引き込まれるような、というのは大げさかもしれない。
冒頭に、衝撃的なシーンがあるわけでもなく、予想の斜め上をいくような驚きの展開があるわけでもないから。
それでも、読み進めるうちに私は確かにこの物語にのめり込んでいた。
特に目を引くのは、繊細な心理描写である。
決して誤解しないで欲しいのは、繊細というのは詳細であることや精緻であることとはイコールではないということだ。
私はこう思った、感じた。そういった文章がだらだらと続くだけであれば、それはただの独白で、決して繊細な描写ではない。
この物語の美しいところは、全てを説明するのではなく、何気ない描写の中に登場人物の心理をすっと滑り込ませているところにある。
セリフがなくても、間や構図で感情を表現する映画のようなイメージだ。
それが非常にリアリティを帯びていて、創作された物語の中で役割を演じる登場人物に、熱と鼓動を与えていると感じた。
語り手となる主人公の視点だけでなく、周りを取り巻く脇役たちの視点を想像しても、また物語が生まれるような気がする。
そのくらい、この短い文章の中で生きている人たちは、生きている。