3 先天的なお前らしさ

 それから、二人は準備に取り掛かった。学校主催のマラソン大会とは違い、今回は保護者の支援もOB・OGのサポーターもいない。休憩場所も予算もない。何から何まで自分で準備をしなければならなかった。早速その週の週末には、西尾の家に集まってルートの検討を行った。

「おい、ここは危なくないか?街灯っぽいものがひとつもないぞ」

 西尾が見せたディスプレイには、山特有の曲がりくねった道がひたすら続いていた。周囲には街灯どころか、電信柱の一本もない。恐らくスマホの電波も届かないだろう。

「んーここって何時くらいに通るかな?」

吉田が行程表を辿り、御立山中腹あたりの時間を割り出す。

「順調にいけば午後11時半、遅れに遅れて午前1時、ってとこか。どうしようもないな」

 遅くすることも早めることもできない。まさにミッドナイト、夜の真ん中だ。

「この何もない道、3キロは続くぞ。ルート変更するか?」

西尾はストリートビューを閉じて、地図の画面を拡大する。迂回路もあるにはあるが、無駄に遠回りになる上に普通の街中だ。うっかり夜中に歩いて補導されてもつまらない。

「いや、いいんじゃないかこのままで。この山にはクマもいないし、3キロなんて1時間かからないだろ。真っ暗な道を懐中電灯だけで歩いた方が、開けた場所に出たときに、その…ギャップがでかいんじゃないか?」

 吉田は「感動が大きいんじゃないか?」と言おうとして、やめた。明るい部屋でパソコンに向かう西尾にその言葉を言うのは、なんだか妙に照れくさかったのだ。

「ん、そうだな。じゃあやっぱり、この道を抜けた頂上の駐車場をチェックポイントに決定でいいな」

 西尾は観光バスの停まる大きな駐車場の様子を収めた写真を出してきた。観光客向けホームページの中に掲載されているらしい。

「うん、広さもあるし、少し寝転んで休めるな。売店は閉まっているだろうけど、自動販売機とゴミ箱とトイレくらいあるだろ。」

「うん、よし。決定」

 西尾は駐車場にチェックを入れた。吉田はそれを確認してから、道のりと歩行の時速から大体の到達時間を割り出す。地道な作業だが、周囲の景観も自然に頭に入ってくる。初めて通る道の新鮮さは半減するだろうが、サポートしてくれる人がいない以上道は確実に覚えておかなければならない。何しろ、午前2時にこの駐車場に到達するのに、使える力はたった二人分なのだ。他の誰からも、借りることはできない。



 西尾は、風変わりなやつだった。中学校2年生の時に吉田と初めて同じクラスになったときから、その風変わりぶりで有名だった。

 柔道部で、誰よりも真剣に練習に取り組んでいる。しかし大会には出ない。曰く、

「大会に出てくる奴らは、皆まじめに部活に取り組む良い奴ばかりだから、倒す必要がない」

とのこと。

 実力はどの先輩よりも確かなのに、彼は柔道を「部活」「スポーツ」ではなく「武道」と捉えていた。そんな中2が、今までいただろうか。

 当然顧問はエースとして試合に出させようとしたし、それを頑なに断る西尾の姿勢を他の部員は良い目では見てくれなかった。彼の強さはいつも孤独とともに在った。

 そんな彼に、吉田が興味を惹かれないはずがなかった。

 平々凡々、テニス部ではレギュラー入りしたことはないがとりあえず補欠の一番手で、試合前日の練習で怪我をした先輩の代わりにダブルスの後衛をしたこともある。そこで活躍できればそのままレギュラー入りも十分に可能性があったのだが、活躍どころか若干足を引っ張る結果に終わってしまい、チームの勝利へ貢献することはなかった。しかし、次の試合からは復帰した先輩がその悔しさをばねに大活躍し、テニス部はその年初めて県大会で三位入賞して関東大会への切符を手に入れたのである。

 応援のための遠征の準備をしながら、吉田は自分に言い聞かせた。自分のへっぽこな試合が、先輩の心に火を付けたのだ、次こそは俺が出て、チームを勝利に導くのだと先輩をたぎらせたのだ。そうであれば、吉田のへっぽこプレイも決して無駄ではない。むしろ関東大会進出に大きく貢献した、と言えなくもない。

 荷物を詰める手を休め、窓を開けた。快晴とは言えないが、雲のない夜空だった。やはり、日に青いと書いて「晴れ」なのだから、お日様と青空がなければ晴れている気がしない。例えその夜空がどんなに澄み渡り、雲一つない空だったとしても。

 この夜空は俺みたいだ、と吉田は思った。よく考えてみればその夜空と吉田に何の共通点もなかったわけだが、その夜から、吉田は自分が意外とロマンチストであることを自覚するようになった。

 クラスで目立つほうでも、ましてや中心でリードする方でもなかった二人は、ふるいにかけられるように仲良くなった。それは上位の者から先に抜けていくサバイバルゲームのようなもので、第一試合で勝った者は最上位グループ、第二試合で勝った者は二番手グループ、と、意外と男女関係なく仲良しランクを構築するシステムのようなものだった。

 そのゲームに全く関心のない西尾と、そのゲームで勝ちたい気持ちもあるがどう考えても上位三グループ以上に入ることは難しく、下位の者で固まるよりは最初から不戦敗でいいと考える吉田は、ハナからゲームに参加しないという点では似た者同士だった。

 中2の初日、出席番号順で席に並んだとき、西尾と吉田は隣同士だった。その日から、ふるいに残った二人は、しかししっかりと意思を持って互いを選んだ「親友」として、5年あまりの歳月を分け合っている。

 西尾の率直な姿勢と独特の感性に吉田は惹かれ、吉田の素直で「クールな」ところを西尾は新鮮に感じた。似た者同士のようで、ないものを埋め合おうとするような部分もある。今では二人とも、親友とはこんなもんかと納得しながら付き合っている。もちろん、口に出して確認したりしたことはないけれども。


「あった、ここだ。第一チェックポイント」

 吉田が足を止めた。西尾は、地図を照らしていた懐中電灯を前方に向けた。

「意外とあっという間だったな、午後8時18分。予定より2分早い。」

 西尾は時計を見て、吉田はノートに書いた工程表の「鉄塔」に丸を付ける。

 そこは、大きな鉄塔の根元だった。送電線が暗い空に乗るように伸びている。そこを第一チェックポイントにしようと言ったのは、西尾だった。


「えー、ここ別に何もないじゃんか。確かにちょっと拓けてはいるけど、座って休めるような場所でもないし」

 吉田は一応、そういってみた。だが彼自身、そんなに場所にこだわりがあるわけではなかった。

「まあ、確かにそうなんだけど。でも、俺好きなんだよね、でかい鉄塔」

せっかくだし、自分たちの好きなものや好きな場所を選ぼうぜ。吉田は何が好きなんだよ。西尾はそういって、マップにチェックを入れた。


「おー、こうして見上げてみると、でっかいなー」

 吉田は懐中電灯で鉄塔を照らした。根本は有刺鉄線で囲われていたため、本当に真下から眺めることはできなかったけど、それでもここまで近くで見たのは初めてだった。

「な、いいよな、でっかい塔。俺、小っちゃいころ、こういうデカい塔のこと全部東京タワーって思ってたわ」

 西尾が懐かしそうに言った。確かに、吉田にも覚えがあった。

「俺も、そうかも。テレビで見る東京タワーって、大きさの実感わかないし。小さい頃って何故かこういう鉄塔と区別つかなかったよな」

 懐中電灯の照らしだした骨組みは、ところどころが赤く塗られていた。恐らく以前は赤い塔だったんだろう。

「吉田、これのこと東京タワーって言ってたの、いつまでだった?」

地面に座り込んで、西尾は訊ねる。

「んー、どうだったかな。幼稚園くらいまでじゃないか?」

西尾は?と、大して興味はなかったが、吉田も聞いてみた。

「俺は、なかったよ」

西尾はこともなげに答えた。

「は?だってさっき、お前」

お前から、言ってきたんじゃないか、と吉田が突っ込もうとしたが、その上から西尾の声がかぶさってきた。

「言ったことなかったんだよ、誰にも。この塔が好きとも、東京タワーだとも。このデカい塔がかっこ良い、なんてのはみんな思ってることだから、言う必要なんてないと思ってた。だから俺、この塔が東京タワーじゃないって知ったとき、結構ショックだったんだぜ。『何で誰も教えてくんないんだよ!』て。自分が言わないんだから当たり前じゃんなあ」

 吉田は驚愕してしまった。この旅の開始2時間ちょっとで、親友の資質が幼少期からの先天的なものであったことが発覚した。ひょっとしたら中学生特有の自意識過剰さからくるもので、それがそのまま続いているだけと疑うこともできたが、彼の『沈黙は金』具合はもはや矯正しようもない。

「お前って、昔からお前だったんだなあ」

吉田はしみじみと、親友の顔を懐中電灯で照らして眺めた。

「何言ってんだよ、やめろよ眩しい」

もう行こうぜ、と、西尾は立ち上がった。

吉田も腰を上げた。今のところ、足腰に異常はない。少し疲労が溜まり始めていたが、まだまだ快調だ。

 もう一度、二人は鉄塔を見上げた。この鉄塔が今、どのくらいの電気供給を支えているのかは知らない。でも、ここは二人のチェックポイントなのだ。

 きっと、高校を卒業して大学を卒業して、今は想像がつかないくらい未来になっても、鉄塔を見るたびに思い出すだろう。自分の子供の目にこの鉄塔が映るときも、決して「これは東京タワーではないんだよ」などという無粋なことは言うまい。例え、その後子供に『何で教えてくれなかったんだよ!』と罵られることになったとしても。

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