その七.百年跋扈

 強い違和感を感じた。

 顔も服装も先ほどとまったく変わっていない。なのに、カノエの気配は、先ほどまでのあの颯爽とした店主のものとは何かが違っていた。

 混乱する吹雪に顔を向け、カノエはすっと目を細めた。

「悪いのう。嬢ちゃんの気持ちもわかるが、こんな場所でチャンバラをやられても困る。故に少し縛らせてもらったぞ」

「縛った……?」

 どこか老成した言葉を使うカノエと、動かない両手とを吹雪は見る。

 よくよく見れば、細い鉄線が幾重にも自分の腕や肩を縛り付けているのが見えた。

「い、いつの間に……!」

 吹雪は絶句する。

 まるで気づくことができなかった。一体いつの間にこれほど大量の鉄線を張り巡らせたのか。

「無視すンなコラァ! なんでオレだけ宙吊りなんだよ!」

 雷光がひたすら吠えながらもがいていた。

 その足下に立ち、カノエはどこか面白そうに彼を見上げた。

「おや、これはうっかりしておった。何分お前は声も態度も大きいくせに体は小さいからの、手加減が難しい」

「てめェわざとだろ! このバケモノババアが! マジふざけンな!」

「たわけが、わらわの弟子ならばこれくらい回避してみせい」

「弟子……?」

 その言葉を引き金に、吹雪の脳内に様々な記憶が蘇った。

『猿面は代替わりしている』という噂。時久が言った『猿面は女だ』という言葉。猿面の代打をしている雷光。そしてこの張り巡らされた無数の鉄線――。

 全てが繋がり、ある一つの解答を導き出す。

 乾いた唇を舐め、吹雪は声の震えをなんとか押さえつつたずねた。

「貴女が……本物の猿面?」

「……いかにも、という他ないのう。少なくともここ百年ほどの猿面は妾だ」

 吹雪の緊張など気にする様子もなく、カノエはあっさりとうなずいた。

 しかしその言葉に再び吹雪は驚愕する。

「ひゃ、百年って……!」

「嘘ではないぞ? 妾は見た。太平の眠りを蒸気船が覚ます様も、明慈の帝が龍脈を発電に用いる旨を宣ったところも全て見た」

 カノエは自分の目元を示すと、くすっと笑った。

「……色々事情があっての。とりあえず、そういう異能なのだと思っておくれ」

「なンかコイツ、マジで百年以上生きてるみたいでよォ」

 宙づりの状態で雷光が口を挟んだ。

「だからバケモノババアだ、オレなンにも間違ッちャいねェだろ」

「間違っちゃおらんがそろそろ口を閉じた方が良いぞ、雷光。さもなくば妾、お前の口を閉ざしてしまうかもしれぬ。物理的に」

「……クソッ、言論弾圧だ」

 うっすらと笑って手を揺らしてみせるカノエに対し、雷光は悔しげに歯ぎしりをした。

 両腕を拘束されたまま、吹雪はじっと彼女の姿を観察する。

 落ち着いてよく見れば、カノエは非常に恵まれた体格をしていた。すらりとしたその長身にはしっかりと筋肉が付いていることが見て取れる。

 右手に怪我をしているようだが、それ以外はすこぶる健康なように見えた。

 だからこそ、わからない。

「……どうやら相当の腕前と見受けます。貴女が猿面だというのなら、そこのやかましいのを代打に迎える必要は無い用に見えますが」

「ふふ、買いかぶりすぎじゃ――少し前にヘマをしてな。この通りだ」

 カノエは苦笑しながら右手の包帯に手を掛け、ぐいと引っ張った。

 包帯が一部ずれ、その下の部分が露わになる。そこには本来、人間の肌があるべきだった。

「――ッ!」

 吹雪は思わず息を呑む。

 肌も――肉さえもそこにはなかった。無数の包帯に包まれた空間の中には、配線めいた神経と白骨だけが存在している。

「骨と神経だけ……!?」

「タチの悪い呪詛だ。どうにかここまで保たせたが、こちらの手はまともに動かせん。ここだけでなく体の中身もひどいものだ」

 カノエは苛立たしげに唇を歪め、包帯の位置をまた元に戻した。

「それは先月、猿面が死んだと騒がれたあの襲撃事件の時のものですか」

「うむ。あの時はさすがに駄目かと思ったぞ。だがこの坊主に助けられてな。それからちいとばかり手を組むことになったというわけだ」

 穏やかな微笑を浮かべたカノエが見上げると、雷光は黙ってそっぽを向いた。

 吹雪は呆然と、二人の姿を交互に見た。

「手を……」

「うむ。妾が動けるようになるまで、こやつが代打をやるとな」

「それだけじャねェよ」

 雷光が口を挟み、顎でカノエをしゃくった。

「こいつはすげェ強ェンだぜ? つまりこいつをここまで追い込ンだ奴はそれ以上ッて事だ。そンでオレがそいつをさらにブチのめしたらさ」

 興奮のままに一息にまくし立て、雷光はそこでいったん一息吐いた。

 青い瞳をぎらぎらと輝かせ、べろりと唇を舐める。

「ようするにオレがこいつらより強ェッて事になるだろ?」

「お前は馬鹿ではないのに単純な脳みそをしておるのう」

「うるせェ! ッていうかとッととオレを下ろせ!」

 雷光が叫び、鉄線に拘束された体をぐいぐいと動かす。

 カノエは人差し指と中指を揃えると、それで真一文字に空を切った。

 パチッと小さな音が耳元で響く。直後吹雪の両手が一気に軽くなり、雷光は床に落下した。

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