10 憧れすぎたヒーローは

「おい、なんでお前まで倒れんだよ」

「うるせえ、一人で地図持ったまんま勝手に先行きやがって。追いつくのにどんだけ大変だったと思ってんだよ」

 ぜえぜえと息を吐きながら、西尾は吉田の足を軽く蹴った。

「つーか、さっきまであんなにしんどそうだったくせに、なんだよ。俺に彼女がどうの美月がどうのって聞いてきて、俺の質問には一切答えずにどんどん登っちまってよ」

「おう、悪かったよ。俺ここにこうしてるから、お前先行っていいぞ」

 西尾は上半身をなんとか起こして、吉田を見た。

「ふざけんなよ。このくそみたいに道の悪い坂をダッシュで登ったんだぞ。もう痛くて歩き出せる気がしねえ」

「…悪かったよ。でも、俺はお前にブン投げられるだけの男だったわけだな」

 そう言って、吉田も起き上がった。さっきまでの無理がたたって、体中が石のように重い。

「俺のヒーローは、流石に強いな。うん、安心したわ」

「何言ってんだよ。気持ちわりい。男からヒーロー呼ばわりされても嬉しくねえわ」

「…じゃあ、女の子だったら?」


 そこに戻ってくるのか。この話の着地点が、なんとなく見えてきた。

「女の子だったら、正直に言って悪い気はしねえ。ただ、その子のヒーローとして戦う覚悟がないだけさ」

「なにかっこつけた言い方してんだよ、気持ちわりい」

「うるせえよ。言ったろ、俺は俺のために自分を鍛えてるんだ。誰かを守るわけじゃない。そこを、俺に求められても、困る」

「…それが、美月と別れた理由か?」

 西尾は答えなかった。でも、それが答えだった。

「美月って、俺以上にロマンチストなところあるだろ。きっとお前のこと、本当の王子様か何かだと思っちまったんだろうな」

「…その期待には、応えられなかったよ。俺と一緒にいるなかで、あの子は自分を俺の庇護の対象にしようとしてきた。俺はそれが耐えられなかった」

 そう、記憶の中から無意識に締め出したくなるほどに、当時13歳だった俺にとって彼女は荷が重すぎた。

「クラスでいじめられてるって言ってみたり、顧問の先生に嫌われてて部活に出させてもらえないって言ってみたり。誤解すんなよ、お前が一番知ってると思うが、あの子はいい子だ。ただ、俺に対して夢を抱きすぎていたし、俺はそれを頑なに拒んだ。その結果、彼女は部活を辞めて、エセ悲劇のヒロインになり切ってしまった」

「…まだ、連絡とってんのか」

「いや、別れてから一切音信不通だよ。俺は試合にも出ないから接点の作りようもないし、向こうも俺とお前が友達だなんて知らないんじゃないか?」

「別れてからって、付き合ってなかったんだろ?それも本当のところはどうなんだ?本当に友達以上恋人未満てやつだったのか?」

「だって、付き合うって、お互いが両思いで、どっちかが告白して、付き合ってくださいってお願いして、それに了承するんだろ?俺は、あの子に礼は言われたし、お友達になってくださいとは言われたけど、付き合ってくださいとは言われてないし、何より話しかけられるまで彼女のことをよく知らなかった」


「…お前、マジで言ってんのか、それ」

「は?間違ってるか?」

「ま、間違ってはいない。が、壊滅的に世間知らずだけどな」

 吉田は乾いた喉でカラカラと笑った。全く西尾は、何に関しても西尾だった。

「お前が何を笑ってるのかは知らんが、俺の質問にも答えろよ」

「ああ、悪かったな。そうだよ、お前の思っている通り。俺は美月にまた会いたくてテニス部を続けたし、地元の大学に進学しようとしてる。だから、進路希望調査も出せなかった」

「志望理由に『町で元カノとばったり再会するのを狙っている』とは書けないしな。てか、あの子が地元に残るかもわからないだろ」

「まあな、そうなんだけどさ、可能性高そうじゃん、高校卒業して地元に就職とか。それと、なんだっけ」

「お前が俺に話しかけたのは、美月のことがあったからか?」

「…やっと、美月の名前呼んだな」

 吉田の目からは、もうあの緊張感を湛えた鋭さはなくなっていた。代わりに、湖のような落ち着きに満ちている。

「…そうだよ。俺はお前にすぐに気付いたから、バッチを話題にして話しかけた。美月がファンだったからな、あのバンド」

「…ふーん。それで、この話をするために、この旅に乗ったわけか」

「…そうだよ。いや、そうじゃない、かも」

 吉田は頭を掻いた。もともと、吉田は西尾ほど頭の中を整理するのが得意ではない。

「そうじゃない、かな。確かにお前にこの旅の話をされてから、美月のことを聞くならここしかないって思ってたし、実際そうだった。俺はこの話をしたの、後悔してないよ。でも、それ以上に、面白そうだったんだよ。お前の提案がさ」

「…面白そう?」

「そう。一晩かけて学校から学校へ、なんて、普通思い浮かばねえよ。だから、美月の話はきっかけに過ぎない。二人で準備して、チェックポイント決めて、いろんな話すんの、実際面白かったし。この体の痛さは予想外だけどな」

 いてててて、と言いながら、吉田は姿勢を変える。関節がぽきぽきと鳴った。

「ついでに言うと、美月のことはすべてきっかけに過ぎない。俺は確かに美月のことがあってお前に話しかけたけど、ここ5年間で、美月が理由でお前と一緒にいたことは一度もない。俺は自分の意志でお前と親友をやってるって、そう思ってるんだぜ。だから、まあ、そう言う意味では美月には大いに感謝してる」

 そういうと、吉田は立ち上がった。いててて、うお、やべえ。右足が少しふらついて、バランスを崩す。

「おい、ぼけっとしてんなよ」

 今度こそ、西尾は吉田の腕をしっかりつかんだ。

「おう、わりい。じゃなくて、ありがとう」

「…やめろよ気持ちわりい。言ったろうが、俺は野郎のヒーローになんかなるつもりはねぇよ。美少女になってから出直して来い」

「はは、いいよもうヒーローは。これ以上お前がヒーローだと、憧れすぎていつか憎くなりそうだ」

 そう言って、吉田は西尾の腕を掴んで体勢を立て直し、大きく伸びをした。

「ったく、元テニス部が本気で走りやがって」

 いてえ、これ、朝まで持たねえぞ。そう言いながら西尾も体をそらせた。背中がぱきぱきと音を立てる。

「いや、柔道部の追い込みには負けたわ。姿が見えねえのに気迫が漂ってきたもん」

 吉田は歩き出す。少し体が傾いている気がする。その曲がった背中をばしんと叩いて、西尾も歩き出した。

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