その二十.怪盗が誘う

「さ、猿面が二人……?」

『バカ、聞いてなかったのかチキン野郎が。たッた今言ッただろ?』


 絶句する綾廣に、猿面は激しく頭を横に振った。

 そうして親指を立て、己の存在を誇示するように自分の胸元をぐっと押してみせる。


『このオレが! オレだけが! 正真正銘本家本元の猿面なンだよ』

「じゃあさっきの猿面は偽物って事かい!」


 夕子の叫びに猿面は深々とうなずいた。


『たりめェだろ。なンだか知らねェ間に殺人罪が加わりそうだッたからよ、こうして執事に化けて抗議をしに来たッてわけだ。そンでついでに今宵は庚申だ』


 猿面は得意げにスーツの腰に着けたホルダーから赤い塊を出してみせた。

 それは先ほどまで宗治が持っていたはずの宝玉。


『とりあえずファンの期待に添ッて奪いに来たぜ、鬼灯の瞳。いや、さッきもそこのオッサンが言ッてたけどよ、あッけねェなァオイ」

「貴様! それを返ッ――ぬぅうう!」


 猿面めがけて一歩踏み出した六郎太がもんどりを打って倒れた。

 同じく近づこうとした時久までもが膝をつく。


「ぐ――!」

「な、何事です? どうしました!」

「動こうとしたら体が急にしびれた……! 床になにかなにか仕掛けていたな!」


 吹雪に答え、時久は歯ぎしりしながら猿面を睨んだ。


『おう、仕掛けてたぜ。この床一面に極細の鉄線をな」


 猿面の言葉に、吹雪ははっと足下を見下ろす。

 彼が立つ階段の前の床に、いつの間にか細い鉄線が縦横無尽に敷いてあった。まるで銀でできた蜘蛛の巣のようだ。恐らく電気を通しているのだろう。


「それだけじャねェ。この屋敷中色々いじらせてもらッた。とりあえずオレはオサラバするけどよ、せいぜい気をつけるこッたな』

「ちっ――夕子、用意!」

「合点!」


 慶次郎に応答した夕子が印を結び、早口で呪文を詠唱し始めた。


『――あばよ、観客どもオーディエンス!』


 高笑いとともに猿面は足下になにかを叩き付け、身を翻した。風船が弾けるような音ともに、その瞬間そこから白煙がごうっと辺りに広がった。


「くぅ――一班と二班はお館様を守れ! それ以外の警備隊は猿面を!」


 曇った視界の中で呻きながら六郎太が鋭く命じた。


「夕子! 結界は!?」

「展開完了したよ! しばらくは猿面はこの敷地内から出られないはずだ。ただ長くはもたないよ。それにアタシはここから動けないからね」

「上出来だ!」


 満足げに慶次郎が答えた。そしてもうもうとした白煙の中でじっと待機していた紅梅社中の面々に対し、彼は命令を下す。


「夕子はおれが守る! 綾廣と吹雪は猿面を追え! トキも回復次第いけ!」

「イ、イエッサー!」

「とっくに回復しているわ! 俺も行く!」

「承知しました」


 綾廣の緊張した声と時久の怒鳴り声とを聞きつつ、吹雪は足に力を込めた。

 呼吸を整え、きっと前方を見据える。長引く白煙のせいで視界ははっきりしない。しかしその先には猿面の敷いた鉄線と、正面階段があるはずだった。

 とん、と吹雪はその場で一度跳んだ。そして。


「――【飛天ひてん】」


 天外化生流独特の跳躍法。

 一度目の跳躍による地面からの反動と、特殊な呼吸による大跳躍を合わせたものだ。

 達人ともなればまさしく天を飛ぶ勢いとなる。無間に比べると吹雪はこの技が苦手だが、それでも罠と階段を飛び越すには十分だった。

 一っ飛びで猿面の立っていた場所に着地した吹雪はそのまま二階、三階へと駆け上がった。

 複数箇所に発煙装置が仕掛けられていたのか、屋敷中が煙に包まれている。


「駄目だ、見つからん! 猿面はどこだ!」

「下手に階段に寄るな! 一階には罠が仕掛けてあった! 危険だぞ!」

「気をつけろ! そこら中に電線が仕込んであるぞ!」


 二階も三階も警備隊の面々が物々しい様子で猿面を探している。

 この分だと猿面の行き先はさらに上――恐らく館の屋上だろう。

 まだ時久の言っていた【空を飛ぶ式器】を本当に持っているかどうかはわからないが、わざわざ上へと逃げたのには理由があるはずだ。

 しかし、吹雪は嫌な予感を感じていた。


「……何故、階段にだけ罠が仕掛けられていないんでしょう」


 どうやら警備隊の様子からするとあちこちの床に電線が仕込んであるらしい。

 だが、今のところ階段を進む吹雪は特に異変を感じない。

 逃走手段として使用するから仕掛けなかったのか。

 しかしあの罠はどうやら任意で発動が可能らしい。自分が通った後でその箇所の罠を作動させる事くらいできそうだが――。

 悩んでいるうちに、吹雪は屋上へと通じる金属製の扉にたどり着いた。

 吹雪は注意深く扉を観察する。

 薄く開いていた。扉の上部をよくよく見ると、小さな箱状の黒い機械が仕掛けられている。機械には赤いランプがついているが、明かりは点っていない。

 そこでようやく吹雪は猿面の意図を知った。


「誘われていますね」


 罠を仕掛けなかったのではなく、仕掛けてあった罠を作動させなかった。

 それはなんの理由があってかは知らないが追っ手を――あるいは吹雪を招くため。

 吹雪はそっと取っ手に手を掛け、扉を引いた。

 機械のランプに明かりが点った。

 吹雪は一瞬身を固くしたが、それ以上の異変は起こらない。


「……さて」


 意を決した吹雪はゆっくりと扉を開き、屋上へと出た。

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