その十三.鬼灯通りの吹雪と時久

 十二月二十五日――日干支は己未。

 猿面の出没を翌日に控え、吹雪達は再び香我美伯爵邸を訪れていた。


「大丈夫なんでしょうか……?」


 テーブルに並ぶ面々を見回し、吹雪はやや心配する。

 慶次郎は到着と同時に伯爵に会いに行ったため、今この場にはいない。

 夕子はぎこちない手つきで紅茶を飲み、綾廣は優雅に茶菓子を口に運んでいる。時久は相変わらず不機嫌そうにむっつりと黙り込んでいた。


「その、こんなにたくさん戦闘班の方がこちらに来てしまって……」

「だいじょーぶ!」


 綾廣が親指を立ててみせる。


「十真君やワンコちゃんがいるし、戦闘班にはブキちゃんがまだ会ってない人もいる。みんな優秀だよ、オレ達と同じくらいにね!」

「そ、そうなんですか」

「それに今のところ、これ以外に大きな依頼はないからね」


 そろそろとティーカップに下ろしつつ夕子が言った。


「街区の見回りとか結界の定期点検とか、そういう細々したものばかりだったよ」

「でもどうせまた大晦日に向けて騒がしくなるんだろうなぁ……」

「そうさねぇ。大抵年末ってなにかしらバタバタするからね。この仕事終わっても気を抜くんじゃないよ、綾廣」

「なんでオレ名指しなの!?」


 綾廣が仰天の声をあげたところで、応接間の扉が開いた。


「――おう、全員いるな」


 戻ってきた慶次郎がテーブルに並ぶ面々を見回し、満足げにうなずいた。

 その後から宗治と、五、六人の男達がぞろぞろと入ってきた。

 男達は皆屈強そうな体格をし、黒い僧服にも似た衣装に身を包んでいる。そして全員、あの己の尾を噛む蛇の像を首から提げている。

 宗治がぱちりと指を鳴らすと、その中から一人の鋭い目をした男が前に出た。


「彼は万羽六郎太まんばろくろうた。我が伯爵家の警備を担う男です」

「……よろしくお願いする」


 六郎太はぼそりと言って頭を下げた。

 やや角張った顔をしている。居並ぶ男達の中ではわりと平均的な背丈だ。しかしその体格は一切の無駄なく鍛え上げられているのが僧服の上からでも見て取れる。


「あなた方には、彼の率いる警備隊と協力して猿面の迎撃に当たって欲しいのです」

「……使えるんだろうな? そいつらは」


 はじめて時久が口を開いた。

 探るように六郎太を睨む彼に対し、宗治は小さく笑う。


「――六郎太。軽く見せてあげなさい」

「はっ」


 すっと姿勢を正し、六郎太は部屋を見回した。そしてテーブルの片隅に空いた席があるのを見つけると、なんのつもりかそこにむかって手をかざした。


「むぅ……!」


 低い唸り声とともに、六郞太のこめかみに筋を浮かぶ。

 直後、椅子がふわりと浮き上がった。

 まるで天井から糸で吊られているような椅子を見て、時久は退屈そうに鼻を慣らした。


「なんだ、異能インチキか。つまらん」

「マジモンの念動力か……こりゃなかなか珍しい」


 ふわふわと浮いている椅子を見つめ、慶次郎は興味深そうに顎を撫でる。


「六郎太だけではありません。当家の警備隊にはこのような異能の使い手が多数存在しております――皆少々わけありでね。私の運営する孤児院の出身だ」

「ほーう、そいつぁ結構な事ですな」

「今回の作戦にはどうぞ彼らを自由にお使いください。かつて覡警にその人ありと言われたあなただ。きっと上手く使う事ができるでしょう」

「おれを買いかぶりすぎだ。まぁ、しっかり預かりましょう」


 静かな宗治の賞賛に、慶次郎はにぃっと笑ってうなずいた。

 その後は場所を変え、打ち合わせが始まった。慶次郎、夕子、綾廣、宗治、六郎太の五人で、館内のどこか秘密の部屋で猿面への対策を改めて確認することとなったらしい。

 その間吹雪と時久はというと、館の外に出ていた。

『見舞いの礼だ。一食奢って、貴様の貧相な体に肉を付けてやろう』と時久が喧嘩を売ってきたので、ちょうど暇だった吹雪はそれをありがたく買うことにした。

 そうして屋敷をでた吹雪達は今、繁華街にいる。


「このあたりが鬼灯通りか」


 そこは宗治の邸宅から歩いて十五分ほどの場所にあった。

 安っぽい色電球を建物一杯につけた遊郭や薄暗い劇場、牙を剥き出す蛇の頭部を看板にした奇妙な薬屋などが軒を連ねている。

 派手な刺青を全身に入れた男や、うろんな目つきな遊女など道行く人々もどこか怪しげだ。

 ところどころ警官が立ち、あたりを見張っている。


「ここ、前に霖哉さんと会った……」


 吹雪は通りの店を見回した。

 いくつかの建物に見覚えがある。ここは時久と組んだ最初の任務の日に、廃デパートから出た吹雪が迷い込んだあの繁華街だ。

 今改めてここに来てみると、空気がどこか異質だ。

 初めは単に繁華街の空気に慣れていないだけだと思っていた。

 しかし、どうも違う気がする。ねっとりと四肢に絡みついてくるような気配。これは――。


「……見られているな」


 時久が低い声で呟いた。


「そのようですね。前に私、このあたりで絡まれたのでそのせいでしょうか」


 吹雪は声を潜めてたずねる。

 時久はやや吹雪を手で庇いつつ、鋭い目であたりを軽く見回した。


「違う気がする。――この先まで行くのはやめておくか。ろくな事にならなそうだ」

「実際ろくな目に遭いませんよ」

「どのみち大した飯屋はなさそうだ。行くぞ、小娘」


 時久は外套をひるがえす。

 吹雪は慌ててその後に続き、彼にたずねた。


「どうしてここに来たんですか?」

「近くにあのうさんくさい宗教の拠点があるというからな。飯屋に向かうついでにどんなものなのかと見に来てみたのだ」

「一人で行ってくださいよ――そういえば、貴方は打ち合わせに参加しないんですね」


 事前の打ち合わせには、夕子と綾廣も参加している。故に最初、彼らとよく行動を共にしている時久も打ち合わせに参加するものだと吹雪は思い込んでいた。


「どうせもう計画はあらかた固まっているのだ。俺がわざわざ行く必要もあるまい」


 吹雪の問いに対し、時久は肩をすくめる。

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