太陽と月〈4〉
◆
朝食の席にいたのは、ルクレイとオレの二人だけ。
メルグスさんの作った朝食は温かくて、パンはふかふかで、申し分なしの大満足。
アヤ様も一緒ならもっとよかったのに、と思ったのはルクレイも同じらしかった。
不在のアヤ様を気にした様子で、部屋のほうを振り返る。
「昨日、ぼく、寒くて……アヤに一緒に寝てもらった。邪魔しちゃったかも」
「アヤ様は朝は弱くて。それに最近あんまり眠れなかったみたいだから、寝かせておきたいです」
食後のお茶をいただいて、胸の内から温まる。
「オレもこの頃忙しかったんだ。こんなにのんびりしたのは久しぶりだな」
「忙しかったのは、結婚式の準備があったから?」
「アヤ様に聞いたの?」
ルクレイは頷いた。
誰かに話すなんて意外だった。話題にもしたくないかと思ったのに。
あるいは、自分の生活とは無関係な相手だからこそ、後腐れなく気楽に打ち明けられたのかもしれない。
「――なんて言ってた?」
マナーとしては、聞くべきじゃない。
女の子が二人きりで喋ったことなんて、男の耳がないことが前提なのに。でも、ルクレイなら教えてくれそうだと思った。
ずるい打算でオレはアヤ様の秘密を聞き出そうとしている。
けれどルクレイは笑って流して、オレを卑怯者にしないでくれた。
何を話したんだろう。
気が進まないとか、相手のこととか。
……何を言っても同じことだ。
アヤ様は町に戻って花嫁にならなきゃいけない。
それが、アヤ様の幸せのために一番大切なことだから。
「結婚式って、どんなふう? ぼく、見たことないから……」
「ああ……オレも、見るのはアヤ様の結婚式が初めてになる。このまま無事にいけばの話だけど――そうだ、ルクレイも招待しようか。こっそり来ちゃえば、大勢の人にまぎれて分からないよ」
ルクレイは首を横に振る。
それは遠慮したのではなくて、何か事情がある様子だ。
「ぼくは、ここにいるから。森を離れたくない」
「そうか。残念だな、きっとアヤ様も喜ぶのに」
「……見てみたいな」
好奇心で輝く目が、オレを見ている。
「――え?」
ルクレイは、何を言わんとしているのか。
アヤ様は、昨晩、ルクレイにこう言ったらしい。
『何かお礼を考えておいて』
この森に滞在を許してもらったお礼を、まだろくにできていない。
だからって、その願いは荷が重すぎた。
「……なんでこうなるんだ」
サンルームの中でつぶやくと、息吹が白く広がった。半開きのドアから、新鮮だけど冷たい外気が滑り込む。
オレは着慣れない白いセットアップに包んだ自らの身を抱きしめる。
思いっきり埃っぽい匂いのする服だった。
ルクレイはソファに座って、わくわくした様子で待っている。
――結婚式が見たい。
彼女はそう言った。
今、屋敷ではアヤ様がメルグスさんの手でドレスアップされているところだろう。
都合よく白いセットアップがあったところを見ると、おそらくアヤ様もそれなりの衣装を着つけられているところだろうけれど……まあ、本番のドレス姿を知っているオレの目には劣って見えるだろうな。
そう思うと、ルクレイにアヤ様の本当の花嫁姿を見せてやれないのが悔しい。
「……アヤ、もうすぐ来るかな」
「どうかな。女の人の身支度は、時間がかかるから」
「ハルも、それ、似合ってる」
「ありがとう。……ルクレイが衣装を着ればいいのに」
「でもそれじゃあ全部が見られないから。ぼくはここで見てる」
それで少しも不満はない、という様子だ。
やがてサンルームのドアの向こうからアヤ様が現われた。
白いリネンのワンピースは、やっぱり花嫁衣装というには質素すぎる。
でも、長い髪を丁寧に編み、スズランの白い花で飾った姿は、本番の衣装とは異なれど静かな気品を漂わせている。
オレの目に劣って見える? この目はそんなに節穴だったか?
今目の当たりにしたアヤ様は、今までで一番かもしれない。
何せ素材がすごくいい。アヤ様が着たら、どんな服でも素敵になる。
アヤ様は綺麗だ。
改めてしみじみと思う。心の底から誇らしくなる。
アヤ様を嫁にもらう人は幸せ者だ。そしてその男がアヤ様を幸せにする。間もなく、仮定ではなく事実になる。それはもう間近に迫っている。
アヤ様はまだ寝ぼけ眼な顔で、オレを見つけて、物問いたげな視線を投げた。
「ハル。……これは何」
「ルクレイの『お礼』の注文ですよ。結婚式が見たい、って」
アヤ様は、心当たりのあるような表情をした。ほらね、ご自分で蒔いた種だ。結婚式の話なんかしなければ、ルクレイは興味を抱かなかったのに。
「役者がそろいました」
「ありがとう、メルグス。アヤ、とてもきれい!」
サンルームのソファの前に、ワゴンを設置する。
それらしい本を置いて、誓いの立合い人になるのは黒衣のメルグスさんだ。
サンルームの外は、まだ雪の積もった庭が見える。
その向こうには深い森があって、他者の侵入を拒んでいる。
ここは森に守られた秘密の世界だ。
誰も、これから執り行われる儀式に関与しない。この事実を知っているのは、この場にいる限られた者たちだけ。
まるで夢の出来事みたいに頼りない。だからこそ成立する、奇跡みたいな空間だった。
「それでは、どうぞ」
促されて、アヤ様と一緒にメルグスさんの前に立った。
横からルクレイの興味津々な視線を感じる。
「指輪はぼくが作ったよ」
ワゴンの上に、
これがごっこ遊びの結婚式なのだと実感がわいてほっとする。花で作った指輪が持つのは、せいぜい一日か、二日か。すぐに朽ちてしまうなら、抵抗なくあの指に通せると思った。
アヤ様の指も白い。でも雪と比べたら間違いなく血が通った色をしている。
「汝らは生涯の伴侶として互いを定め、永久に愛を誓う。今日我々はその証人となり、汝らを祝福しよう」
メルグスさんの淡々とした口調が、ここでは厳かな響きをもって緊張をあおった。
「このあと指輪の交換よ」
平然として、アヤ様が呟く。緊張を見抜かれたみたいでちょっと情けない。
「なんだか、懐かしい。ハル、あなたと結婚するのは二度目だわ」
「……二度目?」
何か、聞き間違えたのか。
アヤ様がなんの話をしているのか分からずにいるうちに、オレの指はアヤ様のひんやりした手にとられ、薬指に指輪をはめられていた。順番が逆になってしまったけれど、オレからもアヤ様の指に指輪を。――躊躇った瞬間に、アヤ様の指が動いて、指輪を迎えにきた。
こうして、おままごとの儀式は滞りなく進む。
「夫婦の誓いの証を」
メルグスさんが告げた。
それって何をするんだっけ。もうすっかり状況に思考がついていかない。
でも、アヤ様は慣れたものだ。そうだろう。ここ何か月もずっと、間もなく迫った日のために、準備をしてきたのだから。ずっと考え続けてきたのだから。
アヤ様はオレを見て微笑んだ。
ちょっとだけ呆れたような、からかうような、面白がるような目をしていた。
オレの額に火がついた、と思った。
それは錯覚で、額に触れたのはアヤ様の唇だ。もちろん、火よりもずっと冷たい。でもとても、温かい。柔らかくて、頼りなくて、それなのに衝撃があった。
「――これでおしまい。ルクレイ、どう?」
「すごく素敵だった! アヤも、衣装似合ってる。メルグス、ありがとう。とても綺麗な花嫁さんだね」
ごっこ遊びの結婚式がお開きになってからも、夢を見ているように現実感が湧かなかった。
オレは薬指に巻きつく寒白菊の花を見つめる。
今、アヤ様の指にも同じものがはまっている。
もしご主人様に――アヤ様のお父様にこのことがバレたら、オレは多分滅多打ちにされて極寒の屋外で井戸掃除を命じられるだけじゃ済まないはずだ。それくらい不敬なことをした。
だけど今、少しも怖くない。
夢の中にいるような浮遊感が、すべての実感を曖昧にしていく。
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