その二十一.既視感と嫌悪感

 冷たい夜風が白い髪をなびかせる。

 吹雪は軽く髪を押さえながら、二、三歩前に進み出た。その背後で扉がゆっくりと閉まる。

 途端、ビーッと小さな音が響いた。


「えっ――!」


 とっさに身構えたものの、特に爆発などが起こる気配はない。

 扉の取っ手に手をかけ、引く。しかしそれはびくとも動かなかった。あの黒い装置はどうやら爆弾などではなく、扉を封鎖させるためのもののようだ。

 吹雪は扉から離れると、改めて辺りを見渡した。

 本館の屋上というだけあり、相当な広さがあるようだ。だだっぴろいコンクリート製の地面を槍のような形をした鉄製の柵が囲っている。

 奥にはいくつかの煙突が天へとそびえ、細く煙を吐き出していた。

 明かりはなく、まだ満月に近い月のみが辺りを照らしている。


 そして吹雪の視線の先で黒いマントが翻った。

 頭を覆うたてがみの飾りを風に揺らし、猿面が吹雪に背を向けて立っていた。


「――ッたく、侮ッたぜ。あの姉ちャん、呪術が使えるとはなぁ。こンだけ大規模な結界を張られるのは予想してなかッた」


 黄色い電光を放つ目を頭上に向け、猿面はぶつぶつとぼやいていた。

 その視線の先――よくよく目をこらすと、薄青く光る巨大なヴェールのようなものが見える。恐らくあれが夕子の言っていた結界だろう。


「どうするかなァ……まぁ充電すりャなんとかなると思うけどよォ……」


 ぼやきながら、猿面はたてがみに覆われた頭をがりがりと掻いた。

 猿面から吹雪までの距離は四、五十歩はある。その距離を確認すると吹雪は呼吸を整え、足に神経を集中した。

 恐らく猿面はすでに吹雪の存在に気づいているだろう。

 無間によって接近し、何もできないうちに制圧する。

 そう考え、吹雪は音も無く地を蹴った。

 数歩で猿面の背後に肉薄し、その首に手刀を


『甘いぜ、小娘』


 ぎぃん……! 刃と刃のぶつかりあう音が甲高く屋上に響いた。


「なっ――」


 その余韻を聞きつつ、吹雪は呆然と自分の手を見る。

 何が起きた? 一瞬の混乱の後に吹雪はなんとか理解する。

 猿面が振り返りざまに超速の斬撃を放った。そして吹雪は絶句兼若によってその凶刃をかろうじて打ち払い、後退した。

 猿面の一撃を認識さえできなかった。

 なのに体が勝手に動いた。

 ――まるでここで不意打ちが来ると理解していたように。


『――ヘッ、そうだ。そこは防いでもらわなけりャ』


 斬撃を防がれた猿面はむしろ嬉しそうな様子で笑い、得物でとんとんと肩を軽く叩く。

 その手に握られた得物を見て、吹雪は眉をしかめた。


「……小太刀ですか。これはまた」


 小太刀。刃渡りがおよそ二尺(約六〇センチ)ほどの短い太刀だ。

 それが猿面の両手に一振りずつ。


『よく来たな。この猿面様が歓迎してやろう』


 小太刀をくるくるともてあそびつつ、猿面はまるで館の主人のようにのたまった。

 油断なく太刀を構え、吹雪は猿面を睨む。


「……やはり私を誘っていたのですか」

『ああ、てめェが来るのが理想だッたよ。正直あのデカいのが来たらどうしようかなァとか思ッてたけどよ。いやァ運が良かッた』

「何故、私をここに?」

『大した理由はねェよ。ただ――』


 回転していた刃がぴたりと止まった。

 一つの小太刀の切っ先を吹雪に向けて、猿面は低い声で笑う。


『鬼切りと怪盗ッてどッちの方が強ェのかなッて、ちョいと気になッちまった』

「ずいぶん浅はかなのですね。そんな即物的な理由で行動するなんて」

『悪ィな。感じるままに動くのが信条なモンでよ』


 この男、苦手だ――吹雪はその時、ふっと感じた。

 どうにもこの男と会話していると胸がざわつく。その言葉を聞くたび、心の底に押し固めた嫌な感情が逆撫でされていくのだ。


 そしてわからないのは、その感覚に覚えがある事。

 自分はかつてこの男にどこかであった事がないか。


 奇妙な既視感に吹雪は眉をひそめる。


『どのみちてめェは戦わなけりャならねェのさ。オレはてめェをブチのめしてェ。てめェはオレを捕まえてェ。そうなりャ道は一つだろ』


 ごうごうと風が唸りを上げた。

 雲が流れ、月光をかき乱す。その光に刃を乱反射させつつ猿面は構えを作った。

 左は高く、右は低く。左右の切っ先はぴたりと吹雪に向けられている。

 さながら雷神図のような攻撃的な構えだった。


『来いよ。てめェの技を片ッ端から否定してやる』


 挑発に吹雪は答えず、猿面との間合いを測る。

 先ほど後退したためおおよそ二十歩ほど。

 あの小太刀で吹雪に攻撃を加えるならば相当接近しなければならない。懐に潜り込まれれば得物が長い吹雪の方が不利となる。


『おいなんだ、ちんたらしてンじャねェよ。戦いが始まッたンだぞ』


 ましてや吹雪は対人戦はいまいち慣れていない。双子の兄は猿面と同じように小太刀を使っていたが、猿面のように二刀術の使い手ではなかった。

 相手の様子をしっかり見つつ迎撃――吹雪はそう決めて、静かに呼吸を整える。


『しゃあねェ――先手必勝。来ないならこッちから行くまでだ』


 猿面が右手を素早く振るった。

 その手――いや手首から微かに光る何かが高速で放たれる。自分めがけて飛来するそれを吹雪はとっさに首をひねって回避する。

 キリリリリリリッ! 甲高い異様な音が耳朶を打ち、吹雪ははっと振り返る。

 眼前に猿面の青黒い仮面があった。


「おらァ!」

「っと、くっ――!」


 掬い上げるように叩き込まれた左の刃を籠手を嵌めた左手で払いのける。

 小太刀とは思えぬ異様な重みが左手にぶつかった。

 思わず二、三歩吹雪は後退する。

 その側面を猿面の体が凄まじい速度ですり抜けた。


「嘘……っ!?」


 一瞬吹雪は目を疑った。

 ――猿面が空を飛んでいる。

 右手を突き出した状態で猿面は宙を飛び、吹雪の後方にあった煙突の側面に着地。そのまま吹雪めがけて左手を突き出した。


「そらよッ!」


 風を切る音ともにその手首から再び何かが高速で射出される。

 吹雪はとっさに側面に飛んだ。

 飛来物が脇腹を掠める。肌がわずかに裂け、ちくりと痛みが走った。


「つっ――これは……!」

「まだまだァ!」


 煙突を蹴り、猿面の体が再び宙を舞う。その右手が踊るように翻り、吹雪の方向めがけて右手首からさらに何かを射出する。

 今回はあえて避けなかった。飛来物が吹雪の頬を掠め、血の線を滲ませる。

 キリリリリリリリッ!

 先ほどの甲高い音が響く中、猿面の体が吹雪めがけて宙を飛ぶ。

 吹雪は数歩後ろに下がり、絶句兼若を最上段に構えた。

 そして機を見計らい、振り下ろす。


「せぇ――!」

『うおッ……とぉ』


 火花が散った。同時に硬い感触が両腕に伝わってくる。

 着地とほぼ同時に、猿面は左右の小太刀によってどうにか吹雪の一撃を防いだ。

 刃が噛み合う音が響く中、猿面は拗ねたように舌を鳴らした。


『ちェッ。避けてンじャねェよ、生意気な奴』

「失敬。ワイヤーの軌道があまりにも馬鹿正直だったもので。あんなもの、落ち着いて動きを見ればいくらでも回避できます」


 絶句兼若にさらに力を込めつつ、吹雪は淡々と答える。

 猿面は極細のワイヤーを射出し、それを高速で巻き取ることで飛行していた。目をこらし、その軌道を読み取れば猿面がどこに向かうのか予測可能だ。

 もう一度舌打ちして、猿面は大きく後退する。

 ガリガリとたてがみを掻き、拗ねたような口調でぼやいた。


『ふざけやがッて。オレは初見で避けられなかッたッてのになァ……精励恪勤せいれいかっきん、やッぱりまだまだ研究が必要ッて事か。ハァ……」


 猿面は大きく空を仰ぎ、深くため息を吐く。

 そうして小太刀をくるりと回転させ、猿面はその場で軽く跳躍した。

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