第4話 隆信出陣
(一)
ここのところ筑前への出陣が続いていたが、やっと水之江の館に帰ってこれた。妻や息子たちとゆっくりしたい所だが、周囲は敵ばかりという緊張の続く中、気が付けば庭で木刀を振るって鍛錬している。
妻の小鶴が縁側で縫物をしながら眺めている。戦場でボロボロになった狩衣、白一色は白虎隊の象徴だが、死を覚悟しているとの決意を示すものでもある。幼い息子たちは館を出たり入ったりして追いかけっこをしている。久しぶりの平和な日々、この時がいつまでも続けばよいのにとつい感じる。武勇の塊、鬼のように怖れられる百武堅兼は、家に帰れば良き夫、優しい父親だった。
井戸で汗を流す。小鶴が「もうおしまいですか。」と声をかけてきた。この優しい妻は、一方で男勝りで、薙刀の名手として家中で有名であり、大友軍が来襲した際、薙刀を手に男に交じって守城したという逸話を持ち、堅兼に手厳しいところがある。堅兼は最近家中で、恐妻家として知られるようになった。
堅兼は首をすくめながら縁側に座った。妻の差し出す温めの白湯を、ぐっと飲み干す。五百名を率いる将とはいえ、急成長した龍造寺家に父の代から仕えた百武家は、先祖伝来の領地もなく、未だ三百石取りの身であり、子だくさんの生活は楽ではない。鶏を飼い果樹を庭に植えて生活の支えにせねばならぬほどだ。
妻は尻をたたくが、誠実で頑固、不器用な堅兼は、あまり功名や出世に興味が無い。あるのは己の武を高めること、主君に忠実であることだけである。
龍造寺家のお家第一と本心から思っている堅兼が、その性格から主君の命に逆らったことがある。柳川の蒲池攻めに出陣しなかったのだ。
蒲池家は龍造寺家がまだ少弐氏の家臣に過ぎなかった隆信の父の代周家とき、その武力を恐れた主君によって一族のほとんどが騙し討ちに合い、着の身着のまま肥前を逃れた隆信や曾祖父家兼を匿い、再び復権する援助をしてくれた恩人である。
その恩人を騙し討ちにし、領地を奪うとは。戦国の習いとはいえ、堅兼には納得いかず、妻の再三の説得にも、仏間で涙を流しながら、騙し討ちされた蒲池鎮漣のために経を上げ続けた。
堅兼の性格を知る隆信は、命に背いた堅兼を咎めなかったが、小鶴はこういった夫の性が出世の妨げになるのだろうと溜息交じりに思った。素朴で純真で率直で、計算が無い。こんな夫だから、男勝りの自分が惚れぬいて一緒になったことも分かっているが、同じ四天王の成松信勝や江里口信常が、主君の憶えめでたく、順調に石高を上げるのを見ると少し歯がゆい思いもしている。
ふいに、木戸を開けて細身長身の中年の武士が入ってきた。流行の茶筅髷に整った顔、粋な感じで龍の刺繍を施した真新しい小袖を着流し、素焼きの徳利をぶらさげている。
「これは成松様。」
いちはやく気づいた小鶴が、縁側を素早く降りて挨拶をした。
「小鶴殿、しばらくでござる。」
成松は先に小鶴に挨拶したあと、堅兼に向かって徳利を掲げて見せた。
「いい酒が手に入った。」
堅兼は、古くからの友に、にこりとして言った。
「いつも、すまんの。」
(二)
夕闇が去り代わって月明りが強さを増し、百武家の庭を青く染める。小鶴は燭台に火を灯した。縁側では、地場のムツゴロウを葱と味噌鍋にしたものと、白い満月を肴に、堅兼と信勝が酒を酌み交わしている。多少の泥臭さはあるものの、葱の甘味がムツゴロウの苦みと合わさり、肴としてこの上ない。
小鶴が糠漬けの小皿を差し出しながら、旧知の成松にずけずけと言った。
「成松様も早くお嫁様を持たれたらよろしいのに。」
千石取りの成松信勝は、当時の武将には珍しいことだが、四十四になる未だ独身を貫き、もちろん子もいない。水之江の広い屋敷に、家事一切をする小者の老夫婦と一緒に住んでいる。嫁の世話をする者もいたが、にべもなく断り続けている。中年になった今も、すっきりとした細身長身と整った顔立ちに、すれ違った家中の娘たちが騒ぎ立てる容姿を保っている。その美貌と独身の不釣り合いに、男色家という噂もたつほどだが、そうではないと堅兼は感じている。
あけすけな物言いに、信勝は苦笑で返した。
堅兼の差し出す徳利を小さめの盃で受け、くっと飲み干す。この男は酒もいける口だ。一方の堅兼は、酒は好きではあるが弱い。盃三杯ほどで酩酊状態だ。酔った勢いで、友の前、思わず思いを口にする。
「最近の殿は、どうされてしまったんじゃろう。」
「どうとは?」
「赤星のことよ。蒲池のことよ。あまりではないのか。」
「滅多なことは言うものではない!」
信勝は口に指をあてると、耳を澄まして周囲を探った。小声で
「最近は昔の平家よろしく”禿”なる者たちを雇い、家中の動向を探っておられるとの噂もある。禿に関して、真偽はわしにもわからん。しかし、お主の忠誠は疑いもない。痛くもない腹を探られんことじゃ。」
兼堅は首をすくめた。
「昔は良かったの。戦場でわしとお主、ただ一心に武を示せばよかった。お家は大きうなったが、わしはだんだん窮屈になっちょる。」
信勝は微笑し、ため息をついた。
「そういうあけすけな所が、お主らしくてわしは好きじゃ。しかし、人によっては叛心ありととる者もおるぞ。昔とは違う。龍造寺は九州を平定し京へ向かう。それだけの力を備えた。この夢を描いた時から、家中皆その夢に向かって変わらねばならないのだ。」
「変わらねばならんのかの。」
兼堅の率直な問いに、信勝は頷いた。
「信長を見い、天下人となったが、叡山や奈良を焼き討ちにして、自ら天魔と名乗っていたそうじゃ。天下を取るには非道と思えることもせねばならんのだ。」
「その信長は明智日向に背かれ、先年死んだではないか。」
信勝はやれやれという顔をした。
「それが滅多のことだと言っておる。考えて喋らんと身を亡ぼすぞ。」
言葉を続けかけて、すっと立ち上がり辺りの気配を探った。
「どうした?」
「しっ。」そう言うと外に向けて走り出す。堅兼も後を追って走った。
(三)
日が落ちて一刻ほどだが、塀の外は武家町であることもあって、人通りはない。どの家にも、外灯もないため通りは真っ暗だ。
よく見ると、その通りに蓆を敷いてぼろぼろの着物を着た竹籠売りの老翁が、座って居眠りをしているようで、こっくりこっくり船を漕いでいる。
「爺さん風邪をひくぞ。」兼堅が駆け寄って話しかけた。居眠りをしているうちに日が暮れてしまったのか。
老人は感謝の意を伝えると蓆を丸め、道具を背負うと立ち去ろうとする。
「待て。」
信勝が老人の背中から声をかける。
「ここは武家町じゃ。もう少し行くと人通りの多い商人町、物売りなら普通そちらに行く筈、なぜわざわざ人通りの少ないここにおる。」
背中を向けたまま、老人はじりじりと距離をとろうとする。
「申し訳ねぇ。ここいらは初めてですで、分からんかったのじゃ。」
「そうか爺さん、どこから来たのかね。」堅兼は何も疑っていない。
「へぇ、唐津村でやす。」
堅兼も、その言葉を聞いて身構えた。
「爺、貴様何者だ。唐津村は漁村、竹林などどこにもないぞ。」
信勝の言葉に老人の動きが止まった。
曲がっていた背筋が伸び殺気が伝わってくる。目にもとまらぬ速さで、後ろから信勝が斬りつける。老人を背中から真っ二つにした、…ように見えた。老人がいた辺りには、切り裂かれた竹籠のみが転がっている。まるで闇に溶けるように、老人の姿は消えた。
「島津の忍びか?」
兼堅の問いに信勝は首を振った。
「わからん、しかし気を付けよう。我等が本拠にも怪しき者が出入りするようになったということは確かじゃ。」
(四)
肥前の国嬉野郷、古くから名湯の地として近郷近在に有名で、隆信も戦の後は必ず立ち寄って傷をいやし、疲れをとっている。
今回も、四天王の江里口信常、円城寺信胤ほか数人の供回りといった少人数で湯につかりに来ている。
青空のもと、露天に浸かった隆信は目を閉じ眠っているように見えた。露天のすぐ外では信常、信胤らが警護している。皆小袖に小袴といった軽装に大小を刺しているが、信胤のみは頭巾を被っている。戦でも面頬を外さず、平素も頭巾を被ったままの信胤については色々噂が絶えないが、病気でふた目と見られない顔になったからだと本人は説明している。
目をつぶった隆信の頭の中には、九州の地図がある。薩摩大隅には興味が無い。痩せて山ばかりの土地と聞いているからだ。島津が降伏するなら、そのまま呉れてやってもよいと思った。肥後は抑えたも同じ、島津を倒せば日向も手に入る。後は筑前、豊前、豊後、そして周防、長門へかって大内家が領していた版図を我がものとし、西国の雄として京へ旗を立てる。軍師木下昌直が描いた天下への絵図は、隆信の心をとらえて離さなかった。
湯がちゃぽんと揺れた。どこから舞い込んだか山桜の花が浮かんでいる。今年で五十五になる。思えば、よくぞここまでこれたものだ。再び目を閉じた隆信は遠い昔に思いをはせた。
隆信は、少弐家の勇将龍造寺周家の嫡男として、水之江城で生まれた。
生まれながらにして身体が大きく、力も強く乱暴狼藉を働くので、将来を危ぶんだ父によって大叔父豪覚が住職を務める宝琳寺に預けられた。
ここで学問を学んだ隆信は頭脳の優秀さを認められるが、乱暴癖は収まらず、寺付近の不良少年を束ねて悪さばかりした。呆れた父は、隆信をそのまま僧にする気だったらしい。
隆信の運命が大きく変わったのは、父を始めとして祖父、叔父たち一族が、主君の命を受けた少弐家老馬場頼周に謀殺されたからだ。
今でも、あの大雨の日、齢九十一になる曾祖父家兼が、血相を変えて宝琳寺を訪ねてきたのを昨日のように思い出す。
老いたりとは言え、権謀術数に優れた家兼は、隆信を還俗させ、弟長信たちと共に引き連れ筑後の有力豪族蒲池氏を頼るべく、肥前脱出を図った。降りしきる雨の中、隆信達は敵の追撃を退けながら、数人の伴と必死に柳川を目指した。伴が一人づつ討たれ死んでいく、隆信は生まれて初めて恐怖を覚えた。
筑後に着いた家兼は、蒲池氏の力を借り、ついには馬場頼周を討ち取って龍造寺家を再興し、隆信に託した翌年亡くなった。
このことから隆信が学んだのは、死んだら負けということだ。強いだけでは駄目だ。父も祖父も武勇では肥前一と評判高かったが、謀略で非道に殺された。狡くなければ、非道でなければ、この乱世を勝ち抜くことはできぬ。
ところで曾祖父の存命中、隆信は何故自分に龍造寺家を託すのか尋ねた。殺された父は、隆信を嫌い跡目を長信にと考えていたようだったからだ。曾祖父はからからと笑い、お前に素質があるからに決まっておるじゃろうと述べた。
お前には、肥前はおろか天下を狙う才覚があると言い、この時代を生き抜くには、もっと大きく、もっと強くなれ、賢く狡く非情になれと諭した。
人には、それぞれ限界がある。その限界を超えた者だけが、常人とは違う大きなものを手にできる。わしは常にそう思って生きてきた。
息子や孫にも言い続けたが、残念ながら誰一人限界を超えようとする者はいなかった。わしはお主を見たとき、常人離れした体躯と、荒々しい瞳に、これこそ限界を超えるもの、人を超える者じゃと感じた。
隆信、人を超えよ。己は熊じゃ、人を従え人を食らい尽くす熊となれ。
まるで木霊のように、曾祖父の言葉が頭の中で繰り返し響いた。
「熊、……肥前の熊か。」お湯の中でひとり呟く。わしは限界を超えることができたじゃろうか。曾祖父の言葉を振り払うように、湯に浸かり乍ら、ばしゃばしゃと顔を手で洗い、外に向かって叫んだ。
「信胤、入ってきて背中を流してくれ。」
外で警護していた信胤は少しビクッとしたようだが、信常と目を合わせて一人湯治場へ入っていった。着衣のまま入ろうとすると、隆信が「無粋な、着物のまま湯に入るか。」と言った。仕方なく岩陰で着物服を脱ぐ、小袖の下から晒が覗く。晒を外すと白く見事な乳房が現れた。次いで頭巾をとる。噂と異なり美しい顔、艶のある長い黒髪、憂いをたたえた瞳。
隆信の前に立つと、隆信はしげしげと信胤を眺めまわし「少し見ぬ間に、また大きくなったの。」と満足げに言った。
「父上、お戯れを。」
実は円城寺信胤は隆信の娘である。隆信は正室との間に三男二女を設けたが、信胤は外に作った娘である。武家ではあるが、身分の低い母の実家の利用価値は低く、隆信は生まれた娘を冷淡に扱い名すら付けなかった。代わりに祖父が、水仙の花から仙と名をつけてくれた。
龍造寺の血か、この娘は幼いころから武芸に長じ、近隣で有名となった。それを知って、別に姫として龍造寺家に迎える気もなかった隆信が、戯れに男として円城寺家に預け、当時の自分の名胤信をひっくり返して信胤と名付けた。その育ちのせいか、信胤は父の愛を得ようと必死に武芸を磨き、今や四天王の一人となったのだ。
「恨んでおるか。」
父の問いに、背中で娘は黙って首を振った。幼いころは父を求め、戯れに円城寺信胤とされてからは正直恨みもした。しかし今は父の近くにあって、その人柄も苦悩も知ることができる。娘としてではないが、子として父を精一杯支えたいとの思いが溢れる。自然と背中を流す手にも力がこもった。父は満足そうに眼を閉じている。奇妙な親子関係であった。
この秘密は、円城寺家でも一部の重臣近習、龍造寺家では江里口信常しか知らない。江里口信常は、甥の鍋島直茂の一兵卒だったものを、抜群の武勇に目を付けた隆信が貰い受けた男である。隆信の下、同じ四天王の信胤、信勝、堅兼と切磋琢磨しながら成長し、一軍を率いる将にまでなった。隆信個人への感謝と忠誠心は人一倍強く、隆信が命じればどんな非道も喜んで行う。隆信にとっては、最も信頼のおける部下であり、反発しない優秀な道具だった。
今年三十六になるこの男も、信勝同様独身であるが、こちらは人並み外れた長身と、馬のように長い顔で、信勝と違い女にさっぱりもてなかった。
縁談はあったが全て断っているのは信勝と同じだが、理由は全く違った。
どうやら信常は、叶わぬ思いと知りつつ、信胤に恋い焦がれているらしい。
駕籠がひとつ、こちらに向かってくる。信常は家臣に指示し、警戒を強めた。信常の目の前で駕籠は停まり、降りてきたのは杖を片手に抱いた木下昌直である。
「ご苦労ご苦労。」
そう言い乍ら湯治場に入ろうとするのを信常が押しとどめた。
信胤の秘密を昌直は知らない。
それ以上に、この男に信胤の裸体を見られるのは我慢ならない。
「なんや、いかんのかいな。」昌直は不服そうだ。
「昌直か。」湯治場から声がかかる。
「はは。」かしこまる昌直に、「今あがる。」と隆信は声をかけた。
(五)
湯治場近くの崖の上で、隆信は昌直の報告を聞いた。付近は信胤、信常らが警戒している。
長信からの報告、細作が調べた肥後の情勢が語られる。昌直が話し終わるのを待って隆信は口を開いた。
「ここは勝負に出るときじゃな。」
「まさに。」昌直は深々と頷いた。
「島津がやる気になっておる今こそ、決着をつける好機にございますぞ。今を逃せば島津はまた山深い薩摩へ引っ込んで、我々が引き上げれば出てきますで。」
「お前の言い方じゃと、まるで山猿じゃな。」
苦笑して言う隆信に、昌直は頭を振って言う。
「猿やおまへん。島津ちゅう家は、代々狐を守り本尊としとると聞きました。そんな話は、近畿でも関東でも聞いたことおまへん。けったいな話や。島津は狐や、鷹狩の野狐でございます。」
「なるほど狐か、せいぜい薩摩の狐に化かされんように事を運ばねばならんな。」
「狐汁にしまひょ。」信胤らがびっくりするほど、主従は大声で笑いあった。
隆信は信胤を呼び、水之江の嫡男政家、勢福寺城の次男江上家種、武雄城の三男後藤家信、柳川の甥鍋島直茂に早馬を立てるように命じた。
「内容は。」との信胤の問いに隆信は答えた。
「肥後八代への出陣、期日は七日後、皆が水之江に集まってからじゃ。」
そのとき、崖下から鷹が飛び立ったが、山中なので鷹くらいいると、誰も気に留めなかった。
崖の中ほどに、苦無を使ってへばり付くようにして、先日堅兼達が逃した老人がいる。伊賀の抜け忍にして梅北国兼の細作である「山蜘蛛」、隠形と幻術を得意とし、若い頃は「果心居士」の名で知られた。この老忍は、ここ一年龍造寺家にへばりつくようにして情報収集し、国兼へ送り続けていた。
「やっと始まるか。わしももっと忙しくなるの。」
老忍はひとりごちて、あっという間にどこかへ消えた。
ざっざっと、目の前の通りを、大勢の軍勢が、水之江城目指して勇ましく行軍していく。いつものように、小鶴は堅兼に鎧を着せ付けると、背中をポンと叩いて
「行ってらっしゃい。」と言った。
行ってくると言った夫の背中に、子供達と手を合わせ武運を祈る。いつもの出陣の光景。
しかし、これがこの仲の良い一家の永遠の別れとなった。
(六)
軍議は水之江城大広間で行われた。隠居したとはいえ、実質的な当主であり続ける隆信と、嫡子であり形式的当主の政家が上座に並んで座り、左右に二人の息子江上家種、後藤家信、その次に甥である鍋島直茂、弟信周、家就ら一門衆、大村、犬塚の両弾正、上瀧信重ら重臣が広間中央に敷かれた巨大な九州の地図を囲んで座り、地図の下端には軍師木下昌直が畏まっている。四天王ら武将クラスは、その後方に並んで座っている。
龍造寺家の軍議は、その名に違い議論の場ではない。独裁者隆信の決定を伝える場であり、情報伝達の場に過ぎない。今回もそうであった。先程から、木下昌直が諸将に対島津の情勢を伝えている。意見や質問は許さない。考慮は必要だが議論はしばしば議論のための議論になりがちなものだ。隆信自身の「分別も久しくすればねまる(腐る)。」の言葉通り、決定は果断がよろしく、決定したら行動あるのみ、これが龍造寺家の流儀である。
先程から片頬つえをついて、つまらなそうに軍議の場を眺めていた隆信の目に、三人の息子が映った。嫡男政家は、体躯も隆信の実子と思えぬほどに小さく痩せこけ、病弱で武術もからきしである。次男三男は体も大きく、武勇にも優れている。なぜ政家を後継にしたかというと、他の二人にない狡猾さを持っているからだ。儂がいなくなれば、こやつら兄弟で争うじゃろうな。同じ母から生まれながら、この三人の中は、幼いころから悪かった。そこで早々に弟二人を肥前の有力豪族に養子に出し、兄弟争いの芽をつぶし、肥前の支配を強化した。
強いだけではだめだ。狡いだけでも駄目だ。両方を兼ね備えねばならぬ。残念ながら、我が息子にはその両方が備わらんかった。その両方が備わっておる者は。つい甥に目が行く。直茂は、智勇兼備の将として名高いだけでなく、必要とあれば、どんな残忍なこともできる。若い頃の自分を見ているようだ。その甥を日ごろ頼もしく思ってきたが、さすがに老いを感じるようになった近年は、脅威に思うようにもなっている。儂が死んだ途端、龍造寺本家を我が物とするのではないか、こういった疑念がむくむくと沸いてくるのだ。いっそ、九州を統一した時点で殺してしまうか。
叔父の視線を感じて、何かと言う顔で、直茂がこちらを見た。思わず目をそらした。こちらの思惑を気づかれないようにせねばならぬ。でなければ、この甥には、こちらが殺されかねない。
八代攻めの陣割が発表された。隆信と政家の龍造寺本隊1万、鍋島直茂の1万、江上種家、後藤家信が1万ずつの総勢4万。弟信周ら残りの2万余りは控えとして筑前、筑後の変事に備える。
行軍は陸路、まず大川から筑後柳川に出て、大牟田、荒尾、隈府、宇城と進み、十日をかけて八代古麓城へ至る。明日早朝、鍋島勢を先鋒として出立する。
最後に隆信本隊の新装備が発表された。中庭に誘われた諸将は、見たこともない金箔を方々にあしらった美麗な二輪の荷車のようなものを見た。
木下昌直が説明する。
「大陸で古くから使われた”戦車”でございまする。この一台に御者を含む四名の武者が乗り移動しま。大きな車輪により、多少の悪路もへっちゃらでございま。移動の道具ばかりではおまへん、走っている車上から弓を射て敵を攻撃できますよって。」
諸将が感心してみているのを確認して、昌直は満足げに続けた。
「隆信さまが率いる本隊は、今よりこの戦車五十輌からなる”金熊大戦車隊”となります。」
言葉と同時に、黒字に金で刺繍した”熊”の旗印が掲げられた。
諸将がどよめく。
戦車は、停車しているときは簡易な防御壁となり、本陣自体の素早い移動を可能とし、真の意味で本陣を、四天王隊に続く第五の強力な攻撃の核とする。これで隆信本隊の弱点は補われ、九州最強の部隊は完成したことになる。
翌日早朝、鍋島勢を先頭に龍造寺軍四万は水之江城を八代に向けて出立した。
領民が歓声を上げる中、各隊美美しく磨き上げた甲冑を着て、隊伍を整え勇ましく行進していく。
特に馬にひかせた戦車隊は目を引いた。隆信自身が乗る戦車は、他と違い隆信に合わせて一際巨大で天蓋を備え、三頭の大きな馬に引かせている。
さながら馬揃え(軍事パレード)のよう、これも内治のためのひとつの工夫には違いなかった。
九州中、いや日の本一円に告げて回れ、日の本最強の軍が、今から島津を討伐に行くのだ。
肥前を偶々訪れていた南蛮の若き宣教師が、その行軍を見て
「その威光、軍略は、カエサル(ジュリアス・シーザー)のよう。」と比喩した。
ルイス=フロイス、
ポルトガル出身でイエズス会のカトリック司祭、
後に戦国後期の史書「日本史」を著述する人物である。
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