その十.鬼灯の瞳と風神お燎

「鬼灯の瞳は出雲のとある遺跡から、我が祖父が発掘した宝です」


 庭を歩きつつ、宗治は説明する。吹雪達紅梅社中の面々は彼の後ろについて、その鬼灯の瞳があるという場所に向かっていた。


「祖父も、父も考古学に造詣が深くてね。パトロンとして学者に資金を援助するだけでなく、自身でも現場で発掘を行っていました」

「たくさん遺跡を発見したんですよね。すごいなぁ」

「はは、それほどではありませんよ」


 綾廣の言葉に、宗治は穏やかに笑いながら首を振った。

 宗治が案内したのは、外からも見えたあの円筒型の建物だった。それは館の中でも一際高く、外壁には白と赤のタイルでモザイク画が施されている。

 建物を見上げた慶次郎が顎髭を撫でつつ、感嘆の声をあげる。


「こりゃ見事なもんだ……ここがいわゆる宝物庫ですかね?」

「いえ、これは宝物庫などではありませんよ」

「ふむ?」

「これは朽無輪クチナワ教――私が信奉する宗教の祭殿でしてね。この建物は一般の信者の方にも開放しております」


 建物は敷地内でもやや外れた場所にあり、小さな門に面している。宗治の言う一般の信者というのはあそこから入ってくるのだろう。


「朽無輪教……?」

「聞いたことないねぇ」

「……宗教に興味はない」


 吹雪と夕子が首をひねり、時久が小さく唸った。

 しかし宗治はさして気にした様子もなく、笑って肩をすくめる。


「知らなくとも無理はありません。なにせ開祖は私の祖父でしてね。宗教としてはまだまだ新しい。拠点もここと、この近くの鬼灯通りの二つしかありません」


 言いながら、宗治がポケットから鍵を取り出す。

 淡い金色に輝く鍵には、己の尾を噛む蛇を模した金属の像が下がっていた。


「しかし、これだけは断言できる――我らの神は、本当に我らを救ってくださる」


 鍵のまわる音が響き、吹雪達の目の前で扉が開いた。

 あたり一面蛇に支配された空間が目の前に広がる。内部には、床のタイルから階段の手すりに到るまでからあちこちに蛇を模した装飾が施されていた。


「……なんだか蛇の巣に迷い込んだみたいだねぇ」

「朽無輪教の象徴なんでしょうね」


 夕子の言葉に吹雪はうなずく。

 牙を剥く大蛇の絵が見下ろす玄関ホールを進み、突き当たりに存在する荘厳な扉を抜ける。

 そこは聖堂のようだった。

 天井付近には八つの首を持つ蛇を描いたステンドグラス。奥には祭壇があり、そこに向かい会う形で半円形に木の座席が何列か並んでいる。

 小高い祭壇にはビロードの覆いを被せた小さな箱が置かれていた。

 宗治は祭壇の上に全員を招くと、ポケットからロザリオを取り出した。よく見ればそれには十字架ではなく、あの己の尾を噛む蛇の像がついている。

 それを掲げてなにやら唱えた後、宗治は覆いに手を伸ばした。


「――これが、あなた方に警護してほしい宝。鬼灯の瞳です」


 ビロードの覆いが外され、硝子製の箱とその中身が目の前に晒される。

 それを見た瞬間、吹雪は思わず一歩下がった。


「これは……!」


 それは赤い――まさしく鬼灯のように赤い宝玉だった。吹雪の握り拳ほどはありそうな大きさのそれが、深緑の台座の上に鎮座している。


 不思議な宝玉だった。


 複雑なカットが施されているわけでもない。なのにステンドグラスから注ぐ陽光を受け、宝玉は揺らめく炎のような不規則な輝きを発していた。

 そのせいか、ずっと見ていると頭がくらくらしてくる。

 思わずこめかみを押える吹雪の隣で、夕子がごくりと唾を飲み込んだ。


「……これは、すごいね。霊視しなくてもびりびり来るよ」

「ああ――伯爵、これはただの宝石じゃありませんな?」


 慶次郎が低い声で漏らした言葉に、宗治は満足そうにうなずいた。


「さすがと言ったところでしょうか。かつて巫覡庁警邏部ふげきちょうけいらぶにその人ありと言われただけのことはある」

「大したことはない……おれは途中で抜けた半端物ですよ」


 巫覡庁警邏部――通称『覡警ゲキケイ』。それは呪術や祭事などの事柄を取りしきる巫覡庁が抱える治安維持組織。いわば呪術師の警察だ。

 どうやら慶次郎はかつて覡警に所属していたようだ。

 吹雪は感嘆の眼で慶次郎を見、次いでまたその視線を『鬼灯の瞳』に戻した。


 美しい宝玉だとは思う。

 だがやはり何故かその輝きを見ていると目が回るようで、落ち着かない気分になった。


 吹雪は肩をさすりつつ、慶次郎と宗治の会話を聞いた。


「それで、こいつぁ一体なんなんです?」

「発掘された場所の伝承に因れば、どうやら龍神に関わる祭具だとか。実際高い霊力を宿しているようでしてね。この石のおかげで命を救われたという方も多い」


 宗治は答え、どこかうっとりした手つきで硝子箱を撫でた。


「だからこの石は我々の拠り所――御神体なのです」

「古代の遺物か……なんか、ロマンがあるね」


 きらきらとした目の綾廣が鬼灯の瞳をあらゆる角度から見ている。

 そこで夕子が軽く手を挙げた。


「……一つ質問が。良いですかね、伯爵?」

「どうぞ、戻さん」

「この宝石、誰か呪術師に触らせました?」

「……ほう、何故そう思うのです?」


 宗治は面白そうに首をかしげた。

 一方の夕子はぐっと目を細め、鬼灯の瞳を霊視していた。


「……ケースには明らかに保護のための結界がかかってる。ただそれ以上に、宝石本体にとんでもないレベルの封印がかかってる」

「それは、古代の呪術とかじゃないのかい?」


 綾廣の問いに、霊視を終えた夕子は目を閉じて首を振った。


「にしては新しい。多分、十年か二十年くらい前のものだと思うんですが」

「よく気づかれましたね」


 香我美は感嘆の声とともに小さく拍手する。


「確かにこの宝石には強力な封印がかけられています。二十年前……ちょうど発掘現場にいあわせた、風神お燎を名乗る女によるものです」

「あー……あの恐山のイカれ巫女か」


 その名前の人物に覚えがあるのか、慶次郎はげっそりとした顔で唸った。


「風神お燎……?」


 聞いたことのない名前に吹雪は首をかしげる。

 すると、目元を揉んでいた夕子がぴたりと動きを止めた。


「風神お燎……符術に限らず、風水や陰陽道、西洋魔術まで修めた――日本最強の呪術師の一人。その本名は――」


 夕子は目を開け、吹雪を見た。


「――風見燎。アタシの姉弟子」

「え……?」


 母の名前に、吹雪の思考は一瞬止まった。

 聞き間違いとも思えない。夕子は吹雪をまっすぐに見つめてその名を言った。

 つまり、風神お燎と呼ばれるその凄腕の術師は――。


「あの鬼婆の弟子の中でも相当クセが強いって聞いたけど……多分同一人物だと思う、吹雪ちゃんのお母さんと」

「……お母さん? あなたは、あの風神お燎の娘さんなのですか?」


 宗治が目を見開き、吹雪を見つめる。


「え、えっと……多分、そうみたいです。風神なんて異名は今初めて知りましたが」

「ふむ……不思議な縁もあったものですね」


 宗治は興味深そうに顎を撫でつつ、吹雪の姿を頭から爪先までじっくりと見た。

 品定めされているようで落ち着かない気分になる。

 しかし相手は伯爵だ。視線を逸らすのは失礼ではないだろうか。


「――それで? 猿面が予告したのはこの石で間違いないのだな?」


 吹雪がそわそわしていると、時久が焦れたように口を開いた。


「ああ……その通りです。あの盗賊は庚申の夜に、この宝玉の窃盗を予告しました」

「今日は二十四日だな。綾廣、今日の干支はなんだった?」

戊午ぼごだよ、おやっさん」


 慶次郎がたずねると、綾廣は手帳を確認しつつ答えた。


「猿面は日干支が庚申の日に盗みに現れる盗賊だ。今日は戊午、明日二十五日は己未きび

「そして二十六日が、問題の庚申の日……」


 十真から聞いた話を思い出し、吹雪は呟く。


「そう……つまり明後日金曜日の夜に、あの盗賊は現れるのです」


 宗治は険しい顔でうなずいた。


「猿面は変幻自在にして一騎当千――あらゆる人物に化ける変装能力と、強大な化物をたやすく退治するほどの強さを持っています」

「しかも奴は強力な式器をいくつも所持しているという話だ」


 慶次郎は顎髭を撫でつつ、じっと鬼灯の瞳を睨み付けた。


「だから警察でなく、呪術やら化物やらを担当する覡警が追っている」

「しかし、目立った成果は出せていませんね」

「まったくその通り。奴は間違いなく何度か代替わりしているが、誰一人として尻尾を掴ませちゃいない。もうここまで来ると本当に人間かどうかさえ怪しい」

「猿面が化物だとすれば、なおさらあなた方の出番だ」


 宗治は慶次郎に向き直り、深々と頭を下げた。


「どうかお助けください。奴は鬼灯の瞳だけでなく、私の命さえ狙っているようなのです」

「い、命まで狙われているのですか?」

「『此レハ天誅デアル』『首ヲ洗ヒテ待テ』――ふん、確かに」


 驚愕する吹雪の傍らで、時久が歌うような口調で呟く。それは先日、ビルディングに張り出された猿面の予告文の一節だった。


「今まで奴がこんな物騒な文言を使ったことはないな」

「そのへんも話題になってたねぇ。今までは『庚申ノ夜 寝ズニ待テ』の言葉と、盗みに入る場所についての一節しか書かれてなかったのにって」

「もちろん、私には天誅を受けるような行いをした覚えはない」


 首をかしげる綾廣の言葉に、宗治は誓うように胸元に手を当てる。


「この鬼灯ノ瞳と我らの神に誓いましょう。――しかし、どれだけ私が潔白を訴えても賊は必ず二十六日に現れるでしょう。ですからどうか――」

「この屋敷にも、護衛の方がおられるんでしたね?」


 慶次郎が鋭い声で問うた。

 すると宗治は一瞬戸惑ったような顔をしたものの、すぐに表情を引き締めうなずいた。


「ええ。ですが猿面を相手取るには人数が足りない」

「とりあえずその護衛の人達に会わせてもらえませんかね? あとは館と、この建物の構造について教えていただければ」

「ということは武藤さん……」


 宗治が目を見開く。

 慶次郎はニイッと笑い、深くうなずいた。


「お引き受けしましょう。――おれも昔、猿面にはさんざん煮え湯を飲まされたもんでね。できれば奴をひっ捕まえてやりたいと思っていたんですよ」

「ありがたい……よろしくお願いします!」


 宗治は喜色満面となって深々と頭を下げた。

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