4 東京にないものねだり
週末、秀平が遊びに来た。
「ねえ、たっくん、今度何撮るの?何描いてるの?」
小さいころと何も変わらない。高校生になった今でも、秀平は甘ったれの弟みたいだ。
「次の、1分間ムービーコンテストの絵コンテだよ」
「すげえ、映像作家って、絵も描けるんだ。たっくん上手いね」
「そりゃ、お前が通っている高校の卒業生だからな、僕は。そろそろロケ地選びに行くけど、お前も来る?」
「行く!!」
秀平を乗っけたバイクで、この町を走りまわってみた。川、原っぱ、山の入り口、砂利道の上。
「んー、走りにくいっていえば、走りにくいかなあ」
秀平を走らせてはスマホで動画を撮り、それをチェックしつつ彼に走ってみた感想を訊ねた。秀平はいつも同じようなことを言った。
「だってさあ、たっくんが選ぶ場所って、微妙に人の手が加わってるんだけどは走るほど整備はされてないっていう、微妙―な道ばっかりなんだもん。なんでこんなとこ撮るの?」
「そりゃお前、せっかくなら東京じゃ撮れないシーンを撮りたいじゃんか」
そう言いながら、僕はロケ地の写真を眺めながら候補を練る。東京では撮れない、彼女の魅力を最大限に生かした、そんな場所。
「なあ、たっくん。俺さあ、美大いけるかなー」
見慣れた風景の中を走り回るのに飽きた秀平は、河原にしゃがんで水切りをしながら、僕に届けるにしては随分大きな声で言った。
「美大の何科に行きたいんだよ。本気で受験するなら、そろそろ対策しないと間に合わないだろ」
「えー俺、去年受験が終わったばっかなんだぜー?」
「何言ってんだ。人生は短いぞ。命燃やして生きよ」
俺はそう言って、平たい小石を川面に投げた。ちょん、ちょん、ちょん、と3回跳ねて、ぽちゃんと水中に消えた。
「へったくそー」
秀平は同じように石を投げた。5回も跳ねた。俺が教えてやったのに、もうすっかり秀平の方が上手になってしまった。
彼はこの後、きちんと対策を立てて受験をし、きっと望み通りの大学へ行くのだ。昔から頭の悪い奴じゃなかった。努力も良くするし、根性だってある。僕は、こいつの将来のためにできるだけアドバイスをしたり、知っていることを教えてあげたりしなくてはならない。弟のような可愛いこいつが、将来のために頑張ろうとしているのだから、力になってやらなければ。
「…帰るか。腹減ったな」
「えーもう?ロケ地決まった?」
「いや、今日撮った写真と動画を見直しながら、また新しく候補を探すさ」
「撮影の時さあ、俺も見に行っていい?」
「駄目。部外者はできるだけ入れたくないんだ。まあ、お前もそのうちわかると思うけど、制作準備を見せるのと実際の制作を見せるのとでは、プレッシャーが違うんだ。出演者もいるしな」
「…ふーん」
素直な秀平は尊敬するお兄ちゃんである僕の言うことにちゃんとうなずいた。僕は、本当のことは言わない。僕一人が勇気をもって切り開いた道を滑走路にして飛び立とうとするこいつを羨ましく思うなんて、羨ましさよりもっと暗くて湿った感情を抱いているなんて、気づかせるわけにはいかない。
河原を後にするとき、周囲の写真を何枚か撮影した。水面、砂利、岩場、橋。
「たっくん、次にロケ地探しするときも、俺のこと呼んでよ」
「…おう」
そう返事をしてから、僕は煙草に火を付けた。今日回った場所以外で、ロケ地の心当たりなんて、僕にはなかった。
「うわあ、たくさんあるのね」
律子さんは少し驚いていた。
「うん、どこがいいと思う?僕的には、やっぱり東京では撮れない風景を入れたいなって思うんだけど、そうなるとどこも走りづらそうでね」
「でも、走るシーンは一瞬なんでしょ?」
「うん。シーンとしてはね。でも走りにくい場所で走るっていうのはそもそも不自然だから、できるだけ走りやすい場所の方が僕としても好ましいとは思うんだけど」
「そっか、そうだよね。じゃあやっぱり、この原っぱとかかなあ」
律子さんは写真を何枚も眺めながら、一枚ずつ気に入った場所を選んでいる。
「この道路もいいな。河原も…あ」
律子さんの手は、橋の写真を捕まえた。
「この橋、上坂橋だよね?懐かしいなあ、私ここで初めてあっくんと話したの」
「…へえ、いつのこと?」
「もう何年も前だよ、私たち高校生だったもん。私、あっくんとどうしても話してみたくて、賭けをしたの。この橋の東側にいる私が、橋を渡り切る前にあっくんに追いついたら、『おはよう』って言ってみようって」
「…その賭けに、君は勝ったの」
「うん、橋を渡り切るギリギリのところで、『おはよう』って言えた。あっくんびっくりしてたな、私、すごく息が切れてたから。学校についてから『今朝は随分急いでたみたいだけど、何かあったの?』って、逆に話しかけてもらえたの」
朝、日が昇ったばかりの水色の空。低い日光に照らされて、彼女の髪が舞う。強い眼差し、恐れのない足。ひとたび走り出したら、止まることはない。空中に掛けられた大きな橋の上、彼女は走り出す。つま先が軽やかに地面を蹴って、彼女の体は浮き上がる。たった一言のために駆け出した、勇敢な少女の一部始終。
「この、橋にしよう」
僕はそう言った。迷いはなかった。
「え、でも、東京じゃ映らないものを撮るんじゃないの?」
「うん。東京じゃ映らないよ。僕は君を映したいと思ったんだから、君が最も走り出すのに相応しいロケーションを選ぶべきだ」
律子さんは、嬉しそうな顔をした。僕たちはビールで乾杯をする。僕のバイトと彼女の稽古の都合を合わせて、撮影日は4日後の早朝になった。
「前日に、打ち合わせをしよう。バイトが終わったら連絡する」
「うん、わかった」
きっと、すごいものが撮れるはずだ。彼女の恋をそのまま切り取ったような、命ある映像が。彼女の走り出したい衝動のもとは古川だったのだが、そのことは極力考えないようにして、僕はあの橋の風景を想った。
彼女ほど、あの橋の上を駆けるのに相応しい人物は、他にいない。
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