その十八.蛇の巣での再会

 何を言われたのか――一瞬、吹雪にはまったく理解が出来なかった。

「えっ……」

 吹雪が目を見開いた瞬間、霖哉の首ががくりと後ろに倒れた。

 霖哉の手が胸に突き立てられた短刀を引き抜き、彼方へと投げ捨てる。

「――完全に、呑んだと思ったのだがな」

 霖哉が――リンヤがばっと顔を上げた。

 赤く輝く蛇の瞳と視線がかち合っても、吹雪は身動きをとれずにいた。

 いびつな笑みに口元を裂きつつ、リンヤは硬直した吹雪に向かって手を伸ばした。

 その時、聖堂の扉が大きな音を立てて震えた。

「……これは」

 リンヤが手を止め、扉を睨んだ。

 再度、扉から轟音が響く。向こう側で何かが体当たりしているようだ。

 そして次の衝撃で扉は吹き飛び、そこから三頭の獣が聖堂へとなだれ込んできた。

 獣達はさかんに吠え立てながら、まっすぐリンヤへと襲いかかる。

「大口の化物め……まだ日の本にいたのか」

 忌々しげにリンヤが唸り、左手を振るった。

 その骨肉が瞬く間に変質し、禍々しい龍の顎を形作った。乱杭状に並んだ牙が容赦なく振るわれ、立て続けに攻撃を加える大神達を迎え撃つ。

 しかし大神は怯まず、爪と牙とをがむしゃらにリンヤの顔や左腕に突き立てた。

「大神、たち……これは……」

 金色の瞳を光らせて攻撃する三頭の大神に、吹雪は呆然と呟く。

 その耳に、切羽詰まった友人の声が響いた。

「――ブキちゃん!」

「ワン、コ……」

 破壊された扉の向こうから、聖堂にサチが駈け込んでくる。

 サチは息をきらしつつも吹雪へと駆け寄り、その手を取った。

「無事で良かった! 怪我はない?」

「と、とりあえずは……」

「走れる? 早くこっちに――!」

 煮え切らない吹雪の返答に構わず、サチは吹雪の手を引いた。

 本当はその場に残りたかった。だが、逃げなければならない。

 相反する感情を引きずって、吹雪はサチに手を引かれるまま聖堂の扉へと向かう。

「……逃がさぬ」

 低い囁きに、吹雪ははっと振り返る。

 リンヤが大神を一度に三頭吹き飛ばし、吹雪めがけて右手を振るった。

 その袖の下から飛びだしたのは霖哉が使っていた鎖分銅――ではない。黒く艶やかな体をうねらせ、シューシューと音を立てるそれは二匹の黒い大蛇だった。

「くっ――!」

 身構える吹雪の眼前に、毒液を滴らせる蛇の牙が迫った。

 巨大な影が視界の端を横切った。

 直後、銀の閃光が走り、二匹の蛇の胴体が両断される。

「……これは、良くないな」

 蛇の首が宙を舞う中、男が切り上げた野太刀を構え直した。

 白い外套、ざんばら髪、そして顔の左半分に刻まれた傷痕――その姿に、吹雪は目を見開く。

「……御堂、さん」

「ひどい顔だな、小娘。死人の方がまだ生き生きしているぞ」

 ちらりと吹雪に視線を向け、時久はそっけなく言い放った。

 相当ひどい言葉を言われたはずだった。

 けれども時久の声を聞いた途端、それまで胸の内を塗り潰していた真っ黒な感情が瞬く間に消えていくのを吹雪は感じた。

 鬼鉄を構える彼の背中が、この上なく頼もしい。

 硬直していた心がやや緩むのを吹雪が感じた瞬間、どこか興味深そうな霖哉の声が響いた。

「……おや、これは。懐かしい気配だな」

 リンヤはゆっくりと腕を組む。

 その背後から再び二匹の黒い蛇が現われ、甘えるようにリンヤの肩や腰へと絡みついた。

 すり寄る蛇の頭を指先で撫でつつ、リンヤは赤い眼で時久を見つめる。

「私と貴様は初対面のはずだが……貴様、何者だ?」

「――嫌な気配がするとは思っていた」

 問いに答えず、時久は鬼鉄の切っ先をリンヤへと向けた。

 鈍色の瞳は相変わらず鋭い。

 だが、その顔にはどこか苦しげな表情が浮かんでいた。

 痛みを堪えるように傷痕を歪ませつつ、時久は唸る。

「どうやら一番悪い予感が当たってしまったようだ……貴様、鬼だな?」

 鬼。その言葉に、吹雪は息を飲む。

 あらゆる化物の代名詞となった恐ろしい存在――慶次郎とかわした会話が脳裏に蘇った。

「鬼、ですって……?」

「くくっ……そうだな、そうとも言える。もはやこの身は人ではない」

 唇を歪めて、リンヤが心底愉快そうに笑う。

 一瞬、時久はいっそう苦しげに顔を歪めた。

 しかしすぐにその表情を険しく引き締め、鋭く声を張り上げた。

「――犬槙! 林檎!」

「了解! ――林檎、お願い!」

 サチは片手で吹雪を庇いつつ、もう片方の手で印を結んで精神を集中し始める。

 その影がぐらりと揺れ、実体化した林檎が飛びだした。一方の林檎は牙を剥き、巨大な両手の鉤爪を振りかぶってリンヤへと飛びかかった。

「おぉおお――!」

 時久も同時に鬼鉄を腰だめに構え、リンヤへと接近する。

 頭上から叩き付けられる鉤爪と、地より掬い上げられる野太刀。

 渾身の力を載せた二撃が同時に迫る。

 しかしリンヤはさして表情も変えず、ゆるりと手を払った。

 金属的な音が耳朶を打つ。

 たったそれだけの動きで、鉤爪と野太刀が弾き上げられた。

「……鱗か」

 林檎が眉間に皺を寄せ、唸った。

 見ればぴしり、ぴしりと音を立て、リンヤの腕を黒い鱗が覆いつつあった。

 その腕をリンヤは今度は思いきり振り払う。

 その袖から、一気に五、六匹の蛇が鎖分銅の如く飛びだした。蛇たちはしなやかな体をくねらせ、それぞれ四方から時久と林檎へと迫る。

 林檎は舌打ちし、鉤爪で蛇を切り裂きつつ後退。

 一方時久は鬼鉄を豪快に振るい、なんとリンヤへと突撃していった。

「む……!」

 それまで余裕の表情を保っていたリンヤの顔が驚愕に染まった。

 叩き切られた蛇の首が宙を舞い、血と毒液が地面へと散る。

 切り損なった大蛇が悪あがきとばかりに時久の肩や腰へと食らいつくが彼はそれを物ともせず、雄叫びと共にリンヤの頭めがけ鬼鉄を振り下ろした。

「おおぉおお――!」

「……愚か者め」

 リンヤが唇を歪め、わずかに後ろへと下がる。

 一瞬遅れて鬼鉄が振り下ろされ、それまでリンヤが立っていた場所に亀裂を刻み込む。時久が構え直すよりも早く、リンヤは鬼鉄の切っ先を踏みつけた。

「ぐっ――!」

 すぐさま鬼鉄を引き抜こうとした時久の顔が歪む。彼の怪力をもってしても、どういうわけかリンヤの踏みつけた刃はびくとも動かないようだった。

「わざわざ首を差し出しに来るとはな」

 そんな時久を嘲笑い、リンヤが左手を振り上げる。

 めきめきと異音が響き、一瞬でリンヤの左手が黒い装甲に覆われる。赤い鉤爪を備えた怪物の腕が唸りを上げ、時久へと迫った。

「御堂さんッ!」

 吹雪が叫んだ瞬間、鈍い音が響き渡った。

 鮮血とともに、六郎太の死体が真っ二つに裂かれる。地面に倒れ伏していたそれを、後退していた林檎が神通力で飛ばしたようだ。

「良いぞ、人狼! ――ぬぅううう……!」

 全身を血に濡らしつつ時久は歯を食いしばり、鬼鉄の柄を握る両手に力を込めた。

 踏みつけられていた鬼鉄がわずかに浮いた。

 リンヤは不満げに唇を歪めると、後方へと跳ぶ。直後、それを追うようにして振り上げられた鬼鉄の刃が空を切った。

 切り上げの影響で時久の上体がわずかに反り、その胴がリンヤへと晒された。

 生じた隙にリンヤがにやりと笑い、吹雪は息を飲む。

 このままでは時久が危ない。しかし、武器のない自分に一体なにができる。

 それでも吹雪が動こうとした瞬間――。

「――隠行・杯盤狼藉はいばんろうぜき!」

 サチの叫びに、その場の空気が一瞬止まった。

 その瞬間――林檎も含めた全ての大神が金色の瞳を光らせ、まったく同時に咆哮を上げた。

 二十六の大神の声は一つに溶け合い、凄まじい音圧を以てリンヤへとぶつかる。

 びりびりと大気が震え、リンヤもその圧に押されて後ろへとよろめいた。

「……小賢しい真似をする」

 リンヤは吐き捨てるように言いつつ、姿勢を正す。

 その目は細かく震え、焦点が合っていない。

 頭を押さえつつ、リンヤは辺りを見回した。

 かつて聖堂だった空間に、リンヤ以外に人影はない。

 大神の声に彼がよろめいたほんの一瞬の間に、吹雪達の姿は消えていた。

「隠行の術と、大神の多重咆哮の合わせ技か……」

 リンヤは呟き、低い声で笑った。

 ピシッと硝子がひび割れるような音を立て、目元の鱗が広がった。

「逃がさぬ……クシナダ……」

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