その十.彼の望みは押し殺され
「……支度を全て整えろ。お館様がお戻りになる前に」
大柄な黒衣が他の黒衣達に鋭く命じた。
吹雪を抱え上げた者は無言でうなずき、音もなく闇へと消えていった。残る二人の黒衣も踵を返し、素早くその場から立ち去る。
大柄な黒衣は辺りを見回し、その顔を覆う仮面を剥ぎ取った。
角張った顔、鋭い目――それは間違いなく香我美伯爵邸警備隊長、万羽六郎太の顔だった。
六郎太は唇を歪め、点滅する電灯の影を睨む。
そこには、最初に吹雪を襲った黒衣が立っていた。吹雪に固められた左腕をしきりにさすりつつ、彼女が連れ去られた方向をじっと見ている。
六郎太は足音を潜めつつ、威嚇するように大きく肩を振って黒衣の側に近づいた。
「何故、指示を無視した」
黒衣は答えない。
六郎太はわずかにこめかみを引きつらせ、押し殺した声で再度問うた。
「手筈では三方から同時の攻撃だったはずだ。何故先走った?」
それでも黒衣は何も答えなかった。
途端、六郎太は黒衣の横っ面を思い切り殴り飛ばした。
黒衣が地面に倒れ込む。顔を覆っていた仮面が剥がれ、硬質な音を立てて路面に転がった。
頭を押さえて呻くその男を、六郎太は冷やかに見下ろす。
「……娘に情が湧いたか、
「……うるさいな」
ゆるゆると立ち上がり、黒衣――涅霖哉は鬱陶しそうに六郎太を睨んだ。
その視線がまた、吹雪が連れ去られた方に向けられる。切れた唇の端から伝う血を拭うと、霖哉はゆるゆると首を横に振った。
「……単に、とっとと終わらせたかっただけだ」
押し殺したその声は、白いと息とともに夜の闇に消えていく。
再び、雨が降り始めていた。
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