その二十三.どうしておまえがここにいる

 地面に突き刺さった絶句兼若に手を掛ける。


「雪一片、百鬼を殺す――!」

『待てやァア! 逃げンじゃねェエエエ!』


 引き抜くのと同時に式器を発動。

 追撃を仕掛ける猿面めがけ、後退しながら吹雪は冷気の刃を振るう。視界を埋め尽くさんばかりの氷壁が立ち上がり、津波の如く猿面へと押し寄せた。

 猿面は今、あの雷の式器を持っていない。ならばこの質量の氷を防ぐのは至難の業のはず。


 ――これで氷で猿面を封じ込められれば。


 しかし吹雪の希望をよそに、氷壁に対し猿面は防御の姿勢も見せない。

 前へと直進しながら、その左手をばっと後方に伸ばす。


『戻れッ! 善哉清光ぜんざいきよみつ!』

「えっ……」


 その動きに――そしてそれ以上に、その言葉に吹雪は驚愕する。

 銀の閃光が走り、猿面の掌中へと吸い込まれた。それは先ほど吹き飛ばされ、煙突の側面に突き刺さった雷電の小太刀。

 二本の小太刀を順手――切っ先をまっすぐに正面に構え、猿面は氷壁へと強く一歩踏み出す。

 ゆるやかに猿面は両手を持ち上げ、短く――そして深く呼吸した。


『我式九の太刀ィイ――【雷神機関連撃ライジング=ガトリング】ッッ!』


 それは大層な名前のわりに極めて単純な技だった。

 直進しながら二つの小太刀を交互に突き出す――ただひたすらにその繰り返し。しかし神速の域に達した双刀はまさしく機銃掃射の如き威力を見せた。

 あまりの速度によってほぼ閃光と化した二つの刃が削岩機のように氷壁を削りとる。

 猿面の双腕が霞み、踏み出した足が地面に亀裂を刻んだ。

 そうして猿面はあっさりと氷壁を打ち破った。


『――ッハァ! 百五十発、いや二百発くらいブチ込ンだか?』


 大氷壁を小さな雪山へと変えた猿面は息を吐く。さすがにあれだけの質量を砕くのは無理があったのか、その肩は大きく上下していた。

 猿面が消耗している今、間違いなく吹雪には勝機が訪れている。

 しかし吹雪は動けなかった。


「……はっ……はぁ……!」


 呼吸が乱れる。鼓動が早まる。手の内がじっとりと汗ばんでいく。

 今までの様々な猿面の行動が脳裏に蘇った。それらがまるでパズルのピースが組み合わさっていくように、一つの解答を形作っていく。

 何故、猿面の様々な不意打ちを無意識のうちに防ぐことができたのか。

 あの大跳躍の正体はなんだったのか。【我式】とは。自分が生理的に抱いていた猿面への不快感は一体。善哉清光。


『鬼切りと怪盗どちらが強いのか』『てめェが嫌いだッた』――その言葉の本当の意味は。


「はっ……そんな……そんな、バカげたことが……!」

『ぼーッとしてんじャ――ねェ!』


 猿面の姿がかき消えた。

 そう思ったときにはすでに猿面は吹雪の眼前にあった。

 完全に反応が遅れた。それでも吹雪はなんとか絶句兼若を振るい、猿面の左の小太刀を防ぐ。

 絶句兼若と猿面の小太刀が火花を散らした。

 互いの息がかかりそうな程の鍔迫り合いの中、吹雪は猿面の小太刀を見る。それはたしかに先ほど雷電を発していた猿面の式器。

 そして――どうして気づけなかったのか。


「これ、は……たしかに、たしかに……! そんな、ああ……! なんで――!」


 うねる黒雲を思わせる乱れ刃の小太刀。間違いなく絶句兼若とともに父が愛用したもう一振りの刀――善哉清光だった。

 それを受け継いだ男は。

 そして――今それがここにあるということは。全てのピースがカチリとまとまった。


『さッきの礼だ! 受け取りやがれッ!』

「が……!」


 腹部に膝蹴りを叩き込まれ、吹雪は大きく後ずさった。

 内臓に衝撃が走り、口から胃液が零れた。

 それでもなんとか体勢を立て直し、絶句兼若を大きく振り抜いて猿面の追撃を弾く。

 吐き気が納まらない。

 これは猿面の攻撃によるものではない。いまだかつてない激しい感情が一気に吹雪の胸を揺さぶり、その調子を蝕んでいた。


「何故――」


 その激情に押されるまま吹雪は地を蹴る。

 悲しいのか、嬉しいのか、怒っているのか。なにもわからない。ただ意味不明な感情が爆発し、その爆風に駆り立てられるようにして走っていた。

 猿面がその場で一度軽く跳躍する。瞬時に空中に逃れ、上空から一撃を入れるつもりか。

 


「なんで――」


 吹雪は無間を使い、一気に距離を詰めた。

 飛天を防ぐには、本命の大跳躍の寸前で一撃を入れれば良い。胸の中は嵐のようだが、頭の中はどうにか冷えていた。

 吹雪は下段から切り上げつつ、切っ先で地面を軽く引っ掻く。

 するとそこから薄い氷の線が走り、猿面の足下まで達した。地面からの反動を利用して跳ぼうとした猿面の足が滑り、その体の均衡が大きく崩れる。


『うおッと――させるかァ!』


 怒号とともに猿面の右手からワイヤーが何本も伸びた。どこかに絡みついたそれらを頼りに体勢を立て直し、猿面は防御の構えをとる。

 卑怯だ。前はこれで体勢を整える前に終わったのに。

 そう考えた瞬間――それまで感情を押し止めていた堰が切れたような気がした。


「何故――ッッッ!」

 激昂する吹雪は大上段から絶句兼若を振り下ろした。

 その膂力は普段の吹雪を上回る勢いで、万全の体勢で受けたはずの猿面の体がずんっと沈みこむ。やべ、と猿面が呟いた気がした。

 構わず吹雪は猿面めがけて連撃を叩き込む。


「おまえが――おまえがッ! おまえのせいで――!」


 もはや自分が何を言っているのか、何をしているのかもよくわからなくなっていた。

 まるで嵐の如く激しく――あるいは幼子のようにがむしゃらに。

 感情の爆発のままに吹雪は猿面に斬撃を叩き付ける。

 そのことごとくを防ぎつつ猿面は呻いた。


『……チッ、地雷踏んだか』


 もはや殺意さえ滲む吹雪の太刀を防ぎつつ、猿面はちらっと周囲をうかがう。

 屋上へと通じる扉がどんどんと叩かれていた。道中の罠を突破し、追っ手がやってきたようだ。扉はワイヤーでも封じられているが、そう長くは持つまい。

 猿面は忌々しげにため息を吐いた。


『クソッ……ブチのめしたかったのにな』


 絶句兼若を強く跳ね上げ、猿面はまるで踊るようにその場で身を翻した。

 そのマントが大きく広がり、吹雪の視界を覆い隠した。


「小賢しい――ッ!」


 マントを払いのけ、吹雪は一歩踏み出す。

 途端、その体に電流が走った。


「ぐ、うあッ――!」


 視界が真っ白に爆ぜる。一瞬の痛みの後に全身から一気に力が抜け、吹雪は地面に倒れた。

 自分の足下に、銀色のボタンのようなものが落ちていた。


『加圧式の電気トラップだよ。踏むと感電するンだ。まァ人体にも環境にも影響はねェから安心しな、多分』


 離れた場所に移動していた猿面が肩をすくめながら、倒れた吹雪へと近づこうとした。

 しかしその瞬間、吹雪はがばりと起き上がった。

 憤怒に燃える青い瞳を向けられ、猿面がびくっと身を震わせた。


『はァ!? いや感電しただろ! 倒れとけよ――ッ!』

「――涅槃寂静ッッッ!」


 次、小細工をされてはたまらない。猿面の驚愕が抜けないうちに仕留める。

 呼吸を止めた途端、周囲の時間が遅くなる。

 色が消え、音が遠のき、無意識下でかけられていた肉体の制限が消えた。軽くなった体を駆り立て、吹雪は絶句兼若を手に猿面へと駆け出す。

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