その六.てめェはずッと止まッてる
雷光は面倒くさそうに手を動かし、コートの下に小太刀を隠した。
「オレは猿面じャねェよ……単なる代打だ」
「代打……?」
それは、猿面の代わりだというのか。何故、そんなことをやっているのか。
問い詰めようとする吹雪を、雷光はばっと手で制した。
「おッと、これ以上は有料だ。タダじャ教えちャやらねェ」
「ふざけるのも大概に――!」
「ふざけてねェよ。次はオレの質問に答えろ、愚妹――てめェをここによこしたのはクソ親父だろ? なんか言ッてたか? 言伝とかねェのか」
凶悪な双眸をより鋭くし、雷光は吹雪を睨む。
細かな動作さえ逃そうとしないそのまなざしに絶えかね、吹雪は目をそらす。
「……何もありませんよ」
「カッ! ねェッてか? 何も? 帝都まで出てきたのに? ――ぎャッはははははははははははははははははッッッッ!」
雷光は身をのけぞらせ、けたたましい声で笑い出した。
しかしすぐにその笑いは途切れ、整った容貌は苛立ちに歪む。雷光は大きく舌打ちすると、怒りをぶつけるようにテーブルを叩いた。
「クソ親父が……。オレが何やろうと蟷螂之斧にすぎねェッてか。潰す……ぜッてェ次はブッ潰す。この雷光様があいつをブチのめしてやる」
「……まさか、次があるとでも?」
吹雪の声音から温度が消えた。
冷え切ったまなざしで見つめてくる妹に対し、兄は嘲笑するように顎をそらした。
「あるさ。もうてめェなンか恐れるに足りねェ」
「何?」
奇妙な自信に満ちあふれた雷光の言葉に、吹雪は眉をやや吊り上げた。
すると雷光の顔から笑みが消えた。
テーブル越しにぐっと身を乗り出してきて、雷光は低い声音で言った。
「――てめェ、サボッてたな?」
「は?」
全く思いがけない言葉だった。吹雪の口から間抜けな声が漏れる。
しかし雷光のまなざしは鋭さを保ったまま。
「鍛錬サボッただろ。ぬるい太刀筋しやがッて。熱でもあるンじャねェかと思ッたぞ」
「そんな事あるわけないでしょう! 日頃から鍛錬は積んでいますし……大体、貴方と互角にやりあったでしょう!」
「カッ、てめェそこまで無知蒙昧じャねェだろ。互角なのがそもそもおかしいンだよ」
雷光は心底苛立たしげに言って、体を引いた。
椅子に腰掛け、険しい顔でテーブルを指先でこつこつと叩く。
「この際だから認めてやる、加賀にいた頃のてめェはバケモノだッた。一度見た技は全部そッくりそのまま吸収して、自分のモノにしちまう。ああクソッたれが、そうだ。あの頃のてめェはこの雷光様よりもちょッと――あるいはもッと上にいたさ」
「そんな、ことは……」
「最後の喧嘩を覚えてるか?」
それは雷光が家を出る前日のことだった。
ちょうど雷光が八雲に斬り掛かったところに、吹雪はたまたま居合わせた。考えるまもなく割って入り、雷光を一方的に叩きのめしたのだ。
「一月だ。あれから一月経ッた。オレは勉強し鍛錬を積んだ。けど人間一月でそこまで劇的に変異するわけじャねェ。オレは確かに強くなッたが、それでもまだてめェの域に達していねェ事はオレ自身がわかッてた」
雷光はばん、とテーブルを叩く。
「なのに互角! 互角だぞ!」
雷光は怒鳴り、怒りを鎮めようとするようにソーダをぐびりと飲んだ。
「さらには一時オレがてめェを押した! おかしいだろ! てめェがサボッてなけりャオレがあそこまで押すわけがねェだろ!」
まるで吹雪が自分よりも遥か上の位置にいるかのように雷光は言う。だがその言葉は、吹雪には到底見当違いとしか言いようがないものだった。
そもそも、鬼切りとしての経験は雷光の方が上だ。
病気がちだった吹雪とは違い、雷光は十歳の頃にはもう父を手伝っていた。
「そ、そんなにおかしくないでしょう。経験は貴方の方が上ですし……」
「そのオレの経験をアッサリ越えたのがてめェじャねェか! てめェの強くなる速度はオレよりずッと速ェンだぞ!」
さらに、吹雪と雷光にはどうしても性別の差がある。
少なくとも吹雪自身は腕力や持久力などでは雷光には敵わないと思っていた。
「でも、元々私と貴方じゃ性別の差があるでしょう……」
「馬鹿野郎が! 体格も性別も関係なく才ある使い手を人外の域に到達させるのが天外化生流じャねェか! そしてオレはそれを学んでもてめェに勝てなかッた!」
そして、雷光は吹雪以上の努力家だ。
日頃から様々な技術の習得に余念がなく、敗北すればその屈辱をばねに飛躍する。
「貴方も帝都で様々な鍛練を積んだのでしょう? だから、それで――」
「てめェはあのクソ親父が認めた天才だぞ! それがどれだけの事なのかわかってンのか!?」
吹雪の反論は尽く叩き切られた。
ひとしきりまくしたてた雷光は深々と息を吐くと、薄くなったソーダで喉を潤した。
そこでふと目を細め、顎を撫でながら考え込みだした。
「……いや、待て。考えてみりャ確かにてめェは昔からクソ真面目だ。サボるわけがねェ。ッて事は……ああ、いや。そうか、わかッたぞ」
「何をぶつぶつと……」
言いながら、吹雪は無意識のうちにきつく手を握りしめていた。
胸の内がざわつく。雷光の言葉を聞いていると、自分の足下にどんどん亀裂が走っていくような感覚を覚えた。
雷光がぱちんと指を鳴らした。
「てめェ、弱くなッたンだ」
「なっ――そんなわけがないでしょう!」
一体、雷光は何を言っているのか。
一瞬呆気にとられた吹雪だったものの、すぐに鋭い声で否定する。
「でなけりャおかしいだろ。だッて、オレの知ッてるてめェの剣はもっと不気味だった」
雷光は面倒くさそうに唇を歪め、がしがしと頭を掻いた。
「てめェの剣は静かで、物騒で……機械みたいに感情がなかッた。まさに鷹視狼歩、化物はもちろん相手がクソ親父の敵なら躊躇なく心臓ブチ抜くレベルの鋭さがあった」
「そ、そんな事しませんよ!」
「いや、てめェならやりかねねェと思うぜ」
「やりません!」
思わずテーブルに両手をつき、立ち上がった吹雪は激しく首を振る。
「鬼切りは人の命を奪ってはならぬと貴方だって父様に教えられたでしょう!」
「……ならてめェ、クソ親父が『人を殺せ』ッて命じたらどうよ?」
「そっ……!」
その言葉に吹雪は何故か答えられなかった。
言葉に詰まる吹雪に対し、雷光はすっと目を細めた。
「はン……見えてきたぜ。カッ! こいつァ痛快だァ! くだらなすぎて笑えるぜ! ぎャッはははははは!」
「……なにが、おかしいんですか」
けたたましい声で笑い出した兄に対し、吹雪はなんとか声を発した。
心臓の鼓動が早まるのを感じた。背筋が汗でぐっしょりと濡れていて不快だ。
これ以上、雷光と会話をするのは危険だと本能が告げている。
けれども吹雪は、聞かずにはいられなかった。
「ッたりめェだろ! あの戦い、オレが負けるはずがなかッたッ!」
雷光は目元ににじんだ涙を強引に拭う。
そして不敵な笑みを浮かべ、自分の胸に親指を当てた。
「オレは
意味不明だ。曖昧にもほどがある。
実家にいた頃は雷光がこうして大見得を切るたび、吹雪はそう返していた。
けれども今は――指の関節が白くなるまで吹雪は手を握りしめる。
そんな吹雪に、雷光は指を突きつけた。
「そんなオレが――なんの意思も目的もねェ薄ッぺらなてめェに負ける道理がねェよなァ!」
「ッ……目的なら、あります! 私は父様の命で――!」
「父様父様! クソッタレが、てめェはいつもそればッかりだ! ならてめェ、親父が死ねッて言ッたら死ぬのかよ!?」
雷光は苛立たしげにテーブルを叩き、吹雪の反論に怒鳴り返した。
「単純な話だ! てめェは強くなッても弱くなッてもいねェ! 停滞してるンだ!」
「停滞、なんて……」
「 てめェはがらんどうだからなァ! 親父がいなけりャなんもできねェンだ! 親父に生き方全部決められなけりャ行動一つできねェ!」
「そんなことあるはず……!」
「薄志弱行ここにありだ!」
再度、雷光はテーブルを叩く。
威嚇するように鋭い八重歯を剥き、雷光は嘲笑うように顎をそらした。
「薄っぺらで空っぽなクソ親父の人形が! てめェは所詮、そこまでなンだよ!」
「黙って――ッ!」
絶叫する吹雪の手が反射的に絶句兼若へと伸びた。
対する雷光はいっそう凶悪な笑みを浮かべ、善哉清光を抜き払った。
その瞬間、銀の閃光が走った。
「何ッ――!」
「うおァアッ!?」
吹雪の両手が勝手に跳ね上がり、雷光の矮躯が背後へと吹き飛ぶ。
吹雪は目を見開き、ちょうど『降参』の状態で固定された自分の両手を見つめた。
力を込めても指先一つ動かない。
「クソがァ! ふざけンなよこのォ!」
一方の雷光は空中で罵声を上げる。その体は上下逆さまで静止しており、どれだけ雷光がもがいてもぴくりとも動かない。
一体何が起きたのか。凍り付いた双子の耳に、呆れたような女の声が届いた。
「――騒々しいのう」
「カノエェ! てめェコラァ! 何しやがンだ!」
「少し黙っておる事はできんのか、雷光」
「飛石、さん……?」
店員用の入り口を見て吹雪は目を見開く。
扉にもたれかかるようにしてカノエが立っていた。右手を軽く持ち上げ、呆れた様子で雷光を見つめている。
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