第三章
5月も終わりに近づいてきたある日、昼休みに4人で学食に集まり、今度の休みに遊ぶ計画を立てていた。
俺の正面に圭一。左隣に涼香。左前にフローラが座り談笑する。
「そういえばフローラの調査って、今期はもう終わりなの?」
俺が聞く。先週調査した黒姫山へ行った折、聞きそびれていたのだ。
「いいや、まだ、初夏と秋にやりたいと思っている」
「へ? 花が咲いてないのに?」
「ああ。今度は成葉、成熟した葉と新芽のサンプル採集がある。それで秋は紅葉のサンプル採集だ」
「だ~~っ、フローラはメンドくせえ事やってんなあ」
と、圭一。涼香はOKAMEと〝あっちむいてホイ〟をやっている……勝てるのか?
「好きでやっている事だ。放っといてもらおう」
「その一途さが俺は好きだゼェ、フローラ」
「……おけ! ばか!」
軽く照れるフローラ。
こういうストレートな物言いは圭一のデフォだ。
圭一もフローラも気質が似ていてぶつかる事も多いが、どちらも引きずるのが嫌いなので、5分以上ケンカしていた事はない。
「そうか、また時期になったら教えてくれ。付き合うから」
「ああ、再来週あたりになるかな?」
そう答えた時入り口側から声がした。
俺の右側に近づき喋り始める二人組。
「よう後輩。お前もDOLLを手に入れたんだな」
ひょろ高く、メガネをかけ、やせてポケットに手を突っ込んでいる方が聞いてくる。
「なかなか美形なDOLLだなおい、へへへ…」
俺と同じ位の背で、髪をワンレンにして、体重は二割増し位の方が舐めるように言う。
そんな風にいかにもな感じでそう言ってきたのは、入学者説明会でフローラに絡んできた先輩達だった。
フローラと俺が険しい表情になる。圭一はニヤニヤして、涼香は圭一とフローラをチラリと見ると、OKAMEを抱き寄せ、黙り込んだ。
「ええ」
「どんなキャラを入れたんだ?」
俺の肩のさくらを指して聞いてくる。さくらは無表情で無言だ。相手の好悪関係なく挨拶をする通常のDOLLと違い、こんな風に相手を見て人間の様に受け答えを選択するあたりが、改めてA・Iなんだと実感する。
「霞さくらですよ」
「「おおっ!!」」
オーバーリアクションで驚く二人……知ってやがったな?
「お前よくそんなキャラ使っていられるなあ」とメガネ。
「気味悪くねえのか?」とワンレン。
言いたいことは予想がついたが、あえて聞く。
「どう言う事ですか?」
「だって〝霞さくら〟ってもう死んでんだろ? そんなキャラって幽霊みたいで気味悪くねえ?――なあオイ」とメガネがワンレンに言う。
「そうだよ。夜中になんかブツブツ喋ったりするんじゃねえか?」
「うらめしや~ってか?」とメガネ
「「ハハハハ!」」
人目もあり、DOLLの居る場所で、まさかケンカまでは仕掛けてこないだろうという、実は甘い読みがあるのは明らかだった。しかし俺も圭一もそんな些細(ささい)な事は頓着しない。
フローラが腰を浮かしかけ、圭一がニヤケながら止める。さすが親友。ありがたい。
この手の人間は一度相手をやり込めるといつまでも突っかかってくる。だからやるなら徹底抗戦あるのみだ。
しかし暴力でやり込めると陰にこもるので、正攻法で返さなければいけない。
――それに聞き捨てならないじゃないか。さくらを馬鹿にするなんて。
「そんな事はありませんし、気味悪くもないですよ」
「そうか~?」とワンレン
「きっかけはネットで見た25年前のライブだったけど、その歌声に魅せられてインストールしたんです」
「ベタベタだなあオイ」とメガネ
「それでその時思ったんですよ。25年経ってなお感動させてくれた彼女を〝もっと知りたい〟って」
「それで?」とワンレン
「こんな風に色褪(いろあ)せないどころか、擬似的にでも彼女を蘇らせてくれた、今のテクノロジーがすごいなあって感動しました」
「!……」
「亡くなった彼女の真意はわからないけど、自分の残した情報がこうして二十五年経ってなお、俺やみんなを感動させているのは、たぶん喜んでくれるだろうと思ってます」
「……」
「俺はこうしてモノ作りの学校に来て、彼女みたいに――人を感動させられる仕事を残したいと思いましたね――先輩達はどうですか?」
さくらをチラ見しながら返事を待つ。そして1分ほどの沈黙の後、メガネの先輩がまず口を開いた。
「………悪かった」
「すまない」
続いてワンレンの先輩が謝る。
「確かに俺らも自分の仕事を形に残す勉強をしていながら、過去の情報を軽々しく侮蔑(ぶべつ)するのは、自分の仕事も否定する行為だった――すまん…あと彼女、プリシフローラもいつかは失礼した」
「俺もいろいろすまなかった。……プリシフローラにも、……悪かった」
「いや、わかってもらえればイイ…」
突然振られ、戸惑(とまど)うフローラ。
ひとしきり先輩2人と紹介とあいさつを交わして立ち去り、見えなくなった頃フローラが聞いてきた。
「しかし圭一、お前がよくアノ場面で真っ先に立ち上がらなかったな、なぜだ?」
フローラが聞く。
「裕貴が俺より強いからさ~、なあ涼香」
コクコクと頷く涼香。うう、この流れは……
「意味が判らんぞ?」
「ゆっ裕ちゃんは、ああいう時ぜっったい引かないの……」
「もう少し判りやすく頼む」
「ヤメテ……」
哀願する。
「どうする涼香?、アノ話の方がわかりやすいぞ」
「いや、ヤメテ……」
更に懇願する。
「けっ圭ちゃんがよければ」
「俺は良くない!」
宣言する。
「おう判った!」
圭一が答え。
「お願いね」
涼香が言い、……俺はガン無視された。
「ヤメテ~~~!」
絶叫した。
「裕貴うるさい!」きゅう~~ん……
怒られた。
「あれは俺らが中一の時だ。俺と裕貴達とは中学から一緒になったんだが、あるとき涼香のキョドさ加減がシャクに触って、からかって泣かせたんだ」
「それで?」
「そしたら裕貴が俺にケンカ吹っかけてきてな」
「うん」
「ボコボコに『されたのか?』してやった」
ああああ!!
「ふんが~~~! やめろ~~!」
堪えきれず咆哮(ほうこう)した。
その時フローラがなにやら柔軟性(ソフト)携帯画面(デバイスディスプレイ)を操作し俺に向ける。
「あ!」
そこに映し出されていたのは、さくらが撮った俺の寝痴態だった。
いつの間にフローラが!!!!!!。
「黙っていろ」
「ハヒィ……」口に脅迫を詰められた。
「んで、それから俺が涼香をからかうたんびに、裕貴がケンカ吹っかけてきてな」
ナミダ目で涼香と圭一を交互に睨(にら)むが、2人とも完全スルーだ。
「うん」
「負けてボコられてもそのたんび向かってくるから、あるとき聞いたんだ」
「なんて?」
「『弱えぇクセにオメーは何でいちいち突っかかってくるんだ!』ってな」
「答えは?」
「『涼香が泣いているのを指を咥えて見てるくらいなら、ボコられていたほうがましだっ!』ってな……俺に組み敷かれながら、目をぎらつかせて凄むんだ」
「すごいな」
「俺は体も大きいし柔道もやっていたが、裕貴のその目にビビッた」
「もうやめて~~」半泣きですがってみた。
「裕貴はオレが涼香をかまうたんびに、負けるのを承知でも、こんな風に喰ってかかってくる……そう思ったら俺は怖くなった」
「うふふ~~、それからしばらくはクラスの女子が、裕ちゃんの前で泣き真似するのがはやったんだよ」
珍しくどもらず、口に指を当て、本当に嬉しそうに言葉をつなぐ涼香。
「しかし……そうか。そんなことがあったのか。――かっこいいじゃないか裕貴」
フローラが答えずに割り込む。
「どこがだよ! さんざんボコられて全然勝てなかったんだぞ!」
「「判ってないな―わね。裕貴―裕ちゃん」」
涼香とフローラがハモる。
「女は強い男より、自分を守ってくれる男に魅力を感じるんだ――なあ。さくら」フローラのその言葉にさくらを見る。
さくらテーブルについた左の腕に俺に向かって座り、俺の二の腕を抱えるように、さっきから無言でしがみついている。
「さくら……」
右手の親指で頭をそっと撫でる。
「……ごめんねゆーき。さくらいっぱい言葉知ってるはずなのに、こんな時なんて言うのかわからないの」
「さくらちゃん。こういう時は『ありがとう』でいいんだよ」
涼香が優しい口調で教える。
「ありがとうゆーき」
„~ ,~ „~„~ ,~
それから4日後の5月27日。
さくらは少し変わった。具体的には〝落ち着いた〟と言う表現が正しい。
元々おきゃんな性格だったが、盗撮や、いたずらっぽい行動がなくなり、代わりにある行動パターンが増えてきた。そうしてこの日は涼香の誕生日だ。
木曜日の学食に4人で集まり、プレゼントを渡し、お祝いを言った。
「プレゼントは圭一と裕貴とさくらとオレで相談して決めた。帰ってから着てみてくれ」
「うっ…うん、あっっりがとう……」
すでにナミダ目で言う涼香。
「さあて、涼香はまずどんなDOLLにしたのかな?」
圭一が言う。俺は登校前に紹介されたので知っている。
「こっここのこ子が、ワタタス…のドるでひっつひっっとはっ! ……」
「落ち着け涼香。大丈夫だからきちんと喋れ」
そう言い、お約束の頭ナデナデ。
前日に入手して、零時の日付変更と同時に契約と認証をしたので、ほぼ半徹の涼香は目の下にクマが出来てる。――わかるなあ……
「ここの子こがわたたしのドッ……DOLLでひっ〝一葉(ひとは)〟っ、 よろししく」
「〝一葉〟と申します。みなさんよろしくお願い致します」
紹介されたのは七頭身、素体(ボディ)はWoody Bell社、機種(モデル)BW‐87で外皮(インテグ)とキャラのコラボモデル〝tomboy(おてんばむすめ)〟を装備。
見た目はライトブラウンでロングウェーブの髪で、リアルとデフォルメの中間の平均的な美少女スキンに、高校のセーラー服を着せた標準タイプのDOLLだ。
スキンの
キャラの性格は元気でしゃきしゃき喋るボーイッシュタイプだった。
――これにはみんな大笑いした。予想通りだったからだ。
「よろしく一葉、ここにいる2人にはタメ口でいいゼ~」
ひとしきり笑い、圭一がそう言い、フローラも頷(うなず)く。
「は~い」
すると、さくらがとっとっと、と涼香に近づき言葉を掛ける。
「ねえ涼香~」
「なあに? さくらちゃん」
「それじゃ~、さくらからもプレゼントがあるから受け取ってくれる~?」
「えひっ?? ――っはははい!! いいいただくですますすす……」
さくらのその言葉を考え、訝(いぶか)しむ。
……DOLLがプレゼントだって?
見回すとフローラと圭一も怪訝(けげん)な顔をしている。
「涼香のツインシステムと~、さくらをダイレクトリンクして~♪」
いたずらっ娘の表情で涼香に言う。
「は~い、それじゃあDL(ダウンロード)しまーす♪」
そうして涼香の薄緑の三日月型(クレッシェンド)
「なんだろ?」4人と2体が言う。
涼香の眼前に映し出されたDL予測時間は5分……長っ!
「五分っておい、さくら一体何をDLしてんだ?」
「ふっふ~、もうちょっと待ってね~♪」
A・Iのさくらが何をしようとするのか、みんな固唾(かたず)を呑んで見守る。
「……おわったよ~、開いてみて~涼香」
「うん……あ!」
言葉につまり、口に手をあててうつむきながら震える手で、フローラの柔軟性(ソフト)携帯画面(デバイスディスプレイ)を指差す。
ツインは通常個人閲覧画面(プライベートブラウズ)のため、裏からは霞がかかった様に見え、はっきりとは判らないようになっているのが普通だが、反転させれば相手にも見える。
だが、涙ぐんでしまい、顔を覆いたい涼香はフローラに助けを乞うた。
「繋ぐのか?」フローラが問う。
涼香が頷(うなず)き、言われるまま涼香のツインシステムに有線接続(ダイレクトリンク)し、DLデータを閲覧する。
「こっこれは………」
驚く一同。
「えっへへ~♪ 〝ブルーフィーナス〟にある、リアルとバーチャルの~、最新の服飾データ5TB(テラバイト)ぶんだよ~、まだあるけどとりあえずこれだけ~、まだ欲しいならあげるよ~涼香」
「いや、もうツインが一杯だろ」
俺が言う。
涼香はもう両手の平で顔を覆い、大泣きで顔をブンブン縦に振る。
さくらが肩に乗り、涼香の頭を撫でてあやす。
「うおっ! スゲッ! 細かい寸法や材質まで入ってるじゃねえか」
圭一が感嘆する。
「凄いなさくら……うん?」
フローラが一枚の画像に目を留め、ある文字を指し、和訳を横に表示させて俺を見る。
〝Blue(ブルー) fenus(フィーナス) Confidential(コンフィディンシャル)(社外秘)〟
「「!!…………」」
フローラと2人、涼香をあやし続けるさくらをじっと見つめた。
そして、涼香が泣き止む頃、驚く言葉を口にした。
「あとねえ~、〝わたし〟の〝妹〟をインストールしてくれる?」
「「「「妹!?」」」」
涼香、フローラ、圭一、俺が聞き返す。
「どういうことだ? さくら」
「うんとねえ、
「独自の主人格で?、って、社外でも使用OKなのか?」
フローラが聞き返す。
「そうだよ~~」
「〝妹〟ってことは〝さくら〟は姉か」
圭一が確認する。
「うん」
「何で涼香に?」
俺が問う。
「涼香をさくらが好きだし涼香なら大事にしてくれそうだから」
「いっインストールするとどうなるの?」
涼香が聞き返す。
「そうねえ、国のより融通が利いて、
「おっおおおおねぇへぎゃぎぃっしっまづ!!!」
涼香が答えようとするが、泣いた直後で、さらにどもってしまっていて|聞き取り(ヒアリング)困難だ。だが、
「はい♪」
さくらがあっさり二つ返事で答える。
「今のが判るのか!」
家に着き、部屋に戻ると、一葉とさくらを
「それじゃあ、サーバーにアクセスしてページを開いたら、中から合図するから、ダウンロードしてくれる~?」
「OK、んじゃあ接続するか」
そうしてさくらが、ダイブモードに入り、アクセスを開始した。
するとパソコン画面に、オリジナルさくらの二頭身ポリゴンがピョコンと現れて話しかけてきた。
『それじゃあ始めるねえ~』
画面のさくらがそう言うと、ブルーフィーナスのTOPページから、管理者ページにアクセスを始める。
そしてアクセスを開始し、数々のプロテクトや認証を開いていく。
だが、さすがにロボットプログラムによるアクセスは、人間の目には目まぐるしく画面が入れ替わっているようにしか見えず、とても目で追いきれるものではなかった。
くそう、ヒントになるようなコマンドが見れれば、と思ったけどダメか。
それにさくらほどの
――数秒後。
ベビーベッドの形のファイルボタンから、赤ん坊のポリゴンを引き出して抱き上げると、さくらがその子を指し示す。
『それじゃあこの子をクリックして、ダウンロード開始してくれる~?』
「や~~ん、赤ちゃんだ~、かわいい~」
『じゃあ涼香、妹をお願いね~』
「うん、さくらちゃんありがとう!」
「じゃあクリックするぞ」
そしてさくらの腕に抱かれている赤ん坊のポリゴンをクリックする。
《――このファイルを開きますか?》
そのダイアログボックスのファイル名を見て驚いた。
《kasumisakura_a.i_beta.ver012/bin》
〝
〝A・I〟その文字を指差し、涼香にも読ませると、涼香も口元に手を当て絶句した。
「「!…………」」
そして数秒の沈黙の後、ダウンロードを開始する。
「じゃあ、このボタンをクリックすれば完了だ」
数分後、ポリゴンさくらがフラッグデザインのダイアログボックスを持ち、そこの〝OK〟ボタンの上にカーソルを置く。
「うん、なんかドキドキする」
そうして涼香がボタンをクリックして、〝一葉〟の再起動が始まる。
「「「……………」」」
――10数秒後、再起動した一葉が、目を明ける。
「どう? 一葉」
「んん、どうもしないけど、今までが寝ぼけていたみたい――ありがとうさくら姉」
「あなたはもう〝一葉〟だから、わたしの事は〝さくら〟でいいんだよ~、涼香をしっかりサポートしてね♪」
さくらが微笑みながら小首を傾げ、愛おしそうに一葉を見つめた。
「うん、判った。さくら」
「うん、よろしくね一葉」
「それじゃあ裕貴! 改めてよろしく」
右手で敬礼の仕草をして挨拶をしてきた。
「ふふ、妙に遠慮がないキャラになったな、――うん、こっちこそよろしく」
すげえ、劇的に人間臭くなった……なんかキャラが平面から立体にバージョンアップしたような印象だ。
「こっこんな高性能そうなキャラ、ほっ本当にいいの?」
涼香がストレートに聞く。
「うん♪、一葉と仲良くしてね?」
さくらに対し涼香が的確な比喩をした。
「それはもちろん、……さくらちゃんってひょっとして〝電脳界のお嬢様〟?」
„~ ,~ „~„~ ,~
6月に入り、既に5回目となったの桜の調査に来た。
今回もお父は同行せず。フローラと2人での調査だ。黒姫駅に自転車を置き、そこから黒姫高原を自転車で廻るという方法にした。開花期と違い、大量のサンプルを必要としないので、この方が小回りが利いてよかったのだ。
お父は気にしないほうだが、フローラは移動のために、大の大人をあれこれ指図するのが大分気が引けたようだ。
お父に目的の桜の自生場所だけ聞いて、俺が道案内と山中のガイド、フォローをするのが定番になってきた。
「さくら、周りの様子はどう?」
「えっとね~、400メートル北に5歳のオスのクマがいて、こっちへ近づいてきたよ~」
「判った……どうする? フローラ。クマの足なら10分もあれば最接近(ニアミス)するぞ」
「ああ、まずいな。よし! 一旦自転車まで戻ってすぐに移動できるように待機してやり過ごそう」
「了解」
自転車に戻り、かごの中のジュースで喉を潤す。
「雨に降られなくて良かった。さくらの天気予報の方が正確だな。ありがとうさくら」
フローラが言う。
「どういたしまして~♪ ローカルデータを追加しての再予測だからだと思うよ~」
「そりゃ精度が上がるはずだよ。すごいよさくら」
「うふふ~♪ ほめられちゃった~」
俺の耳に手を回し、スリスリと甘えるさくら。
涼香へのプレゼント同様、こんな風に〝人を喜ばせる〟という行動がだいぶ増えてきた。
他人にも気遣うさくらに、俺の感情(なか)が暖かいもので満ちてくるのを感じていた。
「お、枝替わり(部分変異)だな」
調べつつ、フローラが指差したのは崖に張り出した山桜の枝先に付いている枝葉だった。
「でもちょっと届かないな」
「まあ待て、OKAME、あの葉の画像をこっちへ送ってくれ」
「イエス フローラ」
OKAMEが見つめ、フローラが携帯ディスプレイで確認する。
横で覗き込むと、フローラがタッチパネルを操作して葉を拡大している。
葉脈から毛の一本一本まで映っている高解像度に驚く。
「おおお! 凄い解像度だな」
「まあな、2~3メートルの距離なら1000倍まで拡大できる」
「それはもう顕微鏡レベルじゃん」
「そうだな、しかも二眼だからこの解像度の3D動画も撮れる」
「いいなそれ」
「ぷ~~~! それじゃあさくらはどうするの~?」
おお? もしかして〝嫉妬〟してるのか?
「大丈夫、さくら以外のキャラは使わないよ」
「ほんと~?」
「ああ本当だ」
「ふふ~ うれしい♪」
「うん、やっぱり欲しいサンプルだから手伝ってくれ」
「判った」
「それじゃあ、俺が支えるから、フローラが手を伸ばして採ってくれ」
「判った――頼む」
そうして俺が桜の幹を左手に抱え、右手でフローラの左手を握り、フローラがその先の枝葉を採取することにした。
「くっ…届いたかフローラ」
「おお、もうちょっとだ――あっっ!」
ガラガラッ!!
「おわっっ!」
突然足場が崩れ、握っていた右手にフローラの全体重がかかり、耐え切れずに手が離れてしまう。
そして、フローラがそのまま崖下へ転がり落ちてしまう。
「フローラーーーーーーー!!」
崖と言っても10メートルほどの鋭い斜面で、すぐさまさくらを胸ポケットに放り込み、転がり落ちたフローラを追い、崖下へ駆け下りた。
脇に駆け寄ると頭を打ったらしく意識がない。解(ほど)けかけた三つ編みに赤い血がにじんでいる。
そして何より、左太ももから緩やかに、鮮やかな色の血がゆっくりとあふれ出ていた。
「!!……(この色 まずい、動脈血だ)」
ズボンが破れてはいるが、傷が見えない。斜面を見上げても、足を傷つけた様な突起は見当たらない。
太ももの深いところの動脈を傷つけるほどの衝撃――骨折か!!
「さくら、レスキューに通報!」
胸ポケットに入れていたさくらを取り出し、石の上に立たせるがなぜかさくらは動かない。
「さくら! どうした? さくらーー!」
『……緊急事態と認識、これよりDOLLのコントロールを有人オペレーターに強制移譲します。このDOLLのマスターは居ますか?』
さくらが聞き知らぬ女性の声に切り替わり、そう言ってくる。
「うん???(まあいい、緊急事態だ)……はい! ここに」
『あなたがマスターですね?』
「はい、そうです!」
『判りました。怪我人が居るようですので診断します』
「お願いします」
そうして、オペレーターコントロールになったらしいさくらは、フローラの体を廻りながら、ケガの状態を確認していった。
『……左大腿部の骨折と動脈の損壊が考えられますので、大至急止血をして下さい。できますか?』
「はい……あっ!! そうだ」
ポケットからナイロン紐を取り出し、フローラの胸ポケットのペンを取り出す。
「レスキューに通報はいってますか?」
『大丈夫、あと30分ほどで到着します』
そう言うとオペレーターコントロールのDOLLはフローラの頭の方へ行く。
その間俺はフローラの太ももの付け根に紐を回し輪を作り、ペンを通してきつくねじり上げながら、内ももの筋肉の隙間を抑えるように石をはさんだ。
『頭部は単なる擦過傷(さっかしょう)と脳震盪(のうしんとう)と思われるので、心配要りません』
「ハイ」
フローラの太ももの出血は止まった。片手でねじったペンを押さえつつ、もう1本で太ももに輪を作り、ペンが戻らないように固定した。
両手を空け、上着を脱いでフローラの頭を細心の注意を払いつつ持ち上げ、下に上着を敷く。
「OKAME! 聞こえるか!」
「ハイ! 裕貴さん」
崖上から返事がする。
「ここまで来れるか!」
「いいえ、行けません」
二頭身(ファニー)モデルは単体アプリケーションに特化している為、運動性能は二の次で崖を駆け下りるような芸当は出来ない。
「判った! そこに居たままでいいから、さくらにフローラの身体情報を〝さくら〟に転送してくれ」
「判りました」
『……情報受け取りました。心拍数、血圧、体温、問題ないわ』
とりあえず危機を脱したようで安堵した。
「……ごめんフローラ」
頬を撫でながら謝る。涙が出そうだがぐっと堪えた。
するとフローラがうっすらと目を開ける。
「No……No……」
「どうしたフローラ? 大丈夫か?」
だが目の焦点が合っていない。うわ言のように何かをつぶやく。
「have…… to leave……Britain ……no…no…」
「Ca……Cannot stop…………Will… not stop…stop」
「フローラ……」
「……Love……love…………beside …………YOU…」
さくらの通訳がないため、フローラが何をうわずっているか解らない、そして意味不明な単語を繰り返し、はらはらと涙を流す。
「no……Must… not hear……no……no…」
『大丈夫よ、頭を打って混乱しているだけだから暴れたら押さえつけて頂戴。骨折で痛がる人間は相当なものよ、もし正気に戻ったら覚悟しておいてね』
そうDOLL越しのオペレーターは言うが、見ていられず唇を血が出るほど噛みしめる。
フローラの頬を撫で、手を握りながら呼びかける。
「大丈夫だフローラ。俺がそばにいる。だから心配するな」
「…love………love…………」(……好き………好き………)
かろうじてわかった単語に促されるようにフローラの手を握る。
「大丈夫……フローラ。俺が傍にいる」
『……そろそろ止血帯を一度緩めましょう。また出血するけど驚かないでね……あまり長時間の止血もよくないから』
「ハイ……」
……その後20分ほどで救急隊が到着。担架にしっかりと固定されフローラが運ばれていく。
OKAMEを回収し、さくらの代替オペレーターらしき人物が救急隊員に状態を説明をする。
そして一緒に救急車に乗り込み、市内の病院に向かう。
車中で代替オペレーターが言う。
『よく頑張ったわね。――でも、どうして止血法を知っていて道具も持っていたの?』
「……父親に教わりました。紐は肌身離さず持ち歩けと……山でのケガは止血が出来ないと些細(ささい)なケガでも命の危険がある……そう教わりました」
『……そう。役に立って助かったったわね』
「……ありがとうございます」
棒読み口調で答える。そんなお礼にも今は感情が込められない。
『それじゃあ私は戻るけど、気を落とさないでね』
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」
『事故は防げなかった。でも被害を小さくする事は出来る。そしてフローラを助けたのはあなた――忘れないで』
「……はい」
切り替わったらしく、今まで無表情だったDOLLに表情が戻ってきた。
「え? え? さくらどうしちゃってたの? これはどう言う事? ゆーき!」
「ゴメンさくら、フローラはケガをして安静にしてなくちゃならないから、今は静かにしてくれ」
「……はい」
「まずはフローラのステイ先に音声発信。それとお父、涼香、圭一にメールしてくれ。件名無しで内容はフローラが怪我をした。いま病院に向かっている、命に別状はない。
これで頼む」
「……はい。判りました」
そうしてステイ先の夫妻に報告とお詫びといれ、病院名を言う。
病院に着き、フローラが手術室に入ると、ステイ先の夫妻が来られた。
謝罪と事情説明をしていると、お父をはじめ、ママ、姫花に、圭一と涼香がやってきた。
みんなにも事情を説明し、手術が終わってもすぐには目覚めず、命に別状はないが詳しい結果もまだ不明だと伝えたら、涼香が泣いて抱きついてきたり、圭一は骨折なんざケガじゃねえぐらいに言ってそれぞれが慰めてくれ、一旦引き上げた。
フローラのイギリスの両親へ連絡しようとしたら、それはお前の親父が報告することだとたしなめられた。
手術も無事に終わり、医師の診断結果は『左大腿骨(ひだりだいたいこつ)骨折と外側大腿(そとがわだいたい)回旋動脈(かいせんどうみゃく)損傷(そんしょう)』、脳震盪と擦過傷と言う事だった。太ももは折れた骨が動脈を傷つけたからだそうだが、幸いすぐに止血できたため、輸血などの必要もなく済んだそうだ。
結果全治二ヵ月という診断だった。
事故から6時間後の午後4時、諸々用事が済み、今は麻酔が効き眠るフローラの病室には2人と2体がいるのみで、ベッドの脇のイスにかれこれ3時間座り続けたている。
「………………(フローラ…ごめん)」
フローラの手を握りながらも、謝罪の言葉しか頭の中を巡らない。
すると、ずっと黙っていたさくらが密やかに歌を歌いだした。
その歌は………
「When I was just a little girl(私がまだ小さかった頃)
~~~~~~~~……
Que sera, sera「ケ・セラ・セラ」(なるようになるわ!)
What will be, will be」(気にしてもしょうがない)
~~~♪」
俺の左肩に乗り、耳元で本当に密やかに歌うさくら。
知らずしらずに、膝に置いた自分の手にとめどなく雫(しずく)が落ちる。
「~~~~~うっ………くっ………(さくら…お前………………)」
それからさらに1時間後。
「ゆう…き?」
「フローラ。目が覚めたか、良かった……」
「アタシは一体?……痛っ………そうか……崖から落ちたんだな」
「ああ」
「目が覚めたようね」
脳波でモニタリングしていた看護師が、フローラが目覚めた事に気付いてやって来た。
「具合はどう? 生年月日と名前を言える?」
「はい、………名前は〝Prisciflora Ingram〟2016年2月18日生まれです」
「ん、合っているわ、これなら大丈夫そうね。良かったこと、それじゃあ次の質問だけど………」
術後の質疑応答をする看護師。
その間に室外に出てステイ先の夫婦。お父、圭一と涼香に目覚めた事を報告した。
みんながフローラの負担になるだろうから、と、今日は駆けつけるのは遠慮た。
そうして病室へ戻ると、新しい点滴が据えられ、看護師が聞いてきた。
「彼氏さんは今晩は泊まっていくの?」
「あ…いや『そのつもりです』………裕貴」
フローラの言葉を遮り答える。
「ふふ、じゃあ隣のベッドを使っていいわよ」
こういう事態に慣れた風に答え、了解してくれた。
「……帰っていいのに」
「フローラの傍に居たいんだ」
「……裕貴」
フローラはそう呟くと、少し困ったような顔をした。
フローラの右側、枕元に近い所にイスを引き寄せ腰掛けると、フローラがおずおずと右手を出してきたので、両手で握り返す。……ぷいと横を向くフローラ。出した右手は震えていた。
そして、点滴の薬が効いてきたのか、安らかな寝息を立て始めた。
„~ ,~ „~„~ ,~
翌日は月曜だったが、学校を休んでフローラに付き添った。
かがり先生も、事情を話したら特に詮索する風もなく、欠席を了承してくれた。
朝一でステイ先の夫妻が来られ、着替えと見舞いを置いていき、自分も一旦家に帰り、着替えやフロを済ませ病院に戻る。
そうして、フローラに落ちた時の状況を説明するとこう言ってきた。
「そうか、すまなかったな裕貴。――オレももうちょっとダイエットしないといけないな…ハハハ」
フローラの軽口にも笑えず、ひたすら謝る。
「そんな……謝るのは俺のほうだ。木切れで引き寄せるとかしていれば、あんな事にはならなかった。……すまない、フローラ」
「もういい。あの時の枝の採取にも、そもそもの調査にも誘ったのはオレだ。裕貴が気に病むことはない。それどころか、巻き込んですまなかったと思っている」
そうフローラは言ってくれるが、16の女の子に一生残る傷を負わせた悔恨は、とても笑い飛ばせる事ではなかった。
「そんな風に気遣ってくれるのは嬉しいけど、俺はとてもそうは思い切れない。桜の調査
だって、1年遅れちゃうんじゃないのか?」
「そんな事は些細な事だし、調査が出来なくなるわけじゃあない」
「足の傷は些細じゃないだろ?」
「もういい!」
「でも……
そう言いかけた時、フローラがキレた。
「Why do you look such? 『なんでそんな顔をするの?』」
「I said that I was bad! 『私が悪いって言ってるじゃない!』」
「Why won't you understand? 『どうして判ってくれないの?』」
英語で激しくまくし立てるフローラ。
それをさくらがイントネーション付きで同時通訳する。
「でも、フローラ…
「Be quiet! 『黙ってよ!』」
手を握り締め振り上げるフローラ。その動作に思わず目を閉じる。
だが、飛んできたのは拳でなく、やさしく頭を引き寄せる手のひらとキスだった。
「……!!」
目を見張ると、フローラは閉じた瞳に大粒の涙を浮かべていた。
フローラの涙を直視できず、目を閉じ、唇を預ける。
「「…………………………」」
そして永遠の数秒の後、唇を離したフローラが言う。
「…………愛してる、裕貴」
「……どうして俺を?」
「……初めて会った時から」
俺を真っ直ぐ見つめ、額が触れたままの距離で答えるフローラ。
「……あんなことで?」
「私には些細なことじゃなかったの」
年齢より幼く、儚げに喋るフローラ。
「日本に来た時は失望しかなかったわ」
「………?」
「どこの桜の名所に行っても、品種名はおろか、扱いすら間違いだらけの所がほとんどだった、ましてやあの和歌を知る人は皆無だったわ」
「…………」
「失望と幻滅を重ねていて、そうして学校に行った時、あの二人が絡んできた」
「……」
「終わった。『ああ、もうこのままイギリスに帰ろう。先祖(コリングウッド)の愛した日本と桜はもうない』そう思った時、裕貴が声を掛けてきた。……私がどれほど嬉しかったか判る?」
「……いいや」
「あの時からずっとこうしたかった」
こみ上げてきたのか、再び唇を重ねてくる。
「好き。裕貴。大好き。――愛してるわ」
唇を離してそう告白し、俺の首に両腕を回し、抱きついてくるフローラ。
――だがやはり抱き返すことが出来ず、肩に手を置く。
「……でも、ずっと告白できずにいたわ……」
「フローラ……」
「……でも、今……今だけは優しくして欲しい」
抱き返さない自分に抗議するように、俺の胸ぐらを指先で軽く掴み、上目遣いで瞳を潤ませながら、甘えるように、問いかけるように見つめてくる。
そんなフローラを見て背筋が軽くしびれるような感覚に襲われ、抗えなかった。
チラリとさくらを見ると、優しげな笑みを浮かべながら頷いてくれる。
それを見て決心をした。
そして、フローラの頬を撫で、そのまま細く、華奢(きゃしゃ)なうなじを右手でやさしく掴むと、フローラがビクンと震えた。
そしてそのまま引き寄せ、そっと唇を重ねる。
そうして長い時間抱き合って落ち着いた頃、フローラが口を開いた。
「…………キスは初めて?」
俺の胸に顔をうずめたまま、フローラが聞いてきた。
「うん、フローラが最初」
「ふふふ、うれしい。――私もよ」
そう言うと、おでこを胸にすりつけてくる。
「俺もうれしいよ」
体を離し、少しの沈黙の後、うつむいたフローラが口を開く。
「――そういえば日本じゃこういう時『ご馳走様』って言うんでしょ?」
「ぷっ、くく……あ~間違ってるけど正解」
思いがけないセリフに吹き出した。
「難しいわね」
顔を上げ、真っ赤になりながら言う。フローラらしい照れ隠しだった。
「そう言う事で私はいい思いをさせてもらったわ。もう一年長く一緒に居られるし、裕貴のファーストキスが、足一本なら安いじゃない? ……だからもう悪いなんて思わないでね?」
「難しいな」
「さっきみたいな顔したら、次は裕貴の〝童貞(チェリー)〟をもらうわよ?」
「それはかんべ……いや嬉しいかも」
「ばか……」
「まったくだ」
「ウフフ~♪ フローラよかったね~」
ベッドの上のさくらが言う。
「ああ、ありがとうさくら」
「OKAMEちゃんに今の動画送っておいたよ~」
「「なに?/本当!?」」
OKAMEが答える。
「はい、ちゃんと受け取りましたよ、フローラ」
「ふふふ♪」フローラが笑う。
今まで見た事がないほどの、かわいい笑顔を見せるフローラ――けど。
「またさくらはマスターの許可もなく……フローラ」
「なあに? 裕貴」
「消して!」
ダメ元で聞いてみる。
「い・や・だ!」
そう言うとフローラはチロリと舌を出す、やっぱり。
「く~~~……ばかさくら」
„~ ,~ „~„~ ,~
そうしてその日は自分も夕飯前に帰宅した。
ベッドに入りピットのさくらに声を掛ける。
「おやすみ。さくら…」
「おやすみゆーき、あいしてるよ~」
いつもと違うニュアンスでと言葉で返事をするさくら。
「……? ああ、俺もだよ」
今日の出来事に影響されたかな?
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