2 手作りの地図と選ばれし友
「おい、次のチェックポイントまであとどれくらいだ?」
西尾が懐中電灯で吉田の手元の地図を照らしてくる。
「まだあと6キロは先だよ。始まってから5キロも歩いていないのに、もう次のポイントの心配か?」
地図はグーグルアースを拡大して、ルートを赤いサインペンでなぞっただけの簡素なものだった。その途中にはぽつぽつと赤い点が打ってあって、それは二人がこれまたグーグルアースを使い、ストリートビューで目印になりそうな場所を探してピックアップしたチェックポイントだ。
わさわさと大きくて持ち運びにくいし、見づらくもありリュックサックへの出し入れもしづらい、なかなか厄介な地図だ。それでも吉田は、赤い点を繋いでできた大きな星座みたいなこの手作りの地図を、結構気に入っていた。
「夜って、結構暗いんだな。まだ7時前なのに」
西尾は周りを見渡して、感慨深げに言った。高校生にとっての午後7時など、まだまだ部活や塾の時間である。煌々と照明の灯るグラウンドや死角なく蛍光灯の明かりが降り注ぐ自習室などで過ごす午後7時とは、夜というよりはまだまだ昼間の延長線上なのだ。
9月8日土曜日、午後5時50分。天気は晴れ、風もなし。厳しかった部活動とこれから厳しくなる受験勉強との狭間に、ぽっかりと空いたエアポケットのような時間。二人の学校の創立記念日は9月10日なので、この週末は三連休となる。
「おう、準備はいいか?」
待ち合わせには遅刻をしない西尾は、やはり吉田よりも早く来て学校の門にもたれかかっていた。
「万端だよ。そっちこそ、随分早かったな。忘れ物はないか?」
待ち合わせに遅刻をしないのは吉田も同じだが、それでも西尾より先に来たことはない。今日こそは西尾を待ってやろうと思っていた吉田は、出発前から少し気分がぐずついた。
「あっても、たった一晩のことだよ。途中のコンビニで買えないわけじゃないし」
そう言う西尾のリュックサックは小さい。
「ばか、コンビニなんてなくなる場所があるじゃんか。ずーっと何もない道が続くんだよ」
吉田は少し心配になって言った。西尾の荷物が少ないことにではなく、自分の荷物が多すぎたような気がしたからだ。
「そんな場所に行き着くまで無事に歩けたんだとしたら、それはやっぱりいらないものだったんだよ。なくても歩けるさ」
9月8日午後6時。吉田と西尾の無限の時間が始まる。
「最後の創立記念日、みんな何してると思う?」
吉田が訊ねた。
「さあな、友達とディズニーランド行ったり、誰かの家に集まって徹夜でゲームでもしてるんじゃないか?」
西尾は地図から目を離さずに答える。
「そうなると、こんな時間にこんなところを歩いているのは俺らくらいのものか」
吉田は満足そうに言った。
交通量の多い通りを抜けて、静かな住宅街を歩く。静かだが、耳をすませば家々から幾通りもの生活音が聞こえてきそうだ。
足の方は、今はまだ快調だ。ついこの前までテニス部だった吉田と柔道部だった西尾は、体力と根性には自信があった。この計画を実行するのは、体力と時間が比較的残っている今しかない、といったのは、先々週の水曜日の西尾だった。
「なあ吉田、お前、面接で『学校生活の思い出は?』って聞かれたら、なんて答える?」
いつも以上に目をそらしながら、西尾は何でもない風を装って吉田に聞いた。
「え、なんだよ急に。まあ普通に部活とか、修学旅行とか?」
吉田は西尾の下手な『なんでもない演技』には極力触れないようにして、何でもない風に返した。
「いや、だってさ、学校生活の思い出って言われて、大体の奴がそう答えるだろ?あとはせいぜい学園祭か体育祭か、さもなきゃ合唱コンクールだな」
西尾は何かに焦っているようだった。もしかして、と吉田は訊ねる。
「お前、推薦とか狙ってるわけ?」
西尾、推薦受けるの?どこの学校を?どの学科を?何を専攻するんだ?将来何になるんだ?いつから、そのことを決めていたんだ?
「いや、そんなわけないじゃん」
西尾の答えはあっさりしていて、その演技のない声は吉田をひどく安心させた。
「推薦なんて受けないよ、俺って先生からの評価良くないと思うし。そうじゃなくて、この前のホームルームで進路の話が出ただろ?俺らのクラスはほとんど進学だけど、センター試験や面接や小論文なんかの話が、さ。それで思ったんだけど、俺って高校生活をどう過ごしていたんだろう。突出したところは何もなくて、特別な経験もなくて。かといって6組の連中ほど目標に向かって真剣に日々を生きているわけでもないし。そんで結局は、『部活動で仲間の大切さを知りました』『最後の学園祭、感動しました』みたいなことを言う奴になっちまうんだよ。今のところそのコースを爆走中だ」
もはや隠す気もない西尾の真剣な眼差しに、吉田は少々面食らってしまった。なんで、こいつはこんなに熱くなってんだ?
「いやいや、6組の奴らは午後は絵描いてるだけじゃん。そいつらの特別さ加減と自分を比べんなよ。つーか、じゃあお前も、学園祭も部活もまじめに参加すればよかったじゃんか。お前の実力なら部活でエースだっただろうし、学園祭でもヒーローになれたんじゃないか?」
吉田の説教じみた発言にも、西尾は全く動じない。
「そうなんだけど、そうじゃないんだ。学園祭や部活動が今更惜しいわけじゃない。でも、確かに後悔もしてる。後悔先に立たずっていうけど、俺は立たせたいんだ。俺たちを動かしてきたのは、いつも『あの時ああしていれば』っていう後悔のはずじゃんか。だから、俺、これからすることには後悔したくないんだ」
だから、一緒に行かないか?
西尾の話は唐突で、急に飲み込むことは不可能だった。
「…どこへ。というよりも、何を、するんだ?」
吉田が聞くと、西尾は唇を少しなめてから答えた。
「どこへも行かない。学校を出発して学校へ戻る。でも、一晩かけて歩いて、めちゃくちゃ遠回りして行こう。部活や修旅や、他の奴も経験するものなんてどうでもいい。それより、他の奴が思い浮かばないことをしてやろう」
西尾のその突拍子もない計画に選ばれたことを、吉田は嬉しい中にも少し悔しい気持ちで受け止めた。西尾に「こいつなら、学校生活がそんなに充実していないから付き合ってくれるだろう」と思われたことと、そんな面白そうなアイデアを先に出されたことが、少しだけ心に引っかかってしまった。
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