Backstage Pass ――ゆまろーごーるの追憶―― 【現代ドラマ】

にーりあ

―― 序 ――

「あ、こいつが遊馬豪琉あすまたける君です。皆宜しくですー」

 今から十余年前、俺はとある子ども向けのアニメ作品の制作に参加した。この出会いははからずも、俺のこの世界におけるメジャーデビューの契機となったわけだが、果たしてこの世界に足を踏み入れてよかったのかは今となっても疑問が残る。

 ただこの出来事は、役者として日々苦難の道を歩む俺にとっては、先輩から流された甘い誘いであり、その後暫く俺の生活に若干の経済的余裕を生み出した。その事だけは紛れもない事実だった。


 人生初の、噂に聞きしアニメ特有の言語[あてるレコーディング]通称アテレコ。俺はその作品の――今では人気になっているが当時は予算もそんなになさそうなパッとしない(失礼)少女達が主人公の作品だった――端役を幾つか担った。



 きっかけは先輩と参加した洋画の吹き替え収録アフターレコーディング通称アフレコだった。俺の芝居をいいと思ってくれた某局のプロデューサーが、先輩経由で話をくれたらしい。売り切りビデオたる通称Vシネの撮りが終わりしばらく仕事がなかった俺には、経済的不健康を改善したいという欲望が極まっていたせいか、それはなかなかに美味い話だと思えた。


 アニメオタクから多額の集金が出来る[声優]という職業には以前から興味もあったし、何より芝居には自信があった。

 元々深夜帰宅しTVをつけた時たまたまやっているアニメから流れてくる声優とは名ばかりの素人の糞芝居には閉口していたし、駆逐したいと思っていた。

 

 その誘いは当然望むところであり、まさに全力疾走で俺の懐に走りこんでくるつるっ禿の――しかし一本だけ毛の生えている――チャンスを引っ捕らえるべく、当時の俺は意気揚々と先輩の誘いを受託し、その後流れてきた仕事にも全力で取り組んだ。


――で、幾つかとんとんと仕事をこなし思った事だが。


 俺は声あてのバイトが嫌いだ。その理由を幾度かの現場を経験し共通して体感した事をベースに端的に一言でまとめると――そう。あれは芝居じゃない。音監の望む音質音色拍を嵌める何かだ。


 声優でーす!マイクの前で芝居を――なんてアイドル声優が気取っているが、あれはただのハメ撮りだ。絵のきっかけに合わせて声を嵌め撮る作業。それ以外の何物でもない。

 そんな事が当たり前のように成されているからか、一部の声優と言われている若者が、演技と芝居を履き違えているのは何度かやってて見当がついた。


 アニメと芝居の一番の違いは、声嵌めアニメは檻が狭いという点だ。恐らく彼らはその息苦しさすらにも気がついていないのだろう。

 それは業界のシステムや育成の環境にも問題があるのかもしれない。若者演者の勉強不足という以前の問題で、これが芝居だと思っている彼、彼女らに、この環境で芝居の何たるかを問うても、恐らくは問い自体を理解しえないだろう。


 もし彼、彼女らがこのまま[声優]という技術を極めたとして、それでそれが芝居になるか、といえばそれも疑わしい。いや、ならない。

 仮想世界を、音声表現を駆使して拡張させるベテラン演者は確かに圧巻だ。だが、それが芝居に該当しているかと言えばそうじゃない。

 

 彼らは経験に裏付けられたキラリと光る型を持つ。彼らはアニメの約束事を把握し、作品が成立するぎりぎりの幅を目掛け見極め、世界の枠を一杯一杯使って「語りを利かせる」凄い人達だ。


 けれどそれは、単に専門家であるだけだ。

 純粋に遊ぶという役者の基礎を利用しているから役者だ、というなら、それも一理ある。だがそんなものは舞台やフィルムでは通用しない。芝居とは、人生全てに通用する生き様を含む。


 全てが、例に漏れず、絶対とは思わないし言えもしない。だが俺が理解できたのは、とにかく声優を名乗る輩は、役者というより俳優なのだろうという事だ。一部を除く多くの声優のあれは、芝居ではなく演技だ。優等生のやる当り障りのないのっぺらな何かだ。


 アニメについてもっと言えば――そもそもアニメを作ってる奴らは、上辺の絵を書いてるだけなんだろうと俺は思っている。


 国民的メジャー作品と言われるものやそれに類する大作はそうではないかもしれない。断っておきたいのは、これはあくまで俺がやった仕事の範疇に限定しての感想である。それを今一度あえてここで付け加えておく。

 

 その上で言うが、あいつらは芝居どころか演技の見様見真似すらした事がないのだろうと思う。思い浮かべているのはせいぜい良くて現象の模写。もしくは何となく頭に浮かぶふわっとしたソレ、程度ではないのか。だからあのアガリなのではないか。


 そんな輩が作ったふわふわな舞台で芝居をうてと映像屋気取りの演出家は平気で言う。まるで工場内を流れ続ける生産ラインを監督するような仕事でだ。

 繰り返し言うが、役者とは人生その物が芝居なのだ。オンオフという概念は存在しない。作品に対して責任を演出家として持つなら、その意味を理解すべきだし行動を計算し繕うべきだ。


 注意や指摘や要望を並べるだけなら誰にでも出来る。それが一般ならさぞ志望者も多かろう。本来クリエーターの仕事というものは、作業一極集中で終われる程狭くはない。

 我々は彼らも我々と同じ人間、つまりは役者として見る。部品作りに特化した部外の技術者とは思っていない。我々と彼らは違いは、その立つ場所に過ぎない。


 そんな表情なのかい? この局面で? 何の根拠と担保があってこんなもの出してきたの? そのセリフを役者に言わせるならお前自身がもっとよく状況思い浮かべてみろよ、伝えるべき事がお前の頭でふわふわだから言葉に出来ないんだ、もっと目を開け頼むから。――そう思う局面も少なくない。


 アニメという作品は、後にブルーレイ等記録媒体にする時修正し完成する物らしいので業界的には俺が間違っているのかもしれない。しかしそれは俺にはわからない。俺は今を最善に生きる事と出来うる最善をその場で尽くす事が今を完成させうる術であると思っている。問題の先送りでいつか解決するという未来計画には共感できないのだ。

 明日死なないと確定的に考えるから出来る計画的未完成という概念は、俺の生き方には無い。


 それに彼らは、後から絵を差し替えても声を変える必要はないと思っていそうだ。彼らにとって声はどうやら効果音かBGM程度なのだろう。

 芝居の結果声に変化が生じるという当たり前の事を意に介さず、微妙な表情カットを後から追加し作品を修正するのはその証明と言える。


 だが割り切れば楽なバイトではあった。プライドは金にならない。

 演者としては、端役がいい。ギャラは同じなのだから。そして声優としての知名度には興味が無い。

 むしろ将来役者として名が通った時、声優の経歴が目立つと汚点になる気さえする。端役ならどんな作品でもついつい笑顔で参加してしまう。

 

 俺はその程度の人間だ。そして実際困った事に、現場に入ればそこそこ楽しめるのも事実なのだ。

 変な声色で声を嵌めていく新人女性職人や、無駄にがなる新人男性職人達には(「それどうなのよ」)と普段思っていたとしても、現場では負の感情は遮断される。恨みも妬みもないから引きずる事もない。


 人間は社会環境に適応する動物なのだ。

 その時の俺はもう、思春期の少年宜しく見境なく嵌める事しか頭になかった。声を。


「ここ入りの時に驚き(の息の芝居追加して)ください」


 おい待て。それはどういう驚きだ。

 まず絵が無いんだぞ正気か。

 何についいてどんな感覚からどういう意味で発生する心の動きなんだ。


 彼らの台本を察するという考え方は、ふわっとした空気感をふわっとした感覚で何となくふわっと合わせるという意味だ。そのふわっに明確なロジックは無い。何度かやって理解はしたが、「見りゃわかりますよね」「説明入りませんよね」という態度にはいつまでたっても慣れる事は無い。


 それがあんたらのプロとしての仕事なのかい。プロの中には安全とわかっていても指さし確認する連中もいるんだよ。受け入れがたい気持ちはどうしても沸く。

 そもそもこんなパッと集まってパッと台本読んでリハ3回して撮って失敗したら居残りすればいいみたいなルーチンしてたらそうなるのかもしれんけど、芝居ってデリケートなもんなのよ。

 役者が第三者から見たら辛く苦しい日々過ごしてるのは、芝居が傷つきやすく壊れやすいものだから、故に俺達はそれを受け入れられるくらいには強くなけりゃならんからだ。温かい料理を入れる器は温める。冷たいものなら冷やす。簡単な理由だ。


 クリエーター気取りの演出家の何と多い事か。役者だからって「イメージ放り投げるだけでわかるのがプロ」みたいなぞんざいな扱いが許されるわけねーんだよ。そんなものはただの仕事放棄だ。どんなイメージ持ってんのかはしらねーけど役者こそキャンパスだと知るべきだ。

 俺の事を舐めるのはいい、だが芝居に謝れ! 俺の形を借りて形になろうと産まれたがっている芝居に謝りやがれよ!


――だが


「わかりました」

 俺は驚く。発注いわれるがままに。

 そして空気を読む。台本から察する。物語の、限定的ではあるが知りうる情報から思いつく限りの推理をする。そして言われたオーダーを忠実に実行し敬意を持つ。

 プロだからか。

 違う。そんなチープなものじゃない。


 役者ではなく俳優の能力で、俺は、芝居ではなく演技をする。キャラクターの背負った時間とかそこに至る過去歴史行間ドラマとかスタニスラフスキー・システムとかそういうもの一切合切無かった事にする。


「OKでーす。いただきましたー」

――なんやと……。


「ありがとうございました」

 心は動く。だが考えない。


 考えるのはスタッフの仕事、彼らの作品には踏みこまない。俺は声奏者としての求められた役割を果たした。俳優の仕事は完成したのだ。

 それでいい。対価は得られる。


 翌々月のギャラの支払いが手元に来るのは3ヶ月後だ。俺はその為にここへ来た。俺はそれだけで今日という日を我慢出来る。誇り無くして男は生きられない。


 誇り――


 自分の気持ちをねじ伏せておきながらどの口が誇りを語るのか。


 否。

 俺はプライドをねじ伏せたわけでも捨てたわけでも、ましてやそれを消してしまったわけでもない。


 誇りとは、普段はじっと地に伏せているもの。

 何かが来た時一気に一斉にブワッ! と空高く舞い上がるもの。

 それを忘れぬ心意気こそが、俺の誇り。

 何を捨てようとも、この胸にこの誇りある限り、俺は何度でも立ち上がれる。


 この生き様こそが役者の芝居。

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