その十一.林檎はたどる

 十二月三十日――昼過ぎ。前倒しで休暇となった時久は、いつものように鍛練を積んでいた。

 鬼鉄を振るう。調子は万全で、その動きには一切の淀みがない。

「御堂さん!」

 耳に馴染んだ少女の声に、時久は動きを止めた。

 まっすぐに切っ先を前に向けたまま、視線を鍛錬場の入り口に向ける。

「……犬槙か。どうした」

 駆け込んできたサチは時久の前で止まり、両膝に手をついて大きく呼吸した。相当急いできたようで完全に息は上がり、白い頬は紅潮しきっている。

「ブ……ブキちゃんを知らない? 一緒に約束をしていたんだけど、家にいないみたいなの」

「奴の居場所など知らん」

 鼻を鳴らし、時久は再び素振りを始めた。

「明日は大晦日だ。大方どこかに買物にでも行っているのではないか」

「そのお買い物に一緒にいく約束だったの!」

「ならお前を置いていったのだろう」

「もう! ブキちゃんがそんな事するわけないでしょ!」

 ようやく呼吸が落ち着いたサチが、時久をきっと睨む。

 しかしすぐにその瞳は不安げに揺れ、時久以外に誰もいない鍛錬場を見回した。

「どうしたんだろう、何かあったんじゃ――」

「――おい」

 突然声を掛けられ、二人は視線を鍛錬場の入り口に向けた。

 そこには黒いコートに身を包んだ小柄な男が立っていた。伸びた茶髪と、フードのせいでその顔はほとんど見えない。

「何だ、貴様」

「愚妹――あの遠峰ッて女、いねェのか」

「遠峰……? ブキちゃんの事?」

「おい、犬槙――!」

 時久が止める間もなく、サチは小柄な男に向かってぱたぱたと駆けていった。

「ねぇ! ブキちゃんを知っているの?」

「お、おう……知ッているッつーか――まァ、それなりに」

 間近に迫ったサチに、小柄な男は若干戸惑ったように距離をとった。

 しかしサチは構わずじりじりと男に近づく。

「貴方は誰? ブキちゃんがどこにいるか知っているの?」

「ちョ、ちョッと近いッて! ――おれはその、銀座のアヴァンチュリエッて店の店員だ」

「あの、ブキちゃんのお兄さんがいたっていうお店……」

「それでその店員とやらが何の用だ」

 なおも油断なく男の様子をうかがいながら、時久は鋭く問う。

 さらに距離を詰めようとするサチをどうにか手で制しつつ、小柄な男は答えた。

「遠峰とは昨日の夜遅くに会ッたんだ。それでその謝罪――あー、ちョッと用事があッて、ここまで来たンだけど……いねェのか?」

 小柄な男はがりがりと頭を掻きつつ、どこか居たたまれなさそうな様子で視線を逸らした。

 サチは青ざめた顔で、時久を振り返った。

「ねぇ、御堂さん……まさかブキちゃん、夜から帰ってきてないとか……」

 それに応えず、時久はベンチの方に歩いて行く。

 横たえていた鞘に鬼鉄を戻すと踵を返すと、大股で鍛錬場の出入り口に向かった。

 その背中を慌ててサチが追いかける。

「ちょ、ちょっと御堂さん! どこにいくの!」

 小柄な男は遠ざかっていく時久とサチの姿をじっと見送った。

 そしてまたがりがりと頭を掻くとフードを上げる。茶髪のかつらを剥ぎ取ると、その下から雪のように白い髪が零れた。

「……え、アイツ、夜から戻ってないの?」

 ぐしゃりと白髪を掻き、雷光は呟く。

 吹雪によく似たその顔には昨夜の不敵な笑みはない。

「まさか……昨日のアレでまさか腐敗堕落したのか……? グレちまッたのか……?」

 戸惑いと焦燥の入り交じった顔で、雷光は髪を掻き乱す。

 そしてついに耐えきれなくなったのか、彼は地面にしゃがみ込んだ。

「ヤベェ……アイツがビッチになッてたらどうしよう……」


「俺は昼過ぎに病院から帰ってくる小娘に出会った。その後急いでどこかに向かったようだが……そうか、銀座に行っていたのだな」

 ヒイヒイと呼吸を乱しながら追いかけるサチを振り返りもせず、時久は一人語る。

 階段を駆け上がり、時久は吹雪の部屋の前に立った。

 扉を睨み、鬼鉄に手を掛ける。

 一閃。それだけで扉は両断され、派手な音を立てて床に倒れた。

 サチは口元を覆い、真っ二つになった扉と時久とを見る。

「と、扉が……!」

「これ以外に入る方法が思いつかん。――邪魔するぞ」

 靴を履いたまま、時久は迷いなく上がり込む。その後に靴を脱いだサチが続いた。

 吹雪の部屋はひどく殺風景だった。

 机、箪笥、ストーブ……最初から与えられていたモノ以外に、彼女の私物はほとんどない。

「……寂しい部屋だ」

 物に溢れた時久の部屋と間取りがほとんど一緒だからだろうか。

 時久には、その部屋の空虚さがより強く感じられた。

 殺風景な部屋を見回していると、すぐに違和感に気づいた。

「カレンダーの日付が二十六日のままだな」

「猿面の時の奴だよ。ブキちゃん、退院したの昨日だったから……ねぇ、やっぱり何かに巻き込まれたんじゃ――」

 サチは不安げに首元をさする。脊柱管に大神達が宿っているせいか、落ち着かない時はいつも首に触れる癖があった。

 そんな彼女を見つめ、時久は短く命じた。

「犬槙、林檎を出せ」

「え?」

「奴の鼻を使えば小娘の居場所がわかるだろう」

「わ、わかった! 林檎!」

 サチの影がぐらりと揺らぎ、赤黒い髪をなびかせて林檎が現われた。

 林檎は時久とサチとを見て、腕を組んだ。

『何を探せばいいの?』

「ブキちゃんを探して! 昨日この部屋に戻ってきたかわかる?」

 サチが頼むと、林檎は腕を組んだままわずかに顔を上向かせた。

 すんと小さく鼻を慣らした後、林檎は首を振る。

『いいえ。昨日は戻ってきていないと思うわ』

「そんな……」

『ただ近くまで来た気はする』

「近くまで来ただと?」

 時久が眉をひそめる。

 赤黒い髪をくるくると弄びながら、林檎はこくりとうなずいた。

『ええ。外から少しだけあの子のにおいと霊気の名残を感じる。においの方は雨のせいでほとんど流されてしまってるみたいだけど』

「たどれるか」

『……ワタシに犬の真似をしろというの?』

 林檎は指先を止め、じろりと時久を睨んだ。時久もその視線を真っ向から受け止め、緊迫した空気が二人の間に流れた。

 しかし、サチがそこに割って入る。

「お願い林檎、ブキちゃんに何かがあったかもしれないの」

 林檎はサチをじっと見つめた。やがて観念した様子で、小さくうなずく。

『……いいわ。サチがそこまで言うなら』

 三人は部屋を後にして、寮の外に出た。

 林檎は二人を先導しつつ、時折においをかぐようなそぶりを見せながら歩く。

 そして社員寮から出てすぐの辺りで足を止めた。

『……あの子はここまで来た。車に乗って』

「寮のすぐ前ではないか」

 時久は背後を振り返り、やや驚いたように目を見張った。

 林檎は眉間に皺を寄せ、ゆるゆると頭を振る。

 恐らくその場に残ったかすかな霊気を辿っているのだろう。強い霊感を持つものは、その場に残留した霊気から大まかな出来事を読み取る事ができるという。

 やがて林檎はふと頭を止め、口を開いた。

『……男達がいた。多分、六人。身を潜めてた。そうして飛びかかった――狐みたいに』

「吹雪ちゃん、襲われたって事……?」

 サチの顔が青ざめる。

 林檎は目を開けると、通りの脇に立っていた電灯を指さす。

 見ればそこの電灯は粉々に割れ、その破片が路面に散らばって光っていた。

『そう、多分……一人が先に動いて、あそこから――なんだか変な動きね。待つことに耐えられなくなったみたい……それで――ああ、そこだわ」

 林檎は最初に立ち止まった地点に戻ると、ある一点を指さした

 道の端――コンクリート塀の影に隠れるようにして、何かが地面に突き刺さっている。

 すぐに時久が近づき、手ぬぐいで包み込んでそれを引き抜いた。

「これは……針? 暗器の類いか」

『当てる気は最初からなかった。警告のためにわざと外した』

 林檎は髪をいじりながら、眉間に皺を寄せる。

『そして揉み合いになって――連れていかれた』

「つ、連れていかれたって、どこに……」

『わからない……多分車に乗せられたの。六人の男達が連れ去った。これ以上はにおいも霊気も薄れてて、すぐにはたどれない……』

 困り切ったように林檎は肩をすくめた。

 蒼白を通り越して白くなった顔で、サチは口元を覆った。

「どうしよう……どうしよう! 御堂さん、ブキちゃんが危ないよ!」

 取り乱すサチは時久の立っていた場所を見る。

 しかしそこにはもう時久の姿はない。彼はとっくに踵を返し、大股で歩き出していた。

 その背中にサチは甲高い声で叫ぶ。

「御堂さん! どこにいくの!」

「警察に連絡する。それから社長にも伝えるぞ。――後は……」

「じゃ、じゃあわたし、夕子さんを起こしてくる! 何かわかるかもしれないから!」

 ばたばたと社員寮に向かってサチは駆け出す。

 それに影のように付き添って走りながら、林檎は振り返った。

 昨夜まで吹雪がいた場所。それをじっと見つめ、彼女は複雑な表情で口元を撫でた。

『五人はあの子を殺すつもりで連れていった。でも最初に動いた男は――』

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