うなぎ

小笠原寿夫

第1話

1.うなぎ

直射日光に目をすぼめる会社員や学生達が、交差点で、赤信号を見ている。梅雨が短かったせいか、例年に較べ、体感温度が、高く思える。私も、その信号を待っている集団のうちの一人である。スーパーのレジ袋を、手に持ち、信号が、青に変わるのを待っていると、信号が、まるで私の分身のようにも思えてくるのは、なぜだろうか。

今日の献立は、おかゆと青菜。それだけをぶら下げて、家路に着く。

ワンルーム3階建てのマンションの2階で暮らす私には、隣人といえば、このマンションを紹介してくださった、同僚の先輩くらいなものだ。

私は、スマホを手に取り、木製のベッドに横たわっている。

不意に、チャイムが鳴った。

「はい。」

私は、インターフォン越しに 、相手が誰だかを調べた。

「上の301号室に引っ越してきました。これ、引越しのご挨拶に。」

ボディソープだった。中を開けると、高級そうな、ボディソープが丁重な箱に入っている。私は、封を空けずに、風呂場近くに、それを置いた。

 また、木製ベッドに横たわる。今度こそ、寝られるだろう、という淡い期待を胸に、暗がりと静寂と闘った。

「寝られない。」

また、スマホをいじる。Youtubeを除くと、芸人さんが、所狭しと、活躍している。ラジオにも似た、そのアプリは、過去の映像から、現代の映像まで、網羅する、夢のアプリである。

私は、それをいじると、何故かよく眠れる。

朝が来た。

もんどり返るように、目を覚ますと、時計を見る。時計といっても、目覚まし時計や、腕時計ではなく、スマホの電波時計である。これがないと、もう生活していけないくらいに、それに没頭している。しかし、考えよう。

私は、携帯電話を手にした日、メールがある喜びに、胸躍ったものである。

それから、10年。携帯電話は、誰もが持つ、必須アイテムとなり、時代は、スマートフォンに打って変わった。

余談だが、私は、学生時代に、「携帯電話に取って代わるものは?」との大喜利に、「中指」と、答えた。その心は、仲良くメールする時代から、喧嘩、惹いては、戦争の時代が必ず来ると、予感していたからだ。

「今の時代に、戦争なんて。」と思われるかもしれない。しかし、核は、情報機器に取って代わり、スマホとパソコンで何でも出来る時代が訪れた。スマホが、武器になる。そんな時代が、もう来ている。

 所詮は、電話でしょ?と思われるかもしれない。しかし、19世紀は、化学戦争。20世紀は、物理戦争。次に訪れる戦争は、まず間違いなく、数学戦争である。その波は、もうすでに来ているといっても、過言ではない。

ノーベルは、トンネルを掘るための道具として、ダイナマイトを作った。それが、第一次世界大戦に使われた。アインシュタインは、特殊相対性理論を、提唱し、それが、核兵器として、第二次世界大戦に使われた。そして、スティーブン・ジョブスは、スマートフォンを発明し、世に送り出して、自殺した。

 何の関連性もないものから、戦争が生まれる。これは、人間の業の部分である。

 許せないかもしれないが、世の中が便利になればなる程、人間の欲望は、底知れず、露呈する。人が、人を思う気持ち。反面、人を殺めなくては、生きていけない状況。これは、人間が持ち合わせた、二面性である。片一方の天使が、もう一方の悪魔を退治するまでは、この戦争は終わらない。

 そして、今も尚、戦時中にいる、我々は、時の総理の「デフレ脱却」という経済目標から、足を洗えないでいる。要するに、購買意欲を高め、流通するお金を増やそうという話である。

 金というものは、所詮、信用という名の元に成り立った、ツールに過ぎないのに、それを、人は、時に自分を捨ててまで、守ろうとする。それは、悲しいことだ。

 またチャイムが鳴った。

 覗き窓から見ると、知り合いの男性だった。

「ちょっとライター余ってない?」

「いや、ちょっと待ってくださいね。今、探しますから。」

そういうと、私は扉を閉めた。ライターは、ガス欠のものばかりで、ひとつも使える物がない。

「すみません。ライター使えるやつないですわ。コンビニ行ったら、置いていますから。」

男は、残念そうに、

「そうか。ごめんなぁ。ありがとう。」

と言って、ドアを閉めた。

私は、また、スマホをいじり始める。元々の役目は、電話だから、手に持つたびに、個人情報が流出していることは、火を見るより、明らかである。

 私が持っている、アイデンティティ。それを、本当に、この薄い機械が、見るも明らかに、壊していく。

 私は、高校野球をつける事にした。暑い夏の季節だから、差し掛かった、向こう側に、甲子園球場があり、天気は、ここと同じである。暑さ、天候、時の流れ。

 それは、まるで、この小さなマンションに臨場感を与えてくれる。

「今年は、どこが優勝するかな。」

毎年のように聞かれるその遣り取りは、まるで、自分が甲子園に出るように、または、監督にでもなったように、その人の気概が感じられる。高校野球の聖地は、兵庫県内に留まらず、全国から、脚光を浴びる。甲子園で優勝旗を目指しながら、野球部の精鋭達が、しのぎを削る。しかしながらである。

「野球はコント。」

これが、私の持論である。白球に込めた思い、観客席からのどよめき、そこでプレーする選手たち。いつもながら、これほどまでに、シュールなコントは、数少ない。裏方の人がいて、主催者がいて、スポンサーがつく。それに監督は、采配を下し、あくまで勝ちにこだわる。これほどまでに、このスポーツが、進化したのも、野球が魅力的なのも、そこに、ドラマがあるからだ。

戯言は、このくらいにしよう。

うなぎの値段は、なかなか下がらない。高騰するうなぎの値段は、消費増税と共に、家計を苦しめてきた。食わなければよかろう、と思うのだが、中に入るプリン体は、人にエネルギーを与える、とされている。高カロリーだから、夏バテ効果にも影響する。

「お待たせ致しました。」

そう店員が言って、提供される、すき屋のうな丼は、中国産だそうだ。

 私は、それをまるで吸い込むように、平らげる。どんぶりを綺麗にして、自分の顔が、どんぶりに映る程、綺麗に食べる。そして、心の中で、ハンサム丼、と思いながら、冷たいお茶を飲み、おあいそをする。

「すいません。レシートください。」

 私は、必ずと言っていいほど、それを忘れない。一人、暮らしながら、レシートを家計簿を写しているからだ。家計簿をつけて、何が節約される訳でもないが、モノを買った後に、いくら使ったかを、書き込むことで、自分が、どれだけ社会にお金を流通させたか、を感じ取ることが出来るし、大体のモノの相場がわかる様になってくる。何より、モノを買った後に、それを記録に残すことで、私の台本を作っているようで、何故か、落ち着くのだ。

 物書きの習性かもしれないが、ボールペンを握って、何かを書く動作は、社会に影響を与えているような、謂わば、マスターベーション的な快感を覚える。

 だからかどうかは、わからないが、私は、その日に下ろした貯金を一日のうちで、使い切って しまうことが、多々ある。家計簿をつけるのが、日課になってから、銀行に生活保護費を、引き出しに行くことが、多くなったのもその為である。小刻みに貯金を下ろして、貯蓄を残す。そうすることで、大きな使い方をすることが減ったし、一番大きな出費は、家賃に回っている。そうして、私の金銭管理は出来ていった。

 睡眠を考える。

 夢の中では、皆、天才だ。そう言い切った男がいた。眠っている間、現実とも幻覚ともつかない映像を見る。それを、映像化できれば、凄まじい映画が仕上がる。なにより、脳波がコンピュータを動かす時代。夢を具現化する、ソフトというものは、事実、技術的な面を除けば、不可能ではないらしい。

 私は、ある夢を見た。夢といっても、眠っている間に見る夢ではなく、列記とした将来の夢である。

「ヨシモト入って、漫才せえへん?」

「そんなこと考えてたん?」

「うん。」

「なんで、俺を相方に選んだん?」

「お前が一番おもろいから。」

 実家近くの公園で、二人は、明らかに漫才をしていた。

A:いや~、マァしかしあれやねぇ。

B:何がいな。

A:アラニンとグリシンだけは、シトシルやねぇ。

B:いや、アルギニンがアルギニン酸に及ぼす影響なら、判らんではないけれども。

A:わかるんかいな!

B:わかるがな。2の平乗根がわからんだけの話であって。

A:それはわかるやろ!

B:いやいや、2やろ。それをどうやって割り算するねん。

A:二乗して、2になる数が2の平乗根や!どうやったら学習するねん。

B:いや、そこまでは、俺かてわかるがな。要は、logや。わからんのは。

A:微分したら2になる数をlog2と覚えんかいな。

B:要するにあれか。弱いものいじめか。そうやって、logとか微分とか引っ張り出して。

A:いやいや、いじめてるつもりは全くないがな。要するにそういった考え方もあるって事。

B:ほしたら何かい?百万円が置かれてて、これは、log百万円を積分したものなんやなって考えるやつおんのかい。

A:へ理屈やがな。

B:禿げたおっさんがおって、あの人、ルート禿げたおっさんを二乗したものやって思うか?

A:意味わからんわ。話を解りにくくするな。じゃあ、お前なら、どうやって割り算を説明するねん?

B:りんごを何等分すれば、皆に行き渡るでしょう?

A:小学校の算数かい!

B:それで充分や。

A:で、答えは?

B:ジュースにする。

A:擦ってどないすんねん!やめさしてもらうわ。

AB:どうもありがとうございました!

「ベタやな。」

審査員に酷評された。「またか。」と、舌打ちをかみ殺した。

「君ら、もうちょっと、若手の漫才できないの?」

審査員は、スリッパを足に引っ掛けながら、ペン回しをしている。ぶち殺してやろうかと思った。公園での漫才から、数年後の話である。

その時、ふとひらめいた。

「うなぎを使おう。」

2.うなぎと私

 冬暗がりの中、一人の素人が、腕を磨いている。湯屋での話である。石鹸とシャンプーを持ち、洗面器とタオルを抱えている。

一回400円。

「リッチな生活してんなぁ。」

「いや、家に風呂がないもんで。」

自家用車に乗っている、その男は、大学の先輩に当たる同級生である。

 それを思い出しつつ、石鹸とタオルで、ごしごし腕を磨いている。湯屋も高齢化が進み、サウナスパ等に、客を獲られている模様だが、まだ、銭湯が、儲かっていた時代の話である。私は、最後の挨拶に、大学を訪れた。

「君は、何を研究したいの?」

「えー、たんぱく質とか。」

教授は、小さな声で、「可能性はある。」と言った。「可能性」が、若干、「化学性」にも聞こえた。神戸空港から、飛行機で2時間弱。私は、復学のことだけを考え、空港のロビーに降り立った。まだ2月のことで、雪がちらついていた。

 北海道札幌市。

 この場所には、いい思い出も悪い思い出も、たくさん詰まっている。私は、ここに、骨を埋める覚悟で赴いた。

「明日、また来なさい。」

私は、粘り強い性格だと、自負していたが、決して、そうではなかった。

 精神安定剤を飲まなかった為、その晩、小樽まで、汽車で向かい、フェリーに乗り込んでしまった。すぐに、寝付けたが、赤い鬼が、悶々と暗闇の中を踊っている。もの凄く大きな汽笛と共に、恐ろしい夢だった。

目を覚ますと、そこはフェリーの大部屋で、それこそ起きた瞬間から、恐ろしい精神状態にいた。

 私は、喫煙室を探した。かなり広い船内と、その下にある日本海か太平洋の大きさに、恐怖心を覚えた。

「すいません!喫煙室ありませんか?」

何度も繰り返し、叫びまわった。あまりしつこいものだから、乗員が、その場で喫煙室の鍵を開けてくれた。

 余談ではあるが、私は、起き抜けに煙草を吸わないと、夢から覚めない。朝の一服が、私を形作っていく。

 そうして、喫煙室で一人、煙草を吸っていると、「連合は、どうなってるんだ。」とか、「連合は、何をやってるんだ。」という声が、聞こえてきた。年配のその方々は、喫煙室に入ってきた。連合というのは、民主党の支持母体であり、自民党が圧勝しているときに、その情けなさを彼らは、憂いていた。要するに、私が通っていた学校、北海道大学も 連合が支持母体だったわけである。

 そんなことも知らずに、私は口を利いた。

「だけど、安倍さんが何とかしてくれるんじゃないですか?」

彼らは、閉口した。

「今の日本の現状を、新聞で知らないといけないよ。安倍内閣が、とか言ってたら、駄目だよ。」

後から、知った話だが、自民党の支持母体は、資本家と呼ばれる財界のトップ。民主党の支持母体は、連合と呼ばれる団体。公明党の支持母体は、創価学会。

 私は、フェリー内の銭湯に、身を癒していた。周りを見渡すと、背中に彫り物をしている方々が、汗を洗い流している。

 これか、と思った。さっき見たおぞましい夢は、これだったのか。

「実は、小説を毎月、投稿してるんです。」

私は、それをさっき見た極道の方に、吐露していた。

「いいとこあんじゃねえか。さっき話していたおじさんだって、芽が出たのは、50代の頃だったんだよ。」

あの人に、聞いてごらん。そう言われて、私は、優しそうなおじさんに、洗いざらいを話した。

 北海道大学で、メールを使って、面白いことを模索していたこと。それを、商売にしようと目論んでいたこと。そして、今でもその夢を諦めていないこと。

 おじさんは、それを真剣に頷きながら、聞いてくれた。

「君が、小説を投稿している。それは、社会に対して、働きかけているということだ。だから、それを辞めるな。絶対いいことあるから。」

 話は、3時間ぐらいかかったと思う。私の話を聞いた、おじさんの出した結論だった。

 そして、我々は、別れを告げ、フェリーを降りた。

 うなぎの特徴。うなぎの習性。うなぎの生息地。全ては、海の中に答えはある。世に出るときには、殆どの場合、蒲焼にされて、出てくるが、そのうなぎを何かに使えないか。そればかりを考えていた。

 暴力。精力。気持ちの悪さ。それは、手垢のつけられたうなぎをテーマにした、過去の作品群である。それを、漫才に取り入れよう。そう考えたのは、最後の兵器として、うなぎというのは、使えそうだと思ったからだった。それもあの日のフェリーで見た刺青と、おじさんと話をさせて頂いた、私の中に生まれてきたものだった。

 その晩、私は、携帯電話を手に取りながら、ネタを書いていた。

漫才「うなぎ」

A:いや~、マァしかし色々ありますけどねぇ。うなぎについての考察をお前の口から、聞きたい。

B:なんでうなぎやねん!

A:いや、ひとつテーマを与えられたら、それに答えるのが、芸人の務めやろ。

B:せやかて、お前、うなぎについて考える機会なんて、マァないで。

A:ええか。うなぎを何かに喩えてうまいことゆうてみぃな。

B:わかるがな。うなぎとかけまして~。

A:はい、うなぎとかけまして!

B:バレーボールのサーブミスと解きます。

A:はい、その心は?

B:どちらも網にかかるでしょう。

A:まあまあやな。

B:ほな、お前なら、どないして解くねん。

A:解けるとか、解けないの問題じゃないねん。お前、うなぎにこだわり過ぎ。

B:お前がうなぎに喩えろゆうたやろ!

A:うなぎとかけて、解けないパズルと解きます。

B:はい、その心は?

A:お前、うなぎに負けとるでぇ~。

B:初めて聞いたわ。そこまでうなぎにこだわるやつ。

A:締めてくれる?

B:え?

A:うまくうなぎで、締めてくれる?

B:えー。うなぎだけに煙に巻かれて終わります。

A:もうええわ!

B:お前に言いたいわ。

 やはり、相方にも認めてもらえなかった。なかなか、テーマを飛躍させることは、難しい。

A:大寒波がですね。

B:もうすぐ冬ということでね。やっていきましょう。

A:怖いんです。

B:うまいこといいなはる。

A:なんで京都弁やねん!

B:いや、マァ先に京都が出来たからね。

A:かっこつけ過ぎ。

B:かっこつけたいやん?

「みたいなんは、どう?」

相方は、口頭で伝えた。

「抜群の寿司やな。」

冬は、すぐそこまで来ていた。そして、2015年12月。M1グランプリは、復活した。

それ用のネタを考えたので、披露する。

「どうも幽玄でございます。」

「ゆうてやっとりますけど、幽玄の名前の由来まだお前に話してなかったな。」

「聞いてないけど、そんなもんに由来とか必要なんですか?」

「コンビ名ってゆうのはな、そのコンビの命運を左右する大事なもんなんや。だから、お客さんも交えて、今日はお前に幽玄の由来を説明する。それでかまへんか?」

「で、由来は何やねん。」

「わび、さび、幽玄っていう俳諧の専門用語があるやろ。これは、松尾芭蕉が言い出したことやけど、その幽玄には、形あるものは、みんな崩れて行くっていう意味があるねん。だから、われわれのコンビ名もいずれ消えて行く。」

「玄悪ぅてしゃあないわ。」

「玄を担ぐっていうのは、芸人それぞれ大事にせなあかんことやけど、それを一旦、否定することで生まれてくる分野もある訳や。それもみんな含めて、幽玄や。」

「そんなもん楽屋でこっそり話しせぇや。舞台で言うことやあらへん。」

「まぁ、お客さんにも覚えてもらいたくてね。」

「なるほどね。」

「マァそれもいずれは儚く消えてしまうもんなんですけど。」

「だから、それを言うなよ。憂鬱になるわ。」

「我々も儚く消えて行く存在として、幽玄っていう名前だけが残って行けば、俺はいいと思う。」

「いや、お前の思い入れは知らんけど。」

「皆さんも覚えてくださいね。そして、忘れていってくださいね。」

「それがいかんがな。これから頑張っていかなあかんのに。」

「すべては灰になる。」

「理屈こねるのは、かまへんけど漫才をしましょうよ。」

「いいですか?僕、実はいま小説を書いているんですよ。」

「それがどうしたっていうんですか?」

「そのタイトルが『うなぎ』やねん。それが煮詰まっててな。お前も一緒に内容を考えてくれへんか?」

「かまへんけど 、どんな話なんですか?」

「編集者に駄作やっていう言葉を突きつけられるところから話は始まるねん。」

「なるほどな。それからどうなるの?」

「そこで煮詰まってるねん。」

「のっけから幸先悪すぎやろ!」

「いや、そこでうなぎに対するイメージをお前に言ってほしいねん。それを元に創作していくから。」

「マァ、値は張るけど美味しいよね。」

「それや!」

「なにか僕いいヒント出しました?」

「小説家っていうのはな、簡単なことを難しく考えてしまう習性があるねん。そこを単純に言い当てるお前の凄さは、天才的やで。」

「いや~、そうかなぁ。」

「マァ、才能はないけどね。」

「どないやねん!」

「で、それからどうなるねん?」

「いや、お前が書いてる小説ちゃうんか。俺の意見が採用されたら、お前の小説にはならんやろ。」

「それや!」

「他力本願もほどほどにせえよ。で、いい小説が書けそうなんですか?」

「お前のお陰で、素晴らしいインスピレーションが沸いたわ。」

「お前、作家か漫才師か、どっちかにせえよ。」

「すさまじい小説が書けそうや。ありがとう。」

「そこまで誉められると、悪い気はせんなぁ。」

「後で、うな重注文して、お前に郵送するわ。」

「ところで、幽玄の由来の話どこいってん。」

「うなぎも蒲焼にされたら、儚いもんや。」

「落としどころ悪すぎや!」

「うなぎだけにな。」

「なにと掛かってるねん。」

「時代の流れ。」

「どうもありがとうございました!」

3.遺書とうなぎ

これから、長い遺書を書こうと思う。覚悟して読んで欲しい。

私が、産まれたのは、兵庫県西宮市。甲子園が、目と鼻の先にある下町だった。私に子孫はない。だから、相続とかそういった関係のものではない。そのことだけは、まず断っておく。四歳の折、私は、西宮市鳴尾町というところから、引っ越した。

両親の仕事の都合と、狭いアパートに四人家族が暮らすのは、流石に苦しいといった理由からである。

そのころの私といえば、近所のお母さんに、話しかけるのを苦にしない、活発な子供だったと、母親からは、聞いている。

赤ん坊の頃の私は、男性に抱かれると、泣いてしまい、女性に抱かれると、機嫌が良くなる子供だったらしい。

当時の記憶として、朧気に残 っているのは、隣に住んでいる息子さんに、窓枠から、会話をするのを楽しんでいたことと、阪神タイガースの応援に、メガフォン片手に叫んでいたことだ。

そんなことは、どうでもいい。

あなたが、これを読んでいるということは、私は、既に死んでいるわけだから。

何も残せなかった。この世の中に何か貢献することが出来るのであるならば、読んでいるあなたは、この世の中に何かを残していって欲しい。

当然のこととして、知っているものとして考えているが、私は、大学に入った当初、うつ病を発症した。それでも断薬して、無理をして働いたため、統合失調症という病気を併発した。これにより、私は、社会に貢献するどころか、まさに周囲にかなりの迷惑を掛けた。この病は、社会の病気であるとも言われている。社会が頑張れば頑張るほど、どこかに脱落者が生まれる。その脱落者が、私を含むアウトサイダーと呼ばれる人であることは、間違いない。それが、病気の根本だと、勝手に解釈している。

変わり者。

それを、社会は病気と認識した。

この世の中から、統合失調症と呼ばれる病が、無くなっている頃には、私は、もういないのだと思う。

傍迷惑な病気であり、それが我が儘と伝わってしまうのは、そういうものを受け入れる器が、この国、この世界にはなかったからだ、と言ってしまえれば、やはり我が儘になってしまうのだろう。

私の人生の中で、この病気は、既に切っても切り離せないものになりつつある。

例えば、性というものに目覚めたとき、人は違和感を覚える。 その違和感が、一生続いて行く病気。それが、今の私の病である。

何らかの原因というものが、明確になれば、それは、社会に受け入れられる病気だから、社会が、そこに気づいたとき、この病気は、治療、リハビリに拘わらず、治ったと言えるのではないかと考える。

人と人とのつながりを大切にしよう。そういった声が叫ばれていたのが、今、私が生きている社会である。

ところが、反面、小さな仮想現実の世界で、インターネットというものが普及し、それが、人を便利にさせたり、苦しめたりしている。

そこに違和感を意識しないことには、この社会の病は、治らないのかもしれない。

勿論、これは私の主観だが。

むしろそれがなかった時代には、こんなものに頼る必要はなかった。

精神論を言ってしまうと、地下を巡る情報に翻弄され、それが私という変人を生み出し、それが、今後も広まりつつある。洗濯機がなかった時代、人は洗濯板で洗濯物をしていた。その頃に比べ、生活は向上したかに見えた。しかし、人間の力の衰えは、科学が進歩することにより退化する。

現に、当時は当たり前だったことを、今やってみると、変に思われる。

時代は変わる。

それでも、普遍があるのは、人間が動物であること。ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、ちゃんと糞をする。

そのことが、変わらない限り、人間という生き物は、そう簡単には滅びないと思っている。そのことを恥ずかしがったり、隠したりするから、そこに違和感が生まれ、社会の病気が生まれる。

例えば、人がセックスをするとしよう。そのことを、秘め事として扱うことを、日本という国は、美徳としてきた。

それ自体に、間違いはないし、それは素晴らしい文化だと思う。

ただ、セックスというものが、必要なものということを、大人は、ひた隠しに隠した。というよりも、あまりにテーマの根源が深すぎた。

そこで、漫才が生まれた。

そこで、落語が生まれた。

漫才は、神事であり、落語は業の肯定。そして、笑いは緊張の緩和。

笑いという形のないものに、一生を捧げて、凌ぎを削る芸人という生き物が、私が生きた時代には、いた。それは、実は素晴らしいことで、子供にちゃんと教育するのは、実は芸人という職業なんだということを、もっと声高に言っても間違いではない。

芸人って何?の時代になってはいけないし、それは日本の伝統芸能だから、受け継がれていかなければ、ならない。

うなぎって何?の時代が来たとしても、あながち不思議はないし、もし、うなぎが絶滅したところで、昔はうなぎを食べる文化があったんだ、ということを次の世代に残すようなものと言えば、判りやすいだろうか。

軟らかくて、長くて、美味しくて、高いもの。

そこに暴力は、意味合いとして含まれるし、精力というものも含まれる。長く伸びている天然のうなぎは、あなたのいる世界には、いなのかもしれない。そう。芸人というものが、あなたのいる世界に、いないかもしれないことと同義に。

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うなぎ 小笠原寿夫 @ogasawaratoshio

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