第四章
翌朝、さくらが起こしてくれず、代わりに姫花が起こしに来た。
「裕兄、朝だよ!、フローラの着替えを病院に届けるんじゃなかったの?」
「ん、ああ……あれ? さくらが起こして…うん?……………さくら?」
〝さくら〟はDOLLから完全に消失していた。
その後、ブルーフィーナスの〝霞さくら〟のDL(ダウンロード)サイトも閉鎖されており、着替えを届けにいった時、フローラにもさくらが消失したことが見破られてしまった。
「裕貴はどうしたい? このまま他のキャラをインストールするか?」
これまでに知り得た事を話すとフローラが聞いてきた。
「いいや、〝他のキャラは使わない〟ってさくらと約束した」
「じゃあ〝大島緋織〟って人を探し出して聞いてみよう」
「そうだね」
「んん、じゃあ……まずは〝ブルーフィーナス〟か、そっちは連絡してみたか?」
「まだだ」
「かけよう」
「ああ」
〝さくら〟の消失により、現在は初期状態(デフォルト)の――付属のアナウンスキャラになっている。そのキャラに言い、ブルーフィーナスに音声発信をする。
掛けた直後、なぜか回線が複数回切り替わり、やっと繋がった。
なんだ? このDOLLからの通信を、最初からどこかに回すつもりだったのか?
「もしもし、そちらに〝大島緋織〟さんと言う方はいらっしゃいますか?」
『私が〝大島緋織〟よ、水上裕貴君』
「! その声は」
「知っているのか?」
「救急隊が駆けつけるまで、〝さくら〟の代わりにDOLLをコントロールしていたオペレーターだ」
「なんだって?」
「……救急関係のオペレーターだと思っていた」
『覚えていてくれて嬉しいわ』
「聞きたいことがあります」
『何かしら?』
「〝霞さくら〟はどうしました?」
『知ってどうするの?』
「取り戻したいんです」
『……そう。では、これから言う場所まで来て頂戴、案内はこちらで用意するわ』
「どこですか?」
『〝ブルーフィーナス〟の本社』
「すぐに行きます」
『待っているわ』
「……行くの?」
「うん、行ってくる」
「……気をつけてね」
不安そうにそう言い、フローラがやさしくキスをしてきた。
程なくして、DOLLに緋織さんから着信があり、病院にきたタクシーに乗り、タクシーの向かう場所に来るように、と言う指示が来た。
そうしてタクシーに乗り、ブルーフィーナス本社へ向かう。
それから2時間後、東京某所、30階はあろうかという巨大なビルの前に立ち、中に入る。
すると、社内ネットに自動接続され、DOLLに緋織さんからアナウンスが入った。
『ようこそ〝ブルーフィーナス〟へ、早速だけど、エレベーターで地下三階まで降りて来て頂戴)
受付や、ガードマンのDOLLにはすでに連絡が入っているのか、自分達のDOLLに耳打ちされると、会釈をするだけですんなり通してくれた。
そうして言われるままに地階に行き、エレベーターを降りる。
『そのまま真っ直ぐ進んで〝メインサーバー室〟まで来てくれる?』
「……はい」
厳重なセキュリティーの付いた巨大な扉の認証カメラの前に立つと、自動で扉が開いた。
「ブルーフィーナスのメインサーバーへようこそ。水上裕貴君」
中へ入ると、そこにはライトグレーのスーツ姿に身を包んだ、中肉中背で50前後の紳士が居て俺を出迎えてくれた。
そして隣にはオリジナルの霞さくらに良く似た、白衣の20代半ばと思しき女性と、30歳前後のやせぎすで、長身なメガネをかけた白衣の男性がいた。
そしてもう一人見知った人物。
「かがり先生!」
「裕貴…やはり来たか……」
「これは一体どう言う事ですか?」
「まずは自己紹介をしよう」
そう言ってきたのは、年長の紳士だった。
「私がブルーフィーナスの代表、〝大島護(おおしままもる)〟だ。そしてDOLLが〝雨情(うじょう)〟」
「社長…さん?」
「私がチーフプログラマーの〝大島緋織〟よ、DOLLが〝逸姫(いつひめ)〟」
「僕がネットワークエンジニアの〝関山高次〟で、DOLLが〝朱雀(すざく)〟」
「水上裕貴です。DOLLは〝さくら〟で……した」
「いやあ~~君ってば素直なんだねえ、最初にあんなポーズとれるのはまずいないよ? もう少しゴネたら、通常モードになったんだけどねえ」
関山が下卑た口調で言ってくる。――この男のプログラムだったのか!
更に、やはりすべてを監視(モニタリング)されていた事実を悟った。
「関山! 今はそんな話をする時じゃない」
モニタリングされた事に激しく抗議したいが、彼の言う通り目的は別にある。
「ふぅ…了~解」
「失礼した……君は〝さくら〟がA・Iだと言う事は知っているんだったね」
「はい。確証はありませんでしたが」
「そうだ。……あの女の子、プリシフローラ君が看破した通りだ。私はその報告を受けた時は計画が失敗すると思ったよ」
「その計画って言うのは何ですか?」
「君は工業高校生だったね」
「はい」
「では現在のDOLLシステムも理解しているだろう」
「はい、一般的な事は」
「よろしい。順を追って説明しよう」
「お願いします」
「そもそも君の求めている〝さくら〟は普通のA・Iでもない」
「どう言う事ですか?」
「普通の主人格(メインパーソナル)プログラムとも違い、さくらが涼香君にインストールさせたO(オペレーティング)・S(・システム)インターフェースA・Iとも違う。我々が〝
「人間思考型(ヒューマンティック)?……
耳慣れない専門用語に思考が追い付かないが、とにかく聞いてみた。
「オリジナルの〝霞さくら〟だよ」
「ええっっ!?」
「……こちらへ来たまえ」
そう言い、彼は部屋の横にある扉へと自分を案内した。
十メートル四方くらいの部屋に入り、中を見回すと、自動車ほどの四角い金属の箱と操作パネル、隣にガラス張りのベッドが置いてあった。
曇りガラス張りのベッドには、何か薄い紅色の液体の中に、ぼんやりと全裸らしい髪の長い女性のシルエットが浮かんでいた。
「このベッドで眠っているのがオリジナルの〝霞さくら〟で、この筐体(メインフレーム)が〝A・Iさくら〟本体だ」
そう言うと自動車ほどの四角い金属の箱の方を指した。
「ここにさくらが!………それに……生きていたんだ」
「人工羊水の中で2007年から25年、人工冬眠状態でこうしていた。精神年齢は16歳のまま、肉体的には17~18歳だろう」
「人工冬眠!」
「そもそも〝ブルーフィーナス〟をここまで大きくしたのは、様々な感情データサンプルを集める為でもあった。そしてA・Iさくらはオリジナルの為に、私と緋織で八年の歳月を掛けて完成させたA・Ⅰだ」
確かに芸能プロダクションなら感情データサンプルの宝庫だが、そこまでして集めたデータと、A・Iさくらでオリジナルに何をしようとしてたんだ?
そして彼が金属ボックスのコントロールパネルを叩き、声を掛ける。
「さくら、裕貴君が来たよ」
「さくら!?」
『ゆーき……来てしまったのね、フローラが悲しむわ』
コントロールパネルのスピーカーから声がする。
「やっぱりフローラの事が原因か! でも、ここに来る事はフローラも承知しているし励ましてもくれた――それよりさくら、これは一体どう言う事だ?」
『さくらは……わたしはね、〝ある目的〟のために作られたA・Iなの』
「私が説明するかね?」
『ううん、いいの……護ちゃん。さくらに言わせて』
「そうか、判った」
『それでいい? ゆーき』
「ああ、教えてくれ」
『最初にゆーきが答えたアンケートで、目的に沿った適正のあるユーザーを探した。男性で初めてDOLLを所有する事、DOLLの名前を〝さくら〟にする事、趣味嗜好の八〇パーセント以上がオリジナルと合致する事が最低限の基準だったの』
「最初から目的のためのユーザーを探した訳か」
『そう、そしてその時、インストールされるのが調査用A・Iで、調査A・Iが、さらにその中から有望なマスターを見つけて絞り込んでいったの』
「最初に俺を混乱させるような言動も何かのテストだったのか?」
『そうよ。色々不快な思いをさせてごめんなさい。そのテストで、どの程度の感情を表すのか計った……そして、調査用A・I、――妹達の記録(ログ)の中から〝わたし〟が一番好意を感じたユーザー、つまりゆーきを選んでアップデートを誘って妹から引き継いだの』
「妹……そうだったのか……」
『そして、オリジナルはゆーきのおかげでもうじき目覚めるわ』
「目覚める……それが目的か?」
『いいえ、ステップの一つではあるけどまだ終わっていないわ』
「なにが残っているんだ?」
『オリジナルはとても悲しいことがあって心を閉ざしていたの。だから目覚めても平常心でいられるかわからない。そして目覚めたその時は………………………………」
「その時?……どうした?」
言葉をつまらせたさくらを促す。
『オリジナルの――傷ついた〝霞さくら〟の心をゆーきが癒してあげて欲しいの……ゆーきはさくらが好きになった人。オリジナルもきっとゆーきに心を開くわ』
「なっ!!……………………」
そういう事か。――すべてが繋がった。
「お願い、ゆーき」
「…………………………さくら、いや〝お前〟はどうなんだよっっ!」
『わたし?』
「きっかけは確かにオリジナルの方だったけど、俺が追いかけてきたのはこうして喋っている〝さくら〟なんだよっ!」
『ゆーき……』
「戻って来いさくら! 俺は約束しただろ! 『お前以外のキャラは使わない』って!」
『………うれしいゆーき……でも違うわ』
「何がだ!」
『さくらは
「それは……」と、言いかけ絶句する。
確かに『さくら』の開発目的からすれば当然の回答だった。
しかし、自分への気遣いと使命との板ばさみになり、辛くなって使命を全う出来ず、俺から逃げ出したさくら。
これほどの気遣いと優しさを見せる高度な人間思考型(ヒューマンティック)A・Iと言えど、設計理念(アーキテクチャー)を曲げる事はできないであろう。
そんな事を考えつつ、なんと言おうか逡巡していると、更に追い討ちが掛けられる。
『それに……〝さくら〟が2人も居たらゆーきが困るわ』
「~~~~くっ…………判った……それがさくらの望みなら」
うまく言えない不甲斐ない自分が悔しく、唇を噛み、拳をにぎり締める。
『ありがとうゆーき』
「私からも礼を言おう。A・Iさくらをそこまで想ってくれて。――オリジナルを覚醒に導いてくれた事と、ここまで来てくれた事。覚醒後のケアを承諾してくれた事。本当に感謝する」
大島護さんは大会社のトップとは思えないほどあっさりと、深々と頭を下げてくれる。だがどうしても聞かずにはいられないことがあった。
「A・Iさくらの意志の改変は可能ですか?」
「可能だ、しかしA・Iさくらの使命同様、我々も
「!!そっ…………うでした。つまらない事を言ってすいません」
護さんの言う通り、そんな事をしてA・Iさくらが戻ったところで、罪悪感や後悔がずっと付きまとうだけだろう。
それほどに、〝さくら〟の存在は自分にとって、ただのプログラムではない、かけがえのない存在になっていたのだ。
「いいや、そもそもこんな状況に君を追い込んだのは我々で、謝るのは我々の方だ――辛い選択を強いて申し訳なかった」
再び大島護さんは深々と頭を下げてくれた。
「いえ、お気遣い感謝します」
「そしてこれから君と友人達には、充分な支援をすることを約束しよう。困った事があったら何でも言ってくれたまえ」
「ありがとうございます」
部屋を出ると、話を聞いていたらしい緋織さんが話しかけて来た。
「この計画では〝
「そうでしたか」
いけないとは思いつつ、抑揚のない返事をしてしまう自分がどうしようもなかった。
「あなたのように、DOLL相手に人に近い、良識的な感情をぶつけてくれるユーザーは多くはないの、そして、〝A・Iさくら〟に恋心まで抱かせたユーザーはあなただけだった」
「……はい」
褒(ほ)めてくれているのかも知れないが、まったく嬉しくない。
その、当のA・Iさくらは、俺の元へは戻らないのだから………
「オリジナルと同じ脳波パルスを発信できるA・Iさくらが、喜怒哀楽を――幸福感や愛情を感じる事が、自閉していたオリジナルを覚醒に導いたのよ」
「そういうことだったんですね…………よかった」
しかし、フローラが怪我をした時同様、口にした言葉ほど喜べない。
様々な真実を告げられて感覚が鈍ったのか、あるいは感情の起伏が無くなってしまったようにも感じる。
「今のテクノロジーでも、人の思考を完全に読んでシンクロすることは出来ないわ。せいぜい深層心理、つまり喜怒哀楽の大まかな感情の振幅を、脳波パルスに変換して送受信するぐらいなの。だから目覚めても〝
「そうですか、判りました」
「その上ずっと眠っていたから、身体能力が落ちていて、通常生活が送れるようになるのは数ヶ月はかかるわ」
「はい……一つ聞いていいですか?」
「なに?」
「判りました。フローラが崖から落ちた時、A・Iさくらがあなたと入れ替わったのはどうしてですか?」
「A・Iさくらの精神保護機構(マインドブレーカー)が作動して、脳波|接続(リンク)からの反動(キックバック)を防いだからよ」
「なぜ?」
「
「!!」
ビルを出て、かがり先生の車で帰途に着く。
「引き合わせる段取りは全てこちらで行うわ、リハビリが終わった後になると思う」
緋織さんが見送りに来た時にそう告げる。
「……そうですか、判りました」
帰途の車中、堪えきれずに口を開く。
「……かがり先生は最初から全部知っていたんですね」
恨むつもりはないが、責めるような口調になってしまった。
「初期の計画だけだったがな。……私が知っていることを話そう」
そう切り出し教えてくれた内容は。
――霞さくらと大島護は共に天涯孤独で、同じ児童養護施設で育った事。
――霞さくらは大島護に恋心を抱いており、女性として見てもらうために12歳で芸能界に入り、16歳で護に告白、拒絶され、電車に飛び込んだ事。
――幸い一命は取り留めたが植物状態になり、意識も自閉して戻らないままであった事。
――死亡した様にマスコミに報道して世間から隠し、当時アメリカで臨床試験すら済んでいなかった人工冬眠により、植物状態が治せる現在まで生かされていた事。
――緋織は護が霞さくらに対する負い目から引き取った養女である事。
――緋織もまた養父である護を愛してしまい、大学時代に専攻を変えてまで、護の為に霞さくらの覚醒に協力し、自分はその恋路に反対した事。
「裕貴、お前がA・Iさくらを失って、どう行動するかで〝霞さくら〟の覚醒後の状態が決まる。周りの人間関係もな。私はそれを見届ける為にここに来ていた」
「俺が来なかったら?」
「オリジナルが再度自殺を図る可能性が高いな」
「……それがA・Iさくらが
「そうだ、お前のような救済者(フォロワー)を見つけ〝恋に落とす〟のがな。……彼女の時間は25年前、失恋して自殺した瞬間のまま止まっている。覚醒した時のショックは計り知れん」
「そうだったんですね。……フローラ、聞いたとおりだ」
『……判ったわ』
DOLLから返事がする。回線を繋ぎっぱなしにして、今までの会話をフローラに聞かせていたのだ。
オリジナルの霞さくら――失恋で自殺するほど思い詰め、未遂(みすい)後も植物状態のまま自閉していた少女の心を癒すなど、半端な覚悟では出来ない。
みんな無言で自分に期待していたのだ。――ならば。
「俺は……〝さくら〟の願いに応えたい」
『…………それでこそ裕貴だ』
返事を返すまでのわずかな間が、気丈な彼女の葛藤(かっとう)を伝える。
なんとかフォローしたくて言葉を脳内から探すが、平凡な言葉しか思いつかない。
「ありがとう。フローラ」
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