Epilogue
それはまるで棺のようだった。
だがそこには大切な人が横たわっている。
柔らかそうな茶色がかった黒髪、白い肌、少し長いまつげ、繊細な指先、いつも皮肉を浮かべる薄い唇。閉じられたままで瞳はまだ見えないが開けばきっとあの意志の強い瞳があるのだろう。
姿形は何もかも今までと変わらない。
ただ眠っている。
彼が残してくれた記憶と追加プログラムのデータが、彼を再びこの地に呼び戻した。
だが一つだけ生前の彼とは違う。彼は死ぬ前に、自分の記憶のデータを全て廃棄していたのだ。 きっと愚かな私たちが死後も彼を復元し、先の見えない永遠を繰り返しかねないと、分かっていたからだろう。
もう二度と彼に会えないのか。
そう絶望の中に沈み込みそうな私に希望を与えてくれたのは、小さな記憶回路だった。記憶のバックアップを取り始めたばかりの頃に、隆が実験的に彼の記憶をとりだしたものだった。
そのデータは容量も小さく、彼が幼い頃の分しか存在しない。数個に分けたという記憶回路の現在に近い部分はやはり研究に使われていたから彼によって消去されていた。
でも隆は、彼が不要扱いした幼い頃の記憶をその手にとどめていた。友である彼に知られないように、二人で記憶のバックアップ成し遂げたことの記念として。
ほんのわずかな記憶。
それでもそれは彼の記憶であり、彼自身の断片であることは間違いない。
彼を苦しめ、彼を追い詰めた人に追いつかねばならないという強迫観念は、幼い記憶にすり込まれているかもしれないが、そこまでの記憶しか無ければ、あの苦悩を癒やしていくことも可能なのでは無いかと隆はいう。
私もそう信じたい。
数十年前、認知発達学の分野で乳幼児のロボットを作った人がいるそうだ。彼はプログラムすることでは無く、学習することでロボットを発達させようとした。
その実験の結果を、私は知らない。
時間を掛けて育てるロボットよりも、プログラムをインストールすることで人間のように存在するヒューマノイドを作ることを優先した社会の中で、その結果は技術者たちに忘れ去られ、心理学者のものとして残ったのかもしれない。
だけど情報を得て発達し、無数に絡み合う大樹のように記憶回路を発展していく彼の残した最新のプログラムならば、この幼い彼を共に生きる愛する人として、私たちは育てていけるかもしれない。
育てる私たちはヒューマノイドで、彼もまたヒューマノイドだ。
この関係は歪んでいるかもしれない。
それでもまた私たちは彼を得ずにはいられない。
私たちは彼を愛している。
「今度こそ、やり直せるかな」
口を突いて出た言葉に、微かに隆は俯く。
「分からない。俺たちはこれから未来永劫に続くこの時間に耐えていけるのか」
「耐えるんじゃ無い。作り上げていくの」
「生も死も存在しない世界で、たった三人で?」
「たった三人じゃ無い。三人もいるじゃない」
私たちはヒューマノイドで、壊れてしまわない限り永遠に生と死を繰り返し続けることが出来る。
私たちが本当の幸福にたどり着くまで何度でも。
「それで、ユウも幸せか?」
私以上に隆は迷っている。再びユウの目が隆に向けて挑みかけるように、憎むように閃くのを恐れているのだ。
だから私はユウのとっておきの秘密を教えることにした。
「ねえ隆。どうしてユウは隆と同じ道に進んだんだと思う?」
「え? 追いつくため、じゃないのか?」
「何で追いつこうとしたのか分からない?」
そう。そもそもの大前提をユウは忘れてしまっている。だからこそ苦しさだけが募っていったのだ。
「分からない」
苦痛に満ちた隆に、私は微笑む。
「教えてあげる。ユウは私と二人で森にいた時に、隆への焦燥感を話してくれたの。それが誰のことか、私がまだ知らなかった頃、私、ユウに言ったの。そんなに苦しいなら、もうそんな友達捨てちゃえばって。そしたらユウは少し困った顔をして、それから笑ったの。楽しそうに。俺はこれでいいんだ。俺はあいつと一緒に歩きたいんだ。一緒に笑いたいんだって」
きっと私たちは弱かった。本当に伝えねばならない本心を、自分たちの強がりで覆い隠して、苦しむことしか出来なかった。
私も、隆も、それから彼も。結局私たちが戦っていたのは、お互いでは無く自分の中の弱さだったのだ。
「だったら俺も言うべきだったんだな。お前が一緒に来てくれて嬉しかった。ありがとうって」
私も言おう。私と向き合ってくれてありがとうって。
あの森の中で彼は私に『森の妖精』だといってくれたけれど、私にとって掴みがたく、儚い、森の妖精はあなただった。
私はそんなあなたに触れることを、少し恐れていた。私の中の弱さがボロボロと崩れてしまいそうで。
「隆」
優しく名前を呼ぶと、頷いた隆は口を開くこと無く棺に付いているガラスパネルを操作した。小さく息を漏らすような音がして、ガラスが開く。
横たわっていた彼の目がゆっくりと開いた。
瞳のグレイの光彩に小さな光が瞬き、やがて怯えるように彼はその棺の中で身体を起こす。その瞳は私を見て、それから隆を見る。
「気分はどう?」
柔らかく微笑みながら問いかけると、彼は俯いた。
「はい。元気です」
「そう。良かった」
「あの」
顔を上げた彼の瞳は、不安で揺れている。
「なあに?」
「僕を助けてくれたんですか? 僕は生きているんですか?」
「ええ。もちろん」
「お母さんに怒られませんか?」
彼の記憶はあの日、母親に捨てられて取り残された部屋から、養護施設に保護された日までしか無かった。
それでもこれは彼だった。
「大丈夫。私たちがお母さんからあなたを引き取ったの。ここはあなたの新しいおうち。もう何も心配することは無いからね」
戸惑いながらも彼は小さく頷く。
「君の名前、教えてくれる?」
「……小西由幸です」
「なんて呼んだらいい?」
「……ユウ」
「分かったわ、ユウ」
私は棺から出るユウに手を貸した。
よろめきそうなユウに、隆が手を差し伸べる。差し出した二人の手を、ユウはしっかりと握りしめた。
「あれ?」
ユウが小さく首を傾げる。
「どうしたの?」
「こんな感じ、どこかであったような気がして……」
「ええ。私たちはきっと、どこかで巡り会っているの。流れる時の中で幾度も幾度も。それがきっと、私たちの運命」
「……分からないです」
「いいの」
あなたは知らなくていい。
あなたが犯した罪を、あなたが抱えた憎しみを、あなたの抱えた焦燥感を。
私たちがあなたを守るから。
今度こそ、守り切ってみせるから。
「初めまして、ユウ」
差し伸べた隆の手の先で、ユウが屈託無く笑った。
その手を取り、大切な物を包み込むように、隆は目を閉じた。そんな二人の握り合った手の上に、私も手を乗せて、二人を優しく包み込む。
永遠の輪廻転生の歯車が、ここから闇か光かすらも見えない永遠へと、静かに回転を始めた。
Human' ヒトではない君へ さかもと希夢 @nonkiya-honpo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます