その二.スカーフとハンカチの違い
検査結果は良好。まったくもって健康そのものだった。
病院の玄関。絶句兼若を腰に携え、鞄を背負った吹雪は院長に笑みを向けた。
「大変お世話になりました」
「ん……本当に大丈夫なわけぇ?」
「えぇ、すこぶる快調です――では、失礼いたします」
何かもの言いたげな院長の見送りを受けつつ、吹雪は病院を出た。
空気は冷たいが、陽光は眩しい。
いよいよ大晦日を目の前にした街並みはせわしなく、人々は皆浮き足だって見える。街頭の液晶は明日から正月に掛けて晴れの予報を出していた。
「……帝都の人は、どこに初詣に行くんでしょうね」
歩きながら、吹雪はぼんやりと雑踏を見回す。
去年の今頃、吹雪は父や兄とともに実家で過ごしていた。吹雪達の家は霊峰白山の麓近く、雪深い小さな集落にあった。
大晦日は夜明け前に家を出て、恐ろしいほどの参拝客で混み合う本宮まで初詣に行った。
「近場の神社で済ませりャ良いじャねェか」
そう文句を言う兄を父は『家のしきたりだ』とよくたしなめていたと思う。
今年の初詣はどうなるのだろう。
そして吹雪はこれからどうすればいいのだろう。
「あら、これは……」
歩いていた吹雪はふと気になり、ある店先のショーウィンドウに近づいた。
ガラスの向こうの商品――ではなく、硝子に映る自分の姿を見る。
水色の着物と黒いコート。
「……初めて帝都に来たときも、これを着ていましたね」
あの時と違うのは肩口に付けた紅梅社中の腕章くらい。これを付けていれば街中で式器を携帯していても無用な誤解を招かないと言われ、以降よく着けるようにしている。
紅い梅の花を刺繍した腕章に触れ、吹雪はぽつりと呟いた。
「あれから、私は何か変わったんでしょうか」
帝都に来てからは戸惑うことばかりだ。
今まで自分に疑問を抱いたことはなかったし、不安で仕方がないと言うこともなかった。
吹雪はため息をつき、ショーウィンドウから離れた。
見回せば、帝都の人々は迷うそぶりもなく早い足取りで歩いて行く。思えば時久をはじめとした紅梅社中の面々も、この巨大な街で迷うということをしない。
「……帝都の人は、迷わないんですね」
自分とは大違いだ。
この街に来てから、様々なことで迷うようになってしまった。
ぼんやりと考えながら歩いているうち、気づけば吹雪は社員寮にたどり着いていた。
重い足取りで寮の玄関口に入ろうとしたときだった。
「ふ――いや、とおみ……吹雪」
「霖哉さん?」
予想外の声にぎこちなく呼び止められ、吹雪は振り返る。
小さな門の向こう――木の側に霖哉が立っていた。ちょうど日陰に立っているせいか、いつも以上に顔色が悪いように見える。
吹雪はぱっと顔をほころばせ、霖哉の元に近づいた。
「こんな場所で会えるなんて……どうしてここに?」
「……帰る途中だったんだ」
霖哉はけだるげに答え、小さく咳き込んだ。
「最初は会社の方に行ったんだ。渡したい物があったんだが、おまえが入院したって聞いたから……負担になるのも良くないし、帰ろうと」
「そうだったんですね。良かった、もし診察が長引いてたら会えないところでした」
「……ん。そうだな、そうだ。ちょうど良かった」
霖哉は小さくうなずき、マフラーを口元まで引きあげた。
やはりいつもよりも具合が悪そうだった。日陰に立っていることを別にしても顔色は悪く、言動もどこかぎこちない。
「あの、なんだか具合が悪そうですけど……大丈夫ですか?」
「いつもの事だ――それより、これをおまえに」
心配する吹雪をよそに霖哉は鞄を開け、小さな包みを取り出した。
それを差し出され、吹雪は戸惑う。
「これは……?」
「おまえ、この前ハンカチをおれに渡したまま戻っただろ。どうにか汚れを落とそうとしたんだが、できなくて……だから新しいのを買ってきた」
「そ、そんな……お気になさらなくてもよかったのに」
「とりあえず見てくれ。安物だがそんなに悪い品じゃないはずだ」
霖哉に促され、吹雪は恐る恐る包みを解いた。
それは美しい布だった。真っ白な生地に、透き通るような淡い青色で幾何学模様が染められている。まるで雪原に落ちる影のようだ。
「あれ……」
しかし、何かが違う。
吹雪はそっと折りたたまれていた布を広げ、軽く持ち上げてみた。
「……多分、ですが。これハンカチではありませんね」
「なに」
「多分……スカーフだと思います、布もそんな感じです」
「そんなはずが」
珍しくうろたえた様子で霖哉は吹雪からそれを受け取り、広げた。
大きい。手を拭いたりするものにしてはあまりにも大きすぎる。さらに布地もやや光沢があり、吸水性があるものにはとても思えない。
霖哉はがっくりと肩を落とした。
「……スカーフだな」
「え、えぇ」
「……難しいな」
「そ、そうですね。バンダナとスカーフの違いもよくわかりませんし」
「……悪い」
「あ、謝らないでください! すごく嬉しいですよ! むしろこんなに立派な物もらってしまって本当に良いのかなって……!」
「だがこれはハンカチじゃない……」
「お気になさらず!」
そんなやり取りを何度か続け、日が傾きだした頃。
ようやく落ち着いた霖哉はとぼとぼと二、三歩歩き出した。しかし途中で足を止め、見送る吹雪にじろりと見た。
「……次は間違えない。ハンカチを買う」
「いや、もう十分ですよ。本当にありがとうございました。私、こういうアクセサリーとかには本当に無頓着なので」
「おれが納得いかない。次は店員に確認をとる」
霖哉は断固たる口調で言うと、また歩き出した。
生真面目な人だ。吹雪は苦笑しながら、少しずつ遠のいていくその背中を見守った。
しかし再び数歩も行かないうちに霖哉は足を止める。
「……なぁ、おまえ。年末は石川に戻るのか?」
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