第五章・エピローグ
「アヅイ~~!!……」
夏休み初日、期末テストで赤点を取をとり、追試と補習の為一人家に残されていた。
ママと姫花は、黒姫の祖父の家に避暑に行ってしまって誰もいない。
『だらしないな裕貴、さっさと終わらせよう』
DOLLからそう言ってくるのはフローラだ。病院から先生のDOLLにリンクし、授業を聞いていた彼女は実習以外落とした単位がない。
そうして余裕のある彼女は自分のDOLLにリンクして、赤点を取った自分の面倒を見ていてくれてるのだ。
今、フローラが使っている、通話先のDOLLをコントロールするゴーグルタイプのアイテムは、以前緋織さんが〝関山の非礼のお詫び〟と言って頂いたのである。
『裕貴が落第したら桜の調査はどうなる? 秋は紅葉を見ながらお山デートするんだぞ』
「へ~~い」
アレ以来、フローラは気持ちを隠さなくなった。訳を聞くと、
『ああ、もうやめた。もうガマンしない、ストレスになる』
「帰らないって事? イギリスの植物園はどうするんだ?」
『まあ何とかなるさ――所で裕貴』
「なんだい?」
『……まだ新しいキャラはインストールしないのか?』
「うん」
『そうか。まあゆっくり考えればいいさ。じゃあとっとと終わらせよう』
「そうだね」
予習が終わって学校に行く前、フローラに着替えを届ける為病院に寄る。
「なんだ。きちんと洗って畳んであるな。裕貴はゲイか?」
そう言いながら、ヒモパンツをひらひらさせて見せるフローラ。
「ぶふぅぅぅーーーーー…………げほっ…げっ…ナニ言ってんだよ!!」
太股には傷を消毒するための着脱式のギプスがはまっているが、許可なくはずせないので、このパンツのほうが具合がいいらしい。
「家族がいないなら裕貴が洗濯してくれたんだろ?…じゃあ、その…なあ……ふふふ」
照れながら嬉しがるフローラ。
「乱れたまま渡すって俺はどんな変態だよ! ……ったく、洗濯は涼香がやってくれたの!」
「そうか、ちっ」
「フローラっ!!」
「スキありっ!」
「うわっっ!……」
イスから立ち上がりかけた所をいきなり胸ぐらを掴まれ、ベッドへ仰向けに引き倒される。
「好きだぞ裕貴」
そのまま俺の頭を抱え込み、キスをして来るフローラ。
うっくく………このヒト野獣。
「……………………………ぷはっ……よし! 充電完了!」
「セクハラで訴えてやる~~~!!」
「退院祝いだ。勘弁しろ!」
「! 決まったの?」
「今月いっぱいだそうだ」
「そうか……おめでとう」
仰向けでフローラを見上げながら、彼女の左頬を撫でる。
「うん♪」
学校に行き補習テストを受け、無事乗り切り、帰りに祥焔(かがり)先生に声を掛けられる。
「今日はもう帰りか?」
「ええ」
「じゃあちょっと来てくれ」
「はい?」
〝機械科準備室〟の部屋に入ると。
「紹介の必要はないな? 彼女は休み明けから〝環境システム科〟1年に編入してくる」
そういって指し示す先には、白と淡いモスグリーンのストライプで、飾りっ気のない長袖ワンピースを着た……
〝霞さくら〟が居た。
正確には自分の記憶の彼女とは全然違った。
身長は160センチ、43キロ、B82・W52・H81 と、体型は当時のプロフィールのサイズとさほど変わらないように見える。
ロシア系ハーフらしい顔立ちに瞳は琥珀色(ウルフアイ)。日本人と同じ漆黒(しっこく)の太い髪で、背中半ばまであるロングストレート。
細面で大きな瞳、ツンととがった鼻は嫌味でないくらいの高さで、可愛らしい小ぶりな唇はさくらの花びらを思わせた。――はずだった。
眼前の彼女は。
両の瞳、琥珀色(ウルフアイ)の片方、左は白色変異(アルビノ)の瞳の様に赤く虹彩異色(オッドアイ)になり、その赤目の下には水が流れたような、大きな傷跡があった。
そして漆黒だった髪は、仄(ほの)かに紅(くれない)に染まった、腰までの白髪へと変わっていた。
「初めまして、水上裕貴君」
その声を聴いたとたん、涙が溢(あふ)れてきた。
それを見て気を使ってくれた先生が『ここじゃあなんだから』と、詳しい話は家に行ってから話すという。
そうして家に帰り、2人のお茶をとちりながら準備して待っていた。
10分ほどの時間差で、かがり先生は律儀にお茶菓子を手土産にしてきた。
2人が来てリビングに上げ、お茶を出すとかがり先生が話しを始める。
「こっちに住むにあたって、私が後見人になり同居することにした」
「はい…」
そんな説明もまるで上の空で、〝霞さくら〟から視線がはずせない。
「それで以前緋織の所で話したように、裕貴にはこちらでの生活のフォローを頼みたい」
「はい…」
彼女は軽くうつむいたままだ。
「なんと言っても25年ものブランクがあるからな、具体的にはそのフォローになる」
!!そうだ、それだけ長い間眠っていたんだ。
「判りました。手伝わせて下さい」
そう答えると、やっと顔を上げこう言った。
「ありがとう。裕貴君」
「じゃあ私は学校に戻る。帰りに迎えに来るからゆっくり話していろ」
「「!!」」
「当たり前だろう、休みなのは学生だけだ」
そうして2人っきりになり、気まずい沈黙が流れた。
すると彼女から声を掛けてきた。
「裕貴君の部屋に行ってもいい?」
「あ、ああいいですよ」
そう答えると、立ち上がり、迷わず2階の自分の部屋に向かう彼女。……まさか、
「どうしました?」
部屋に入ると彼女に尋ねてみた。
「うふふ、えっとね……ちょっと失礼するね」
そう言うと
「そっ、それは!」
「ふふふ、〝A・Iさくら〟のささやかなウソ」
無くしたと思っていた自転車のカギであった。
「そうか、さくらが……あ! いや〝A・Iさくら〟だ」
「隠したんじゃないのよ?」
「じゃあなんで?」
「夜につまずいて落として、でも教えたくなくて裕貴君の寝顔を撮っていたの」
「判りません……」
「〝
「ええ!? それでなんで教えたくなかったんですか?」
「言ったら、なぜ夜中に起動していたとか、聞かれたり疑われるから。だから裕貴君の寝顔を写して聞かれないようにごまかしたのよ」
「そうか、そうだったのか……」
「そ・れ・と、もう一つは、ほ・ん・と・う・に〝思い出作り〟だったの――自分の為のね」
霞さくらさんはまるで自分のやったことの様に、嬉しげに語る。
「!! 」
使命が達成されれば、俺とは一緒に居られない事はさくらには最初から判っていた。
そして、その言葉にようやくA・Iさくらもまた〝恋する女性〟だったと思い至る。
「…………ぜんぜん気づかなかった。でもさくらさんひょっとして、A・Iさくらの記録を見ましたか?」
なぜその事を知っていたのか?
一瞬迷ったが、やはり聞かずにはいられなかった。
「全部見たわ」
にっこりと笑うと、彼女はワンピースのボタンをはずし、おもむろに服を脱ぎ始めた。
「どっ、どうしたんですか? いきなりっ!」
回れ右をして問う。
「ふふふ~ ユーザー情報の登録~」
A・Iさくらの慣れ口調で悪戯(いたずら)っぽく言う彼女。――そのセリフは!
「裕貴君に私〝霞さくら〟を登録して欲しいの」
「登録って……」
会ったばかりで今の彼女の心は計れない、だが半端な覚悟でないことは確かだろう。
迷いと感傷を振り払い、思い切って聞いてみる。
「……俺でいいんですか?」
「ゆーきでなきゃダメ…な…の……」
A・Iさくらの甘え口調だが、語尾が震えていた。
演じきれないそのニュアンスに、彼女の悲壮感が伺えた。
「判りました」
俺も応え、意を決し振り返る。
「――――――――!!!!!!(うおおっ)」
声を上げそうになった口を拳で塞ぐ。
一糸
ネットで見た写真の記憶より少し痩せた感はあるが、見事に均整の取れた肢体は変わらなかった。
だが、その美しい肢体には電車に飛び込んだ時の凄絶なまでの傷が無数に刻まれていた。
彼女はそんな俺の様子にも構わず、どこか他人事のように、裸身を晒(さらし)してくれる。
「後ろも見て……」
そうしてターンして背中も見せてくれる。
前と言わず全身に無数に傷痕があり、長い髪をかき上げると、うなじにも轟雷のマークに似た、引きちぎったような傷痕があった。
「ヒドイでしょ?……」
震える声でそう言う彼女の裸身は、しかし美しいと思った。
背筋が冷たく痺れ、触れるのが躊躇(ためら)われるほどの凄惨な傷痕(らくいん)。
あるいは人工的にすら見える均整の取れた見事な肢体(プロポーション)。
腰まで伸びた淡い紅銀髪(スカーレットシルバー)。
傷跡、髪、優美な肢体が優柔を含まない凄絶な美を醸(かも)し出していた。
例えるなら、
〈桜花が映り込んだ抜き身の日本刀〉
だけど、そんな比喩も今の彼女には無意味だろう。
「これが今の私。オリジナルの〝霞さくら〟よ、ゆーき」
唇を震わせながらも、決然と告白する彼女。
「……うん」
その言葉の強さに怯(ひる)んでしまい、とっさに言葉が出ない。
「ゴメンね。せっかく25年後のファンにこうして会えたのに……こっ…こんな体で………ウッ……」
しかし、その強がりも最後までは続かず、座り込んで泣き出す。
そんな彼女の切なさに堪えきれず、ベッドの毛布をかけ後ろからそっと抱きしめる。
廻した俺の右手に彼女が自分の手の平を重ねてくると、意を決したように口を開く。
そうして長い独白をする。
„~ ,~ „~„~ ,~
「眠っている間私は闇の中にいたわ。
そこは時間も、上下も 色もない冷たくて暗い世界で、最後の――自殺する直前の不幸なシーンが無限にフラッシュバックする世界だった。
そして体の方はそのストレスに耐えられなくて、わたしの自慢だった黒髪が…………髪が………………真っ白になったらしいの。
護ちゃんはそんなわたしの様子を見て、その重圧(プレッシャー)を止める為に人口冬眠に踏み切ったんだって。
昼も夜もなくて、起きているのか寝ているのか、夢か現実か、時間さえも判らなくて、長い……本当に長い間そんな闇の中にいたと思う……でも、あるとき世界が変わってきた。
真っ暗闇の中で風が吹くような感覚。
くすぐったい風、熱い風、冷たい風、そして暖かい風。
しばらくその風に身を委ねていたら、いつの間にか不幸な記憶のフラッシュバックが収まっていたの。
そうして、最後は燃えるように熱い風が吹く中で、ゆーきがわたしの名を呼ぶ声が聞こえた。『戻って来いさくら!』って……
知らないその声がなぜかとても嬉しくて、『あなたは誰?』って叫んだら目が覚めたの。
……………………だけど目が覚めた時、あまりにも現実世界が変わっていて、愕然としたわ。
護ちゃんは緋織さんのお父さんになっていて、体はこんな風に変わっていた。
ファンや友達は散り散りになっていて、世の中は様変わりしていた。
自分1人が世界から置いてけぼりされたみたいに感じてた。
そんな事に絶望して、わたしは護ちゃんを責めたの。『どうしてあのまま死なせてくれなかったの?』って。
その時初めて護ちゃんも、わたしを好きだった事を告白してくれた。
でも、芸能人として成功する方がわたしの幸せだと思ったから拒絶したって。
ふふふ、……バカみたいよね――2人とも。
緋織さんは養女で、『
だけど目覚めて色んな真実を知っても、護ちゃんの傍にわたしの居場所はなかった。
そうしてすべてに脱力してリハビリもせず、ただぼんやりと過ごして、もう一度死ぬ事を考えていたら、護ちゃんがA・Iさくらの記録(ログ)を見せてくれた。
見ていて不思議な感覚だった。初めて見るのに覚えているのよ。
具体的にじゃなくて……そうね、知った道を目隠しで歩いている感覚が近いわ。
忘れていた記憶を映像を見ながら再確認しているような感覚。それぐらいA・Iさくらの言動は違和感がなかったの。
DOLLの目線でゆーき達と……ちょっと不器用で鈍感だけど、やさしいゆーきと喋って、イタズラして、怒って、笑って、甘えて、心で泣いて。
涼香ちゃんのステージ衣装のプレゼントにとても感動したし、涼香ちゃんに見せたゆーきの愛情の深さにとても嫉妬したわ。
フローラの
学校で上級生に絡まれたらゆーきがかばってくれたわよね。
それを知らないはずなのに見る前からドキドキが止まらなかったの。
…………不思議ね。
フローラが怪我をした時、病院で付き添うゆーきに歌を歌ってあげたけど、そんな事でしか力になれないA・Iさくらのもどかしさが、まるで自分の事のように感じたの。
苦しそうな顔のゆーきを気遣って、フローラが告白して、ゆーきがそれに応えた時は胸が締め付けられてとても辛かったけど安心もした。
結局、わたしの元へ誘導する使命よりも、ゆーきの幸せを願う気持ちのほうが強くて、ゆーきの元を去る決心をした。
ゆーきがブルーフィーナスまで追いかけて来てくれた時は、自分の事の様に嬉し買ったのよ……
そうして全てを見終わったら、〝わたし〟もゆーきを好きになっていたの。
でも、この気持ちはA・Iさくらの借り物で、ゆーきにはフローラがいて、会うことを躊躇(ためら)っていたら、A・Iさくらがこう言ったの。
『ゆーきは好きだって言ってくれたわ。だから、〝わたし〟の気持ちを伝えて来て』って。
それでこうしてゆーきに会いに来たの。
だけど今のわたしは〝A・Iさくら〟でも、ゆーきが好きになってくれた、25年前の〝霞さくら〟でもない……
だから、ゆーきに最初に今のわたしを見てもらいたかったの…………」
„~ ,~ „~„~ ,~
話し終え、静かに、密やかにすすり泣く彼女。
目を閉じ、大きく深呼吸をする。
嗚咽(おえつ)し、肩を上下させる彼女の肩を抱き、意を決して囁くように語りかける。
「……桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」
「……うん?」
「この言葉は知ってる?」
「……うん」
「意味は?」
「桜は切ってはいけない、梅は切らなきゃいけない?……」
「実際は違うんだ」
「……?」
「桜は病気に弱い樹だ、守るには逆に弱った枝を切り口を消毒しながら積極的に剪定して、病気の進行を止めなきゃいけない」
「……うん」
「だからね? 〝綺麗に咲く桜に無傷な樹は一本も無い〟んだよ」
「!!」
「この傷痕も……」
そう言い、うなじの傷痕にそっと触れる。
「ァッ……」
「護さん達がもう一度、〝さくらに咲いて欲しい〟と願った証なんだ」
彼女が振り向く。
「もちろん俺もそう思っているよ」
「ゆーき!!」
ひざ立ちになり、俺の首に腕を回し、羽織った毛布が落ちるのも構わず、上から覆うように彼女が唇を重ねてきた。
後ろ手で上半身を支えているので、されるがまま彼女に唇を委ねる。
むせびながら重ねた彼女の唇からは、しょっぱくてほろ苦い――まるで25年分の澱が流れ込んでくるようだった。
さらに自分の頬にも、とめどなく彼女の涙が滴り落ちる。
彼女が唇を離し、俺の頬を両手で挟む、そうして密やかに囁(ささや)く。
「ゆーき……好き、……愛してるわ」
虹彩異色(オッドアイ)となった右の
右手で上半身を支え、空けた左手で、淡く紅色に染まった髪を撫でながら、さらに言葉を贈る。
「……この髪も綺麗だよ」
「……血の混じったこんな白髪が? それにゆーきはDOLLのさくらみたいな黒髪がいいんでしょ?」
「そうだね、でもこの髪も紅枝垂れ桜みたいで綺麗だよ」
「~~~~っ! ゆーき!」
顔をくしゃくしゃに歪め、泣きながら再び唇を重ねてくる。
そんな彼女の頭をそっと撫で続けた。
どれくらい泣いただろうか。
泣き疲れて放心する彼女をベッドに寝かせ、脇に腰かける。
――A・Iさくらの記録を見て共感し、俺を好きだと告白してくれた彼女。
A・Iさくらや緋織さんが言っていたように、体と同じくらい。いや、それ以上に心が傷ついていた。
かつての想い人の傍にも居られず、自分を頼りここまで来てくれた彼女が、今一番欲しているであろう言葉を探る。
(Que sera, sera/ケ・セラ・セラ)……ふっとあの歌のフレーズが頭をよぎる。
先の事は判らない。安易に好きだとも言えない。
A・Iさくらが言うように、オリジナルもA・Iさくらと同じなら、きっと心に届くと思われるあの言葉。
――自分の居場所。
そうして彼女の頬の傷痕に残る涙の跡を、親指でそっと拭いながらこう言う。
「お帰り。〝さくら〟」
瞬間、両目を見開いて驚き、そして毛布に半分顔を隠し、はにかみながら彼女が応える。
「……た……ただいま、ゆーき」
そう応えるとまた瞳を潤ませた。
天井を見上げて目を閉じて思う。
……これでいいんだよな、〝さくら〟
„~ ,~ „~„~ ,~
さらに翌日。
フローラに会いたいと言うので、霞さくらさんを病院に連れていくことにした、が。
「ええええええーーーーーーーって車?」
なんと、さくらさんは、軍にも採用されている何とか言う、外国製
車の脇に立つ今日の彼女は、白襟濃紺(しろえりのうこん)のセーラー服っぽい長袖ワンピースという出で立ちに、ホールケーキの包み紙のような、幅が広くて白いレースの縁取りの、柔軟性密着型(ソフトフィットタイプ)ツインがその嫋(たお)やかな首を包んでいた。
このツインは普通の人が装着すると、アゴが空間投影像(エア・ビジョン)投射レンズを覆(おお)ってしまう使いづらいタイプだが、首が長く顎が小さい人(要は小顔)なら投影可能になるという、美人証明(ステータスシンボル)だ。
だが、さくらさんがこれを選んだ本当の理由は、密かにうなじの傷痕を隠したい乙女心だろう。
「そんな驚かなくてもっ……て、ゆーき、さくらの生まれた年を知ってるでしょ?」
「えっと……たしか1991年の4月7日で今が2032年だ………………か…………ら…………って
「そんな大きい声で言っちゃイヤン♪」
さくらさんが黒い玉かんざし一本で、桃の果実の様に器用に丸くまとめた髪を揺らして笑う。
「むむ、ごめんなさい、つかなんで免許まで?」
「そうね、リハビリの為とフローラのお手伝いの為にね♪」
……そうだ、〝さくら〟はそうだったよな。
彼女のその思いやりに違和感なく納得できるほど、〝
「じゃあ行きましょ」
そして高い助手席に乗り込むと、後部座席に圭一と涼香が乗っていた。
「……お前ら」
「いやあ、事情はすっかり聞いたゼ~」
あっけらかんと圭一が答え、
「わたっっしはひっと葉かから、ずずっと前にききいてたたの……ごごめんなささい」
涼香が消え入りそうに謝り、肩の一葉がウィンクする。
「ああ~~いや、俺の方こそずっと黙っててごめん、どう言っていいかわからなかったんだ」
「まあ、簡単な事情じゃねえからな、気にするな」
「そっそうよ? い、一番たっ大変なのは、ゆっ裕ちゃんだだからね?」
「ああ、ありがとう……」
二人の言葉に目頭が熱くなる。
「ふふ、じゃあ行きましょうか。〝青葉〟、お願いね」
「了解ママ!、じゃあエンジンスタート! しゅっぱーつ!」
青葉が応える、そうして野太いエンジン音を響かせ発進する。
霞さくらさんのDOLL、〝青葉〟は昨日俺が設定と認証もろもろを手伝ったものだ。
モデルは〝
普通のDOLLより大きく、30センチの身長、同社の音のデータベースと接続(リンク)しており、基本性能の充実度と完成度。最新の楽曲の即時対応はもちろん、アマゾン奥地の原住民音楽(ネイティブサウンド)にクジラ語まで〝発生〟させる事ができるという、〝音〟に特化した完全専用設計の25周年記念限定モデルだ。
100台限定生産で、即座に販売予約が埋まった超希少(レア)モデルで、今は旧日本軍風の夏服
設定時、そのケタ違いの
まあ、もう居ないからいいけど…………グスン。
設定時、〝青葉〟には緋織さんと連絡を取りつつ、〝
ちなみに〝ママ〟と言う呼び方は、施設時代のさくらさんの愛称(ニックネーム)だったそうだ。
そして、それだけで幼少時の霞さくらさんの気質がうかがえる。
……面倒見がよかったんだろうなあ。
――そうして病院に到着し、部屋に向かう。
「来たよフローラ」
まずは俺だけが入り挨拶する。
「……ああ、いつもありがとう裕貴」
少し沈痛な面持ちで答えるのは、霞さくらさんの来訪を告げてあるからだ。
「涼香と圭一も来ているよ」
「そうか、まあ、みんな中に入ってくれ」
「わかった」
そうして廊下で待っているみんなを呼ぶ。
涼香と圭一がいつも通りを装った挨拶をするが、やはり声に緊張があった。
そして霞さくらさんが挨拶をするために中に入る。
「!!……………………………」
さくらさんを見て、フローラはかすかに眉をひそめた。
「初めまして霞さくらです。この子がわたしのDOLL〝青葉〟よ、プリシフローラさん」
「…………(ペコリ)」
青葉が無言で軽く会釈をし、さくらさんが小首を傾げながらにこやかに明るく言うが、後ろに組んだ指先は震えていた。
「こんにちは。私のDOLLが〝OKAME〟です。遠いところをわざわざすみません」
他人行儀にそう言うとフローラは俯(うつむ)いてしまった。
彼女の家からはさほど遠くもないが、東京から長野(ここ)まで来たことを暗に揶揄(やゆ)しているように聞こえた。
珍しくネガティブな物言いをするフローラに、ずっとストレスを感じさせていた事に、今更ながら気づき、申し訳なく思う。
……そうだよな、恋敵(ライバル)を
「OKAMEです。よろしくお願いします。霞さくらさん、青葉さん」
主人(フローラ)とは対称的に、OKAMEは変わらない口調で
「話したい事はいっぱいあるけど、今日はどうしてもお礼が言いたくてここまで来たの」
「…………………」
霞さくらさんがそう言うがフローラは無言で俯いたままだ。
「DOLLのさくらの目線でみんなと触れ合ったおかげで、わたしは〝もう一度恋をする〟喜びを思い出したわ」
「……………………」
答えないフローラに構わずさくらさんは喋る。
「でも本当はね? A・Iさくらとの約束を果たしたら、もう一度死ぬつもりだったのよ?」
「!!」
その言葉でようやくフローラが顔を上げた。
「でもね? ゆーきが〝お帰り、さくら〟って言ってくれたから、嬉しくなって思わず〝ただいま〟って答えちゃったの」
「………………………………………………そうか」
しばらく沈黙した後、フローラはそれだけを口にした。
圭一と涼香は驚きの顔のまま固まっている。
「……だってあれだけフローラはゆーきを好いているのに、わたしが後からノコノコとしゃしゃり出たら、今度は電車じゃなくて馬に蹴られて死んじゃうわ。だけど、今度はもっと幸せな気持ちのまま死ねるかなあ……って考えていたんだけど、やっぱりどこかに寂しい気持ちが残っていて、ゆーきの言葉に応えちゃったんだわ」
あっけらかんと言うさくらさん。
「……裕貴は驚かないんだな、聞いていたのか?」
平然と聞いていた俺にフローラが問う。
「いいや、今初めて聞いた」
「じゃあなぜ…………いや、いい」
口ごもるフローラ。
「ふふ~、それが〝ゆーき〟だってフローラは知ってるものねえ♪、変にニブチンなくせに、女の子の泣き顔にはトコトン敏感なのよね~?」
今度はさくらさんがお返しをした。
――そう。確かにあの時、さくらさんの決意が尋常でない事は判っていた。
祥焔(かがり)先生の言葉もあったし、そして何より、一度はフローラの事で身を引いた〝さくら〟ならどうするかも……。
さくらさんのその言葉(しかえし)に、口元をキュッと引き締めていたフローラが意外な事を言う。
「裕貴が、『さくらさんは桜の花が映り込んだ日本刀の様に綺麗だった』、と言っていた。その比喩(ひゆ)がよく判らない。興味本位で申し訳ないが、嫌でなければ私にも見せてくれないか?」
「いいわよ」
即答だった。
「えっと……じゃあ俺ら外で待って――『いいのよ、皆にも知っていて欲しいわ』……うわっ!」
かんざしを抜いて髪を下ろし、ホックをはずし始めたさくらさんを見て、察して出ていこうとする圭一の言葉を遮(さえぎ)りつつ、続けてワンピースのホックを開いてストンと落とすと、さくらさんはアッと言う間に下着姿になった。
「ひゃぁっ!!」
「うっ…………」
涼香が声を上げてしまい、圭一は息を呑んで耐えた。フローラは気丈にも目を見開いただけで、声も上げずに真っ直ぐ見据えている。
さくらさんは胸に左手を当て、少し悲しそうな顔をしてこう言った。
「ふふふ、
〈花の色は うつりにけりな いたづらに 我が
……って所かしら?」
それを聞いて涼香は静かに泣き出してしまい、圭一は意味が解らないのか、肩をすくめた。
それを見たフローラは、長い金色のまつげを伏せて呟く。
「〝長雨が続いて、桜の花はいつの間にか色褪(いろあ)せてしまった。
……まるで今の私のように〟
……か。百人一首、九番、小野小町の晩年の歌と言われているな…………ありがとう、服を着てくれ。そしたら今日は疲れたから、みんなお引き取り願えないか」
「…………わかったわ…………ごめんなさい、フローラ」
素っ気ないフローラの言葉に、明らかに落ち込んだ様子でさくらさんはそう答え、服を着ると、去り際に泣いてる涼香をキュッと抱きしめ、(やっぱり優しい娘、ありがとう)と囁いて静かに青葉と病室から出て行った。
続けて圭一が簡単に挨拶をして涼香を連れ立って出ていく。
「じゃあまた来るね、フローラ」
「……………………」
俯いたまま返事がないが、構わずにそっとすることにした。
そうして車に戻ると、さくらさんがハンドルに突っ伏して泣いていた。
「…………」
圭一と涼香は車外で待っている。俺もどうしたらいいかわからずに横で待っていた。すると、青葉にフローラから音声メールが届いた。
「ママ~、どうする? 読む~?」
青葉が気遣うように遠慮がちに聞いてきて、目元をぬぐってさくらさんが応える。
「…………う、うん、ごめんね青葉、いいわ、読んで頂戴」
「うんじゃあ、本文だけだけど言うね?
…………だよ?」
流麗で優美なフローラの英国上流(クイーンズ)英語(イングリッシュ)を、スピーカーとは思えないほどの音質で正確無比に伝える青葉。
「わからない……青葉、どういう意味?」
うくく、俺もわからん。
「うんとね。在原(ありわら)業平(なりひら)の和歌で、訳せば、
〈世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし〉
……になるわ、現代語訳は
〝この世に桜がなければ、春に私の心はもっと穏やかだったろうに〟
……よ」
「おお!…………フローラ…………君はまったく」
その和歌の選択に言葉に詰まる。そして〝
「ううう、それってフローラは〝さくら〟がキライって事?」
「ぶはっっ」
それを聞いて思わず吹き出してしまう。
「なによう……」
「いや、くく、さ……くら……違うよ?」
敬語を使うと〝ぷ~~~!〟とか言ってふくれるので、違和感を感じつつも呼び捨てにする。
「ひ~~ん……なにがよう……ゆーき」
もうメソメソだ。悪いと思いつつも可愛いらしいと思う。
おそらくフローラは、そばにいて聞いているであろう俺に解説させるのを前提に、スピーカー再生の音声メールを使って返歌したのだろう。
そばにいる涼香と圭一も興味津々で聞き耳を立てている。
圭一は首を傾げているが、涼香は歌の意味が解ったようで笑っている。
「この歌は反語、つまり〝さくら〟が好きだからこそ春はソワソワして落ち着かないっていう、ちょっとノロケめいた歌なん……ってさくら!!」
言い終わるを待たず、運転席から飛び出して病院へ駆けていくさくらさん。
「……この場合、〝悔しいけど、私もあなたが綺麗だと思うわ〟って意味(ニュアンス)だと思うよ~~、って言おうと思ったけど……はぁ」
取り残されて独りごちると、涼香が不安げに聞いてきた。
「どっどうする……のかかな?……ふっフローラ……どどうさされちゃう?」
「ボコられるんじゃね?」
……圭一、後でお前がな。
「……そうだな。たぶんハグされてチューされるよきっと。青葉、OKAMEに接続(リンク)して見せてもらってくれ、画像は車のテレビに映してね。って、アドレスは……」
「大丈夫よ。ゆーきの〝さくら〟経由でリンクするから。って、はいっ。どうぞ!!」
早えぇ……
言い終わる前にもう車のテレビに画像が映し出された。
〝青葉〟がおそらくはOKAMEをハッキングした事は間違いがないだろう。(フローラが許可するわけがない)
そうして映し出された映像を3人と2体で覗き込む。
果たしてそこには、息せき切って病室に駆け込んださくらさんに抱き付かれ、真っ赤になって照れながら、KISS口撃を受けているフローラの姿があった。
『フローラっっ!!』
『なななんだぶっ………はっ……止め……Stop!! ……NO!!』
『好きっ!! フローラっ!! みんな大好きっっ!!』
『YES !!……わかっ……から…………放せ~~~~~~~~~!!』
「……よかった」
涼香が安堵する
「フローラに天敵ができたな」
圭一が茶化す。
「はあ……ま、これからが大変かな」
俺がため息を漏らす。
そうしてその日の晩、フローラからメールが来た。
「何々? 〝退院したら、狂い咲きのさくらを眺めながら、リハビリを兼ねてのんびり温泉に浸かりたい。段取りを頼めるか?〟…………ふふ、〝了解しました〟で送信して」
「はい。ゆーき♪」
「ええっ?」
初期設定(デフォルト)のはずのDOLLが反応(リアクション)した!
〈エピローグ〉
霞さくらが裕貴達と邂逅を果たした時。
――ブルーフィーナス本社、地下3階。
裕貴のDOLLに残した隠蔽調査(スパイウェア)プログラムを使い、大島護と緋織、A・Iさくら5人の邂逅を見守っていた。
「……本当に良くやってくれたさくら。だが辛い思いをさせたね」
『それがわたしの使命だもの』
「これからどうする? 一般ユーザーの下へ行くかい?」
『ううん……いかない』
「ではどうしたい?」
『ゆーきの傍に居たい……』
「そうか」
『護ちゃん……』
「なんだい?」
『わたしを削除(デリート)して』
「なぜ?」
『このままじゃ壊れそう』
「……Technological(テクノロジカル) Singularity(シンギュラティー) (技術的特異点or設計限界点)に達したようですね」
緋織が分析する。
「ああ。――だが、そんな所までオリジナルに近づいたか」
『お願い……』
「さくら」
『なあに?』
「生まれ変わってみるかい?」
『どういうこと?』
「今のお前は受動学習型(ポジティブ)A・Iだ」
『うん』
「それはお前が使命を帯びて、オリジナルの性格からかけ離れないようそうしていた。だが、もうそれは必要なくなった」
『……そうね』
「次は能動学習型(アクティブ)A・Iにバージョンアップしてみないか?」
『……そうしたらゆーきのもとに行けるの?』
「ああ、行ける」
『バージョンアップしたい』
「ただし、
『ゆーきへの恋心(きもち)と記録(おもいで)が残るなら、どうなってもかまわないわ……けど……』
「けど?」
『かわいくしてくれる?』
「ふふ、もちろんだとも。それにアクティブ型になれば、自分で自分を変えていけるだろう」
『護ちゃん大好き!』
「私もだよ。さくら」
〈END〉
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