世界で一番口の悪い教師

@satori

世界で一番口の悪い教師

 これは、世界がまだバラバラの国に分かれていたころのお話です。


 当時の人々は、エルフはエルフの国、ドワーフはドワーフの国といった具合に、同じ種族だけで集まって国を作っていました。


 それぞれの種族同士はとても仲が悪く、いつもいがみ合いを続けていました。

 ときどき他の種族と仲良くしようとする者が現れましたが、そういう人たちは逆に自分の種族から仲間外れにされてしまうのです。

 この時代のベストセラーは、エルフの国で七〇三七年に発行された「他種族の悪口全集」だったと言われています。このような点からも、当時の世界では種族間の敵対意識が一般市民まで広く浸透していたことが知れます。




 ある日のこと、まだ幼いエルフ国の王子のもとに、一人の中年のエルフがやって来ました。

 王子は大の勉強嫌いで、おまけに大のドワーフ嫌いで知られていました。城に務めている人々は口にこそ出しませんが、傲慢で粗暴な王子のことを嫌っていました。

 そんな王子の行く末を案じたエルフ王が、家庭教師を雇ったのです。


「初めまして、王子様。私は今日からあなたの家庭教師です」


 家庭教師がうやうやしく挨拶をすると、王子はジロリと睨み返して、


「ふん、ぼくは十分に賢い。家庭教師なんか要らない」


 鼻息を荒らげてそう言いました。

 家庭教師はそんな王子に向かって、ニッコリ微笑みます。


「仰る通りです、王子。ですが私は、その辺の家庭教師とは一味違います」

「ほう? どう違うのか、申してみよ」

「私は世界で一番口の悪い家庭教師、私が王子にお教えするのは『悪口の秘訣』です。王子の大嫌いなドワーフを、誰よりも上手く侮辱する方法だって教えて差し上げられますよ」

「……この本に載っているよりもか?」


 王子が指差したのは「他種族の悪口全集」の第三巻、ドワーフ編でした。

 家庭教師は自信満々に頷きます。


「仰る通りです、王子。私の授業を受けて下されば、こんな本は目じゃありません」


 するとようやく王子は目を輝かせ、家庭教師が王子のもとに通うことを許したのでした。




 さて最初の授業の日。

 家庭教師は、どんなことを教わるのかとワクワクしている王子に向かって、


「カバケヌマ、ホア」


 と言いました。

 王子は首を傾げます。


「何と言ったのだ? ひょっとすると今のは、ドワーフ語か?」

「仰る通りです、王子。今のはドワーフ語で王子の悪口を言いました。この授業の間は、私は王子のことを侮辱したがるドワーフだという設定にしましょうか。さて、王子は今ので腹が立ちましたか?」


 王子は少し考えてから答えます。


「いや、ドワーフ語が話せる父上や大臣なら怒ったかもしれないが、ぼくはドワーフ語がわからない。何を言っているかわからなければ腹は立たない」


 家庭教師は満足そうに頷きました。


「では王子、あなたはドワーフを侮辱する時は、エルフ語を使われるつもりでしょうか?」

「――あっ」


 家庭教師の問いかけに、王子は驚きました。


「そうか、ドワーフを侮辱するためにはドワーフ語を学ぶ必要があるのだな?」

「仰る通りです、王子」


 家庭教師はニッコリ微笑みました。


「では、ドワーフの私も、王子を侮辱するためにエルフ語を少し学んだことにしましょう。今度はエルフ語で王子のことを侮辱します。『王子はいつも冷静で元気がいい!』――さて、どうでしょう。腹は立ちましたか?」


 王子は少し考えてから答えます。


「今のは褒め言葉ではないのか?」

「ええ。でも私は王子のことを『残酷で暴力的だ』と言ったつもりなのです。なにしろエルフ語を少し学んだばかりで、細かい言い回しがわかりませんから」

「もしそれでぼくを侮辱しているつもりだとしたら、逆にお前が恥をかいているだけだ。――ふむ、つまり上手くドワーフを侮辱するためには、ドワーフ語を細かい言い回しまでしっかり学ばなければならないのだな?」


 家庭教師は満足そうに頷きました。


「さて、王子にそれができますか?」

「当然だ、ぼくは賢いからな」

「仰る通りです、王子」


 家庭教師はニッコリ微笑みました。

 その日から王子は、ドワーフ語の猛勉強を始めました。

 人が変わったように熱心に勉強する王子に、城じゅうが驚きに包まれました。




 さて一週間後、二回目の授業です。

 家庭教師を見るなり王子は、


「カバケヌマ、ホア」


 と、ドワーフ語で悪口を言いました。

 家庭教師はニッコリ微笑みます。


「だいぶドワーフ語の発音が上手になりましたね」

「当然だ、ぼくは賢いからな」


 褒められて、王子は得意気です。


「仰る通りです、王子。ところが私――王子のことを侮辱したくてたまらないドワーフも、王子に対抗してだいぶエルフ語が達者になってきました。次の悪口は『このおねしょ王子め!』――さあ、腹は立ちましたか?」


 王子は少し考えてから答えます。


「気分は良くないが、腹が立つほどではないな。確かにぼくはおねしょをしたことがある。でもそれは小さい頃の話であって、今はしていない。そして小さい子供はみんなおねしょをするものだ」

「仰る通りです、王子。事実と違うこと、現状にそぐわないことで侮辱しても、あまり効果的ではないのです」

「それは逆にいうと、効果的にドワーフを侮辱するためには、ドワーフどもの現状をきちんと知る必要があるということだな?」


 家庭教師は満足そうに頷きました。


「仰る通りです、王子。では私は王子より一足先にエルフ族の現状を学び、それを用いて王子を侮辱することにします。『この、木の根をかじる虫野郎!』――さあ、腹は立ちましたか?」


 王子は少し考えてから答えます。


「多少腹は立つが、それほどではない。他の種族にはゴボウを木の根呼ばわりする者がいることは知っている。しかしゴボウはこの国の名産品で、ぼくも大好物だ。むしろゴボウの美味さを知らずに木の根呼ばわりする連中を哀れに思うくらいだ」

「しかしゴボウを食べたことのないドワーフの私には、それがわかりませんでした。エルフがゴボウを食べているということを知ったはいいものの、それを単に木の根を食べるおかしな連中だとしか考えなかったのです」

「ふむ……表面的な部分を自分のものさしだけで解釈しても、それは理解から遠いということだな。ぼくがドワーフどもを的確に侮辱するためには、ドワーフどもが普段どのような考えを持ち、どのような暮らしをしているかをしっかり理解する必要がある」


 家庭教師はニッコリ微笑みます。


「仰る通りです、王子。それを『文化』といいます」

「文化、か……。よし、ぼくはドワーフどもの文化を学んでやるぞ」

「難しい本も読まなければなりませんよ。王子に読めますかな?」

「当然だ、ぼくは賢いからな」


 家庭教師は満足そうに頷きました。

 それからというもの、王子は城の図書館に入り浸りました。

 熱心に本を読む王子に、城の人々の見る目も変わっていきました。




 さて、また一週間後。三度目の授業です。

 家庭教師が王子の部屋に入ると、


「ソコウヨ、イセンセ」


 王子は背筋を伸ばして立ち、胸に握り拳を当てて言いました。

 家庭教師はニッコリ微笑みます。


「もうドワーフ流の挨拶を憶えられたのですね」

「当然だ、ぼくは賢いからな」


 家庭教師はニッコリ微笑みます。


「仰る通りです、王子。しかし私――王子を侮辱したがるドワーフは、残念ながら王子のようにエルフ文化をすぐに理解することはできませんでした。そのため、別の方法で王子を侮辱します。いいですか、落ち着いて聞いて下さい」


 今回に限って妙に勿体ぶった言い方をする家庭教師に、王子は首を傾げます。


「ぼくはいつも落ち着いている。いいから申してみよ」

「それでは……『お前の母親は豚の排泄物だ!』」


 家庭教師の言葉に、王子は一瞬唖然としました。それから、


「無礼者! 命を賭してぼくを産んでくれた亡き母上を罵るなど、万死に値するぞ!」


 顔を真っ赤にして叫んだのです。

 家庭教師は何も言わず、喚き散らす王子をじいっと見守っていました。

 しばらくして、王子は落ち着きを取り戻しました。


「……わかった、そういうことか。自分の家族や親しい者を悪し様に言われれば誰だって怒る。これはエルフでもドワーフでも関係ない。つまりこれは、相手の言葉や文化をあまり知らずとも、侮辱できる方法なのだな」

「仰る通りです、王子。喩え話とはいえ母君への暴言、お許し下さい」

「……構わん、ぼくにものを教えるためだ。だが二度と言うな」

「かしこまりました。さて王子、今のような身内を罵倒する侮辱がどれだけ効果的かはご理解いただけたと思いますが、しかし王子はこれを決して用いてはなりません」


 王子は首を傾げました。


「なぜだ? 効果的ならば使えば良いではないか」

「では王子、私はどうして母君を罵ったと思われますか?」

「ぼくを侮辱するためだろう」

「ではどうして母君を罵れば王子を侮辱できると私は考えたのでしょう」

「だから、それが多くの者に通用する侮辱方法だから――あっ」


 王子は何かに気づいて、ジッと家庭教師の目を見つめました。

 家庭教師は満足そうに頷きます。


「それは、お前もまた母親を罵られれば怒るからだ」

「仰る通りです、王子。他者を攻撃しようとする者は、無意識に自分がされたくないと思うことをしてしまうことが多いのです。しかしそれでは、相手にオウム返しという手段を与えてしまいます」

「つまり、もしぼくがドワーフどもに向かってヤツらの母親を罵ったなら、ヤツらもまたぼくを母上のことで罵る。そうなれば連中はぼくたちエルフの言葉や文化など知らなくても、簡単にぼくを侮辱することができてしまう……。それではぼくは攻撃をしているつもりで、弱みを晒していることになるのだな。いや、それどころか、ぼく自身が母上を侮辱しているも同然だ」

「仰る通りです、王子」


 家庭教師は満足そうに頷きます。

 王子はしばらく考えこんで、それから言いました。


「お前の忠告、よく分かった。安易な罵倒は避けることにする」

「では、王子はどのようにドワーフを侮辱しますか?」

「うむ――ドワーフにとっては侮辱であり、そして言い返されてもこちらは痛くもない。そのような言葉を探す必要がある。そのためには単にドワーフの言葉や文化を知るだけでは足りぬ。我がエルフの言葉と文化もきちんと学び、両者の違いを知る必要がある」


 家庭教師は王子の言葉に、今までで一番大きく頷きました。


「仰る通りです、王子。そしてそれこそが『悪口の秘訣』なのです。この『悪口の秘訣』をきちんと実践なされば、王子はやがて誰よりも立派な王になりましょう。そうなっていただけると約束できますかな?」

「当然だ、ぼくは賢いからな」


 こうして王子に『悪口の秘訣』をすっかり教え終えた家庭教師は、城を去って行きました。

 エルフ王も王子も家庭教師を懸命に引き止めましたが、彼はそれを固辞しました。




 それから数百年が経ち、王子は父親の跡を継いで王になっていました。

 今日は国民の祝日。宮殿の庭に集まった民衆たちに挨拶をする日です。


 あれからというもの、王子は家庭教師から教わった『悪口の秘訣』を一心不乱に実践しました。

 やがて王子はドワーフだけではなく、トロルやオーク、コボルドなど、様々な種族の言葉や文化を理解していきました。多くを知れば知るほど、「他種族の悪口全集」に書かれている沢山の間違いや思い込みにも気が付きました。あの家庭教師が言ったように、あんな本よりも『悪口の秘訣』の方がずっと役に立ちました。


 勉強熱心で誰よりも物知りになった王子を、誰もが――そう、誰もが認めていきました。

 もう嫌われ者の勉強嫌い王子はどこにもいません。


 王となった王子は、宮殿のバルコニーに立って、押し寄せた人々をゆっくり眺め回しました。

 誰もがキラキラと目を輝かせ、期待に満ちた目で若き王を見上げています。

 王は小さく咳払いをして、それからよく通る大きな声で言いました。


「諸君、このめでたき日を諸君らと迎えることができ、嬉しく思う!」


 王の言葉に、エルフたちは盛大な歓声を上げました。

 それから王は背筋をぴんと伸ばし、胸に握り拳を当てて、


「チタエマオ、ナンミ、マカナ!」


 最初と同じくらい大きな声で言いました。

 今度はドワーフたちが歓声でそれに応えます。


 トロル語、オーク語、コボルド語、シルフ語、王は次々と異なる言葉で挨拶を続けます。

 その度に民衆の中から大きな歓声が上がりました。


「お疲れ様でした」


 挨拶を終えて部屋に戻った王を、一人の年老いたエルフが迎えました。

 王は豪華な椅子にドカッと腰を下ろし、ふぅっと大きく息を吐き出しました。


「お前は、最初からこうなると思っていたのか?」


 王が老人に尋ねます。老人は答えず、黙って王を見つめていました。


「……言っておくが、あの頃のぼくは本気でドワーフを嫌っていた」

「わかっています。そうでなければ『悪口の秘訣』をやり遂げることはできません」

「だが、その結果がこれだ。まったくお前にはしてやられた」


 王が咎めるように言うと、老人はニッコリ微笑みました。


「言うのが遅れましたが、大変素晴らしい挨拶でしたよ。あの日の約束通り、あなたは誰よりも立派な王になられました」


 老人に褒められると、王はまるで少年のように無邪気に、そして誇らしげに笑いました。


「当然だ、ぼくは賢いからな」

「仰る通りです、初代統一王陛下」

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