その十七.彼女はそれを忌まず、恐れず

「……霊脈があるだけではこんなに集まってきませんよ」


 吹雪は首を振り、絶句兼若を構え直す。


「何か他の要因があるのでは」

「さぁな。それを考えるのはおれの仕事じゃない。――さすがに数が多いな。このままだと伯爵にどやされる……仕方がない」


 霖哉は直刀を納め、コートの左袖を肩までまくった。

 一体何をするつもりなのか。攻撃態勢に移ろうとしていた吹雪は霖哉の動きに気を取られる。


「霖哉さん、何を――」

「……あまり見るんじゃない」


 押し殺した声とともに、左手の骨を鳴らしながら霖哉が一歩踏み出した。

 熊手状に広げられた指先が黒く染まる。

 直後、ばきばきと音を立てて霖哉の左腕が膨れあがった。


「なっ……」


 あまりの光景に、吹雪は一瞬絶句する。

 見る見るうちに霖哉の左腕は甲殻に覆われ、無数の棘が突きでてくる。

 甲殻の狭間には無数の裂け目が走り、牙に覆われた口のような器官が現れた。

 その掌もまた歪み、変質し――目のない龍の頭部のような形に変貌する。それは霖哉の腕であるにもかかわらず、まるで意思を持っているかのように牙を剥いた。

 霖哉の変異に、化物達が目に見えてたじろいだ。

 その隙を霖哉は逃さなかった。


「は――っ!」


 顔を歪めつつ、霖哉は異形の左腕を振り払う。

 無眼の龍が顎を広げ、化物めがけて襲いかかった。

 霖哉が腕を振るうごとに化物が食い殺され、その血肉が宙を舞う。

 全てが片付くまでにさほど時間はかからなかった。


「はぁっ、はっ……くっ……」


 膝を突き、荒く息を吐いた。

 同時に無眼の龍は蝋が溶けるように消失し、元の人間の腕の形を瞬く間に取り戻した。


「だ、大丈夫ですか!」

「……まて」


 慌てて駆け寄ろうとする吹雪を、霖哉が震える手を伸ばして制す。

 左腕がみしみしと異音を立てていた。

 よく見ると、その上腕はまだ黒い甲殻に覆われている。そこから黒い繊維状の何かが肩に向けて伸びようとしていた。


「ちっ……黙ってろ……!」


 注射器を取り出し、霖哉は無造作に腕に打ち込んだ。

 途端、腕のざわめきが落ち着いた。

 溶けるように消えていく降格を見下ろし、霖哉は深く息を吐いた。

 そして吹雪を見て、自嘲するにように唇を歪める。


「……悪いな。嫌なもの見せた」

「異能、ですか?」

「ああ、とびっきり忌々しい力だよ。おれに対して嫌なものしかもたらさない。――っつ!」


 霖哉が頬の傷口に触れ、顔をしかめる。

 その顔を見て吹雪は我に返り、大股で霖哉の元に近づいた。


「触らないで。ちょっと見せてください」

「え? お、おい――」

「……少し深く切ってしまったようですね。とりあえずこれで押さえて」


 霖哉の傷の具合を確認し、吹雪は制服のポケットからハンカチを取り出す。

 それで傷口を押さえようとすると、霖哉が慌てだした。


「ば、ばか。汚れるぞ」

「構いませんよ。ハンカチって汚れをとるためのものでしょう。――あの化物達の中に毒を持っているようなのはいませんでしたが、後でちゃんと消毒してくださいね」

「あ、ああ……わかったよ」


 何を言っても聞かないと悟ったのか、霖哉はしぶしぶハンカチを受け取った。


「……おまえ、全然顔色変えないんだな」

「何をです?」


 言葉の意味が掴めず、吹雪は首をかしげる。

 すると霖哉は仏頂面で頬を押さえたまま、左手を軽く振って見せた。


「おれの異能だよ。左腕だけじゃない、おれの体はどこもあの忌々しい力に侵蝕されてる。隙があったら暴れ出して、化物を探して嗅ぎまわるんだ」


 霖哉は左手の骨をばき、と鳴らした。

 先ほど変異し、暴れ回ったその手を吹雪はただじっと見つめる。


「恐ろしくないのか? 気持ち悪くないのか?」

「いえ。びっくりはしましたが」


 北陸にいた頃から肝が太い方ではあったが、ここ最近ありとあらゆる事に耐性がつきすぎてしまった。主に時久と、林檎のせいだ。


「びっくりしただけかよ。……なんだか逆におれの方が怖くなってきた」


 そんな吹雪に、霖哉はわざとらしく身震いする。

 しかしすぐに脱力し、深くため息を吐いた。


「普通こんなおれの体を見たら、もっと気持ち悪がって、怖がるだろ。……おれの母親もそうだった。そうしておれを伯爵の施設に捨てた」

「それは……」


 淡々とした霖哉の言葉に、さすがの吹雪も言葉に詰まる。

 どう話せば彼を傷つけないか。どうすれば彼の慰めになるか。そう考えた吹雪の胸中を見透かしたように、霖哉は薄く笑った。


「別に慰めなくていい……おれは辛くもないし、悲しくもない。おれは今の境遇になんにも感じていないんだ。ただ伯爵が望むようにあるだけだ」


 何故か既視感を感じ、思わず吹雪は胸元を押さえる。

 父の望みであろうとした。そのことになんの苦痛もも感じたことがなかった。

 なのに――。

 これ以上考えてはいけない。吹雪は一瞬、目を伏せる。

 けだるげな霖哉の言葉が聞こえた。


「……ただ最近おまえと話していて、ふと息苦しいとは感じるようになった」

「……私は貴方と話していて、何故窮屈なのかは理解しました」

「ふぅん?」


 興味を示したように霖哉が鼻を鳴らす。

 林檎とサチの話や時久の言葉を思い出しつつ、吹雪は口を開いた。


「私を絞め上げているのは、私自身だった……私は人の心に怯え、誰にも傷つけられないよう自分の意思や、望みを押し潰していました」

「意思、望み……か。おれを締め上げているのも、おれなのかな」

「さぁ……それは、わからないけれど。でも――」


 いつか答えは見つかるはず。

 吹雪は今の不安感の正体はわからないものの、窮屈さの答えは見つかった。

 霖哉もきっと。

 そう吹雪が言葉を続けるよりも早く、低い男の声が響いた。


「――涅、なにをしている」


 その声に霖哉ははっと振り返った。

 一体いつの間に現れたのか。背後には黒い僧衣に身を包んだ中肉中背の男が、鋭い目で霖哉を見つめていた。


「六郎太……」

「伯爵がお呼びだ。仕事中に女とお喋りとは良い身分だな。伯爵のご恩を――」

「やかましい。すぐに行く」


 苛立たしげに霖哉が手を払う。

 六郎太は一瞬吹雪を見て、眉をぴくりと動かした。しかしすぐに後退し、闇へと姿を消す。

 霖哉はうんざりしたようにため息を吐き、立ち上がった。


「……お前もとっとと寝ろ。明日は仕事なんだろ」

「あ、は、はい。霖哉さん、どうかお気を付けてくださいね」


 吹雪の言葉に、霖哉は髪を掻き上げながらにやりと笑う。


「お前こそ気をつけろよ。そそっかしいから」

「だ、大丈夫です! ――では、おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」


 互いに軽く手を振り、吹雪と霖哉は別れた。

 吹雪の姿が見えなくなったところで、霖哉はっとした顔で手に持ったハンカチを見た。


「……やべ、これどうしよう」

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