2 パンクなカッコウ(鳥)
「ありがとうございます。ごゆっくりお楽しみください」
押し付けられたチラシにくっついていた無料チケットをもぎってもらうと、僕は席に着いた。受付に、あの彼女の姿は見えなかった。きっと出演者なのだろうか。あの強引なチケットの押しつけ方、確かに女優らしいと言えばらしい。目の前のスクリーンにはシミがぽつぽつとあり、それがまた懐かしかった。高校生の時、2本立てつづけに映画を観て幕間の時間にシミの数を数えたものだ。
時間が来る。客席はまばらだ。もう少し前の方に座ってやればよかったかと思ったが、席を移動する前に開演のブザーが鳴った。
真っ暗だった室内に、ぽつぽつと青いライトが灯る。スクリーンは海とも空ともつかない群青色に染まる。安っぽいCGアニメーションと字幕、ナレーション。青を反射した照明が、女優を照らす。
僕にチラシをくれた彼女は、主人公の役だった。芝居の内容はよくわからないが、銀河鉄道の夜のオマージュ作品であることは間違いない。最低限の照明と電子音に彩られながら、物語は進む。
「…カンパネルラッッ!!」
彼女は叫んだ。
「カンパネルラ、本当の幸いのためなら、僕はこの身が燃えてもかまわないのに。あのサソリのように、サザンクロスまでの闇を紅く照らすことが、きっとできたなら!」
彼女の叫びの意味は、よく分からない。僕は銀河鉄道の夜について教科書以上の知識は持っていなかった。
でも。安いスポットライトに照らされた彼女を眺めながら、僕は思う。
でも、彼女は美しい。客席の僕がどんなに手を伸ばしても届かない、低いステージの上。ならば、撮りたい。彼女の激高を、涙を、死を、物語の中の彼女の生涯を、撮りたい。
なんて言ってしまえばカッコいいだろうが。僕の感じた本能的な感想は
「やっぱ女優ってのは、こんなショボい小劇団でも綺麗なコがいるもんだなー」
だった。こんなこと、とても秀平には言えたもんじゃない。
「あの、すみません…」
話しかけてきたのは、彼女の方だった。常に新しい世界に目を向け続けている僕としては、彼女が誰なのか、すぐには思い出せなかった。
「すみません、あの、スカート…」
はっと足元を見ると、彼女の長いスカートの裾を僕の汚いコンバースが踏みつけていた。
「あ、す、すいません!暗くて足元、よく見てなくて」
僕は慌てて立ち上がり、ごにょごにょと言い訳をした。上映開始間際に慌ててここに入って、隣に彼女がいることすら知らずにここで2時間も座っていたというのか。我ながらとんだ大間抜け。
「いえ、大丈夫です。安物ですから」
彼女はそう言って女優スマイルをかました。これで終わりにしようということか。負けじと僕は、クリエイター志望青年の武器・軽さと積極性を使って反撃する。
「いえいえ、申し訳なかったです。女優さんの服を僕みたいな者が汚しちゃうなんて…クリーニング代、持ちますよ。てか上映中もずっと踏んでたってことですよね?うわー申し訳ない…」
「え、あの、なんで、私のこと女優なんて…?」
「え?だってこの前、ここで芝居してたじゃないですか。主演だったでしょ?僕、アマチュア劇団の演劇のことは詳しくわからないけど、あなたの最後に叫んだシーンは、すごい良かったなあって思って。なんなら、僕が映像にして切り取ってやりたいくらいに」
「見て、くださってたんですか?やだ私ったら、ちっとも気づかなくて…」
「いやいや、あれだけライト当たってたら客席なんて見えないでしょう。僕もあれと同じ照明使ったことありますけど、あれ値段の割にガッチリ照らしますよね、持ち運びがちょっと大変だけど」
「わあ、もしかして、何かお芝居の関係のお仕事されてる方なんですか?」
自分と同年代の若造から仕事がもらえると思っているわけでもないだろうに、彼女はきらきらとした目で僕の話を聞いてくれた。女優スマイルか彼女の本心かはわからないが、とにかく僕は上機嫌になってしまった。
ここで話すのもなんだから、と、僕たちは向かいのカフェに入った。店内はそれほど混んではいなかったけど、窓際の席はどこも埋まっていた。仕方なく、通路を挟んで内側の2人掛けに腰を下ろす。窓の方を見ると、窓際の席で若い女と30代の男のカップルが映画について話し込む姿が見えた。
僕たちも話した。彼女は高校の時に演劇部に入っていて、演じる楽しさに取りつかれたこと。もともと映画やアニメ、音楽などが大好きで、自分も作り手側に回ってみたいと強く思っていたこと。有名になりたいわけじゃなくて、一生貧乏暮らしでも構わないからこの刺激的な芝居の世界で生きていたいこと。宮沢賢治が好きなこと。銀河鉄道のこと。プラネタリウムみたいなこの映画館が好きなこと。
「プラネタリウム?」
「そう。古くて小さくて、でも無限の宇宙みたいでしょ。私、銀河鉄道の芝居をやるなら、絶対この映画館が良かったんだ。疲れたときにここに来て、ぼんやり映画を眺めたら、まるで星を眺めているみたいに思えたことがあって」
「そりゃ、贅沢なことで」
映像作家を志す僕としては、ただ宙にあり続ける星を映したプラネタリウムと作り手が一瞬まで魂を込めて撮り上げた映画を一緒にされるのは、ちょっと納得がいかない。
彼女は僕の話も聞きたがった。映像作家を志し、18歳の春にこの町を出たこと。東京での日々は刺激的で、すべてを吸収して怪獣のように大きくなってやろうと思っていたこと。映像の専門学生時代、いくつかの小さな賞をもらったこと。でも、仕事に繋がることなく地元に帰ってきてしまったこと。諦めていないこと。今度、また小さな映像コンクールに応募しようと思っていること。
自分と同年代の男が、未だに夢を諦めていないことを感じて、彼女はいかばかりかの安堵を得たようだ。
「でね、今、主演の女優を探しているんだ」
「そのショートムービーの?」
「そう、応募テーマは『走る』。1分間の映像だから、女優は一人でいいんだ」
「1分間だけなんだ」
「ラクそうだと思うだろ?でも、短い時間の映像を撮る方が長い時間のものを撮るよりよっぽど難しいんだ」
「わかるよ、私も、長いセリフより短いセリフのほうが難しいと思うもの。長いセリフは覚えるのが大変だけど、気持ちをたくさん伝えられる。短いセリフは、たった一言の中にたくさん詰め込まないとならないんだもの。あの『カンパネルラッッ』が言えなくて、喉から血が出たこともある」
「マジで?それって大変なことじゃない?下手したら役を下ろされることだって…」
「『セロ弾きのゴーシュ』って知ってる?」
彼女の話は文脈が難しい。
「えっと…聞いたことはあるかな。それも、宮沢賢治?」
「そう。賢治が亡くなってから発表された作品よ。その中にね、カッコウが出てくるの」
「カッコウって、あの、よくそこら辺で鳴いてる?」
「そう。カッコウ、カッコウって。一人でセロの練習をしていたゴーシュのもとを、一羽のカッコウが訪ねてくるの。でね、自分が鳴く練習のために、ゴーシュにセロを弾いてもらうんだったかな。ともかく、ゴーシュとカッコウは一緒に合奏するの。いつしかゴーシュは疲れて、手を止めたくなる。でも、カッコウは鳴き止まない。高らかに赤い喉を見せながら、カッコウ、カッコウって鳴くの。ついにゴーシュは手を止める。疲れたと弱音を吐くゴーシュに、カッコウは言うの」
彼女はアイスティを一口飲んで、咳払いした。
「『何故、止めるのですか。私たちの仲間は、一度鳴いたら喉から血を吐くまで、鳴くのを止めません』ってね」
「カッコウ、パンクだねえ」
「本当ね」
本当は彼女をショートムービーの主演にスカウトしたかったのに、うまくはぐらかされてしまった。
まあ、いい。とりあえずは彼女と連絡先を交換して、店を出た。細く、背の高い彼女は後ろ姿でも十分目立っていた。この田舎町に、いや、どんな都会でだって、彼女はきっと埋もれないだろうに。
彼女が帰ったあと、僕は店の前の喫煙コーナーで煙草を一本吸った。健康に良くないことはわかっているけど、喫煙所でする先輩との会話が面白くて、僕は大学1年の頃から煙草を始めた。
長く、細く、煙を吐き出す。火の付いたものを吸って、熱くないの?と前の恋人が聞いてきたことを思い出した。熱くないよ、吸ってみる?と煙草を一本差し出したけど、彼女はてこでも吸わなかった。
『でも、たっくんの手、雲を作っているみたいね』
雨の中で火が消えないように手で覆いをする僕を見て、彼女が言った。僕の手のひらの内側で対流を起こし、煙は細く細かく幾筋にも別れながら空に昇っていった。
もう一度、あの女優さんと話がしたいな。僕は煙草を灰皿に擦り付けて火を消し、ポケットにしまってあったくしゃくしゃのチラシを取り出した。いかにも素人づくりのそのチラシは、しかし必要な情報はわかりやすく大きく載っていた。
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