるわけにはいかなかった。

 ましてや信胤様は。

 秘密を知る善右衛門は、そのことが知られることも恐れていた。


 河畔の桜が美しい。はらはらと舞い落ちる花びらの中にいると、この世のしがらみを忘れ、一人の女として解き放たれた気がする。

 長い黒髪を毛先で括り、緋色に銀糸で水仙をあしらった、艶やかな小袖を着て歩く姿は、十八の美しい娘そのままだ。どこにも四天王円城寺信胤の影は無い。

 もう幼馴染の友達は、あらかた嫁に行ってしまったろうか。子を産み女として幸せな暮らしをしているだろうか。

 奇妙な運命に生きる自分には、普通の女としての生き方は無理だと分かっているが、月のものが始まると、日ごろ抑え込んでいる信胤の中の仙が騒ぎ出す。どうしようもなくなって、女の姿になり町を彷徨う。目を引く美しさだが、不思議と危ない目にあったことはなかった。

 

 ”仙”は花見の人込みを離れ、花びらに誘われるように一人、河畔を上流へと歩いていく。誰もいない道端に、蓆を敷いて甘酒を売る老人が座っていた。

 もう少し向こうなら多少は売れるでしょうに、と思いながら通り過ぎようとしたとき老人が声をかけてきた。

 「お嬢様、甘酒を買ってはいただけませぬか。」

 お嬢様、私が、その言葉に仙はいい気持ちになり、甘酒を買ってあげることにした。壺から真新しい木升に注がれた甘酒は、独特の甘い芳香を放っている。口にすると少し生姜が効いて美味しい。向こうなら飛ぶように売れるに違いない。お爺さんに教えてあげなくっちゃ。そう思った途端、目が回って仙は座り込んだ。甘酒で酔うはずはない。どうかしてしまったか。いや、謀られたか。老人が似つかわしくない動きですくっと立ち上がった。


 「お前はこれから儂の聞くことに正直に答える。逆らうことはできぬ。」

 口が勝手に動く。「はい、正直に答える。」

 老人はにやりと笑い問うた。

「龍造寺隆信は、何かを謀っておるのか。」

「知りませぬ。」

「龍造寺軍は、何故進軍せぬ。」

「わかりませぬ。」

 失望の色が老人の顔に浮かんだ。隆信の娘、何か知っておると思うたが。


 すぐ切り替えた。こうなれば、せめて龍造寺軍の戦力を削っておくか。娘の姿で死ぬなら、龍造寺軍の動きには影響せぬじゃろう。懐の匕首に手が伸びる。仙にその動きは見えるが、薬か何かで全く体の自由を奪われている。


 そのとき、「姫!」という叫び声と共に、ざざと茂みが揺れ、刀を手に漆黒の巨人が飛び込んできた。振り下ろされる一刃を、老人は素早く転がって躱す。

「何者じゃ。」

 誰何の声に応えず、山蜘蛛はニヤと笑うと、まるで闇に溶けるように消えた。


「妖か。」

 背筋に粟のたつ思いを感じながら、信常は倒れようとする信胤を支えた。

 月に一度、女の姿で出歩く信胤の警護を、密かに続けてきた。定期的に訪れるので、いつ女の姿になるかは簡単に知ることができた。

 舞い散る桜の中、気を失っている信胤を抱え上げながら、信常はいつまでもこの時が続けばよいのにと、つい不届きな夢を思った。


(四)

 島原についた”伏兵”軍は動くことができない。

隆信が柳川に居座ったまま動かないからである。島原は味方の有馬領とはいえ、安心できない。目と鼻の先の深江城に敵方安富勢がおり、この軍の存在がいつ知れるかわからない。

 そして、もちろんだが、知れたら伏兵ではなくなる。つまり、歳久の壮大な作戦は失敗するということだ。諸将はじりじりしながら、国兼を通じてくる報告を待った。が、隆信は一向に動く気配が無い。


 肥前は敵地、諸将みな緊張を解かず、忠堅などは陣中でやることがないので槍を振るって訓練をしていた。どの隊も似たり寄ったりだが。

 新納軍は居心地が悪かった。忠元は気にしていなかったが、兵たちは忠堅をともすれば仇のような目で見た。比志島が流した噂のせいだ。忠尭様を死なせた男、周囲の目は冷たく突き刺さるようだった。

 居心地が悪い理由はもうひとつあった。もう一人の与力、よりによって、押川強兵衛であったからだ。虫が好かん者同士は、知ってか知らずか、同じ陣屋で寝泊まりさせられている。毎晩強兵衛の異臭に耐えながら寝るのは流石に苦痛だった。


 島津軍中で、ひとり家久のみが、呑気な様子で、馬を使い島原周辺を見て回っていた。

 「末っ子の気楽さか、妾腹の気楽さか。ここで物見遊山とは、よう大将が務まるものじゃ。」

 伊集院忠棟など、聞こえるように皮肉を言ったが、家久はどこ吹く風である。


 今日も息子豊久をつれ、浜手に馬を走らせていた。立ち止まってはしきりに何か書付け、近在の百姓を捕まえては、しつこく何事か尋ねている。


 「父上。」たまりかねて豊久が言った。

 「何じゃ。」家久は書き付ける手を止めずに言う。

 「御大将たるものが、陣を離れては困ると諸将が言っておりもす。」

 「おってもすることがないなら、おらんでも一緒じゃ。」

 面倒くさそうに答える家久に

 「おるだけでも、御大将の御役目ごわそう。」と、むっとして豊久は答えた。


 家久は顔を上げニッと笑った。

 「義弘伯父の受け売りか。」

 十四歳にして、父より背が高い立派な体躯をした我が子は、他の若侍同様に兄義弘に傾倒している。それは一向に構わないが、固定観念に囚われすぎるのは、戦術の柔軟さを失うもとだ。

 こういう場合、家久は口で諭したりしない、子供っぽいところがある家久は、意地悪く、我が子の意見を黙殺した。行動から覚ればよい。そして結果を見なければ、行動の意味はわからぬものだ。


 いきなり馬を走らせた父の後ろを、豊久は舌打ちしながら走って追った。

目前の松林から、ぬっと背の高い老人が現れた。

 「おお、国兼。」家久が馬を止める。


 やっと追いついた豊久に珍しく真剣な顔で

 「ついてきてはならん。人払いじゃ。」

 と言うと、家久は国兼と松林の中に消えた。


 同じころ、肥前日野江城の天守から、島津の軍容をじっと観察する二人がいた。一人は城主有馬晴信、もう一人は杖をついた初老の武士である。

 よく見ると、晴信は小刻みに震えているように見える。


その晴信にこつこつと杖をつきながら近寄った初老の男が耳元で囁いた。

 「よう為されたで。野狐ども見事におびき出されよった。有馬殿が今回の一番手柄、隆信様もさぞやお喜びじゃろ。」

 傷だらけの顔を歪めて笑いながら言う。


逐電したと噂された、

龍造寺軍師木下昌直は、

ここにいた!







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る