その十四.庚申の夜に待つ由来

 二人が訪れたのは、時久のなじみの店だという小さな食堂だった。黒い格子戸と、無数の木彫りの飾り物が店の目印らしい。

 昼飯時と言うことで店内は賑わっている。

 和装に身を包んだ妙齢の女性が注文を取り、厨房とせわしなくやり取りをしていた。彼女の案内で空いていた座敷に入り、吹雪と時久は畳に腰を下ろした。


「先ほどはそれっぽい理由を言ってましたが――本当はあの屋敷にいたくなかっただけですよね? わざわざ屋敷で昼食を取らなかったのは」


 割り箸を割りつつ、吹雪は道中ずっと気になっていた事をたずねる。


「ふん。わかっているではないか」


 時久は悪びれる様子もなくにっと笑い、菜飯を掻き込み始めた。

 吹雪もまた自分の分の食事に箸を伸す。山菜ときのこのたっぷり入った蕎麦と、鶏肉にしそを挟んであげたものと、小さな茶碗蒸しとが吹雪の前には並んでいた。


「そんなに嫌ですか? あのお屋敷」

「嫌だ。あの伯爵もうさんくさい。社長もそんな事を言っていた」

「社長も? でも武藤さん、香我美伯爵に協力すると言っていましたよね?」


 先日、たしかに慶次郎は宗治から警護の仕事を受けていた。

 伯爵に怪しい物を感じているのならば、何故依頼を受けたのだろう。


「なにかおかしな気配を感じているが、その正体も掴めん。それに猿面の物騒な予告自体は本物だ。とりあえず仕事を受け、様子を見ているようだ」


 時久はまだるっこしいと言わんばかりにため息をつき、鳥の照り焼きに食らいついた。


「なるほど……そういうことですか」


 吹雪は眉を寄せ、湯気を立てる蕎麦を見下ろす。


「その猿面の予告ですが……時間が指定されていませんでしたね」

「奴が現れるのは『寝ズニ待テ』の言葉通り深夜だ。大方庚申講こうしんこうのつもりなのだろう」

「庚申講?」

「知らんのか? 貴様の郷里ではもうやっていないのか」


 時久の話によれば、本来『庚申』という日干支は特別なものだという。

 庚申の夜、眠っている人間から三尸サンシと呼ばれる虫が抜け出すらしい。彼らは宿主の体内から解き放たれるため天帝にその悪事を告げ、寿命を削るのだという。

 早々に照り焼きを食べ終え、茶を飲みつつ時久は語る。


「庚申講、あるいは庚申待こうしんまちとはそれを防ぐための行事だ。寺や庚申堂と呼ばれる建物に庚申の夜に集まって、一晩寝ずに飲み食いする」

「なるほど……それで、猿面はその庚申講にちなんで盗みを行うと」

「恐らく。実際、庚申講の神の使いは猿だという話もあるからな。さらには庚申の夜に生まれた子供は盗人になるという迷信もある」

「……なんだかゴチャゴチャですね。いろんな迷信や伝承をまぜこぜにしたみたい」

「なにせあの怪盗は数百年近く盗みを働いている。大方本来持っていた目的や意味合いが、代替わりを繰り返すうちに失われてしまったのではないか」

「なるほど……」


 吹雪は納得し、鶏肉の揚げ物を口に運んだ。

 じっくりと鳥のうまみとしその香りを味わい、ごくりと飲み込む。


「……なるほどと言ってしまいましたが、今回の盗みにこの知識は役立つのでしょうか」

「敵を知り己を知れば百戦ナントカカントカと言うだろう」

「危うからずですよ。そこは忘れないでくださいよ」

「ふん。――ともかく奴の出現は恐らく二十六日の深夜だ。寝るなよ小娘」

「寝ませんよ」

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