ロビーにて、若き支配人の話

1 男はいつまでも少年

「少年であれ」と祖父は言った。

 いつもまっすぐで、素直で、誠実であれ。時に犠牲を恐れるな。常に胸にある勇気の粒を、決して出し惜しみすることなく、燃え尽きるように生きよ。



 その結果が、これだ。古くてちっぽけな映画館のカウンターに頬杖をついて、芦原星也はため息をついた。

 自分に素直で誠実に、後悔しないように生きよ。その祖父の教えに従って、大学を出た後も就職もせず、フリーターをしながら夢を探して過ごしてきた。


 映画好きな祖父は、この映画館をこよなく愛していた。近くの大型商業施設の映画館では上映されないような、マイナーだったり古かったりする映画を、独自のセンスで選別して上映してきた。収入は少ないが、祖父のセンスを信じて通う固定客も何人かいる。要は、収入源としいて確保し続ける価値があるほど客入りは良くないが、だからと言ってあっさり潰してしまえるわけもない、芦原家の中で厄介なポジションを閉めている映画館である。


 星也は、体を悪くした祖父から、この映画館を引き継いだ。自分からやりたがったわけじゃなく、定職にもつかずにふらふらしている若者が芦原家には星也しかいなかったのだ。 

 星也は進んでここに座っているわけではない。むしろ、いつも古くてつまらない映画ばかりやっていて、戦隊ものや流行りのアニメの劇場版なんて決してやってくれないこの映画館が、星也は昔から大嫌いだった。


 祖父から自分のセンスで映画を選んでいいと言われたので、とりあえず恋愛ものを流してみた。 

 星也は恋に好かれる男だ。祖父の教育のおかげで、好きな女の子にまっすぐに向かっていくことができた。おまけに祖父譲りの高く細い鼻と母譲りの少し垂れた二重の目、父譲りのファッションセンスの良さで、黙っていても女の子が寄ってくる。


 でも、あの子だけ。あのバスケ部の、高校のときのあの子だけ、いまでも思い出す。

 星也の手を「いらない」といって去っていった女の子。星也を相手にしない理由を、「私はあなたに恋をしていないだけ」と言い切った女の子。

 歯がゆさとも恥ずかしさとも懐かしさとも取れない感情にのまれそうになって、星也は顔を上げた。だめだ、終わった恋などさっさと忘れよう。



 そう思った途端、目の前に一人の美しい女性が現れた。彼女はポスターを指さして言う。

「あの、この映画、一枚。一人なんだけど、いいかしら」

「あ、はい、もちろん。でも今上映中なんて、次の回になっちゃいますけど」

「かまいません」

「では800円です、あの、」

 もし暇なら、次の上映までちょっと話しません?好きなのみものおごりますから。そう言おうとした星也の手から、彼女は釣銭の500円玉をさっと受け取ると、

「ありがとう。次の上映まで、ここの絵を眺めて待っているわ」

と言った。

 星也は、せめて100円玉5枚で返せばよかった、とどうでもいい後悔に頭を支配されていた。そうすればちょっとは手間取って、彼女は俺の手に触ったかもしれないのに。


 映画館の狭いロビーは昔は殺風景だったが、今は壁一面に所狭しと絵がならんでいる。

 今はイラストレーターをしているかつての常連さんが、数か月に一回自作の絵を送ってくるらしい。その人が高校生だったときに、祖父と約束したそうだ。絵を描いて飾らせてくれたら、半額で映画見してやる。そういえば、前にもこんな中学生がいたんだよ。

 その人は運が良かった。だって、そのころから祖父は何度か体調を崩して、このカウンターを空けることが増えていたのだから。彼は今でも、帰省すれば必ずここによるらしい。

 小さな本棚には、映画雑誌を並べて置いた。暇な常連に与えておけと思っておいたものだが、あだになった。彼女はそれを読み始めた。なんだよ、これじゃ喋れないじゃないか。

「これ、面白いコラムね。最近よく見る。映画をたくさん見れば、こんな素敵な文章を書けるようになるのかしら」

「最近出てきたコラムニストですね。僕もよく読んでますよ。もう結構年なんじゃなかったかな」

「そう、35歳。私と同い年ね」

「え!」

 どう見ても27歳くらいにしか見えなかったのに。彼女は美しいだけじゃなく雰囲気も神秘的で、本当に時が止まっているようだ。

「33歳で映画コラムニストとしてデビューしたんだ、それまではネット記事書いて鍛えてたんだって。なるほどね」

「…お姉さんは、何してる人なんですか?」

「秘密。」

 でね、これを届けに来たの。今夜ぜひ、スクリーンで見て。そう言って彼女は、シアタールームに入っていった。

 封筒の中身は、DVDとプリントの束だった。映写機では映らないので、パソコンでプロジェクターにつないでみる。本当はめんどくさかったけど、もし次に彼女に会ったとき、「ちゃんとスクリーンで見ましたよ」と伝えたい。「誠実であれ」とは、じいちゃんも言っていた。


 中身は、ある中学校のものだった。この近所の学校で、祖父が映画の授業に出ていたらしい。こんなことをやっていたのか、本当に子どもが好きだな。

 風景が移り、時間が移り、子どもがかわるがわる移り、なかなか凝った造り。そして子供たちは、流星館への愛とじいちゃんへの心配と口にしていた。


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