その八.鬼切りと大盗賊
「ッてェ……! もッと丁重に扱いやがれ!」
「それくらい我慢せい。――さて、こやつに代わって嬢ちゃんに頼まねばならないことがある」
「頼む……? 何をです」
両手を軽くもみほぐしながら、吹雪はカノエに視線を向けた。
カノエは真剣な表情で吹雪の視線に応える。
「簡単なことだ。しばらくこやつを見逃してくれ」
「……貴女の傷が癒えるまで、ということですか」
吹雪はカノエから目をそらした。
何故だかカノエと目を合わせることができない。その視線は吹雪の警戒などたやすくすり抜けて、その心の中身を見透かしてくるように感じられた。
「違ェよ。オレが最強になるまでに決まッてンだろ。ここで最強になッてからオレは親父をブッ倒しに――」
「お前は少し黙っておれ、雷光」
カノエが手で制すと、床にあぐらをかいて座っていた雷光はそっぽを向いた。
「そなたの言った通りだ。傷が癒えるまで妾は雷光を借りたい。傷が癒えた後の事は嬢ちゃんに任せる。好きにせよ」
「あ? ざッけんな。この雷光様をなんだと――」
「見逃すと……思うのですか? 私はあなたの正体を知りました。あなたを倒し、愚兄を無理やりに連れ戻すとは思わないのですか?」
「はァ!? 大人しく連れ戻されるわけねェだろ!!」
なんとかそう答える吹雪に、雷光がものすごい勢いで振り向いて吠えた。
「だから黙っておれというに」
ぎゃんぎゃんと吠える雷光に対し、カノエは額に手を当てため息をつく。
その唇が不意に、緩やかな弧を描いた。
「……妾を倒す、な。嬢ちゃんはそんな事せんよ」
「何故わかるのです」
「嬢ちゃんにその気が無いからだ」
余裕の笑みを浮かべて、カノエは緩く手を広げる。
吹雪は何も言わず、手首に蜘蛛の巣状に残った鉄線の痕をさすった。
「嬢ちゃんは雷光の逆だ。慎重で無謀な事はせん。先ほど妾が二人を拘束した時点で、嬢ちゃんは戦意を喪失しておる。――違うか?」
「……いえ」
「良い子だ。周りをよく見る子は長生きするぞ」
「カッ、自分を持ッてねェ臆病者の間違いだろ。オレはそんな流されるクラゲみてェな薄志弱行な生き方したくねェな」
膝に頬杖をつき、雷光が嘲笑する。
そんな彼を見下ろし、カノエは強い頭痛を感じたように額に手を当てた。
「……妾から見ると今のお前は自分がシャチだと勘違いした小魚だ、雷光」
「ンだとコラ、もッかい言ッてみやがれ」
「――それに仮に嬢ちゃんが蛮勇を奮い、妾に挑んだところで勝てはせんよ」
「オイ無視すんなカノエてめェ」
「この百年、浜の真砂をも超える数の盗人がいた。その中で今、生きているのは妾だけだ。百年分の場数を踏んだ盗人はこの大日本に妾一人という事よ」
カノエは遠い昔の記憶に思いを馳せるようにふっと目を伏せる。
その目が再び開かれた時――吹雪と雷光は息を止めた。
「ッ――!」
後ずさることもできなかった。
鉄線の拘束は解けているのに、指先一つ動かせない。この場の空気全体が幾万もの鉄線となり、ぎりぎりと五体を締め上げているように感じた。
気圧される吹雪と雷光とを見て、カノエは薄い笑みを唇に浮かべた。
「――さて。十七年生きた鬼切りと百年死にそびれた盗人。妾も気になるところだ。どちらが強いか、ここで試してみるか?」
「ぐ、う、ぉ……!」
雷光が奇妙な唸り声をあげた。真っ青な顔でどうにかカノエのプレッシャーにあらがおうとしている。しかし、指先一つも動かせないようだ。
戦ってはいけない――。そう思った。
勝ち負けなどはなから存在しない。戦おうとさえ――あるいは、この盗人の正面に立とうとさえ思えない。
吹雪は息も絶え絶えの状態でなんとか首を動かし、横に振る。
途端、全身を締め上げていた拘束がふっと和らいだ。
「かっは――!」
雷光が大きく息を吐き、吹雪は一瞬崩れそうになったところをなんとかこらえる。
カノエはほうと息を吐き、ダークブラウンの髪をゆるりと掻き上げた。
「――とりあえず話はこれで決着した。もう夜も遅い。送ろうか、嬢ちゃん?」
「……結構です」
掠れた声で吹雪はどうにか断り、荷物をまとめだした。
可能な限り早くこの場から立ち去りたかった。しかし吹雪はふと手を止めると、床に座り込んだまま荒い息を吐いている双子の兄をちらりと見る。
「ねぇ、雷光」
「あ? ……なんだよ」
ぶっきらぼうに答える雷光に、吹雪は短く問いかけた。
「私、何かおかしい?」
「……てめェは昔からおかしいよ」
「……そう」
吹雪は小さく吐息し、鞄を肩に担ぐ。
代金を払おうとしたものの、カノエは「奢りだと言ったろう」と受け取ろうとしなかった。
礼を言って、吹雪はそのまま店を出ようとした。
「待て、吹雪」
名前を呼ばれ、吹雪は足を止める。
雷光はゆっくりと立ち上がると、鋭い目で吹雪を見つめた。
「てめェはやりてェ事、ホントになんにもねェのか? こンだけでけェ街に来て、なんにも面白ェことなかッたのかよ?」
その言葉にいつもの刺々しさはない。万物に対し攻撃的な兄にしては珍しい事に、むしろその声音はどこか気遣わしげにさえ感じられた。
だからこそ、余計に胸に突き刺さった。
まっすぐな青い瞳に目を合わせることも出来ず、吹雪は扉を開ける。
「……さよなら」
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