第二章

 翌朝。

 フウッ……

 空気が揺れる気配。

 花……の…かおり?

 涼やかな香りが鼻腔を過ぎる。

 スルッ…………ササッ……

 柔らかい何かがこすれる音。

 ググッ。

 …………うん?

 頭の両脇のベッドのスプリングが沈み、かすかな浮揚感覚に三半規管が反応し、目が覚める。

(・・・・・・・・・)

 だが痺れにも似た様な感覚に支配され、五感があやふやになっている。

(・・・・・・・・・・・・・・・)

 慌てず潜水病に気を付けるように、ゆっくりと意識を浮上させる。

(・・・・・・・confide it?)――を打ち明けてもいい?

 覚醒とともにようやく全身の五感を知覚すると、軽やかな小鳥のさえずりに似た声が聞こえた。

(・・・・・・・・・without you…………)――君がいないと…………

 薄くぼんやりと目をあけると、溢れる逆光の中に、一枚の桜の花びらに似た、ぼやけた輪郭がゆっくりと揺蕩(たゆた)い、ゆるゆると踊っていた。

 …………?

 不思議に思いゆっくり目を凝らすと、一対の蒼石(サファイア)が明滅し、金色のカーテンが視界の左右を覆っていた。

 それが人の顔だとわかり、桜の花弁のような唇が自分の名を呼んだ気がして、かすかに上気した頬にそっと触れると貝が閉じるように強張った。

「裕(オレ)?……何?……もう一度……

 声になったか定かでない。

 ――誰だっけ?

 朝日の洪水の中、その中で揺らぐ天使を見定めようとまぶたに力を込める。

 金髪……

 夕べ見た圭一のくれた洋物(アダルトビデオ)を思い出す。

「……こんなAV女優いたっけ?」

 次の瞬間。

「起きろボケ~~~~~!!」

 布団を剥ぎ取られ、ベッドから思いっきり蹴りだされた。

「ななな、一体????」

 ガンガンする頭を振り、よろけながら起き上がると、ツナギ姿で腕を組み、仁王立ちしたフローラが居た。

「目が覚めたか裕貴」

 凄まじい怒気をはらんだフローラに一瞬で眠気が消し飛び、うやうやしく申し上げる。

「…………ナニゴトデショウカ女王陛下」

 そしてスリープモードのさくらを起動して階下に行き、顔を洗う為に脱衣所に行く。

「どうしてフローラがゆーきを起こしたの?」

 脱衣カゴの上で、タオルをひらひらさせて遊んでるさくらが聞いてきた。

「……ん、俺も判らないからお父に聞いてみる」

 そうしてリビングに向かうと、ママがキッチンに立っていてこう言った。

「おはよう裕貴、すぐにご飯にするからちょっと待ってて」

 フローラの事を聞いてみる。

「ママ、どういう事?、フローラはお父と出かけるんじゃなかったの?」

 はた、と手を止め、うつむきながらママが言う。

「……ねえ裕貴、ママね、ちょっと心配なのよ。フローラちゃんとパパが二人だけで山に行くの。……色々と〝危ない事があるんじゃないかなって思う〟のよね? だから今日は二人に付き合ってあげてくれるかなあ……」

 やべえ、マジ切れしてる。

「わかりました母上様。――ところでお父は?」

「寝室で二度寝してる、準備が出来たら起こしてあげてくれる? **(ピー)てたら、だけど、フ、フフ……」

 ……これは〆られたな。

「……了解」

 ママの言葉通りに受け取ったらしいフローラが先ほどの怒気もどこへやら、なぜか上機嫌でリビングの入り口に立って俺を見ている。

 その視線に落ち着かないものを感じ、何となく第三者がいて欲しくてフローラに言ってみる。

「フローラ、悪いけど姫花にも声をかけてくれる?」

「いいのか?」

「ん、たぶん喜ぶと思うよ」

「わかった、ふふ、ハグしてチューしてやろう」

 本当にゴキゲンだ。

「俺には?」

 お約束。

「知らん!」

 怒っちゃった、……AV女優呼ばわりはまずったよなあ。

 ――数分後、頬に両手を当てて、水色に花柄のパジャマ姿の姫花が、腰に腕を回されメロメロになってエスコートされてきた。

「もう、フローラったらあ……うふふふ♪」

 堕ちたか、やるなフローラ。

「ありがとうフローラちゃん、裕貴の朝食が済むまでお茶でもいかが?」

 ママがフローラに声をかける。

「頂きます」

 そうして朝食が済み、準備を始める。

 汚れてもいいよう、さくらにはお父が持っていた、白と黒のモノクロで作業用タイトスーツを着せた。

「お? これなかなかいいな。学校で実習がある日に着ような」

「ふふふ、は~~い♪」

 フローラの方は姫花に髪を三つ編みにしてもらい、頭のてっぺんで丸くなるように止め、つば付きの帽子を被っている。

 姫花はフローラにお礼のキスを頬にされ、またもやメロメロになっている。

 薄いブルーの作業ツナギを着込んだ彼女は、某高級洋工具メーカーの、ピンナップガールのようだ。

 こんな美女にキスされたら、同姓でも舞い上がるよなあ、――実態を知らなければ。

 それから3人で駐車場に立ち、お父が言う。

「ん、じゃあ長袖長ズボンまたはツナギに運動靴手袋ツバ付き帽子に首タオル、ついでに虫除けスプレーの準備はいいかな?」

 山道を通らない入山を舐めてかかって、首を露出させて笹薮なんか入ろうものなら、首周りが擦り傷、切り傷だらけになってしまうのだ。

「「OK!」」

「ま、山に行ってからでもいいけど、着替える場所ないから勘弁してね」

「「了解」」

「じゃあ出発しよう」

 最近の大都市圏では道路マーカーが整備され、ほとんどの車にもドライブアシストが装備、ドライバーはハンドルを握ってさえいれば目的地に着く。

 だがマーカーのある道路は、まだ地方圏では二級国道までか、一級県道までで、片田舎の三級県道になると、道路マーカーも布設されていないのが現状だ。

 自動車も新しいものはDOLLと連動したオートドライビングも可能だが、まだまだ普及しておらず、家(いなか)の方では未だに普通ガソリン自動車が現役として動いている。

 ……おや?

 車に乗り込むと、嗅ぎなれた香りがするのに気づいた。

 フローラに向き直り聞いてみる。

「そのシトラスのコロンは?」

「あ! ああ、さっき姫花に借りたんだ。……気付いたか」

 フローラはちょっと照れながら答えた。

「うん、俺も好きな香りだからね」

 それでか。納得した。

「ふ、ふ~んそうか、良かった。気に入ってもらえたようで」

 俺に? ちょっと意外。

「あ、うん、ありがと」

 これから山へ行くのに、コロンをつける意図がわからず、曖昧にお礼を言った。

 下を向き膝の上で手を組み、指を重ねてはほぐし、ほぐしては重ねている。

 退屈らしい。

 そのうちにお父が聞いてきた。

「そうだ、裕貴のさくらに歌を歌って欲しいんだけどいいかな?」

「いいけど…何を?」

「Que(ケ・) Sera(セラ・) Sera(セラ)」

「!! その歌は」

 フローラが驚いた。

「うん、イギリスのウェールズ出身の歌手も歌っていたよね」

 こくこくとにこやかに頷くフローラ。

「フローラはウェールズ人とは確執があるのかな?」

 わからん、イギリス国内でも人種が違うとは聞いたことがあるけど……

「いいえ、今は廻りもそれほどではありませんし、私もその歌が好きですよ」

「それはよかった。いろんな人がカバーした曲だけど、お父はイギリスの〝メリー・ホプキン〟と〝霞さくら〟が歌っていたのが大好きだね」

「そうなんだ、それは俺もまだ聞いたことがないなあ」

「まあ、シングルのカップリング曲だったからね。――じゃあさくらちゃん。ダッシュボードに座って歌ってくれるかな?」

「は~い♪」

 嬉しそうに言われた位置に座るさくら。オリジナルがマルチタレントだからだろうか、すごく嬉しそうだ。

「じゃあ車のステレオと接続(リンク)するからチョット待ってね~」

「いや、そのままでアカペラがいいな」

 と、お父が言う。

「いいよ~」

「待って。なんでアカペラ? 車のステレオとリンクしたほうが音がキレイじゃん」

 不思議に思い聞いてみた。

「そうだね、でもお父は、オリジナルのさくらの生歌を知って。――覚えているんだ」

「「!?」」

「だから音が悪くても、人型のビジュアルとニュアンスでもって、こうして目の前で歌ってもらう方が、〝思い出〟に近いからお父は好きなんだよ」

「ああ、……だから、お父はさくらのキャラをインストールしなかったんだね」

「正解だ」

 あれだけファンを公言していて、何故そうしなかったのかやっと理解した。

 どんなよく出来たプログラムや記録、ロボットでも、美化された思い出以上にはならない。

 そう、古い記憶おもいでを大事にしたいから、新しい記憶で〝上書き〟したくないんだ。

「ふうん。そういうものか。じゃあさくら、歌ってやって」

「は~い♪」

そうしてさくらが滑らかに歌い出す。


「――♪~~」


 4番まで歌い終えてさくらにお父が言った。

「ありがとうさくらちゃん」

 感無量といった顔でお礼を言うお父。

「どういたしまして~♪」

 ぺこりと可愛くお辞儀をするさくら。

 かわいい。そうだ、オリジナルの思い出のない俺には、現在進行形で等身大イメージの、今のさくらが一番いいんだ。

 そうこうする内に市街地を抜け、山道に入ると標高差から耳鳴りがしてきた。

 フローラもそうらしく、しきりにこめかみを指で押している。

「ひょっとして耳鳴りがする?」

 聞いてみた。

「ん? ああ、うん」

「んーとね、口を閉じて、息が漏れないように鼻をつまんでみて」

「フンフ?(こうか?)」

 やべ、やらせといてなんだけどフローラのヘン顔面白い。ぷッククク。

「うん。そしたら鼻を膨らませるように軽く息を送ってみて」

「(フン!)」

「どう? 耳が中から押される感じがしなかった?」

「した。耳鳴りも収まった――なんで?」

「詳しくは忘れたけど、今のが〝耳抜き〟だよ。たしかスキューバダイビングでやるのも同じだったと思う」

「ふーん」

「気圧差で押された鼓膜を内側から押し直すんだよ、覚えておけば海山で役に立つからね」

 と、お父。――そういえばそうだったな。

「は~い」

 目的地が近づくにつれ、フローラのテンションが上がってきた。

「Wao! すごい、奥丁子桜と山桜が同時期に咲いてる。ショウヘイサン、なぜですか?」

 子供みたいに目を十字に輝かせて聞いてくるフローラ。

 てか走る車内から品種が判るなんて、どんだけ知っているんだよ。

「ここら辺は豪雪地帯でね、背の低い奥丁子桜は雪に埋もれて開花が遅れる。逆に背の高い山桜は普通に咲く。北斜面と南斜面、峰と谷底でも開花がバラついてる。そしてそれが理由でここら辺の桜は種間雑種化が進んで、他のどの地域よりも多様化しているんだ」

 お父の言う通り、南斜面は新芽がちらほら見えるが、山を越え、日蔭の谷底を見ると、五月初旬だというのに白い雪がわずかに残っていた。

「早く直に見てみたい!」

 お菓子を貰えそうな子供の様に喜ぶフローラ。

 今までで一番幼い〝女の子〟のフローラを見た気がした。

 フローラはその後も目的地まで英語交じりではしゃぎ続けた。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 ほどなくして目的地に到着。

 黒姫高原のさほど標高は高くない山、と言うより小高い丘の山頂に付くと、お父が説明した。

「標高はここで850メートルくらいだよ、北斜面を一往復、南斜面を一往復して、戻ってきたら道路沿いを散策すればいい。距離は200~300メートルも往復すれば、黒姫高原の大体の種類が見られるよ。北斜面の谷底、雪の吹き溜まりに生えてる桜はあと二週間位は開花が遅れるだろうね」

「はい!」

 元気いっぱいに答えるフローラ。

「あれ? お父は一緒に行かないの?」

 まあ、ここで待ちっぱなしなのも退屈だけど、一応訳を聞いてみる

「ああ、お父は別行動で山菜を採ってくるよ。それで今晩は山菜天ぷら蕎麦にしよう。フローラは山菜は食べられるかな?」

「大好き!」

 おお、そうなんだ、――てか、山菜食べられる外人って珍しいぞ。

「よかった。そしたら、夕飯を一緒にどうかな?」

「はい、ご相伴に預かります」

 俺をチラリと見ると嬉しそうにそう答えた。

「よかった。じゃあ裕貴。お嬢さんのエスコートを頼む、まだこの山の地理は覚えているだろう?」

「ああ、大丈夫、覚えてる」

「そうなのか?」

「うん、小学生の頃はよく虫取りや山菜取りに来たんだ」

「そうか! よろしくな!」

 ヒマワリみたいに明るく笑うフローラ。

「頼んだぞ、藪に入る前に虫除けスプレーを忘れない事! あと、お互いの位置情報をオープンにしておくように。それでDOLL達は集音マイク最大で、はぐれ大型動物の気配に注意。農林水産省の大型動物位置情報サイトで大型動物をモニターして、それぞれのマスターに随時報告すること」

「はい」「は~い」「ハイ」3体が答えた。

 現在は大型野生動物にはGPS発信機が付いており、行動が逐一監視されている。モバイルやDOLLで位置情報を確認でき、以前のように野生動物との遭遇による事故が格段に減ったのだ。

 GPSタグは秋、落葉期に一回行われる個体追跡により、新規個体情報が更新される。そして、その個体追跡にはなんと国の静止衛星による、超望遠カメラが使われているそうだ。

 ……まあ、今時、マタギよろしく山ん中ウロウロして動物探すのも時代遅れだものな。

「さくら、今はどんな状況?」

 早速聞いてみる。

「ん~とね、南東約400メートルに5歳でメスのカモシカの親子、北約700メートルに3歳の猪のオスがいるかな、1キロ以内はそんな所だよ~」

 モバイルでもできるが、口答のやり取りのほうがいいと実感する。

「そうか、カモシカは大丈夫だね。猪は300メートル以内に来たら教えて」

「は~い」

 そうして二手に別れ、山の散策を始めた、

「じゃあまずどこへ行く?」

「そうだな、明るい南斜面からだな」

「OK」

 そうしてヤブ漕ぎをしつつ斜面を下り、フローラは桜の観察を始めた。

 一心不乱に、まるで小さい子供のように青い瞳を輝かせて、木々の間とヤブを掻き分けながら桜を調べるフローラ。

「……南斜面は、と…奥丁子(おくちょうじ)桜は散っているな、霞桜はまだ蕾、山桜が二分咲き、花は標準、色は薄紅、若葉の色は茶、やや粘性有り、樹皮は皮目強く、やや荒れ気味、色は紫檀(しだん)……」

 OKAMEに見せ、樹を指し示しながらそう解説しつつ、画像を記録していくフローラ。

 二頭身(ファニー)モデルのOKAMEがフルに活躍している。

 ――そうか。この為のDOLLモデルだったんだ。

 フローラが二頭身のOKAMEを使っている訳を素直に納得した。

 観察と撮影のついでに花を1セット採取し、三角の小さく白い紙袋に入れ、採取日時を英語でメモしていた。

 動画での説明は日本語、こちらは英語だ。……おや?

「フローラ、一つ聞いていい?」

「なんだ?」

「解説は日本語で、採取記録は英語なのはなんで?」

「ああ、解説の方は日本語の理解を深めるために、帰ってから対訳を探りながらじっくりと翻訳するんだ。この先研究論文を発表するつもりでいるからな」

「おお、納得。つか、論文まで書くつもりなんだ」

「これだけ広く知られた植物なのに、実は桜の専門の研究者は少ないんだ。それに種類も600種以上あるから、どこかで区切りをつけてテーマを決めないといけないがな」

「ろっ、600種? 桜ってそんなにあるの?」

 研究者の不足も驚きだが、その種類の多さにさらに驚く。

「原種が日本では9種類、中国に30種類ほどがあるが、園芸品種、いわゆる品種改良された桜は日本が一番多いな」

 あ、原種は中国なんだ。ちょっとショック……

「おお、せいぜい10数種類くらいかと思っていたけど多いんだねえビックリだよ。あと、日本が園芸品種が一番多いってのは納得だね」

「多い? そうか? オレはバラなんかに比べれば、はるかに少ないから多いとは思わないぞ?」

「600種って十分多い気がするけど、バラとどれだけ違うの?」

「バラは詳しくないが、およそ3万種ほどだな」

「ええ~~~~? 3万? ってバラ多すぎだろ! でもまあ、さすが起源前から栽培されてた植物は歴史と伝統半端ないな!」

「まあ桜だって歴史は1500年以上あるし、歴史の重さは軽くはないぞ?」

「そうだねえ。……でも品種の数はどっちもびっくりだよ」

「ちなみに梅も中国を中心に万を超える品種の数があるし、人気の花卉(かき)類で万を超える品種があるのはそう珍しくもないな」

「う~~ん……そう言われると確かに600種は少なく感じるね」

「だろう? 大好きな国の花が、そんなことで後れを取っているのは我慢ならないんだ」

 照れも気後れもなく〝大好き〟と言い放つフローラ。

 それにはやはり同じ真摯な言葉で返さなくちゃと思う。

「うん、この国を〝大好き〟になってくれてありがとう」

 そう言うと、今更ながら自分の言葉に照れたのか、顔を赤らめ、少しもじもじして話題を変えてきた。

「そっそうだ、〝桜色〟を、正確な色の〝淡紅色〟をどう訳すか知っているか?」

「いいや、知らない」

「ふふ、〝ジャパンピンク〟と言うんだ」

「あれえ?、〝very(ベリー) pale(ペール) orchid(オーキッド) pink(ピンク)〟じゃないの~?」

 さっそくネット経由で調べたらしいさくらが聞き返してきた。

「まあ、普通に訳せば〝ベリー・ペール・オーキッド・ピンク〟になるな。だが、そもそも〝orchid(オーキッド)〟とはピンクの〝ラン〟の事だし、桜イコール日本のイメージも定着している。だから、〝ジャパンピンク〟のほうが意訳としてはふさわしい。それにその訳の方が素敵だと思わないか?」

 さすがディープな専門知識(トリビア)。それを嬉々と熱弁をふるうフローラにその情熱の一端が垣間見えた。

「そうだね。俺も同感だよ……あれ? でも待てよ? もっとストレートに〝チェリーピンク〟とかじゃないの?」

 そう聞いたとたんフローラが赤爆した。

「そっそそそ、NO、いや、ちっちっち―ち、違う!」

 なんだろう? すごくうろたえている。

「……ゴメン、なにか悪いこと言ったかな?」

「~~~~~~む、……ハァ、そうだな。――あ~日本では〝童貞〟の事をなんと言う?」

「チェリーボーイ……そうか!」

「そうだ、英語の俗語(スラング)でチェリーはバ、〝バージン・小娘〟……と、とか、ゲ、〝ゲイの童貞〟……まあとにかく性経験不足……の未熟者……とか〝半端ものの若者〟って侮蔑的(ぶべつてき)な意味が……ある」

 しどろもどろに説明すると真っ赤になって俯くフローラ。

〝童貞〟以上の意味もあったんだ、てか、ゲイも含まれる――って、俺もしかしてセクハラ発言させてる?

「そ、そうなんだ、へ、へ~~、じゃ、じゃあ、〝チェリーガール〟って例えは……うっ」

 言いかけて口をつぐんだ。英語で〝サクランボのような~〟と言う単用の比喩(ひゆ)は褒(ほ)め言葉にならない。

 それどころか〝小娘〟、あるいは〝未通娘(おぼこ)〟とかって侮辱になるんだ。

「そ、そうだ、気をつけろ」

 つぐんだ先を察したフローラが答える。

「あ、あと、その……チェリーにはも、もう一つ意味が…ある」

「う…、どんな?」

 なんだろう、いやな予感しかしねえ。 ……てか、まだアルですか?

「…………・・トバージンの血の色」

「ほへ?」

 なんて返事してんだ俺……。

「処女喪失(ロストバージン)の血の色だっ!」

「ごめんなさい!!」

 謝っちゃった!

「う……いや…………まあ……うん……」

「…………………………」

 ……沈黙。つか………………どうしよう?

 おそらく、お互いにそう考えて硬直(フリーズ)していたその時。

 バチッ!

「痛っ!!~~って、何だ?」

 突然左胸に鋭い痛みが走った。

「どうした?」

 我に返ったフローラが心配そうに聞いてきた。

「ご、ごめんなさい~」

 さくらが謝る。しかもロボットのクセになぜかどもっている。

「あー、いや、さくらに〝ライト・スタン〟かまされた」

「動物撃退用のか?」

〝ライト・スタン〟――DOLLに装備された自己防衛機能の一つ。

 軽度のスタンガンで、動物などに危害を加えられそうな時、この機能で動物を撃退する。

 通信が主な用途とはいえ、自立マシンである以上、犯罪や事故を防ぐ為にアイザックアシモフの〈ロボット三原則〉が採用されており、人間へ危険が及ばないよう、主人格(メインパーソナル)によって規制(ブロック)がかけられている。

 ――はずなんだが……

「うん。――どうした? さくら」

「わかんない~…ごめんなさい~~、ゆーき大丈夫?」

 肩に這い上がり、本当にすまなそうに謝る。

「ああ、大丈夫だ……う~~ん、システムエラーかな? アップデートの有無を問い合わせてみて」

「は~い」

 ……数秒後

「あ、ある~――どーする?」

「時間と内容は?」

「作業予測時間5分23秒で、O(オペレーティング)・S(・システム)に干渉するから再起動が必要~」

「けっこうかかるな、再起動も必要なら専用クレードルピットでやったほうが安全か。こんな通信状態のよくない所で、大事なアップデートすることもないしな」

「うん、ありがとう~、ゆーき~」

 両手を握り締め、お祈りのポーズで礼を言うさくら。

「さくらのマスターだから当然だ、だからありがとうは要らないんだぞ」

「言いたいから言ったんだよ~、ふふふ~♪」

 コシャクな学習してるなあ。左耳に腕を回しスリスリするさくら。何だろう、気持ちいいぞ。

「ふ~~ん……やけに人間くさいキャラだな、有料版か?」

 フローラが腕を組み、あごに右手を添えて怪訝(けげん)そうに聞いてきた。

「いや、とある芸能プロの無料版、オリジナルはさっきお父が好きだって言ってた、昔のマルチタレント。――亡くなってるけど」

「日本版のキャラはみんなこんな感じなのか?」

「さあ、ほかのキャラはよく知らないなあ。けどまあ、元が芸能人キャラなせいなのかよく喋るよ」

「いいな、反応が人間くさくて」

 だが、言葉ほどよさそうな顔はしていない……?

「そうだね、気に入ってるよ」

 そう答えた直後。

「東方面230メートルまでカモシカの親子が近づいてきたよ~」

 さくらがアナウンスする。

「親子か……子連れだから気を付けたほうがいいけど、大きな音を立てれば離れると思うよ。どうする?」

「侵入したのはこっちだからこちらが離れよう。南側は大体記録できたしな」

「了解、行こう」

 と、斜面を登る為、フローラの手を取るとフローラが一瞬呆けたが、俯(うつむ)いたまま握り返してきた。

「うん……」

 車に一旦戻り、採集品を置き、水分補給をした。

「お手洗いは大丈夫? ここから下のコンビニまでは十10分位だから、行きたくなったら早めに言ってね」

「ああ、大丈夫、裕貴は意外とやさしいな」

「意外とは余計だ」

「ふふ、そうだな。――やさしいよ」

 その後北斜面と東西を走る道路沿いを散策し、フローラの仕事に終わりが見えた頃、ずっと気になっていた最後の疑問をフローラにぶつけてみた。

「……ねえフローラ」

「なんだ裕貴?」

「なんでそんなに桜が好きなの?」

 桜なんてある意味特殊な植物を。――お父は育種、フローラは研究とデータベースを作りたいと思うほど、二人がどうしてそんなに好きになったのか理解できなかった。

「どうして知りたい?」

「うん、夢中になれるものがあって、なんとなく羨(うらや)ましいからだと思う。俺なんか物心付いた時からあんな庭の家で育ったけど、お父が大事にしてるっぽい桜がたくさんあって、庭では思い切り遊べなかった。だから正直なところ桜が少しだけ嫌いなんだ」

「……長くなる。終わったら車で話そう」

 フローラが真剣な面持ちで言った。

 そうして観察とサンプル採集を終えて車に戻り、車内で座席をリクライニングさせるとフローラが語り始めた。

「オレ――いやアタシも嫌い……いや、大嫌いだった」

「えっ!? マジで?」

「ああ。アタシの家は代々〝イングラムの庭〟と呼ばれる広い植物見本園を管理していた。――あ、アタシのご先祖の話は?」

 終わりのほうはちょっと照れくさそうに聞いてきた。

「あ、うん、夕べお父に聞いた」

「そうか。それで、そのコリングウッドは、稀代の変人のように言われていた」

「そうなの? 相当な権威だって聞いたよ」

「認めてくれていたのは、王立植物学会の偉い人たちと日本の人達だけで、実際、地元レベルでは〝コリングウッド〈チェリー〉イングラム〟と呼ばれてバカにされていた。……このアタシも」

「!」

 恥ずかしがった理由はこれか。それもあのスラングでか……。

「小さい頃のアタシは、赤ら顔で赤毛で鼻も低くてチビでソバカスだらけで、……とても泣き虫だった」

 上を向き、何かをこらえるようにゆっくりと言った。

「そ……意外だ」

 外人女性は別人になると言うが、今のフローラからは想像すら付かない。

「よく近所の子供達に苛められては、桜を木の枝ではたきながら庭で泣き喚いていた」

「まあ、無理ないよね」

「……………………………そんな風にからかわれ続けていたから、桜も当然大嫌いだった」

 長い沈黙に泣き出すように見え、ドキリとする。

「……うん」

「でも、たった1本だけ、どうしても叩けなかった桜があって……さっきさくらが歌った歌を口ずさみながら、その木の下で一人泣いていた事がよくあった」

 こみ上げたものがふっと消えたように、真っ直ぐにこちらを見て嬉しそうに言う。

 ……やべえ。その時代に行って抱きしめてやりたい。

 苛められ、真っ赤に泣き腫らしたソバカスだらけの小さなフローラを、唯一慰めてくれた桜、それはもちろん。

「――それがOKAME桜だったんだね」

 胸ポケットの中で大人しく座っていたさくらが、一瞬ブルッと震え、顔を出して俺とフローラを交互に見つめるが、何も口を挟まぬままそのまま大人しくなった。

「そうだ、知っているのか」

 フローラがDOLLにつけた名前、やっぱりか。

「うん、家にもあるし、お父が大事にしてるから」

「そうだったな。裕貴もアノ和歌を知っていたくらいだものな」

「ああ、最初はなんて変な名前なんだろうって思ってたけど、お父に由来を聞いてすごく感動した覚えがあるよ」

「ふふ、そうだったのか――春、背丈ほどの小さい樹に、たわわに赤い花を付けるあの桜が自分みたいで、でもとてもきれいで大好きだった」

「うん、判る」

 満開のOKAME桜はそれは見事で、お父は〝大きなピンク色の綿飴〟と表現していた。

「ある時、OKAME桜はコリングウッドが作出した桜と知って、それでOKAME桜について知りたくなって、コリングウッドの残した資料を調べてみた――そしたらアノ歌の書かれた短冊が出てきた」


「「わたしゃお多福 御室の桜 鼻は低くうても人が好く」」


「だね――だ」

 2人で笑いあった。

「アノ歌でアタシの桜の見方は興味に変わった。そうして、ソノ歌を歌った国、日本を見てみたくなった」

 そんなふうに容姿にコンプレックスのあったフローラにとって、OKAME桜と和歌の真意を知ることは絶大な効果があったんだろう。

 桜の事で泣かされていたイギリスの少女は、今やこんなにも美しく成長し、桜と日本が好きだと言ってくれている。――ならば、

「そうか、納得した。言い辛い話を俺にしてくれてありがとう。本当に……感謝するよ。お詫び――いや、これから山で桜の調査する時は出来るだけ協力させてもらえるかな。そしたら俺ももう少し桜が、家の桜が好きになれると思う」

「桜が好きになる――か。ふふふ、そういう事なら遠慮なくお願いしよう。これからは桜の調査の山岳ガイドをお願いできるかしら? 裕貴さん」

 フローラが悪戯(いたずら)っぽい笑みに少しの照れを交え、出会ってから数度目の女性言葉で言う。

「喜んで。Missプリシフローラ」

 お父にこちらの終了を告げると、判ったとの返事。軽くどこかで昼食を摂ろうと言うので、帰りを待つことにした。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 時刻は午後1時を廻り、帰りにコンビニで軽く昼食を摂り、地元のそば粉と生蕎麦(そば)、地場産野菜を買った。

「あ、お父。学校用のDOLL服欲しいから帰りどこか寄ってくれる?」

 帰りの車中でお父に頼む。

「いいよ」

 そうして、DOLLのディラーショップに行き、フローラと2人あーでもない、これがいいとか言いつつ、学校用の服を選ぶ。

 そうしてさくらに白で無地の大きめのオープンネックTシャツと、アンダーに黒のタンクトップタイプの太陽電池(ソーラーセル)の重ね。ダメージタイプのホットジーンズをチョイスし、桜色のDOLL用パンプスと、赤と白で髪のリボン用組紐矢羽模様(くみひもやばねもよう)インカム用アンテナと、金色の鈴を模した神社調インカムのセットを二組買い店を出た。

 インカムは普通のイヤホンのケーブルを五センチほどで切ったようなデザインのアイテムで、先端がマイクになっているものだ。

 使用しない時はDOLLの頭にアクセサリーのお団子のように接続して充電し、通信やオーディオ再生時にDOLLから受け取って使うものだ。

 普段はDOLLのハンズフリー機能や、ツインのマイク&スピーカーで十分だが、今日山に入り、こんな場面では両手を空けておく必要を感じて買い求めた。

「どうして二頭身(ファニー)DOLL用のオプションが少ないのかなあ」

 と、買い物をしつつフローラが愚痴(ぐち)る。

「しょうがないよ、日本じゃマイナーだし、さらに田舎だからね。まだまだ、フローラみたいにDOLLを割り切って使う人が少ないんだよ、たぶん――と、はいこれ」

「なんだ?」

「専用アンテナと神社デザインインカム。OKAMEちゃんに」

 さっき2本買った赤白と金鈴風インカムセットのもう一組を手渡した。

「どうして?」

「同じタイプのDOLLだから」

「意味が判らないぞ」

 お! やった、珍しく知らなかったぞ。

 下手な日本人より日本を知っている才色兼備(フローラ)に、知らない事を教えられるのが妙に嬉しい。

「ふっふっふ、さくらは巫女タイプの〝外皮(インテグ)〟だし、OKAMEは〝名前〟が巫女だしね」

「OKAMEが? もっと判りやすく言ってくれ裕貴」

「関東ではオカメ、関西ではお多福と呼ぶ。これは知ってるよね」

「ああ」

「んで、その大元のモチーフは天鈿女命(アメノウズメノミコト)って言う、古事記や日本書紀に出てくる舞踊(ぶよう)の女神様なんだ」

「……聞いたことがあるな」

「あるんじゃないかな? だって戸隠伝説で、天照大神(アマテラスオオミカミ)を天の岩戸から誘い出したのが天鈿女命だからね。一応舞踊の神様って事みたいだけど、純粋な舞踊神じゃなくて、起源は神前で踊る呪術師(シャーマン)、つまり最古の巫女って説が有力みたいだよ」

「お~そうか! そうだったのか! 知らなかった。ふ~ん♪ OKAME、お前そんな古い女神様がモチーフだったのか」

「ええ。教えて下さってありがとうございます、裕貴さん」

「オレもお礼を。インカムセットとOKAMEの由来を教えてくれてありがとう裕貴」

「どういたしまして。あとは、まあ山ではハンズフリーの方が良いだろうと思ってね」

「そっか、……OKAMEとペアか♪ ふ~ん♪」

 家に着き、お父は早速ママと夕飯の下ごしらえにかかる。その時、ママがそばに来てフローラに声をかけた。

「汗かいたでしょ? 夕飯までまだ間があるからシャワーでも浴びて頂戴(ちょうだい)。着替えは姫花に言って用意させておくし、今着ているのは洗濯して乾燥機にかけておくから」

「いえ、お構いなく。そこまで甘えられませんし、一度帰ります」

「採取したサンプルもあるんだし、帰りは車で送ってもらえば? そうすれば二度手間にならないし、その分ゆっくり出来るじゃん」

「でも……」

「そうしてぇ~フローラ! 後であたしとおしゃべりしよ~」

 姫花がネコなで声で誘う。涼香とは違うタイプの年上の友人がとても嬉しいようだ。

「うん、それじゃあお言葉に甘えさせていただきます」

 はにかんだ笑いを浮かべ、返事をするフローラ。


 部屋に戻り、俺はさっそく買い込んだDOLL服をさくらに着せてみた。

「どう~? ゆ~き~♪」

 ラフなカジュアルルックにポニーテール。段付きカットでストレートロングヘアーの巫女インテグに、赤白の組紐風アンテナのアクセントはとてもよく似合う。

〝ちょっと外出の巫女さん〟的なスタイルがアダルトな雰囲気になっている。

 インカム本体はカチューシャタイプの接続端子で、頭にマイク部の方をつなげ、鈴の方をぶら下げる形でセットした。

「お! ぶら下げるとなんかリンリンなりそうでいいな」

「えへへ~♪ ゆーきありがと~☆」

「どういたしまして。また少しずつ服を増やしていくね」

「うん! あ、そうだ!」

 そう言うと俺に背を向け、何やらゴソゴソするさくら。

「うん?」

「へへ~ どう? フローラだよ~♪」

 インカムのイヤホンを黒のタンクトップタイプソーラーセルの下に入れ、フローラを真似る。

「ぶふっ! …………ぐっ…………げほっ………………ナイス」

 ツボにはまり激しくむせる。

 

「わ~~い♪ フローラにも見せよ~」

「いや、それはやめて」

 ユーモアあっていいな。……しかしボケにツッコミができるとは。〝さくら〟の製作者(プログラマー)すげえよ。

 そんな風にワイワイやりつつ、またまた色んなポーズで写真を撮る。

 一通り愛でて、さっきのアップデートをやろうとしたら、音声着信(でんわ)が入る。

「――あ! フローラから音声着信だよ」

「下にいるのに? ――つないで」

『HELP! 裕貴すぐ来て!』

 なんだか焦った声だ。

「どうした?」

『とにかく早く来て! なんとかして!』

 ただ事でない雰囲気だ。

「すぐ行く」

 そう言い、着信を切る。

「さくらはさっきのアップデートやっといてくれるかい?」

「は~い」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 リビングに居ないので、脱衣所の方へ行き、ドアを開ける。

「うおっっ!!!!」

 パンティー姿に腕ブラのフローラが泣きそうな顔をして立っていた。

「ごッゴメン!」

 とっさに謝り、ドアを閉めようとしたら、

「STOP! いいんだ! 来い!」

 腕をつかまれ、中に引っ張り込まれる。

 訳がわからず、目のやり場にも困り、何とか目を右手で覆(おお)いつつ聞いてみる。

「どっどうしたの」

「LOOK!(見て!)」

「いや、見れないよ」

「TICK! えっと……AH~~……そうじゃない、胸じゃ……とにかくこれを見て」

 動揺して和訳が出てこないらしい上に、あまりに必死な口調なので、恐る恐る右手をはずし、目を開けてみる。

 すると、胸の谷間のあたりの一点を、バストを隠した手の反対の方で指差している。

 とはいえ、バストトップを細腕で押さえているだけで八割方見えているが、フローラが気にした様子もないので、懸命に動揺する心を静めつつ指差した先を冷静に見る。

「……? ホクロ?……いや、これは!」

「TICK! そうだ! 〝ダニ〟だ」

 やっと和訳を思い出したらしいフローラが言うが、俺も一目でわかった。

「笹ダニだ!」

「うん――どうしたらいい?」

 一気に脱力した。

「うん、まあ俺の部屋へ行こう、ダニを潰さないようにしてね。準備したら俺も行くから」

「……うん、お願い」

 バスタオルを羽織らせ、通路に人が居ないことを確認してフローラを部屋に行かせる。

 一人脱衣所に戻り、ブラシを探していると、脱衣カゴにスリープモードになっているハガキサイズの柔軟性(ソフト)携帯(デバイス)画面(ディスプレイ)と、フローラのブラを見つけた。

「何だこりゃ? カップでかっっ! つか赤ん坊の帽子くらいあるぞ」

 目の前のブラは、昨日胸元から覗いていたフリル多めのものでなく、キレイに立体縫製され、固めの帽子くらいで、中の果実をスッポリと包むするような質実剛健なデザインのものだった。

「おお……こいつはDか? Fか? ……いやいやそうじゃない! くあああああ~~~!」

 指先でつつきつつ、はっと我に返って動揺し一人悶絶する。

「くっ!~~~とにかく、ディスプレイの電源が入っていて、あのうろたえようは……やっぱり〝アレ〟を検索(サーチ)して見たんだろうなあ……」

 アレ――〝笹ダニの画像検索〟うん、トラウマ物の画像で凶器だ。

 エロや残酷画像は割と検索除外(フィルタリング)で防げるけど、資料的な画像はブロックし辛い。

 何度も刺されてる自分も笹ダニの群像画(あれ)見た時は鳥肌立ったもんなあ。

 笹ダニは、通常は体長二~三ミリの薄っぺらい虫だが、ひとたび皮膚に吸い付き、セメント状の物質で口吻(こうふん)をがっちり固定して吸血を始めると、数時間後にはその体積は数百倍にも膨れ上がる。

 まあ風船のような胃袋を持ったダニだと思えばいい。

 そして地肌が見えないくらいそれらが大量に食らいついた参考画像はもはや………………

 おおお、鳥肌が!

 ――部屋に戻ると、うつむいたフローラが床にM字座りしていた。

「えっと、まず聞くけど刺されているのは胸だけ?」

「あ、うん目が届くところは」

「背中とコカ……う、……え~と、下(アンダー)のほうは?」

「見てない……怖くて見れない」

「…………ああ~~……うん、そうだね。気持ちは判るよ。でも必要だから見ておかないとね」

 やんわりと、しかしキッパリと断言した。

「……裕貴」

「うん?」

 フローラは、母犬に置いて行かれたシベリアンハスキーの子犬のように、わずかに潤ませた瞳で俺を見つめてこう言った。

「見てくれるか?」

「えっっ!?」

 ……〝金色夜叉〟と呼ばれし乙女がすがりつくような声で人生最大の二択を迫る。

「たのむ……」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 ――ベッドに腰掛け、内股気味に足を開き、恥じらい、そっぽを向きつつ問いかけるフローラ。

(……どっどうだ?)

 ベッドの脇、フローラの前に正座して、あたかも裸眼のまま太陽を直視するような覚悟で彼女の〝女神のスピリチュアル・茂庭(ガーデン)〟を凝視する。

(…………おおお、いや、よく見えないから、もっ……もう少し足を開いてくれる?)

 あまりの荘厳さに心を奪われて、見ているはずなのにテンパってしまって、必要な視覚情報が意識の網にまったくかからない。

 認識できるのは金色に煌(きら)めく〝聖なる光の門ヘブンズ・ゲート〟だけだ。

(えっ? まっまだ開くの?……)

 幼児がぐずるような声で嫌がるが、それでもゆるゆると足を開いてくれるフローラ。

(そっ……そう、いいよフローラ。…………うん…………とっ……とても綺麗だよ)

 何か言わなければと思って口から出た言葉は、あまりにも陳腐すぎて情けなかった。

(いやっ!! 口に出さないで!…………もう……早く…………シテ…………裕貴)

 その瞬間、俺の好奇心(リビドー)が崩壊(ブレイク)、悟りトゥルーへと転化(カタストロフィー)した。

 …………ああ、熱い、この熱気に焼かれて、俺さえも太陽を目指したイカロスの様に溶けて落ち


 ――――――――るわきゃねーし!!!!!!!!!


  „~  ,~ „~„~  ,~


 フローラのフリに、爆発的に走馬灯(もうそう)が走り、意識が冥界の門ヘルズ・ゲートに導かれそうになる。

「むっ無理!、さすがに背中までで下半身までは見れないよ?」

 ~~~テンパっているんだ。たぶんそうだ。いやきっと……

 我に返り、フローラもまたテンパっているゆえのセリフだと思い、お願いをキッパリと退ける。

「――なら、いや、そうだな……うん、それじゃ背中は見てくれるか?」

「おあっ!? いっ今……いや、…………あ、うん、俺部屋の外に居るから終わったら呼んで。手鏡は――ハイこれ」

「判った」

 部屋を出て廊下に手を付き、ガックリとうなだれる。

「つっ、…………疲れた………………」

 ――数分後。

(いいよ)……中から密やかに呼ばれ部屋に入る。

「~~大丈夫だった」

 涼香並に消え入りそうな声で答えるフローラ。普段の雄々しさからは想像も付かない。

「そっか、ツナギ着てたのが良かったのかもね。それじゃあ背中を見せてくれる?」

 ……ひょっとしてお父はこれを予想してたのか?

 だとした助かった。〝女神のスピリチュアル・茂庭(ガーデン)〟が刺されていたらどんな修羅場が……

 そうしてそのオソロシイ考えを振り払いつつ自己暗示をかける。

 大丈夫、大丈夫だ。〝Structure(ストラクチャー) limit(リミット)〟――構造限界(きょにゅう)女性の胸はアダルトサイトで十分見ている。そう、何でもない。珍しくない。コーヒー飲みながらだって見れるさ! フローラだって世界一(ミスユニバース)って訳じゃない。うんそうだ、だいじょ……

「Y...Ye......はっ、はいぃ……」

 リアルデレ声キタ~~~~~~~!!!!!!!!!!!

 か細く、弱々しく答える声にアッサリ第二次防衛(じこあんじ)ラインが粉砕される。

 パンティー1枚のM字座りに腕ブラ、上目遣いに潤んだ青い瞳の異国の美少女。

 おおお! この質感ハンパねえ。

 圧倒的視覚情報に罰ゲームを超え、もはや拷問だった。

「っ!!……っくく、……んじゃあシツレイします」

 今や蜘蛛の糸より細い理性にぶら下がりつつ、唇をかみしめ、目の前の異国の美少女の白磁のような肌を検分する。

 首のチョーカーツインシステムをそっと持ち上げ、その裏を調べる。

「んあっっ!」

 指先が首に触れた瞬間、フローラが驚き、ビクンと震えた。

「うおあっっ――っと、ごめん」

「いっ……いや、いい、こっちこそ……続けて」

「……はい」ドキドキ……

 永遠に近いような錯覚とめまいを覚えつつも、実際は視線を二度ほど上下に移動させただけで終了した。

「…………うん、背中は大丈夫だね。じゃあ、そ……笹ダニそれ捕(と)っちゃおうか」

 と、震える指でダニを指差す。

「うん。でもどうやって?」

「こうするの」

 と、虫除けスプレーをビニール袋内に吹きつけ液状に戻す。

 すると、顔が肩に触れんばかりの距離で覗き込みつつ、少し不安げに可愛らしい口調で聞いてくる。

「ねえ、どうして直に吹かないの?」

 ……おお! 珍しい。女性言葉だ。……じゃなくて! しっかりしろ。俺!

 大きく深呼吸をする。すーはー。

「う……うん。そうすると充填(じゅうてん)ガスの蒸散冷却(じょうさんれいきゃく)で動きが鈍ったり死んじゃうからね。そうなると口吻、刺した針が皮膚に残っちゃって、病院に行って除去しなきゃならなくなるんだ。――まだいるってことは、すぐに払っちゃいけないって所まで調べたんでしょ?」

「う、うん」

「Sorry flora 」(ごめんなさい フローラ)

 OKAMEが謝る。キモ画像の事だろうか。

「It's OK. OKAME」(大丈夫、オカメ)

 とか言いつつも、アレを思い出したのか身震いするフローラ。

 あ、ヤベ。思い出させちゃった。

「刺してからまだ時間もたっていないみたいだし、良かったよ。おかげでキレイに取れる。――んで、こうするの」

 袋に出した虫除けスプレーの液を、袋を数回開け閉めして充填ガスを気化させる。

 そうして袋の下の角に針で穴を開け……ダニにかける。

 ……フローラ腕がじゃ…ぶるぶる。このダニめ!

 ――1回目、ダニがゆっくりともぞもぞ動き出す。

「気味が悪かったら目をそらしてていいよ」

 ……フローラやっぱり腕が邪魔……いかん!! ダニ……いやダニと煩悩退散(ぼんのうたいさん)!!

「……ん、1匹だから大丈夫」

 そりゃそうだ。アノ群像画にくらべればねえ……

 ――2回目、動きが止まったように見えるが、ゆっくりと針を抜いているのが判る。基本笹ダニ類はかなり動きが緩慢(かんまん)だ。だから、衣類内に進入してくるのも時間がかかり、吸血も数日かけて行う。まあ、入山者の予備知識だ。

 ――数分後、針を抜いて移動を始めた所を捕捉(ほそく)。刺し後に薬を塗る。

 このダニに最高の悪意を向ける事で煩悩を押し殺していたのが功を奏したようだ。

 礼は言わないけどね。テッシュでくるんで……ぷちっ!

「ありがとう、裕貴」

「いや、ぬか喜びさせて悪いけどまだ終わってないんだ」

「No kidding?(うそっ?)」

「頭が残ってる」

「あ!」

「それじゃあ三つ編み解いてくれる?」

「ん……あ!、いや裕貴が解いてくれる?」

 少しモジモジしつつ聞き返すフローラ。

「え? なんで?」

「解きながら見て欲しいな」

 当然の提案に反論してしまい、自分の動揺加減を自覚した。

「……そうでした」

 冷静になっていたつもりでも、全然頭が働いていない事に愕然とする。

 フローラをベッドに座らせ、後ろに膝立ちして三つ編みを解く。背中越しに見える腕で押し上げられた二つの山がアレだ……イカン! 巨乳派にコロんでしまう。

「……すまん、汗臭いだろ」

「全然匂わな――あ、いやコロンの匂いが――あれ?」

 !?……え~~っと。

「「あ!」}

「もしかして虫除けスプレー使わなかったの?」

「ごっ、ごめん」

「なんでまた」

「~~臭かったから」

 耳が真っ赤だ。てか、笹ダニに狙われる訳だわ。

「はぁぁ……しょうがないなあ。今度山に入る時はきちんと使うように。ガイドからのお願いです」

 山で洒落っ気だしてもしょうがないのに。まったくもう……

「はい、判りました♪」

 な~んか反省の色が見えない返事だな。まあいいか。

「それにしても、ダニの剥(は)がし方までよく知っているな」

「ん……まあ、何度も山に入って刺されているからね。姫花なんかはもう嫌がって行かないよ」

「まあ、こんな事があれば無理もないな。でも裕貴が知っていてくれて助かった」

「どう致しまして」

「変な姿勢で疲れるだろ?、俺の膝(ひざ)に後ろ頭載せてよ」

 半分起きかけた仰臥姿勢(ぎょうがしせい)で、さらに胸を抱えていて、腹筋が辛そうなので勧めてみた。

「あ、ありがとう」

 膝をそろえた自分の膝に頭を預けるフローラ。

 そうしておでこの生え際から丹念に調べていく。

 ヨークシャテリアの毛のようにしなやかで細く、それでいてクセのないフローラの髪はとても綺麗だった。

 姫花や涼香、異性の髪をいじるのは初めてではないが、フローラほどの金髪美人の髪に触れるのはかなりドキドキだ。

「……姫花の髪が長かった頃、小学校3年生位までは、こうして風呂で髪を洗ってやってたんだぜ」

 黙っていると動揺が大きくなりそうで、いささか饒舌(じょうぜつ)になる。

「……うん」

「目にシャンプーが入るのを嫌がって、仕方無しにこうやっておでこを抑えて、目に入らないようにして、シャワーで流したんだ」

「ああ、確かに美容院とかの洗い方で、小さい子にはいいかもな」

 フローラはリラックスしてきたのか、声の緊張感がなくなって、少しけだるそうな口調になってきた。

「それがクセになって『お兄ちゃんに洗ってもらうんだー』って言い張ってて、……結局そんな年まで洗わされて、めんどくさいやら、かわいいやら、当時は複雑だったよ」

「わかるな」

「なにが?」

「ふふ……なんでもない」

「髪綺麗だねフローラ、やっぱり日本人と全然違うね」

 追求したいところだったが、リラックスしてきたようなので無視して話を続けた。

「…………再起動、及びアップデート完了したよ~」

 そんなことを考えていると、アップデートと再起動が終了したさくらが報告する。

「そうか、判った」

 返事をすると、さらにこちらを見てこう言った。

「うん……ところで2人して何してるの? グルーミング?」

「は?」

「プッッ グッ、グルーミング……ふふふ。なるほど、さくらナイスだ」

 フローラは肩を震わせ笑っている。ナンノコッチャ?

「さくら〝グルーミング〟って何?」

「ウィ○ペディアでいい?」

「ああ、頼む」

 嫌~なニュアンスがありそうだが、気になるので聞いてみた。

「えっとね~……〝グルーミング〟とは。哺乳類では非常に重要なもので、群れを作る霊長類の社会的行動。例えばサルではシラミ取りが序列の決定や服従の意思の明示、紛争の解決に寄与しており『もういい! わかった』……まだ説明だいぶあるよ?」

 アナウンスモードで滔々(とうとう)と語るさくら。それがかえって腹立たしい。

「おまえはそんなに自分のマスターをおとしめたいのか」

「え~、そんなことないケド~。さくら何か間違ってたかな~?」

「いいや、言葉の説明も使いどころも間違っていない」

「じゃあ何がいけないの~?」

「俺はニンゲンデス」

「そして哺乳類~」

 先回りされた!!……って確かにサルもヒトも同じ括(くく)りだけどな!

「……俺はお前のなんだ?」

「マスタ~?」

「なぜ疑問形」

「うん、ちょっと違うような気がする~」

 前と違わないのはお前の反応(リアクション)だな。

「……お前今まで何をアップデートしてたんだ?」

「ファイルの修正~」

 で、その結果がこれか。アホの子発言するDOLLにこれ以上かまってられない。

「そうか……」

 なんか脱力した。――もういいや。

 フローラはまだ肩を震わせている。

「……フローラ」

 シャクに触ったのでうなじを指でなぞる。

「ヒャウン!」

 一瞬腕ブラのガードが解け、両手を小万歳(しょうばんざい)させるフローラ。その刹那(せつな)、豊かな双丘の先、かすかにピンク色の残像を知覚した。

「おおお!」

 半分カウンターを覚悟するが、逆にものすごく色っぽいリアクションをされて焦る。

「ゆっ、裕貴~」

 上半身を起こし、肩をすぼませ、今にも泣きそうな声で恨めしげに呼ぶ。

「ごっ、ゴメン、そんなに驚くとは思わなかった」

「……Stop(ストップ) kidding(キディング) around(アラウンド)(……からかわないでよ)」

 消え入りそうに英語で何か言うので悪ふざけを反省し、頭ををなでた。

「真面目にやります」

 無言で再び膝に後ろ頭を預けてくるので、ぐっ、グルーミング(決定)を続けた。

 5分ほど探し、幸い他にダニは見当たらず無事に検分が終わった。

「……ハイ、終わったよボス。良かったね他にいなくて」

 そういい、肩を軽く叩くとゆっくりとフローラが振り返る。

 バスタオルを左手で持ち上げ、胸を覆い右手をベッドに置き、解いた三つ編みが軽くウェーブを描いた髪の中心には。

 ――瞳を潤ませ、もの問いたげな表情のフローラの顔があった。

「!」

「…………」

 沈黙し、しばし見つめあう。

「「……」」

 耐え切れずに問う。

「どっ、どうしたの? フローラ」

 その言葉ではっとしたようにフローラが答える。

「いっいや……あっ…ありがとう裕貴」

 そう言い、うつむくフローラ。

「どっどう致しまして。 ほとんど大丈夫だと思うけど、感染症の危険とかがあるみたいだから、数日は健康に注意しててくれるかな? OKAME、調べておいて注意してやっててくれる?」

 言いつつも心臓がバクハツしそうだ。

「はい。裕貴さん」

「ん、フローラをお願いね」

 そうして、再び脱衣所までフローラを先導する。

 キッチンでジュースを手に入れ、部屋に戻り、ベッドにうつ伏せに倒れこみ深呼吸する。

「…………疲れた」

 時間にして20~30分ほどだったが、体感時間は数時間のような気がした。

 そうして喉が乾いていたことを思い出し、起き上がってテーブルの前に座りジュースを飲む。

「ねえゆーき?」

 テーブルの上、OKAMEと並んださくらが聞いてくる。

「フヒィ?(何?)」

 ジュースを口に当てながら答える。

「どうしてフローラにキスしてあげなかったの?」

「ブフォーーーーー!」

 吹き出してしまった。

「ねえどうして?」

 そんな事もお構い無しに聞いてくるさくら。

「ゲホッ、ゲホッ……まっ、待て」

「……」

「ふー……ふー……あーびっくりした。言ってる意味が判らんぞ?」

「あ~、ゆーきってニブチンだね~」

 ロボットに馬鹿にされた。しかもニブチンって……

「どう言う事だよ」

 ちょっとムッとし、反論する。

「さっきはどう見たってフローラはキスを待ってたよ?――ねえ、OKAMEちゃん?」

「さあ、どうでしょうか。仮にそうだとしてもマスターの心中は私には明かせません」

「……まさか。そんなわきゃないだろ?」

「……フローラかわいそう」

「なんだよ! 勝手に悪者にするな! だいたいどうしてフローラが俺とキスしたがるんだよ」

「ゆーきが好きだからだよ」

「それこそ〝どうして?〟だ。あんな才女で美人のフローラが、なんで片田舎のしがない高校生の俺を好きになるんだよ!」

「フローラの本心はさくらも知らないよ?」

「だろ? いい加減な事言うな」

「でもどうしたいかは判るんだよ」

「だからどうして」

「さくらもゆーきが好きだからだよ」

 はえ? ロボットが告白? えええーーー?

「…だっ、…どっ……くっ! きっ昨日インストールしたばかりでか? それにそういう基本設定(デフォルト)じゃないのか?」

 くそっ! どもっちまった!――が、何とか言葉にした。

「それはあるけど、でもそういう〝好き〟じゃないのはさくらもわかるよ~」

「なら何を根拠に〝好き〟だってわかるんだ?」

「ゆーきのそばに居たいし、触れていたい。やさしくされたい。やさしくしたい。おしゃべりしたい。笑わせてあげたい。慰めてあげたい。他にもあるよ。――そういうのを〝好き〟って言うのはおかしい?」

 語尾を延ばす口癖が消え、真剣な口調で喋るさくら。

 ……?、こんな風にマジな反応するキャラだったか? もしかしてこれがアップデートの影響なのか?

「…………いいや、おかしくない。その通りだ。でもフローラが俺を好きだとして、俺は今は応えないと思う」

「どうして?」

「フローラはあの通りの美人で才女で高潔だ。だけど気を許した人間にはとことん甘くなるし気を割いてくれる。俺に自分の小さい頃の打ち明け話をしたり、さっきみたいに無防備な姿を見せてくれる」

「うん。そうだね」

 さくらに話すと言うよりは、勘違いして暴走しないよう、自分に言い聞かせる為に語る。

「フローラは魅力的だから、キスなんかしたら俺は自分を抑える自信がない。それにフローラはもう一生モノの目標と夢と持ってる。安易な好意に走ってそれを損なうスポイルする事になったら俺は自分を許せなくなるし、なにより半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけないだろう?……ってまあ、そもそも同じレベルの会話すらできないしな……ははは」

 最後は才色兼備(プリシフローラ)に対するコンプレックスから、少し自虐的な笑いが漏れた。

「そう。でもゆーきが〝半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけない〟って思う事は、覚悟ができたら〝同じ夢を見てもいい〟って事でもあるんだね?」

 自分でも気付かなかった自嘲(じちょう)の裏を読まれ、慌てて否定する。

「!!っく、……ってバカ言うな。どんだけ努力しなきゃいけないんだよ!」

「ふふ、そんなことはさくらが……ううん、何でもない。でもゆーきはそれだけフローラが大事なんだね?」

 言いかけた言葉を飲み込み、かわりに安心したように小首を傾げ、微笑むさくら。

「そう――なのかな? 〝大事〟か……うん、今はその言葉がぴったりだ」


   „~  ,~ „~„~  ,~


 フローラは脱衣所で立ち尽くしていた。

 激しく懊悩しつつ、裕貴の優しい手の感触を惜しむように自分の髪をさする。

 自分でも思いがけず大胆に行動し、羞恥と後悔に身をよじる。

その時、首のチョーカーツインシステムが軽く振動(バイブ)し、さくらと裕貴の声が聞こえて、それとともに空中投影図(エア・ヴューワー)に〈SPEAKER(スピーカー) ONLY(オンリー)〉という文字画像が表示された。

『ねえゆーき?』

 一瞬訝しむが、先ほどの昇平の言葉を思い出す。

〝『……DOLL達は集音マイク最大で動物の気配に注意――……それぞれのマスターに逐一報告すること』…………〟

 視界からフローラが居なくなった事で、OKAMEが集音声をツインシステムに送信してきたのだ。

 フローラは集音声をキャンセルすべく、空間反応操作(エア・フリック)の検出領域(ディティクション・ゾーン)へ画面裏側から指を伸ばすが、ガラスでもあるかのように途中で止まってしまい、〈ON/OFF〉の文字まで指が進まなかった。

『……そもそも同じレベルの会話すらできないしな……ははは』

(…………don't hear!(聞いちゃダメ!)……do……)

 ほとんど聞き取れない声で口の中で呟(つぶや)くフローラ。

『そう。でもゆーきが〝半端な覚悟じゃフローラの夢にはついていけない〟って思う事は、覚悟ができたら〝同じ夢を見てもいい〟って事でもあるんだね?』

(!!…………)

『!!っく、……ってバカ言うな。どんだけ努力しなきゃいけないんだよ!』

(…………)

『そう――なのかな? 〝大事〟か……うん、今はその言葉がぴったりだ』

 それを聞いた瞬間、フローラが口元を両手で押さえ浴室へ駆け込みシャワーを全開にする。

 最初が冷たいのもかまわず座り込み、頭からシャワーをぶつける。

「―裕――――――YOU―ー!」

 顔を両手の平で覆い、激しく嗚咽(おえつ)しながら何事かを呟くフローラ。

 言葉は激しい水飛沫(みずしぶき)の音でかき消されている。


   „~  ,~ „~„~  ,~

 

 その後、風呂から上がったフローラが、ツインシステムでOKAMEに呼びかけ、OKAMEを迎えに来ると言う。

 間もなくフローラが部屋をノックし入ってきた。

 頭をタオルで巻き、姫花のTシャツにスポーツブラ、ロングスパッツの服装であったが、やはりサイズが規格外なのか、はちきれんばかりの状態だ。――特に胸が。

 風呂上がりで、上気した頬に少し潤んだ目をしている。

「上がったから次どうぞ、――おいでOKAME」

 とっとっと、とフローラに駆け寄り、差し出された手から肩に移される。

 さっき、さくらとあんな話をしたせいか、……いやこんなカッコしてるせいだ。

 フローラの顔を真っ直ぐ見れない。

「ああ、ありがとう。でも俺は食後に入ろうかな。あと姫花は部屋にいると思うよ」

 うら若き女性客のすぐ後に入る不躾(ぶしつけ)はしないよう、一応気を使ってみる。

「ふっ、そうか……裕貴」

 テーブルの前に座っていた自分の脇に膝を付き、近寄るフローラ。

「ん、何?」

 顔を向けるとフローラが俺の左頬に右手を添える。

「!?」

 思わずビクつくが、金縛りにあったように逃げられない。

 そうして顔を近づけ、フローラは右頬にキスをくれた。

 だが、すぐには離れず、キスしたまま瞬き三回ほどの間触れていた。

 そうして離れる刹那、頬ずりされたように感じる。

「…………どっどっどしたの? フローラ」

 長い時間頬ずりしたことを聞いたつもりだったが、違う答えが返ってきた。

「……今日のお礼だ。今日は色々世話になったから……」

 そうして体を離しつつ、うつむき加減で照れながらそう言うフローラ。

「そっ、そっか。ん、どう致しまして」

「また、山に行く時は頼む。――それじゃあ姫花のトコに行くな」

「ん、ああ。じゃあまた夕飯の時にね」

 そう言い、フローラが部屋を出、隣の姫花の部屋に行く。姫花の嬌声(きょうせい)が聞こえ、ドアが閉まる音が聞こえる。

「…………」

 キスをされた右頬に手を当て、黙り込む。

「ゆーき顔真っ赤だよ~?」

「うるさい。判っている」

「ふふ~。ゆーきカワイイ♪」

 くっ、よもやロボットにからかわれるとは……


   „~  ,~ „~„~  ,~


 翌朝。

「ゆーき、おはよー。起きてー。涼香が来てるよー」

「ゆっ、ゆーちゃん。おっ起きないと遅刻するよ~……どうしようさくらちゃん」

「コレしかないかなあ~。涼香~」

 と言いつつなにやらバチバチさせてるさくら。

「え? え? いいの? 大丈夫?」

「うん、『とにかく起こして!』って、ゆうママの指令はあるし大丈夫だよ~」

「えっ? ちっち違っ、そうじゃなくて……」

「ゆーき覚悟!」

 バチッッ!

「痛ってー!! 何だ?」

 指先に痛みを感じ飛び起きる。

「おはよー、ゆーき。涼香がさっきから待ってるよ~」

 顔をまわすと、指先に電撃を走らせ威嚇(いかく)するさくらと、不安げに胸の前で両手を握っている涼香がこっちを見ていた。

「起きた。起きました。サーセン! 二度目は勘弁して下さい」

 ……なんだろう、自分が女性(フィーメン)の下僕化してきてる気がする。

「「おはようゆーき ―裕ちゃん」」

 白Tシャツに水色の縦じまトランクスの俺とは対照的に、今朝の涼香は縦フリルの多い白のブラウスに、淡いベージュの膝丈縦折スカートだった。

 保育園、小、中、高校と同じで、この家の鍵も渡されている涼香は既に家族同然だ。

 それに三つ編みの編み方から解き方や洗い方、髪の扱い方を教えてくれたのは、ほかならぬ涼香だ。

「……おはよう。さわやかな朝だね。今度はバイブレーションか、骨伝度スピーカー最大の方がイイデス」

 棒読み口調で半睨みしながらぶっきらぼうに言う。

「え~? やったけどゆーき『フヒャハハ……』とかって笑うだけだったよ~?」

「うそだ!」

「うそじゃないよ~。ほら~~『ゆーきこれでどーだ! フヒャハハ……』ね?」

 しっかり録音された証拠物件を差し出され逃げ場がない。

「ゴメンナサイ……って今何時?」

「6時50分だよ~」

「まだ30分は寝てられるじゃん。どうしたの涼香?……ふわあ」

 未だ完全に目が覚めず大あくび。

「あっ、ごっごめんゆうちゃ……おお…遅れたけど…ぷぷプレズント…ハイッ!」

 そう言いながら、小洒落(こじゃれ)た赤いリボン付きの包みを差し出す涼香

「えっ? ってまだ二日しか…早っ!」

 受け取って顔を上げた涼香の目の下には、色濃く疲労が見て取れた。

「あ~~! こんなクマ作って~~~ばかっ! 無理しやがって!」

 眠気が一気に吹っ飛んだ。

「ヒッッ、ごっごめんなさい…でっでも早くわたたしたくって、喜んで欲しくて……」

 両こぶしをアゴにあて、引くように涙ぐむ涼香。それを見て逆に昇った自分の血が下がった。

「あ~~もうほんとバカだよ! ――俺がな!」

 そう言うと涼香を抱きしめた。

「ヒッ、ゆっゆうちゃ、な、な、…………」

「……悪い、涼香なら、人のために無理するくらい知ってたのに、釘を刺さなかった俺が全部悪い……うん。――ありがとう涼香」

抱きしめながら頭を撫でると涼香も抱き返してきた。

「うん……そっ……それで充分嬉ししいよ……裕ちゃん」

「コンコン」

 口ノックに振り返ると開け放たれたドアの所に姫花が立っていた。

「朝っぱらから仲良いところ悪いけど、〝二人とも朝ごはんどうする~?〟 ってママが聞いてるよ~」

「ああ。食べるけどちょっと見てくれよ、この涼香の顔……まったくもう!」

 涼香の顔を両手に挟み姫花に見せる

「うわ、ひっど。涼姉またなんか頑張ったの?」

「ふふ二人とも見っ見ないでよう~」

「DOLL服作るのに二日も徹夜したらしい。もうほんとしょうがないなあ涼香は」

 再び頭を撫でながら抱きしめてやる。

「……じゃああたしは先にごはんもらってるわね。涼姉は? 食べていく?」

 ヤレヤレといったリアクションで見守っていた姫花が聞いてくる。

「ううん、あたあたしは食べたから大丈夫…ありがと姫ちゃん」

 腕の間からモゾモゾと顔を動かし、目だけ姫香に向けて答える。

「はいはい。どーいたしまして」

 手をひらひらさせて階下に消える姫花。

「…………さてと、それじゃあ早速見せていただけますか? 涼香様」

 体を離しテーブルの脇に座り涼香を促す。

「さくらもおいで、待望のお前の服だ」

「わ~~い♪ ありがとう涼香~」

 既に呼び捨てと言う事は俺が起きる前に何か話したようだ。

「きき気に入ってて、もららえるか、わか判らないけど」

 そう言い箱を空け服を取り出す涼香。

「こっこれは! まさか!」 

「う、うん〝霞さくら〟さんのステージ衣装」

「おおお!」

 一言で言えばそれは和服ドレスだった。

 専用に作られたワイヤー製のコートハンガーに飾られたソレは。

 服の全体の色合いは黒地ベースに、服の縁を赤でシワのあるレースフリルが囲んでいる。

 黒い袖は長く鋭い三角にそろえられ、服とは赤い紐(ひも)で荒く結ばれ、隙間から肩口が見える作り。金字の毛書体で『櫻媛』と変則にプリントされている。

 下半身は膝下まででバッサリと斜めに切られた感じで、左右にチャイナ服のようなスリットが入り、のぞいた淡いピンクの襦袢(じゅばん)にあたる部分も、着物側とは不平行に斜めに切られ、縁にレースがあしらわれている。

 帯には剣のような形の飾りが八本、膝上の高さで帯の周りをぐるりとぶら下がっていて、飾りの中心に逆十字の文様が描かれている。帯は後ろでプレゼント用のリボンのように、小さく五つの輪の桜の形で閉じられていて、中心には真珠のような玉。

 上半身は、胸元の衿口(えりくち)は限界まで開かれ胸元を強調するようになっていて、ショッキングピンクのさくら吹雪文様があしらわれている。

 イメージ的には和服ドレスとカルメンの衣装を融合させ、ゴスロリっぽい雰囲気にしたデザインだ。

 更に金糸銀糸の結びをイメージした髪飾りに、放射状に配したかんざし風のカチューシャと、黒のエナメルヒールブーツまで用意されていた。

 DOLL服は専門外だが、細部のクオリティや、部品点数の多さが手間に比例するぐらいは容易に想像できる。

「……………………すごい!!」

 驚嘆の目で涼香を見返す。

「う……あ………………え…………ううう」

 消え入りそうに照れる涼香。

「えっと……それじゃあさくら姫の着付けを手伝っていただけますか? 涼香様」

 早く着たところを見てみたいが、手順が判らないので、教わる必要がありそうなデザインだった。

「ハッハイッ!」

 と思ったが、背中に隠しジッパーがあり蝶の羽化の逆手順で着せるよう作られていた。

 こういう風に手順を簡略化するのも、相当のセンスと知識と技術がいるはずで、相当の努力が伺えた。

「……や~~ん」

 意外な事にさくらは、涼香に太陽電池(ソーラーセル)を脱がされた時、肩を抱いて恥ずかしがるそぶりを見せた。

 ……う~ん良く出来たキャラだなあ、本当、人間臭いな。

「いっ一応、おオッビの飾りがそっ太陽電池になってるの。だだから下のレオタードがなくても充分動ける発電量はかっ確保できっきるよ」

 あまり淀みなく喋る時は、涼香の自信の表れだが、本人が知っているかは不明だ。

「ソーラーセルまで装備させたのか! そうか! レオタード着たまんまじゃ、ドレスを着た時に胸元から見えちゃうもんな、そこまで考えてたのか」

「うっ、うん……一応……」

 涼香がソーラーセルの極小L字ジャックを、肩甲骨の間の上あたりに差し込む。

 そうして鏡を置き、さくらにも見せる。

「涼香はやっぱりすごいな」

「ヒエッッ!? ななな…言って……って…………」

 赤くなって俯(うつむ)き、黙り込んでしまう涼香。

「涼香~」

 ずっと黙って鏡の前でドレスを検分していたさくらが、涼香に手招きする。

「ふっ、なっなに? さくらちゃん」

 呼ばれ、テーブルに顔を寄せる涼香。

「ちゅ♪」

 擬音を口にし、涼香の頬にさくらがキスをした。

「「!!!!」」

 驚く俺と涼香。

「……ありがとう涼香、さくらと~~ってもうれしいよ」

 そう言うと、極上の笑みで裾を持ち上げるお辞儀をした。語尾を延ばさない本気モードだ。

 それを見た涼香は両手を口に添えて泣き出してしまった。

「……ふっふっふえ…どうい…ひっ……たしまして…え~~ん…」

 さらに涼香の肩に飛び乗ったさくらが、涼香の左耳に優しく囁(ささや)く。

「こ~~んな素敵なサプライズが出来る涼香が、さくらは大好きだよ」

「!!……………………~~んっ…うっ…」

 涼香はもう声にならない。

「素晴らしいドレスをありがとう。さくらも喜んでくれてよかったな涼香」

「~~~~~んっく…んっ…んっ……」

コクコクと何度もうなずく涼香。

 泣き止められない涼香を部屋に残し、リビングへ行きお父にさくらを見せた。

「お!………なんてこった。あのツアーのメイン衣装〝闇桜(やみざくら)〟か……涼ちゃんがコレを?」

「ああ、手作りだってさ、つか、この衣装名前があったんだね」

 さすが元ファンよく知ってら。

「えっへへ~♪、昇ちゃんどう~?」

 さくらが極上の笑みに、片足を上げて1回転のターンでアピールして聞く。

「うん、すばらしいよ…………悪い、お父も思い出して泣きそうだ」

 近寄ってきたママと姫花も感嘆の声を上げる。

 軽く朝食を摂り、部屋に戻ると、涼香は俺のベッドに突っ伏してまだ嗚咽を上げていた。

 うれし涙だから気が済むまで泣かせるか。

 俺は涼香の隣に腰を下ろしベッドに寄りかかる。

 あんなふうに感謝されたらそりゃ嬉しいよ。人間うれし泣きさせるなんて侮れないDOLL、いやキャラだ。

 悪戯(いたずら)も、プレゼント貰ったこの反応(リアクション)も人間臭くて半端ないな。

 そう思い、ベッドに降ろしたさくらをマジマジと見つめる。

 目が合うとさくらはにっこりと笑った。

「うん本当によく似合う。俺が好きになったきっかけのライブ衣装だ」

 そう言い俺も笑い返す。

「「そうなの?~」」

 2人、もとい、1人と1体が聞いてくる。

「うん、そう」

 遅刻しそうだったが、俺は気にしないので涼香が落ち着くまで待つ。

 ――10数分後。ようやく落ち着いた涼香。

 そして、さくらを普段着に戻し、学校へ行く準備をする。

「そうだ、フローラと圭一にも見せたいな。だから昼休み学食へ集まろう」

「え! ちょっと恥ずかしい…かも」

 反論する涼香を笑って無視し、こう言う。 

「って事で2人にこうメールして。〝件:完成/内容:涼香の作ったさくらのDOLL服のおひろめ、昼休み学食でね〟って送信して」

「は~い♪ そーしん…ピピピ。……送ったよ~」


 涼香は実は自転車に乗れない。だから、片道三キロの通学距離を歩き(申請上は)なのだが、自分がチャリの後ろに乗せていくようにしている。

「わっ悪いからいいようぅ」

 と、以前涼香は言ったが、145センチの身長に、おそらくは体重も40キロないであろう彼女が、負担になどなるわけが無い。

 あまりにも遠慮が過ぎるので、

「俺に彼女でもできたら降りて貰うさ」

 と、言ったら、

「じゃあ卒業するまで大丈夫だね♪」

 恋愛遍歴(すべて)を知る涼香がそう返すので、

「……幼なじみのアナタ。非モテ宣告ありがとう」

 半にらみして答えたら、

「えひっ?」

 涼香は嬉しげにびくつく。

 それを聞いたフローラが、

「オレがなってやろうか?」

 笑ってからかうので、

「俺より軽かったらね」

 そう返したら、

「……よし。あとで〝袋叩き〟と言う熟語の意味を教えてくれ」

 と、聞かれた。

「ひいい~~~~~!! すいません。姐さん」

 ソッコー謝ったが、

「誰が姐さんだ!」

 頭を小突かれた。

「そんなにノりたきゃ、俺の上に乗ればいいゼ~」

 圭一が腰をフリフリ聞いてみると、

「じゃあ圭一には〝血祭り〟と言うお祭りに連れて行ってもらおうか」

 そうフローラに誘われた。

「それよりは〝酒池肉林(しゅちにくりん)〟と言うピクニックなんかどうだ?」

 圭一がさらに誘い返したら、

「面白そうだな! ノってやるから連れて行ってもらおう」

 フローラに逆エビ固めで乗られ、

「うぎゃ~~~!!!!」

 満足げに顔を歪(ゆがめ)めるので、

「「逝(い)ってらっしゃ~~い」」

 涼香と笑って送り出した。


   „~  ,~ „~„~  ,~


 学校に着き、お互いの教室へ行き、教師に詫びて席に着く。

 そして、休み時間になるとさくらを見にクラスメイトが集まってきた。

「やっぱり大和撫子(サクラガール)シリーズの〝巫女(ミスティ・メイデン)〟か」

「キャラは何を入れた?」

「いくらぐらいかかった?」

 等々、遅生まれでクラス内でもまだ数人しか持っていないので、みんな興味津々だ。

 そもそもDOLLの保有に年齢制限があるのは、〝幼少時から使うとコミュニケーション能力の形成に支障を来たす〟というのが主な理由だそうだ。

 だが、逆に欧米では児童擁護の目的で、積極的に携帯を推奨する国もあり、フローラなどは、十三歳の誕生日にOKAMEを買って貰ったそうだ。

 昼休みになり学食へ行こうとしたら、さくらに着信が入った。

「あ、ゆーき、〝早生都(わせみや) 祥焔(かがり)〟さんから音声着信だよ」

 そう伝えると、さくらは髪にぶら下げていたインカムを渡してきた。

「先生? なんだろ?」

 インカムのスイッチを入れ。通話ONにする。

『裕貴、DOLLを手に入れたそうだな』

「ええ」

『なぜ、報告しない?』

「ええ? 報告がいるんでしたっけ?」

『このばか者! 学内ネット用保安アプリのインストール諸々あるのを忘れたか!』

「あ、そうか!……忘れてました!」

 いけねえ。それに遅刻したから朝のホームルームで先生と会ってないんだった。

『すぐ電気科準備室に来い!』ブッ。

「…………あちゃ~~」

「切れたよ~」

 そうして、きびすを返し、さくらと共に電気科準備室へ向かう。

 コンコン。

「失礼しまーす」

「来たか! 裕貴。さっさとDOLLをこっちに連れて来い!」

 そう怒鳴りつけるのは自分の担任、機械科一年担当で機械設計科教師。

 大学時代の専攻は人間工学で、機械と人間に関する特殊専科も受け持っている。

 年齢は28歳独身、160センチちょいくらい。肩甲骨までのセミロングで亜麻色の髪はウェーブがかかり、小顔でそれなりに美人。目測Cカップのなかなかナイスバディな肢体だが、野生の山猫のような鋭い眼光と、板に付いた命令口調が周囲を萎縮(いしゅく)させてしまう、ちょっと残念なキャリアウーマンタイプの女性だ。

 名前の〝祥焔―かがり〟の読みは彼女が生まれた時代の当て字ブームによるもので、なかなかのセンスとは思うが、国語の教師すら読めないというDQNスレスレの読み方だ。

 姓の〝早生都〟より、名の方が呼び易いので、みんなは〝かがり先生〟と呼んでいる。

「はい、どうぞ」

 さくらを手に乗せ、差し出す。

「初めまして 早生都祥焔さん。〝さくら〟と申します」

 さくらが〝きちんと〟挨拶をする。

「さくら?……その声もしかして〝霞さくら〟か?」

 知っているんだ。へええ。

「はい、そうです」

 さくらが答えつつ、手の上から机の上に移る。

「そうか。私のDOLLは〝白雪〟だ……じゃあ早速始めるか」

 なんだか、さくらの名に思う節がありそうな感じだが、急いでいるせいか、それ以上語らない。

「よろしく、さくらさん」

「はい、白雪さん」

 そう挨拶をするかがり先生のDOLLは八頭身(アダルト)、お嬢様タイプの清楚系キャラで、声も楚々(そそ)とした澄んだ良く透る声、かつて、《ロシアの妖精》と呼ばれた白化体質(アルビノ)の人気モデルが外皮(インテグメント)モチーフで、肌や服、髪も白を基調としており、目――アイレンズが赤く変更されていて、白い雪兎(ゆきうさぎ)のようなイメージのDOLLだ。

「「お願いします」」

 そう言うとさくらを専用クレードルピットに乗せインストールを始める。

「かがり先生、具体的には何をインストールするんですか?」

「そうか、すまん、説明がまだだったな。データファイル類は学校の教職員と生徒名簿、学校要覧と歴史、校内の敷地図とかだな。アプリの方は校則とそれらを守らせる保安アプリケーションのインストールだ」

 横柄で高圧な態度とは裏腹に、目下の者にもきちんと謝ることができるので、生徒たちから意外な尊敬を集めている。

「ああ、なるほど。要は校内でDOLLを使った不正を行わせない為ですね?」

「そう言う事だ、だから急がせたんだ……っと、おや?」

 パソコンに何か表示され、そちらを見る。

 すると、画面には《caution!(警告)》と表示され、ダイアログボックスのメッセージを見ると《Error:インストールできません》と出ていた。

「うん? 〝失敗〟でなくて〝できない〟だと? ……おかしいな、なぜだ?」

「問題点を検索っと……」カタカタ

 そうして、学校備品(リアルタッチ)のキーボードを操作してシステムチェックする先生。

「――なんだコレは《このアプリケーションはセキュリティー:コード〝B‐02〟に抵触します》?、民間レベルのトップシークレットだと?……」

 作業に没頭しているせいか、電気科準備室に自分達だけだからなのか、先生の心の声がダダ漏れだ。

〝民間レベルのトップシークレット〟? ただの無料配布キャラにそんな大層なものが?

「…………まあいい、とりあえず作業は中断だ。さくらを再起動するぞ」

 かがり先生は机を指でトントンと叩きつつ、腑に落ちない様子のまま答える。

「ハイ」

 ……数秒後。

「あれ~、終わらなかったみたいだね~?」

「ああ、ちょっとトラブルがあってな。ところでさくら、一つ聞きたいんだが」

 かがり先生が答え、さくらに聞いてくる。

「はい。なんでしょう?」

「お前の開発者のリストに〝大島(おおしま)緋織(ひおり)〟という女性はいるか?」

 う大島緋織? って誰?

「はい、居(お)ります。チーフプログラマーでクレジットされてます」

 おお! かがり先生は〝霞さくら〟キャラの製作者(プログラマー)を知っているのか?

「……そうか。ありがとう」

 答えだけ聞き、先生は軽く考え込むが、すぐに気を取り直し俺に向き直った。

「裕貴、とりあえず名簿やリスト類は使えるが、保安アプリはインストールできなかった。それで今〝さくら〟には学校規則や教師の監督者(かんとくしゃ)権限の強制力は働かない。だからといって悪いことをするなよ? いいな!」

「はい、でも結局どういう事なんです?――さくらは一体?」

「んん?、難しくない。現時点では〝霞さくら〟の疑似(キャラクター)表層人格(パーソナルマスク)は開発者(プログラマー)しか改変できないと言う事だ」

「でっでも、〝ブルーフィーナス〟で無制限配信してる無料キャラですよ?」

 最近は勝手に誇張(デフォルメ)したり、歪曲表現(アリカチュア)させた違法キャラが横行し、肖像権侵害と騒がれるくらいで、ちょっと専門知識があれば自由に書き換えられる、そんなレベルのプログラムのはずだ。

「だが事実で理由は緋織にしか判らん」

「誰ですか? それは」

「私の大学時代の友人で大脳生理学博士だ」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 その後、さくらとその博士の関係について詳しく聞こうとしても、もう彼女とは数年来会っておらず詳しいことは判らないと言われ、半ば強引に追い払われてしまった。

 さくらに聞いても名前以上の事は不明だと言うし、もやもやした気持ちのまま学食に行くと、もう既に3人集まっていて、涼香がブンブンと手を振っていた。

 自分は購買でヤキソバパンとコーヒーパンを購入し3人の元へ行く。

「お待たせ」

「待ってたゼ」と圭一。

「遅いぞ」とフローラ。

「今朝は遅刻させてゴメンね」と涼香。

 土木科の圭一。情報技術科のフローラ。工業デザイン科の涼香。

 んで機械科の俺。

 かけがえの無い、この幾クセもある3人の友人の顔を見ると、さっきまでのうつな気分も晴れる。

「それじゃあ早速涼香の作った服を着せてみるか」と俺。

「え~? 恥ずかしいよ~」

「ええっ?」

 思わず声を上げた。

 誰あろう、恥ずかしいとかぬか……いや、答えたのは涼香ではなくさくらだった。

 更にさくらが言う。

「こんなに人がいっぱいのトコで着替えるのイヤ~」

「おお~すげー、かっっわいいな~。反応がリアルすぎるぞ」

 そう言ったのは圭一をはじめ周りの数人だった。

「ん~……じゃあ、涼香、どこか人気のない所で着替えさせてやってくれるかな」

 次のリアクションを期待したギャラリーが囲み始めたので避難させる。

「はひっ! うん」

 こういう場面が苦手な涼香も二つ返事で答え、さくらを連れ出した。

 その間にパンをほお張り、食べ終える。

 数分後、体の前にあげた涼香の右腕に座り、エスコートされた稀代(きだい)の歌姫の偶像(レプリカ)が登場した。

 俺たちの前の食堂のテーブルに、あでやかなさくらが立つと、周囲からざわめきが起きた。

『おお~すげ~』『きれい~』

 その賞賛の声に耐えられなかったのか涼香は、

「あっ、あっ、あたし教室、もも戻ってるね」

 と言い残し、教室に帰ってしまった。

「コレを涼香が作ったって?――2日で? マジかよ……」

「うん、よく出来てるし、綺麗だぞさくら」

 フローラと圭一が手放しでほめる。

「ありがと~みんな♪」

 圭一とフローラのそれを聞いていたギャラリーはさらにどよめいた。

「えっ!? 手作り? 彼女一年生でしょ?」

「コンクールレベルじゃね?」

「ソーラーセルも付いてるぜ」

「うそっ! それじゃあ、電力計算から配線までやってるって事?……すごいじゃない!」

「カチューシャ凝ってるよ」

「班長に連絡して」

 ノツてきたのか、さくらもしきりにポージングしてアピールしたり、リクエストに応えて歌を歌い、ちょっとしたミニコンサートを開いた。

 周りが勝手に涼香とさくらを賞賛してくれるので、俺たち三人は苦笑いし、みんなの言葉とさくらの歌をうなずきつつ聞いていた。

 少々うるさいが、涼香の仕事がこうして褒められるのは何より嬉しい。

「あ! そうだ、実は……」

 二人にさっきのかがり先生とのやり取りの事を話してみた。

「俺ぁ~わかんねえなあ、なんでかな?」

「それだけのプロテクトが必要って事は、同レベルの情報価値があるってことだろ? 確かにかがり先生の言う通り、その大島って人にしか答えは判らない」

「そうだな」

「大脳生理学者か……、DOLLを使うとしたら、その目的は研究のデータか、何らかのサンプル収集と言ったところだろう。そしたらそれは隠密(スパイウェア)化して、ユーザーに悟られないようにするのが普通だな」

「「!」」

 俺と圭一が驚いた顔で見て、フローラがさらに続ける。

「スパイウェアをかませるのは何も商業利用だけじゃない。おそらくは我々が知らない所では、様々な機関が、パーソナルキャラクターを使って情報を集めているだろうし、それを守るためにプロテクトもかけるだろう」

「フローラすげえな……発想が違うゼ」

「さすが情報技術科」

「まあ、さくらの場合、研究者とDOLLを結びつけて考えられる理由と、可能性はこんなところじゃないか?」

 なるほど。

「ああ。確かにフローラの言う通り、保安アプリでキャラの判断基準を改変したら、サンプリング情報に誤差が生じるだろうね」

「そうなるな」

「それに、さくらが必要以上に人間くさい理由も、その研究内容あたりにあるのかも」

 話をそう締め、みんなの間でリクエストに答えながらポージングや、受け答えをしてはしゃいでいるさくらを3人で見つめた。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 ――その頃、機械科準備室にて祥焔(かがり)が、とある私信をしていた。

「私だ。久しぶりだな」

 白雪に話しかける祥焔。

『そうね、六年ぶりかしら?』

 椅子に腰掛け、手を口元に添えて話す相手の仕草をする白雪。

 ハンズフリーに加え、同調実況(シンクロライブ)機能により、相手の動作まで伝えている。

 とはいえ、DOLLが本当に椅子に座っているのではなく、パントマイマーが演技するように相手の動作をシンクロして伝える機能だ。

 音声以上、動画未満の通信表現だが、主に寝起きやスッピン、裸の時など動画ではチョット……と言う時に使われる事が多い。

 また相手に伝達許可を与える事で信愛度を示す方法にもなり、以外に人気のある通信表現の一つになっている。

「あのメールアドレス消していなかったんだな」

『ええ、だって祥焔との最後の絆だもの』

 クイッと首を折り、悪戯っぽく笑う白雪。

「そうか。それでまだあの男を愛しているのか?」

『ええ! そうよ! 悪い?…………くっ…うっうっ……』

 相手が激高し、その後、白雪は両手で顔を覆うアクションをする。

「泣くな、駆けつけたくなるだろ? こっちはド田舎なんだぞ」

 祥焔が白雪の頬を触る動作をする。

『……うっ……きっ、来て見なさいよ! そうして私を抱いてでも止めてみせてよ!』

 白雪が立ち上がり、その手を右手で払いのける仕草をする。

「興奮するな、それに行くとも。お前が知ってる男がな」

『うっ……ひっ………………………………誰よ?』

 左手で顔を覆い、しばらくして落ち着たのか、上目使いで祥焔を見て聞いてくる。

「水上裕貴」

『!……どうしてその名前を』

 驚き、右手を握り口元に当て、怪訝そうにする白雪。

「私の教え子だ」

『……そうだったの、今日はまだ〝012〟の感情データしか見てなかったから気付かなかったわ、ちょっと待って』

「ああ」 

 祥焔が答え、白雪が机上で何事かを操作し、立ち上がったまま眼前のエアディスプレイをフリックする仕草をする。

『――こんな事があったの。でも、相変わらず凛々しいわね。あとこんな冷たい言い方しないであげてちょうだい。彼は大事な開く者タヂカラオノミコト候補者なのよ?』

 教育ママが諭すように右手指を立てて振り、祥焔をたしなめる。

「そのようだな」

『お願いね』

 ふうとため息をついた後、胸を押さえて気を落ち着ける。

「それでだ。見た通り、さくらに学内ネットの保安アプリがインストールできないでいる」

『〝軍用通信干渉システムコード01〟レベルまで許可したのが裏目に出たわね。こんな急激な心理変化があるとは想定していなかったわ』

 白雪はゆったりと腕を組み、祥焔との会話に集中する。

「一目ぼれと言うやつか? もうそこまで完全な人間型思考(ヒューマンティック)A・Ⅰができたのか?」

『八割方正解、できたのは個人格の複製(クローン)で、行動原理(アルゴリズム)はほぼオリジナルと同じ域に達している。でも今インストールされている〝012〟タイプは隠蔽制限(ステルスリミッター)が付与(ふよ)されていて、〝それ〟が判断できないわ』

「どういう……ああそうか。あの〝目的〟の為か」

『そうよ。完全な〝ヒューマンティック〟では目的は果たせない可能性がある。だからこそ012達は〝確実に恋に落ちる〟相手を見つけなければいけないの』

「ゆらいで判断を誤ってしまうのが人間だからな」

「ええ。……でも、このままだとどうなるのかしら?』

「バレれば〝霞さくら〟をアンインストールさせるか、停学か悪ければ退学の処分をしなければならない」

『それは困るわ。彼とその周りの人達も必要な存在(ファクタ-)になるのよ』

「それじゃあ保安アプリのサンプルデータを送るから、それに合わせて阻害しない程度に霞さくらのキャラを修正して、保安アプリをインストールできるようにしてくれ、そうすれば問題ない」

『判ったわ。――それで、祥焔から見て彼はどんな子?』

「バカがつくほどのお人好しでフェミニストだな」

『良かった。012の感情グラフを見る限りでも理想的な子だわ』


『わざわざありがとう祥焔』

「……そうか。それで暁桜は咲きそうか?」

『次のアップデートで〝無垢な魂ヤタノカガミ〟タイプへバージョンアップして見ないとまだなんとも言えない。けど……やっぱり彼次第よ』

「判った。見守らせてもらおう」


  „~  ,~ „~„~  ,~


 数日後、さくらに更新アラートが来た。

「え~と、内容は『重要なアップデートファイルがあります。次項のアドレスより最新のバージョンを入手してください』だって~」

 さくらがそう報告する。

 パソコンでアドレスを確認すると、

「なになに?『大学、高等学校の保安アプリケーションがインストールできない不具合について。――複数のエラー報告により、修正プログラムを作成、提供いたしますので、学校関係者は速やかに下記の修正プログラムにてアップデートを行って下さい』……か、良かった。これで保安アプリがインストールできるか――なあ、さくら」

「……うん。そうだね」

 少し寂しげにそう言うと、キーボードを叩いていた左手にしがみついてきた。

 そうしてアップデートを問題なく済ませた翌日。

 職員室に行き、かがり先生を訪ねた。

「どうした?」

「さくらの修正プログラムが出て、アップデートを済ませましたので、保安アプリのインストールをお願いします」

「そうか、判った」

 そうして再度電気科準備室に行き、保安アプリをインストールする。

「……問題なく済みそうだな」

「ハイ。良かった」

「良かった? なぜだ?」

 思わぬツッコミに戸惑う。

「え?……て、えーと、さくらをアンインストールせずに済みそうだから…です」

「ふっ……そうか」

 ミステリアスに微笑むかがり先生…………?

 この作業も無事終了し、さくらを起動し聞いてみる。

「どうださくら? 何か不具合はあるか?」

 寂しげだった事と何か関係があるような気がして聞いてみる。

「ううん。何にもないよー」

「そうか、良かった」

「さあ、授業が始まるぞ。さっさと教室に戻れ」

 そう促され、教室に戻る。

 出る時にかがり先生を見ると、珍しく微笑んでいた。


  „~  ,~ „~„~  ,~


 翌朝。

(う~~ん……あれ?)

 顔に何か乗っている。

(………??)

 持ち上げて見た。

(………ええっ!?)

 さくらだった。

「さくら――おい! さくら!」

 上半身を起こして、さくらの肩の下を指で輪を作るように持ち、軽くゆすってみる。

「う~~ん……おはよ~……ゆーき」

 答えた事にホッとし、布団の上に座らせる。

「おまえ人の顔の上で何やってるの?」

「あ~…あのね~~……ゆーきの寝顔~~……可愛かったから~~……写メ~~……撮ってたの~……」

 何だかやけにスローテンポだ……どうした?

「???……寝顔ってお前……」

 ツインシステムを腕にはめ、起動――小さいモニターで確認して見る。

「なんじゃあこりゃ~~~~~~!!」

 映し出されたのは。

 ――鼻に指を突っ込んでいる画像

 ――パンツに手を突っ込みボリボリ掻いている画像

 ――布団を丸めてうつぶせに抱きついている画像

 その他あらゆる寝痴態が、どアップも含め様々に写されていた。

「さ~~く~~ら~~!! お~~ま~~え~~は~~!!!!!!!」

 顔を近づけニラミつける。

「へっへ~~~♪……ゆーきの~~……かわいい寝姿~~……GETォ~~~♪……やった~~~!」

 M字すわりから左手を上げ嬌声を上げるさくら。――だが妙に動きが緩慢だ。

「さ~く~ら~~~! マスターの弱みを握ってどうすんだよ!」

 拳を握りしめ反論する。

「え~~~?……違うよ~~~?……マスターの~~~……思い出作りだよ~~~!」

「そんな思い出いらねーよ! 消してくれよっ!! てかこんな痴態撮るなよ!」

「ぷ~~~!」

 ぶすくれるさくら。そして額のスキン下のLEDライトが赤く点滅している事に気付く。

「さくら、お前電池切れ寸前じゃねえか!」

「あ~~~……そうだね~~~……えへへ~~~……なんか~~……ぽわぽわして~~……キモチいいよう……」

「キモチいいじゃねえ! さっさとピットで充電しろ!」

「ゆーき~~~……動けないから~~……ベッドに~~……連れてって~~~♪」

「ベッドじゃねえし!」

「ダメ~~?」

「……うっくく、その声で言うとは、全く俺(マスター)を朝っぱらからこき使いやがってもう、コイツは」

「だるいよう……」

「だるい……って、お前は朝の弱い低血圧な婦女子か!!」

 座ったさくらの前髪を、親指でかき上げるようにおでこを撫でる。

「ふふふ~~~♪……ゆーきありがとう~~~……さくらしあわせだよ~~~」

 俺の親指を引き寄せ、クッションのように頬ずりするさくら。――カワイイ。

「~~~~判ったからメシ食ってくる間にさっさと充電しろ。また遅刻しちまう」

 耳が熱いのを自覚しつつ、ぶっきらぼうに言う。

「ハ~イ♪」

 文句を言いたいのに窓に写った自分の顔はほころんでいた。

「~~~てかチャリのキーがねえし、クソッ、スペア出すか………」

 窓の外を見ると既に涼香が下に居るので、スペアキーを掴み外に出る。

 その日の昼休み。

「ふっかーつ!」

 午前中はずっと窓際で日向ぼっこ……もとい充電していたさくら。

「……そうか、良かったな」

 しかし、そんなハイテンションなさくらが今は恨めしい。

「どうしたの~? ゆーき元気ないね~」

 後ろ手に前かがみになり、俺の顔を下から覗き込むように、小首をかしげて聞いてくる。

「さくらのせいだ」

「ええ~、どうして~?」

「午前中ずっとさくらが窓辺でサボってたから、今日小テストあるの知らなかったんだ」

「小テストの予定が判ってたら何かいい事あったの~?」

「ぐっ……まあ多少は対策できたろうな」

「そっか~。ごめんね~ゆーき。今度は一緒に考えてあげるね~」

 そのセリフに一同が振り返る。

「えっ! 何? 水上のDOLL保安アプリキャンセルしてあるの?」

「スゲ! どうやってプロテクト破った?」

「うそ! 水上くんてそういう人だったの?」

 口々に驚嘆(きょうたん)が漏れる。――ってかそんなわきゃねえし!!

「さくらー! 誤解されるような事言うなよー!」

 保安アプリインストールされてるよなあ。

「え~? 読めない漢字とか教えるのがいけないの~?」

 「そう言う事か! 俺はどんだけバカなんだ! ってか俺は引きこもりヒッキーからの帰還者か!!」

 今度は大爆笑が起こった。

「水上、お前小テストの漢字も読めないレベルか?」

「ちっ、違う!」

「ふふふ~ じゃあ今度は私が問題読んであげようか?」

 隣のおてんば系の女子が言い、周りから口々にからかいと嘲笑が飛んで来る。

「え~? その役はさく『もういい。黙っていてくれ』……ぷ~~~」

 さくらのボケ――いや暴走を止めた。

「……まあいい。静かにしたいから図書室に行こう」

 さくらを連れ、その場を避難した。

 図書室に行くとフローラとOKAMEがいた。

 手を挙げ挨拶をかわす。相変わらず勉強家だ。

「こんにちは、裕貴さん、さくらさん」

 OKAMEも挨拶をくれる。

「えっへへ~、二人ともこんにちは~」

「ああこんにちはさくら。今日は元気がいいな。何かいいことでもあったか?」

「うん、あ『黙ってくれ』……ぷ~~~!」

「どうした裕貴? 疲れた顔をしているな」

「さくらのボケがひどくて参った」

「え~? さくらボケてないよ~ ゆーきひどい~…」

 抗議するさくらを制して今朝とさっきの顛末(てんまつ)をフローラに語った。

 黙って聞いていたフローラがポツリと言う。

「……Artificial(アティフィシャル) Intelligence(インテリジェンス)(人工知能)」

「は?」

「さくらはA・Iじゃないかと言っている」

「まさか!」

「それしか考えられない」

「人を起こすのに〝ライトスタン〟かますようなのが?」

「ああ」

「夜中にマスターの写メ撮ってて、電池切れ起こすようなおバカなのが?」

「も~~! ゆーきヒドイ~」

「違うのか?」

「ふーんだ。そ~んなコト言うのなら〝円周率〟や、〝フェルマーの最終定理〟を朝まで言い続けちゃうよ~?」

 そんな氷結地獄(コキュートス)な呪文を一晩中聞かされるのは死ぬほどイヤだ。

「……〝知識と知性は比例しない〟と、今お前が証明してくれた――教えてくれてありがとう」

 仰々しく頭を下げた。

「ぷ~~~!」

 目を><にして俺の左こぶしをポカポカするさくら。わっはっは。

「まさにその不合理な言動がそうじゃないのか?」

 フローラが軌道修正してさくらを指差しながらそう言う。

 そんなバカな。

「確かに専門分野のA・Iは実用化されているけど、DOLLのA・Iは不特定多数のユーザー相手じゃ応用範囲が広すぎて対処できないし、製造者責任もある。だから膨大な状況シュミレーションデータを、国や関係機関がスパコンで厳重に管理して、ゲームキャラみたいな〝思考しない〟状況対応型通信プログラムとしているんだろ?」

「ああそうだ」

 口元に笑いを残しつつ、俺の反論を聞き流すフローラ。

「そもそも〝表層(パーソナル)疑似人格(キャラクターマスク)〟は、その画一性を補う単なるオプションアプリケーションだし、色んな企業が売ったり無料配布しているヤツで、〝さくら〟もその一つのはずだ」

「確かにそうだ。だが、さくらの行動には明らかに自己判断に依るものがある。――ゆうべの行動みたいにな」

「!!……だっ、だとしても、そんなご大層なA・Iプログラムが〝どうして〟無料配布されて〝ここ〟にあるんだ? それにそもそもそんな膨大で、複雑な思考演算を行う大型コンピュータがどこにあるんだよ。さくら本体と、この腕のツインシステムじゃ、A・Iを動かせるような性能(パフォ-マンス)は出せないぞ?」

「専用(オンリー)主演算装置(メインフレーム)かも」

「専用?」

「今裕貴が言った専門分野のA・Iだ。巨大な企業や特殊な研究機関には、機密漏えい防止と利便性の為、VIPや研究者のDOLLは、そこのホストコンピューターに専用に特化させたDOLLのメインパーソナルプログラムを置く、と聞いた事がある」

「!!」

 以前さくらが『〝愛染〟〝ひな紅〟と〝主演算装置(メインフレーム)と基本設計概念(アーキテクチャー)の相違〟……』……と言っていた事を思い出す。

「もちろんそんな風に得体の知れないA・I搭載のDOLLがそこら辺をうろついたりすれば大問題になる。だから機密持ちの民間A・Iプログラムと言えど、国の諮問機関で審査されるはずだ。……まあ、さっきの機密事項により内容は秘匿(ひとく)されるかも知れないがな」

「う~ん……『ロボット三原則』を守らせる為……か、――それでプロテクトもかけられている?」

「おそらくな。とにかく判らないことを論議しても始まらん。直に聞いてみよう」

「誰に?」

「さくら」

「そんな、易々と答えるわけ『さくら、お前はA・Iか?』ないだ……って、オイ!」

 どストレートだ!!

「禁則事項で~す♪」

 バレバレの回答だ~~~~!!ってかマジA・Iだった?

「さくらの目的は?」

「禁則事項で~す♪」

「開発者の目的は?」

「禁則事項で~す♪」

「裕貴のDOLLにお前がインストールされた訳は?」

「禁則事項で~す♪」

「裕貴になにか害は及ぶのか?」

「それはさくらにも予測できない~」

〝予測〟!!。

「そうか……判った」

 ……スゲー、フローラ。――普通のパーソナルプログラムだったら「違います」「ありません」て答えるところを、ノーコメント並べさせて、さくらの開発者とその目的の存在を暗に聞き出してる。

「ごめんね~フローラ。答えてあげられなくて」

「いいさ。――ああ、もうふたつだけ聞きたい」

「な~に~?」

「これを声に出して読んでみてくれ」

 そう言ってノートの端に日本語で文字を書き、さくらに見せる。

 さくらが肩から降り、紙の前に立って読み始める。

「〝これはなんとよむでしょうか? わかったらあなたはゆうしゅうです。《優柔不断(ゆうじゅうふだん)》《薔薇(ばら)》《深慮遠望(しんりょえんぼう)》〟だね?」

 フローラはスッと紙を引き戻し、折りたたむと俺の胸ポケットに入れる。

 ……はいはい。片付けましょうね。

「OH~!……Great(グレイト)………………素晴らしい!」

 フローラは山で初めて野生の桜を見た時の様に本気で驚いた。

「ぷ~~~……フローラってば、さくらのことバカにしてる~?」

「そうじゃない。うん〝お前〟はすごいぞ。本心だ」

「ならいいけど……あと一つは?」

「そうだったな。裕貴をどう思っている?」

「ええっっ??」

 俺が聞き返した。

「だ~い好き!」

 さくらが両手を開いて即答する。

「!!」ぐはっ。

 テーブルに着いた俺の二の腕に抱きつきながら答えるさくら、自分の顔が熱くなるのが判る。

 しかし、照れながらも、今のさくらの回答は思考型プログラム――つまり、A・Iでなければ絶対に言わないセリフだった。

「そうか……」

 ニッコリと笑いあう2人。

「ああ、あともう一つ頼みがある」

「なあに~?」

「裕貴の寝相の画像をくれ」

「いいよ~♪」

「おい!」

「ふふふ……まあ、そう言う事ならさくら本人が裕貴に害を成すとは考えにくい。せいぜい何かサンプルデータをとられたり、盗撮されるくらいじゃないのか?」

 憮然(ぶぜん)と言い返す。

「……盗撮は実害じゃナインすか?」

 

  „~  ,~ „~„~  ,~


 家に帰り、部屋に戻って着替える時、胸ポケットに仕舞われたメモを取り出し、何気なく見つめる。

 細い線で毛書体のように流麗に書かれた文字。相当練習したことが伺える。

 ……キレーな字だなあ、俺よか達筆だよ。

 そんな風に思いつつ眺め、なぜ質問が平仮名なんだろうと考えていたら、驚くことに気付いた。


《これはんなとよむでうしょか? わかっらたあたなはゆしゅうです…………》


 ・・・・・・・!!!!


 単語がチグハグになっていて、一字一句正確に読むと意味が通じない〝人間〟しか判別できない文章だった。

 専用クレードルピットに戻り、充電を始めるさくらに見えないよう、そっとメモを胸ポケット仕舞い直す。

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