2 やる気ないなら部活辞めればいいのに
ろくに来もしないメールをチェックしたが、予想通り一通も来ていなかった。
この学校に勤めて二か月、まだまだ生徒にとって私は「よそ者」だ。
「遠野先生」
後ろから声を掛けられる。
「はい」
振り向くと、学年副主任の先生が立っていた。
「あのね、これ、総体の壮行会の資料なんだけど、部活ごとの順番とか持ち時間とか、そういうのが書いてあるから、見やすく表みたいなものにまとめてもらえる?」
「はい、わかりました。壮行会って何時からですか?」
「先週配った週間予定表に書いてあるよ」
副主任の先生はにっこり笑って教えてくれたが、私はその笑顔の中に『それくらい、人に聞く前に自分で調べてみろよ、このゆとりが』というメッセージを勝手に受信してしまって、いたたまれなくなる。
「あ、ありがとうございます。見てみます」
「うん、じゃあ、A4一枚にしてまとめておいて。終わったら生徒通知の籠の中に入れといてくれれば、事務の人が人数分コピーしてくれるから」
「了解です!ありがとうございます」
「うん、じゃあ、よろしくね」
資料を貰って、席に戻る。みんな新米教師の私のことを丁寧に指導してくれるが、内心ではあまりの適性の無さ、使えなさに呆れてるんじゃないだろうか、という思いが消えない。資料は、運営会議の際のメモ書きのようで、雑然としている。まずこれから必要な情報を抜き出して、表の形を考えて、片面一枚に収まるように…。
教員をやっている、というと、多くの人は「えーすごい!大変そう!」という。
『雑務が多すぎて、授業のための時間が取れないくらいなんでしょう?』
『毎日遅くまで残業してるの?』
『困った保護者とか、いる?』
『不良に殴られたりしない?』
ワイドショーの特集や学園ドラマの見すぎだと思うが、私個人の感想で言うと教員の現場はそれほど大変ではない。むしろ暇を持て余していたので、さっきのような雑用が来ると嬉しい。担任を持たなければ保護者対応はほとんどないし、教師に暴力をふるうような生徒には専属の先生がしっかりついている。残業は、部活動の指導で必ず時間外勤務が発生するため毎日必ずしているが、そんなに遅いわけじゃない。7時半前後には帰宅できるし、これで教職はブラックだとかなんとか言っていたらそれこそ石でも投げられそうだ。
最初の頃は確かに忙しかった。授業案を練って、教材を準備して、実験を兼ねた参考作品を作って。しかし、ある程度時間が過ぎてしまうと指導時間はがくんと減る。説明の必要がなくなり、各々の作業時間に入ると、あとは騒いでいる生徒の指導や質問のある生徒への対応で時間は過ぎていく。そういえば美術の教師って、確かに授業中もぼんやりと椅子に座っているようなイメージがあったな。と、もうほとんどもやがかかってしまったように霞んだ自分の中学校時代を振り返る。
パソコンの前で、私は思う。同僚はみんないい人だし、子どもたちは面白い。本気で腹の立つことやストレスでぎゅーっと潰されそうになることはあるけど、この仕事はそこまで悪くない。家に帰って本を読む時間も休日に映画を見る時間もある。映画館に行くことはめっきり減ったが、それは別に教職のせいじゃない。別れた恋人が常連だった映画館に足を運ぶ勇気が、私にはないだけだ。
パソコンも英語も何もできない、勇気も図太さも、特別なものなど何も持っていない私が働ける、一番待遇の良い職場だと思う。
パソコンの画面の中に、体育館の簡易な俯瞰図が出来上がっていく。ステージと入口、マイクの位置。あとはさっきの表の順に、端からスポーツ名を並べていけばいいだけだ。陸上、サッカー、バレー、卓球…子どもの顔がぼんやりと出てくる。いつも元気なあの子、生意気でひねたあの子、授業には来ないけど廊下で会えば話しかけてくるあの子、鳥がうまく描けないとふてくされてしまったあの子…
壮行会の資料はすぐに完成した。間違いがないか何回もチェックして副主任に確認してもらう。生徒通知用の籠に提出してから、自分の中学校時代の総体や壮行会について思い出そうと試みてみた。
ユニフォーム姿の同級生、同じようなことばかり言っている各部の決意表明、こんな時まで仲間の輪に入れてもらえない子の姿が痛ましい円陣パフォーマンス。校長先生の三三七拍子もいまいち盛り上がらなくて、結局は出場する生徒の「こんなのなくても普通に頑張るわ」と出場しない生徒の「頑張ってほしいとは思うけど、正直どうでもいいな」という二つの気持ちを固めてしまっただけだった。
でも、午後の空き時間がつぶれるから、今の私にとっては嬉しいイベントだ。これで少なくとも来週の木曜日は、部活まで美術室に籠ってぼんやりと生徒作品を眺めて過ごさなくてもよさそうだ。
「先生、今週末って部活ありますか?」
お喋りを止めて、中村が聞いてくる。
「今週末?今は締め切りの近いコンクールもないし、なくてもいいけど…やりたい?」
「いや、遊ぶから。あっても欠席ですって言おうと思った」
そういうと、彼はぷいと顔を背け、おしゃべりに戻って行った。
うちの美術部には、意外と男子が多い。どいつもこいつも運動部のストイックな活動には耐えられそうもない甘ちゃんだ。中村も例外でなく、彼はクラスだと大人しくて授業中は私と話すことなどほとんどないくせに、部活だとナメた口をよくきく。絵は上手だが、小生意気な奴だ。
「たまには自分から部活したいですって言ってみなさいよ」
「やです。遊ぶもん」
これで受験生か。
私は机にもたれかかって、彼らのおしゃべりに耳を傾けた。きっと彼らの日常は、小さくて些細な大惨事で溢れているのだろう。鉛筆と歯ブラシを間違えるみたいな。
内容はなんてことない、人気のアニメ映画の話だった。私が小さいころにテレビ放送と映画上映があった古い映画だが、最近作り直されてもう一度映画館で上映されているらしい。
そうか、この子たちは新しい世代なのだ。学校の中で一番年が近い教師でも、そのせいで子供に舐められていたとしても、こういうところで決定的に思い出す。私は旧世代、彼らは新世代だ。
壮行会は無事に終わった。生徒会メンバーが学ランを着てエールを送るという新しいイベントが入ってきたが、それ以外はおおむね、私の経験したことのある壮行会と変わりないものだった。
あの学ランエールは、応援したい気持ち半分、学ランを着て応援団風のことをしてみたいというミーハー半分、と言ったところであろう。選手たちより生徒会メンバーの方が楽しそうだった。
レギュラーにさえなれればとりあえず全員参加できる市の大会はあっという間に終わり、勝ち残った部活は県の大会へとコマを進め、暑い暑い夏を過ごした。
我らが美術部は、ポスターコンクール用の作品を一枚仕上げて、あとはだらだらとしゃべって夏を終えた。口を開けば暑い、疲れた、アイス食べたいばかりの生徒に、怒りを通り越してあきれ果ててしまった。
「サッカー部の顧問は、部活の後にガリガリ君買ってくれるんだってー」
中村の寝言にも、返す元気もない。そりゃ、お前がサッカー部くらいガツガツ活動してくれたら、私だってアイスの一本や二本…いや、やっぱり買わないか、こんな死んだ魚のような目をしたお前たちに。
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